だなぶろ ROプレイヤー鋼錬を往く


だなぶろ ROプレイヤー鋼錬を往く

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ROプレイヤー鋼錬を往く その18


 こちらジャン・ハボック(仮)。
 現在マース・ヒューズ大尉の指揮下で金魚のフンを勤めております。
 謙遜とか卑下とかじゃなくマジでそんな感じ。ははは……。

 銃も持たずに手ぶらなもんだから、傍目に見ればただくっついてくるだけだもんな。
 実際に戦いがはじまったならともかく、今は見るからに役立たず。
 なにせ腰に付けたナイフ一本以外まったく武装がありません。

 ……銃も手投弾も敵にダメージを与えられないから、これでいいんだ!

 本当のことだ、言い訳じゃないぞ。
 Wizがゲーム中で装備可能な武器は杖と短剣だけ。
 そのろくでもないルールがこっちでも適用されている。
 実際に使って使えないことはないけど、どうせ当たらないんじゃ意味がないし弾薬の無駄だ。
 だからこれでいいというか、これが精一杯ってのが正直なところ。

 杖がありゃ一番しっくりくるんだろうけど、木製じゃ頼りない。
 金属の杖が欲しいなぁ。この際鉄パイプでもいいよ。
 鉄パイプを振り回す兵士は絵的にちょっとアレだけど、ナイフだけよりは心強い。  

 ともあれ、大尉の部下に何人か知人がいたおかげで、異様な軽装であることを突っ込まれもせず無事戦闘に混ざれそうです。
 戦いに参加するのに無事っていうのもおかしいけどさ。

 ああ、こういう時に自分の隊が恋しくなるなぁ。
 ちょっと涙が出そう。
 知らない人が何人か物言いたげな顔でこっちを見ていたけど、それは気づかなかったことにしておこう……。



 ◇◇◇ 


 
 西区についてからのヒューズ大尉の動きは実に素早かった。
 近くにいた奴をとっつかまえて手短に戦況を聞いたかと思うと、すぐさま突入の場所を決定して行動を開始する。

 部下の反応もいいし、なかなかいいチームなんじゃなかろうか。
 チームと呼ぶにはいささか大所帯だがね。

 「西区のメインストリートを奪取してハリー隊と合流する!」

 銃を手にした大尉が、大股で歩きながら指示を出し始める。
 俺は相変わらず手ぶらのままで、大尉の後ろを歩きつつ黙ってその声を聞いていた。

 ハリー隊っていうと来がけに聞いた孤立した部隊か。
 聞いたことない名前だが、指揮官がバカ准将よりまともなら生き残っているかもしれない。
 弾薬が切れていなければね。
 
 「ベルタ、アントン、シーザーは右から回れ!俺の動きに合わせろ!」

 大雑把な指示だが、名前を呼ばれた連中にとってはそれだけで充分だったんだろう。
 小隊長と思しき三人が部下と共に通りの右側に寄って、歩きながら進むべきルートについて小声で確認しあっている。
 
 意外にもヒューズ大尉は自分がまず突っ込むタイプだったみたいだ。
 指揮官が先頭に立って戦うのは危険だけど、間違いなく士気は高揚するよな。
 大尉が進むにつれて周囲の兵士達の目が熱気を帯びていく。 
 トランス状態とまではいかないが、完全に周りの連中は乗せられている。

 そして乗り遅れた俺は、ちょっと寂しい。
 こういう時は一緒に盛り上がったほうが怖くないんだよ。
 指揮する立場の人間がイケイケ状態になるのはマズいけど、指揮される側にしてみればね。

 「カウフマン!ドーラ!援護しろ!!」
 
 命じられた二組が数メートル先に積んである土嚢に駆け寄って銃を構えた。
 なんか近くに荷車が転がってるけど、却っていいカモフラージュだ。
 ハリー隊はここから突入して奥までずるずる引きずりこまれたあげく、回り込まれた少数の敵に背後を取られたらしい。

 敵もなかなか上手くやったもんだが、残念ながら二度目はないな。 

 「いいかてめーら!!なるべく死ぬなよ!!」

 とーぜん。元からそんなつもりはありませんよ!
 そろそろ借金返し終わるし、生きて帰んないとね。
 
 ナイフを引き抜いてしっかりと握る。
 これが唯一目に見える俺の武装だ。
 さぁ一戦付き合ってもらうぜ。

 
 「GOGOGO!!」


 追い立てるような号令に、大尉の左右にいた兵達が勢い良く走り出した。
 後ろでは進路を確保するための援護射撃が続いている。
 出来れば大尉の前を走りたいんだが、今はかえって邪魔になりそうだ。

 あーくそ、他所の隊はやっぱり勝手が違う。
 
 号令に合わせて飛び出した兵士が10メートルほど走って遮蔽物に隠れ、後から来る者達の安全を確保する。
 同じように先に進んでいた大尉は、遮蔽物に身を隠すと同時に後ろに向かって軽く手を振った。
 その合図に従って、援護していたうちの一隊がこちらに走ってくる。
 彼らは俺達より先に進んでから身を隠し、次に俺達が移動する間の援護をするわけだ。
 平たく言えばお互いを守りながら交互に進んでいくってことなんだが、残念ながらかなり早い段階で横槍が入った。

 丁度俺達が移動していた時のこと。
 短い石段を駆け上がったところで、ナイフを持った男達が飛び掛ってきたからだ。
 
 「チッ」

 舌打ちした大尉が銃を片手だけで支え、そのうちの一人の首に何かを突き刺した。
 何が起きたかさっぱり分からないうちに、刺された男が喉から血を噴出しながら階段を転がり落ちる。
 かすかに見えた大尉の手には……プッシュダガーかよ、おっかねぇ!
 人体破壊のためだけに作られた短剣じゃねぇか。まさか自腹か?

 
 ヒュン!

 
 余所見をしていたら罰が当たったらしい。俺が狙われた。
 耳の直ぐ横を通った大振りのナイフに思わず片目を閉じてから、問答無用でその持ち主を蹴り飛ばす。
 いい加減二年も戦ってりゃこの程度はできるようになるんだよ。
 よろめきつつもこちらに向き直ろうとした壮年のイシュバール人は、後ろから撃たれてそのまま仰向けに落下していった。
 
 そして敵味方入り混じった白兵戦が始まる。

 同じように階段を上っていた兵達へ次々に襲い掛かるイシュバール人。
 相手はナイフで国軍は銃だ。
 それだけ聞くとこちらが有利と思うかもしれないが、接近戦となると銃は逆に邪魔にしかならない。
 しかも近接戦闘になれば大抵イシュバール人のほうが強いのだ。
 敵一人に対して国軍兵士二人以上でかかるが、それでも勝てないことが多いのだから恐ろしい。
 
 「貴様ッ!!」

 怒声とと共に大尉の左側から切りかかる敵。
 銃を持っているためか、僅かに動きが遅れた大尉の前に、俺はひょいと移動した。

 「准尉!」

 敵との間に割って入られ目を見開いた大尉に、にっこりと笑いかける。
 いや、別に盾になって死ぬわけじゃないのでそんな驚かないでください。
 ほらほら大丈夫。

 邪魔に入った俺から先に殺そうと、ナイフを振り下ろす敵。
 が、落ちてくる刃がいきなりその方向を捻じ曲げられる。

 我ながら本当に反則な身体だ。
 しかしオートで避けられるというのは凄く有難い。攻撃に集中できる。
 ありえない現象に体勢を崩した敵を、手持ちのナイフでザクリと刺した。
 ま、俺はWizだしこれだけで死にはしないだろうが行動不能にはなる。

 「じゃあな」

 言いつつそのままナイフを引き抜いて、階段下に蹴落とす。
 躊躇しないんだから俺もたいがい荒んできてるな。
 
 ナイフに付いた血脂を気にしつつ大尉の様子を見ると、既に銃を構えなおして前を見ていた。ってことはここは制圧したのか。
 階段下を見るとそっちも局地的な戦闘は終了しつつある。
 俺が蹴った男は下にいた奴にとどめを刺されていた。南無南無。

 
 一方階段の上はと言うと……。


 「馬鹿野郎!一人ずつ移動しろ!」
 「ぎゃあああ!!」
 「撃て!撃て!撃て!怪しいものを見つけたら撃ちまくれぇ!」
 「ああああああああごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃいい」
 「だめだコイツは後方へ!」
 「畜生ジャムった!!」

 
 ううむ嫌な感じにカオスだ。
 ドカンとかボンとかダンダンダンとかいう音の合間に悲鳴が聞こえてくる。
 聞いてると先に進みたくなくなるわ。
 階段の先はえらい騒ぎだ。

 しかし行きたくなくとも進まなきゃいけないのが兵隊さんなわけで。

 「とりあえずあそこの塀の影に移動しましょうか」

 「だな。おい、援護しろ!目標はあの塀だ。まずは俺とハボック准尉が行く!!」

 階段下に集まった数名に向かって命じる。
 おお、さすがに手馴れてるな……。

 「行くぞ!」

 「はっ!」

 声に合わせて階段の上に飛び出す。
 何発か銃弾が飛んできたが、大尉と敵の間に俺がいるので当たることはない。
 そのまま速度を合わせて目標にむかって滑り込んだ。

 「来い!」
 
 すかさず大尉が銃を構え、残っていた兵のうちの一人が走ってくる。
 と、その後ろから銃を構えた男が――敵だ!
  
 「ソウルストライク!!」

 ああ咄嗟に使っちまった……まぁ中隊長にも言われてたししょうがないか。

 ヒュンヒュンと風を切る音と共に飛んでいく『何か』。
 せっかく助けてやったと言うのに、走ってきた兵はそっちの方に度肝を抜かれたらしい。
 泡を食って俺の横に飛び込んできたと思ったらパクパクと口を開け閉めして何か訴えようとしている。

 ハイハイ後で聞くからとりあえず攻撃してくださいね!

 「俺も後で聞かせてほしいなぁ今のヤツについて」

 ああうんはい了解です。
 それでも銃を離さないところとか素敵ですよ大尉………。
 
  




 

 「……なんでしょうね、この建物」
 
 目を見張るほどの早さではないが確実に西区を制圧していくヒューズ隊。
 俺も地道に一人ずつ魔法で片付けながら随伴してきたんだが、行き先に妙な建物を見つけた。
 寺院じゃないだろうがやけにでかい。
 普通の民家と比べるとやけに造りが豪華だし、用途はなんなのかな。

 壁沿いに近づいてみたが、窓を覗き込む勇気はなかった。
 
 「さあな。集会所か何かじゃないか」
 
 警戒しつつ話してるうちに話題の建造物に三人ばかりの兵が向かった。
 外壁から察するに室内は結構広そうなんだが。
 まあ手投弾の一つや二つ投げ込んでから乱射すれば三人でもいけるだろう。

 「あれ……?あ、バカ!扉に正対してんじゃねぇ!!」

 思わず口走った瞬間に、両開きのドアが蹴破られた。
 幸いにもドアごと打ち抜かれはしなかったようだ。
 というか手投弾持ってんだから使えよ!!



 ドン



 轟音と爆風。噴煙。
 突入した兵士が引鉄を引くのとどちらが早かっただろう。


 「トラップ!?」

 そう叫んだヒューズ大尉は本当に運が良かった。
 爆発で飛び散ったガラスの破片が、窓の直下にいた兵の背中一面に刺さっている。
 その兵士と大尉の距離はたった1mほどしかなかった。

 「生きててくれよ……!」

 ひしゃげた窓枠を飛び越えて近づいたが、倒れた男はピクリとも動かなかった。
 一番窓の傍にいたのだから、即死だったのかもしれない。
 致命傷を負わせたのは、肩甲骨の間に刺さった手のひら二つ分の大きさのガラス片か。


 俺が。

 咄嗟にアイスウォールの一つも張れれば、こいつは死ななかった。 


 そんな後悔もう何度目だろう。今更の話だ。
 さっき俺達が残してきた奴らの中にだって、きっと死者は出ている。
 あの時ああすれば良かった、こうすれば良かった。
 そんな仮定を弄ぶ暇があったら一人でも多く敵を殺して味方を助けなくちゃ。

 「そうだ、大尉は……」
 
 俺は馬鹿だ。何やってんだ。
 今は何を置いてもヒューズ大尉を護らないと!

 「おいっ!生きてるか!?」
 
 視認する前に声で位置が分かった。 
 跪いた大尉が一人の青年を抱き起こしている。

 さっきの爆発で負傷したのか。
 声をかけながら傷口を押さえる大尉に、浅い息を繰り返す兵士が呟く。

 「死にたくない 死にたくない しにたくない」 

 生きてる。意識もある。
 なら間に合わせる!
 
 「しっかりしろ!!……衛生兵――――ッ!!」

 すぐさま駆け寄り、傷口を押さえていた大尉を強引に押しのける。

 「どいてください!」

 細かい傷は沢山あるが一番大きな傷は胸に負った裂傷だろう。
 吐血してるってことは肺にまで傷が達したのか。
 即座にその場で詠唱する。

 「ヒール!」

 死にたくないと呟き続ける男に、声には出さずに語りかける。

 そうだ。死にたくないと叫び続けろ。
 そう言っていられるうちに俺が引き戻してやるからな。

 声を出してるってことは命があるってことだ。
 つまり俺のヒールが無駄にならないってことでもある。

 「ヒール!ヒール!ヒール!!」

 立て続けにヒールをかけた後、軍服をはだけさせて傷口を確認する。
 よし、血は止まった。
 軍医も衛生兵もいないから確証はないが、多分中身も治っているだろう。

 「准尉、お前……」

 大尉が唖然としている。
 俺が何かを喚いたら突然怪我人が光り始めたんだ。そりゃビックリするだろうさ。
 しかもあれほど大量出血していた場所に傷がなくなってるんだもんな。 

 「しにたくな……あれ……」
 
 お。こっちも気がついたか。
 全快とはいえないまでも、怪我は殆ど治ってるはずだ。

 「これでとりあえず死にはしないでしょう。起きられるか?」

 「…あ、はい……」

 死にぞこなった兵がよろめきながらもなんとか自力で立ち上がる。
 ついでに俺も大分冷静さを取り戻す。

 「大分出血してましたし、彼は前に出さないほうがいいと思います」

 失血のことまで面倒みていられる状況じゃない。

 「説明は後で。怪我人は死なない程度に治しますからさっさとケリをつけましょう」

 まだ何か言いたげな大尉を強引に黙らせて、直ぐ近くに転がっていた生存者にヒールをかける。
 できることなら大尉をここで待たせて一人で市街地のど真ん中に突っ込みたい。
 しかしそれをやっちまうと生き残ってるかもしれないハリー隊の連中まで巻き込む可能性もあるし……。

 「ヒール!」

 三人目の怪我人に手をかざして唱えた直後。
 ひっきりなしに鳴り続けていた銃声や爆発音が、不意に途絶えた。
 
 「ん?」
 
 何だ。何が起きたんだ?

 「お…?」

 未だ噴煙と土埃が舞う中で、白い旗が翻る。
 旗と共に現れた人影に注視して、戦場が静寂に支配された。
 
 やがて煙の向こうに見えたのは、イシュバールの武僧と思しき一団。
 白旗を掲げて進む男達は、一人の老人を守るようにしてこちらに向かってくる。
 多分あの人が代表者ってことなんだろう。

 目の前まで歩いてきた彼らを見て、ヒューズ大尉が銃口を下げた。
 後ろの連中を制するように手を動かし、同じように銃を下ろさせる。
 目の前の相手に心当たりでもあるのか?


 「なんてェこった…イシュヴァラ教最高責任者ローグ=ロウか」

 ……よくそんな偉い人の顔知ってましたね。

 「いかにも」

 髭の爺さんが重々しく肯定した。
 この状況でそれを肯定するのは随分勇気がいることだろうが、答えた様子は落ち着いたものだった。
 後ろに控えている男達が悔しげに下を向き、手を強く握り締め、或いは涙を堪えているのに対して、この老人はそれらの感情を一切表に出してはいない。

 ウチの今の頭とは雲泥の差だ。
 もちろんどっちが雲でどっちが泥かは言うまでもない。

 「とうにイシュバールの奥地に逃げたと聞いていたが」
 
 「皆が戦い散って行くのを見て、黙っていられる神経は持ち合わせておらんよ」

 それが普通の神経だよなぁ。
 でも再起を図るなら逃げるべきなんじゃなかろうか。
 人外大総統が見逃すかどうかは運次第だけど。

 「キング・ブラッドレイと話がしたい」

 「何!?」

 噂をすれば影じゃないが、俺の思考とタイミングが一緒だったので妙に慌てた。
 大総統と会見を望む?正気か?

 「我が命と引き替えに、今生き残っているイシュバール人の助命を乞う」

 その言葉に、大尉が大きく目を見開いた。 
 後ろにいた兵士達も思わず顔を見合わせる。

 最高責任者を差し出しての助命嘆願………これが普通の戦争なら話が通る可能性もあったろうが、現在の国軍に対してそれを言い出すとは……。

 「イシュバールの要である大僧正ローグ=ロウの首だ。不満があるかね?」

 いやお爺ちゃん、俺達は不満なんかないけど上の方にはあるかもしれないよ。

 そんなこと口に出せないような場面だが、多分ここにいる国軍兵士の半数以上が似たようなことを考えているはずだ。
 俺達はこの戦いが殲滅戦と呼ばれる所以を、身を持って理解してきた。
 降伏さえも許さない、徹底した皆殺しの方針を打ち出した上層部が、今更イシュバール人との取引に応じるだろうか。

 戸惑う俺達の前で、老人は空を見ながら言った。


 「もう…双方死ぬのは私で最後にしてほしい」


 ――ああ、この人本当にちゃんとした坊さんなんだな。
 これだけ酷い目に合わされても尚、イシュバール人だけじゃなくて国軍兵士のことも考えられるのか。 
 
 ヒューズ大尉は老人の言葉に静かに目を伏せた。
 そっと帽子を脱いで胸に当てる。

 「わかりました。上に話を通しましょう」  

 この人も薄々結果は見えているに違いない。
 それでもこの場でこう言うのは大尉が真っ当な人間だからだ。
 殺さないで済むなら殺したくない。


 しかし、大僧正の首か。
 これで停戦に……ならんだろうなぁ。

 確か大総統ってウロボロスとかいう悪役集団と繋がってたはずだ。
 国のトップがそんな有様なんだから、この内乱だって絶対裏側に何かあるよ。
 その『何か』の実態は分からんが、お偉い坊様が一人出てきたくらいで軍が……大総統が止まるとはとても思えん。
 原作でも、イシュバール人の境遇が物凄く悪かったのは漠然と覚えてるし。

 ……さて、この後はどうなるのか。

 戦場で色々とショッキングな出来事を経験してきたせいか原作の記憶は薄れがち。
 頼みの綱の覚書をしたためたノートも実家に置いてきたので今後の展開が全然読めない。

 ま、ジャン・ハボックは所詮脇役だ。
 俺の知る限りじゃ作中での過去描写なんてなかったから、どう動くかは結局自分次第だよな。
 まして事が軍全体に影響する停戦交渉ともなれば、俺みたいな下っ端に出る幕はない。

 「大尉」

 イシュバール人を伴って離れようとした大尉を呼び止める。

 「なんだ?」

 停戦交渉に俺が着いていったところで何の役にも立たない。
 だったら役に立つ場所で働くのが正しい兵隊ってもんだろ。
 中隊長もきっと賛成してくれる。

 「俺はここで怪我人の治療に当たります」

 「……例のヒールとか言ってたやつか?」

 「はぁ。乱用したくはないんですが、これだけ負傷者が多いと」

 使わないでいたらむしろ俺の精神がダメージを受けますから。
 やれることやっとかないと罪悪感で夜眠れなくなっちゃう。

 「事情は分からんが、助けられるなら助けてやってくれ」

 「ええ、出来る限りのことはさせてもらいます」

 そう言って敬礼した俺に答礼を返すと、大尉は大僧正とかいう老人とその付き人らしい武僧を伴ってこの場を立ち去った。
 色々聞きたいこともあるだろうに、全部腹に収めてあの態度。
 さすが後々二十代で中佐にまで上り詰める男だ。
 思わず背中に『よっ!日本一っ!』と声をかけたくなった。
 やらなかったが。

 「さ、仕事仕事」

 ハリー隊の生存者も今のうちに回収できそうだし、忙しくなるぞ。 
 上の方はこれから大変そうだけどそれが仕事なわけだし。
 下は下で戦友の命の心配だけさせてもらいますよ。
 
 これ以上死人を出したくないのはイシュバール人だけじゃないんでね。 



 ◇◇◇



 グラン大佐がこっちにきてる?
 ヒューズ大尉に同行するためかな。大佐はここじゃバカ准将の次に地位が高いわけだし。

 ってことはウチの連中もいるかもしれん。
 中隊全部ってこたないだろうが何人かはくっついてきてるはずだ。
 鉄血の錬金術師に護衛が必要とは思えんが、体面とか形式とかいう面倒なものが色々ある。

 うーん……なんだかんだいって皆のことが心配だし、落ち着いたら探しにいこうかなぁ。
 いつ落ち着くかはさっぱり見通しが立たないけどね。
 生死の境をさまよってる奴こそいなくなったけど、重傷者が山のように残ってるから。


 「ハボック」


 は。この聞きなれた声は。
 ええ!?マジですか!   

 「中隊長!」

 「やあ」

 いやいやいや『やあ』じゃないでしょう。
 片手を挙げて爽やかに笑わないでくださいよ。

 「な、なんで」

 「大佐に同行を命じられてね。隊は少尉に任せてきたけれど、手綱はセントリーが握ってるから」

 そっちじゃなくて!

 「どうしたんですかその怪我!?」

 思わず指をさした先、中隊長頭に巻かれた包帯にはじんわりと血が滲んでいる。

 二年ばかりこの人の下で働いてきたが、こんなに派手な怪我をしているところは今まで一度しか見たことがない。
 東部に来る途中の列車襲撃の時の怪我がそれなんだから、実質的にはこっちに来てから一番酷い傷だ。
 そんなにグラン大佐の援護はキツかったのか。

 「これかい?クーガーにやられたんだ」
 
 はぁ!?

 「弾を装填中に、私を狙っている敵に気付いたそうでね。咄嗟に思い切り投げた石が見事に私に命中したんだ」

 く……くーがーの全力投球を頭に?
 それは……。
 
 「よく生きてらっしゃいましたね……」

 アイツは一人で車を移動させられる腕力の持ち主ですよ。
 普通なら死んでると思います。脳挫傷とかで。

 「私はその場で倒れたため攻撃は当たらなかった。敵はセントリーが倒したよ」

 ええと。
 クーガーを殺さないでくださってありがとうございます。

 「まぁ彼もあれで中々有能だし。君の部下だし」
 
 すみませんすみませんすみませんすみません。ホントごめんなさい。よく言って聞かせますから。
 とりあえずその傷は直ぐに治させていただきますね。

 あ、なんならクーガーを全裸で歩哨につかせますが。


 「それはやめてくれ」

 
 そんな即答しなくても……。
   



ROプレイヤー鋼錬を往く その18.5
 

 あの時、死んだと思った。
  

 
 階段での戦闘の時のことだ。
 一人目をダガーで刺殺し、二人目を階下に落とし、三人目と格闘中。
 ほんの少しだけ銃が動きを阻害して、そのせいで向けられた刃に対する反応が遅れた。 
 俺はこれでも白兵戦にゃ自信があるんだが、それだけにイシュバール人の強さは骨身に染みている。
 彼らを相手にしているなら一瞬の隙さえ致命的だ。
 反射的に銃を盾にしながら身を引いて、それでも間に合うまいと思った。

 (二階級特進でマース・ヒューズ中佐か……ごめんな、グレイシア)

 情けなくも覚悟を決めた瞬間、視線を遮ったのは薄汚れたコート。
 砂と埃でくすんだ金髪。 

 「准尉!」

 咄嗟に叫んだ声に、背中の持ち主がこっちを向いてにこりと笑う。
 後ろに控えていたはずのハボック准尉だった。

 叩き上げで准尉まで上り詰めたにしてはあまりにも若い青年。
 こんなことのために預かったわけじゃねぇと怒鳴りつける代わりに、息を呑んだ。
 俺を庇った准尉が切り裂かれたからじゃない。
 どう見ても必中コースだった攻撃が、なんでかハボック准尉に当たらなかったからだ。
  
 空振りして体勢を崩した相手に、准尉はナイフで一撃を加えて階段から蹴り落とす。
 まるで当たらないことが分かっていたような自然な動作だ。

 「じゃあな」

 落ちていく敵に向けた、友達と分かれるかのような軽い挨拶の言葉。
 血生臭い戦場でたった今人を刺したばかりだというのに、あまりにも静かな表情が印象に残った。



 ◇◇◇



 「ソウルストライク!!」

 怒鳴るでもなくむしろ抑えた調子で放たれた声は、はっきりと俺の耳に届いた。
 その声に従うように彼の背後から現れた光の球が風を切って敵へと向かう。

 これも着弾と言うべきなのか、光が敵に思い切り突っ込んだ。

 だが銃弾が当たった時のように血が噴出したりはしない。
 光球の直撃を受けたイシュバール人が激しく体を震わせドサリと倒れ、狙われていた部下が俺達の潜む塀の陰に飛び込んできた。
 きっとあの敵は即死だな。
 准尉は何も言いはしなかったが、なんとなくそう思う。

 血の一滴も、悲鳴の一言もない死だ。
 こんなことが出来る人間なんて早々いない。
 いるとすりゃ、俺の親友……ご大層な名前で呼ばれてるアイツのご同類くらい。
 

 ――――錬金術師だったのか。


 そう思った途端、今まで胸のあたりでわだかまっていた何かがストンと腹に落ちて消えた。
 その何かに名前をつけるとするなら不安や不審、疑念なんて単語が合うかもしれん。

 准尉が錬金術師だったなら今まで疑問に思ってきたあれこれに説明がつく。
 先輩が言っていた『ハボック准尉の本領』とやらはまさしくこの技能のことだったんだろうし、何も持たなくていいってのも、錬金術という少々反則気味の武器があるならおかしくはねえ。
 正直なところ錬金術師にしちゃああんまり頭が良さそうにゃ見えないが、人は見た目によらないって言うしな。
 
 大抵の人間は軍に所属する錬金術師というとすぐに国家錬金術師を思い浮かべるが、当然それ以外の錬金術師だって軍には存在する。
 むしろ数としてはそっちのほうが多いだろう。国家錬金術師は狭き門だ。
 そのくせ軍人の錬金術師の話をほとんど聞かないってのは、連中自身が隠しているからに他ならない。
 
 それも当然だ。
 俺だってもし錬金術が使えたとしても言いたかねえさ。
 身内から『実力が足りねぇから狗にもなれねえ』なんて陰口叩かれるくらいなら最初から黙ってたほうがマシだ。

 もちろんそれが全体の意見ってわけじゃないが、嘲笑や蔑みの声は最近どんどん大きくなってきてる。
 国家錬金術師に対する畏怖や嫉妬の捌け口なのかもしれないが、同じ軍人としてなんとも情けねえ。
 軍に所属する錬金術師に対して風当たりが強いのは今に始まったことじゃない。
 しかし、民間ならいざ知らず軍内部からの非難なんて錬金術師達も聞きたくねえだろう。

 だから俺はハボック准尉に光球の件について深く追求はしなかった。
 俺と准尉だけならともかくここには他の奴らもいるし、そもそも戦闘中だ。

 「俺も後で聞かせてほしいなぁ今のヤツについて」

 茶化しつつそう言うに留めて、その後は准尉が光の球を出そうが敵を凍りつかせようが気にしなかった。
 ロイの手袋のように何か仕掛けがあるんだろうが、どうせ専門外の俺が知ったところで意味はない。
 
 ハボック准尉は腕利きの錬金術師。
 彼の武器には弾切れもないし装填の必要もない。
 周囲の状況を良く見ているから他の奴のフォローも上手いし、敵を見つけるのも上手い。
 火器の変わりに錬金術があるし、接近戦もナイフ一本で上手く立ち回る。
 総合すれば兵士として標準以上の男だ。
 ロイみてえなド派手な錬金術師は使えないようだがなかなかいい人材を預かったと、そう認識した直後にそれは起こった。
 


 ドン

 

 腹に響く聞きなれた轟音。
 あちこちで鳴り響いている同種類のそれよりも一回り大きな音。
 不審な建物に少人数の兵が突入し、その直後に内部で爆発が起こった。 

 「トラップ!?」

 思わず疑問の声を上げたが、答える人間なんざいるわけはないし、俺もそんなもの期待しちゃいない。 
 僅か数メートル先でガラスの直撃を浴びた兵が倒れ、もう一人建物の傍にいた男が爆風で吹っ飛んだ。
 ハボック准尉が倒れた男のほうへ駆け寄るのを見て、俺は吹き飛ばされた男のところへ向かう。

 「おいっ!生きてるか!?」

 力なく横たわる血塗れの体。慌てて抱き起こし傷口を押さえた。 
 胸から溢れ出る血が手を濡らす。
 片手で止血帯を引っ張り出したがやり方が完全に頭から抜け落ちていて、結局そのまま傷に当てて圧迫するくらいしかできなかった。
 
 傷口に触れた布があっと言う間に赤く染まる。

 「死にたくない 死にたくない しにたくない」 

 涙を流しながら繰り返される絶望的な囁きに耳を塞ぎたくなった。

 たった数歩分の距離が違えば、こいつは俺だったかもしれない。
 運だけに命が左右される。これが戦場だ。
 分かっていてもその非情さと理不尽さに吐き気がした。

 荒い呼吸はどんどん浅くなり、小さくなる。
 死にたくないと泣きながら呟くその姿に一瞬自分の姿を幻視して、それを振り切るように叫んだ。
 
 「しっかりしろ!!……衛生兵――――ッ!!」

 周囲で頻発する爆発の音によって俺の声がかき消される。
 いっそこいつを置いて衛生兵を呼びに行くべきか、あるいは誰か捕まえて後方へ移送させるか。

 判断に迷ったその時、突然横に突き飛ばされた。 

 「どいてください!」

 叱りつけるような声。
 さっきまで俺のいた場所に割り込んだのはハボック准尉だった。
 階級差なんぞ一切無視して怪我人の傷を確かめる。

 まさか医学知識があるのか?

 希望的観測かもしれないが、手つきに迷いがないし傷を見る視線が冷静だった。
 衛生兵程度でいいからその手のスキルがあるのならせめて止血ぐらいしてやってほしい。
 一縷の望みと共に手元を見つめると、准尉が突然立ち上がって叫んだ。
 

 「ヒール!」


 噴煙の中で兵士の体が光を放つ。

 俺以外に気付いてる奴がいたかどうか知らないが、それは一見の価値のある光景だった。

 黒い煙や赤い炎、舞い上がる砂埃。
 重苦しい戦場の色彩の中で、そこだけが別の世界。
 倒れた兵を囲む円は白く発光し、光の粒子が舞っている。
 包帯さえもすぐに色を変えるようなこの場所で、まさかこんな白を見ることができるとは思わなかった。

 「ヒール!ヒール!ヒール!!」

 続けざまに叫んだ准尉は、余韻をぶち壊すようにその場に屈んで兵士の軍服を脱がせて傷を露出させる。
 そこでようやく俺は今の一幕の意味を知った。

 怪我人の傷が目に見えて薄くなっている。 

 「准尉、お前……」


 何をしやがったんだ、コイツ。


 「しにたくな……あれ……」

 自分の怪我が治っているのに気付いた兵士が、呆然とした顔で傷のあった場所と准尉の顔を交互に見る。

 「これでとりあえず死にはしないでしょう。起きられるか?」

 言葉の前半は俺に、後半は怪我を負っていた兵士に。
 凝視する視線を知ってか知らずか、准尉の態度はいつのまにか戦闘前のそれに戻っていた。

 「…あ、はい……」

 何がどうなっているのか理解できないらしい兵士は、言われるままによろよろと立ち上がった。
 大きな傷を負って体を起こすことさえできなかったはずの人間が。 

 「大分出血してましたし、彼は前に出さないほうがいいと思います」

 落ち着いた声で言う准尉に、聞きたいことが山ほどあった。

 今のは何なんだ。
 あれは錬金術なのか。
 お前はいったい何者だ。
 
 俺は錬金術について詳しくもなんとも無い。
 ロイの奴がしでかす火遊びも何か図形を利用してごちゃごちゃやったら火がつく程度のことしか分からん。
 あいつとの付き合いのウチに質量保存や等価交換という言葉くらいは覚えたが、その法則云々に関しては完全に門外漢だ。

 しかしそんな俺でも今の治療はおかしいと思った。

 全然質量なんて関係ないし、今のは何と何を交換したんだ。
 人体にこうまで影響する錬金術なんて聞いたこともねえ。
 ここは軍で、しかも戦場だ。
 錬金術師か否かに関係なくこんな技術が存在するなら話題に上がらないはずはねえってのに。 

 こいつは本当に俺が思ったとおりに錬金術師なんだろうか。
 もしかして、もっと……違うものなんじゃないのか?
 
 「説明は後で。怪我人は死なない程度に治しますからさっさとケリをつけましょう」
 
 准尉は動揺する俺の返事を待たず、近くにいる負傷者から手当てをしはじめた。

 立ち去る背中には迷いがない。
 先ほどと同じ白い光が放たれ倒れた兵士の傷が癒えると、その兵士に怪我人を安全な場所へ移動するように指示して自分はさらに別の男の傍へと膝をついた。
 呼吸と脈を確かめて僅かに俯くと、直ぐに立ち上がってまた別の人間の元へと向かう。
 砲声は鳴り止まない。
 けれど彼は敵を気にする様子もなくその場を歩き回る。

 味方の命を助けるために。 

 「……カウフマン生きてるか!生存者の確認だ。ドーラ!状況を報告しろ!!」

 俺は准尉の背中を見つめながら叫んだ。

 ライフルを抱え直して素早く戦況を確認する。
 爆発によってかなり死傷者が出たようだが、このあたりの制圧は済んでいるようだ。
 まだいける。まだ充分に戦える。
 まずはハリー隊と合流だ。この場の混乱を収集して体勢を立て直す。

 ―――不思議と頭がすっきりしていた。
 冷静な士官としての自分が指揮をとる一方心の中で戦場に見合わぬ静かな声が呟く。
 小さな、けれど強い声が。

 准尉が何者かなんて今この状況で追及することじゃない。
 
 彼は俺を終始守ろうとしていたし、実際に何度か命を救ってくれた。
 敵を倒し味方を助けて今こうして治療に当たっている。
 そして命を落とした仲間のために、悲しんだ。

 それだけで充分じゃないか。

 ハボック准尉はこの地獄を共に這いずる仲間だ。
 ロイみたいなビックリ人間だろうが、あるいはもっと変わった人間だろうが知ったこっちゃない。
 大切なのは准尉が背中を任せるに値する兵士かどうかってことだ。
 信用と実力と、その二つを兼ね備えているならば正体は二の次でいい。

 
 もちろん、この戦いが終ったらちゃんと説明を聞かせてもらうぜ。



 ◇◇◇



 ジャン・ハボック准尉は不思議な男だ。
 この戦闘が始まる前、俺は彼のことがさっぱり分からなかった。

 キレ者の先輩に預けられた若い兵士。
 一体どれだけ有能なのかと試しに銃の腕を聞いてみりゃあ、銃どころか火器の一切が使えないという。
 冗談かと思ったら本当に何も持たずに俺の後を付いてきたので内心酷く驚いた。
 いや、銃以外の武器なら持っちゃあいたか。ナイフを一本だけだがな。
 だからといってナイフの達人ってわけでもなさそうで、扱いに困った俺は知り合いらしいドーラにこっそり聞いてみた。

 奴は何者なのか、何が出来るのか。
 そして返ってきた言葉がこれだ。 

 『彼は魔法使いです。戦闘の一番激しい場所か、大尉の御傍におかれるのがよろしいでしょう』

 答えになってねえ。

 しかしあまりにも確信に満ちたドーラの目と、出発前に聞いたアードヴァーグ先輩の言葉、そして戦いを前にして一向に動じた様子のない准尉を前にして、俺は結局彼らの言い分と自分の直感に賭けることにした。
 突入に際して、いつも同行させていた歴戦の部下ではなく、正体不明で力量も分からない准尉を連れて行く。
 我ながらとんだ博打だ。
 これが自分じゃなかったら指さして笑ったかもしれねえ。 

 だが俺はその賭けに勝った。

 錬金術師か、はたまたドーラの言うところの魔法使いか。
 飄々とした佇まいに、眠そうな半眼。
 銃を持たない優秀な兵士。
 ジャン・ハボック准尉は不思議な男だ。その印象は変わらない。
 しかし今の俺はそれにもう少し言葉を付け加えることができる。


 ジャン・ハボック准尉は不思議な男で、信頼できる兵士だ。





ROプレイヤー鋼錬を往く その19
 

 ご機嫌いかがですか、ジャン・ハボック(仮)です。
 俺は全然ご機嫌よろしくありません。

 たった今聞いた話ですが、どうも例の助命嘆願は一蹴されたようですね。
 坊さんは拘束されて多分そのまま処刑。
 一時間後には再攻撃が開始されるそうです。



 「…………やっぱりなぁ」

 思わず不謹慎な言葉を漏らしたが突っ込む奴はいなかった。
 それどころかうんうんと頷く者や、ですよねーなどと相槌をうっている奴もいる。
 医療用に建てられた簡易テントには結構な数の人間がいたが、異論が上がらないからには皆同じ意見らしい。
 当然と言えば当然の反応かな。
 そもそもここで手打ちにするくらいなら『殲滅』なんて物騒なことは言わない。
 上の方はどうだか知らんが現場でドンパチやってる人間は身に染みてるよ。
 命令は常に皆殺し。やりたくもないのに非戦闘員まで殺さなきゃいけなくて、それがトラウマになった奴だって少なくないんだ。

 結果に納得すると同時に、残念だとも思うけどね。
 実際に戦ってる下っ端の一人としてはこんな予想外れてほしかった。
 交渉が成功したらもう戦わなくて清むんだから。

 「さて、あと一時間か……」

 誰かが持ち込んだ椅子代わりの瓦礫に腰掛けて、肩の力を抜く。

 あの戦況で生存率七割ならまあいい線いってるだろう。
 ちなみにこの七割はあくまでも重傷者が生き残った割合であって、兵士全体のものじゃない。
 息がある奴は命の心配が無い程度まで回復させて、ヒールが間に合わなかった奴はそのまま死体置き場へ。
 生きてる人間しか治してないから正確な死者数どころか概算でさえよく分からないんだよ。
 確かなのは、さっきから負傷者が運び込まれてこないってこと。
 これでやっと一段落、かな。

 「今のところ急を要する怪我人はいないんだろ?」

 俺の『やっぱり』発言に同意してた衛生兵に聞いてみると、無言で手元の書類を捲り始めた。
 書類の端のほうが微妙に血で汚れてるのがシュールだ。
 ……大丈夫かお前。動きが緩慢だぞ。
 俺も人のこと言えないけど。軍医も衛生兵も疲れきって死んだ魚のような目をしてるし。

 「ええっとひーふーみー…第二中隊と、第三と…ハリー隊の面々も回収したから……そうっすね、今分かってる限りでは」

 投げやりながらも確かに肯定したのを聞いて、瓦礫から地面にずるりと滑り落ちた。
 そのまま横倒しになって深くため息をつく。

 あーしんど。

 テント内が野戦病院の様相を呈してからざっと2時間ぐらいか。
 本気で危ない怪我人しか治療してないが、それでも多分三桁はいったぞ。

 「じゃあちょっと寝かせてくれ。10分でいいから……」

 肉体的な疲れはともかく、数時間にわたる緊張とSP不足のせいで精神的にかなりキている自覚がある。
 同じ隊の兵に担ぎこまれてなんとか命を繋いだ奴。たった10秒程度のSP回復を待てずに目の前で死んだ奴。
 助けられても、助けられなくても、命の重みは俺の心に圧し掛かってくる。
 戦闘の準備をしなきゃならないのは分かってるが、意識の切り替えに少しばかり時間が欲しい。

 「んじゃ、10分経ったら起こしますよ」

 戦闘中なら絶対に無理なお願いを、衛生兵はさらりと流してくれた。周りの兵士や軍医も何も言わない。

 悪いね、あんたらも疲れてるのは同じなのに。ご好意に甘えて一眠りしたらまた頑張るからさ。
 今後の活動のためにエネルギーも補給すべきなんだろうが、あの食事じゃ……。
 ……起きた時に状況が許すようなら泥水コーヒーの一杯も飲ませてもらおうか。
 
 あ、三倍に薄めてね。



 ◇◇◇

 

 豪快でいかつい、さも突撃を好みそうな見た目に反して、グラン大佐が選んだ戦い方はセオリー通りの包囲戦だった。
 
 主力を市街地の外に置き、地道に建築物を破壊しながら進む、派手さはないが堅実な戦い方だ。
 市街戦には本来膨大な火力が必要とされるものだが、それも鉄血の錬金術師の名を持つ大佐がいれば問題なし。
 俺達が足踏みしていた西区、押されていた南区をぽんぽんテンポよく落とした上、死傷者も目を疑うほどに少なかった。 
 無闇やたらと特攻させたバカが本当に脳みそを使っていなかった事が立証されたわけだ。
 
 戦闘再開から第18区制圧までにかかった時間は、頭の足りない准将が死体を量産し始め、流れ弾に当たって中将殿になるまでの半分にも満たなかった。

 はっきり言って拍子抜けだ。
 さぞかし梃子摺るだろうと構えてたら、あっさり陥落するんだもん。
 まだ日も落ちてないし、こりゃ本部に戻ったら次の地区に移動することになりそうだな。
 ここに留まるにしろ移るにしろ俺は本部で第二中隊と合流か。俺の方が連中より先に本部に着くだろうから、それまでは輸送車でちょっと寝かせてもらおうっと。
 攻撃前にも少し横にはなったけど結局すぐに起こされちゃったしなぁ。
 えっと、ドーラと同じ車でいいのか?あいつどこいったんだろう。

 ……あ、もう出発ですか。

 はいはい、ヒューズ大尉と一緒に先に本部へ。了解。
 武器も特にないしすぐに出られますよ。このトラックでいいのかな?
 すいません乗りまーす!
 お邪魔してすみませんねぇ、隣失礼しますよ。
 こりゃどうも、ええそのつもりです。
 戻ってから休めるかどうか分かりませんしね。
 そう、今のうちに。

 それじゃあおやすみなさーい。


 ・

 ・

 ・


 西区から本部まで車でおよそ10分。
 さほど遠いわけでもないんだが、道が悪いだけに時間はかかる。
 その間思いっきり寝倒すつもり満々で、乗車後目を閉じたとたんに眠りに落ちたわけだが。


 「終ったのか!?」


 誰かが怒鳴る声で目が覚めた。
 
 うう、チクショー誰だよ叫びやがった奴は……人が寝てんのに騒がしくすんなよな……って、いつのまにかトラックも止まってるじゃないか。
 もしかして本部についたの?だったらとっとと起こしてくれりゃいいのに。
 気が利かないっつーか不親切だなぁ。

 「……あれ…?」

 ちょい待て俺。おかしいじゃないか。

 遠くで鳴ってたはずの爆発音や砲撃の音が聞こえない。音が遠いんじゃなくて、完全に止まってる。
 ざわついてるのも砲声や指示とは違う……雑然とした人の話し声だ。
 しかも時々笑いが混じってる気がするぞ。

 「んんー…」
 
 どうも周りの様子が気になったものだから、仲良くしたがる上下の瞼を強引にこじ開けた。
 荷台の縁に預けていた背中を起こし、大きなアクビを一つ。口を閉じた拍子に目の縁に涙が滲む。

 あー背中痛てぇ。軍用トラックは人間の乗り物じゃないね、乗ってるけど。あまつさえ寝てるけど。
 ……じゃあ俺は人間じゃないのか。

 アホなことを考えつつ周りを見渡せば、どう見ても戦闘中とは思えない光景が広がっている。
 無駄話してたり寝てたりヘラヘラ笑ってたりへたり込んでたり酒飲んでたり。

 「さけぇ!?」

 酒だと?
 そんなアホな!!

 一応。あくまでも一応だが、兵士には酒の配給がないことになってる。
 士官は確か一週間にブランデー一本だかその半分だか貰えたはずで兵士にだって抜け道がないじゃないけど、さすがに大佐がいる本部で、し かも戦闘中こんな大っぴらに飲むのは普通じゃない。

 噂に聞くドラクマの兵士じゃあるまいし、なんなんだこの光景は。

 何度目を擦っても目の錯覚じゃない。確かにあの瓶は酒だ。
 酒瓶だけど中身が違うってことはない。瓶から液体をカップに注いでる奴がいるが、出てるくるそれは琥珀色。
 何よりこの医療用とは明らかに違うアルコール臭が存在を主張してる。

 どーゆーこと?一体何が起きたんですか!

 「ああ…やっと帰れる…」

 わけが分からず挙動不審になってたら隣で不意に聞き覚えのある声がした。
 深いため息が混じったそれは、乗車の時に自分の隣のスペースを開けてくれた人のものだ。
 右を見れば案の定、荷台の縁に寄りかかったヒューズ大尉がぼんやりと宙を見ていた。

 「大尉」

 何があったんです?
 やけに寛いでいらっしゃいますけど、降りなくていいんですか。
 そして何よりも奴らが酒飲んでる理由を教えていただきたいんですけども。

 俺の混乱を見るに見かねたのか、大尉はのろのろと体を起こすと、生真面目な顔で言った。

 「内乱が、終結、したんだよ」

 ご丁寧に一単語ずつ区切って言ってくださった言葉の意味を反芻する。
 えーと、終結。つまり終ったってことだよな。
 何が?


 ―――内乱が。


 「………え?」

 我ながらもっと他に反応のしようがあるだろうと思うんだが、それ以外に何も口から出てこなかった。
 人間、本当に驚くとリアクションなんてしてらんない。

 すんません、もっかいおねがいします。りぴーとりぴーと。

 「終ったんだ。ウチに帰れるぞ」

 自分に言い聞かせるように言うヒューズ大尉がだんだんニヤニヤしはじめた。
 嬉しいのか面白がってんのか判別はつかないが、楽しそうではある。

 「終った?」

 「終った」

 「俺が寝てる間に?」

 「そう。准尉が寝てる間に」

 そんな。

 寝てる間に全部終わってるなんて、深夜映画じゃあるまいし。
 でもそれが本当なら起こされないで放置されてたことも周囲の飲酒も一応の納得はいく。
 ヒューズ大尉だってこんな冗談言うような人じゃないだろうし。

 「………えぇー?」

 マジですか……?
 もっとこう盛り上がりのある終り方っていうか、感動はないんですか。

 「ないないそんなもん。皆気が抜けてるよ」

 そりゃそうでしょうな。
 急に言われたって心の準備ができてませんよ。

 「はぁ……まぁそれじゃ、お疲れさまでしたってことで」

 いまいち実感がわかないけど、戦いが終わったのは嬉しい……のか?
 どうもまだ喜びよりも脱力感のほうが勝ってるんでテンションが上がらないんだよなぁ。
 他の兵士達も俺と似たり寄ったりの状態で、笑ったり騒いだりしてるのはごく一部だ。他はだらだらしてたり呆けてたり、事後処理の確認を してる奴らは俺と同じで今の状況が信じられないんだろう。

 「おう、お疲れ。正式発表はまだだが撤収は始まってるらしいぞ」

 へー。

 そういや俺らはどうなるんだ。
 第三大隊は内乱中期から延々と砂漠と荒野を行ったり来たりしながら戦地に留まってたんだし、できればもう帰りたいよ。
 うちの隊がイシュバールに配置されてたのはここ二年くらいだけど、他所にくらべれば前線に長くいた人間が多い方だ。一度まとめて後方に戻される可能性は充分にあると思うんだが。

 「俺は帰ったら彼女に結婚を申し込むんだ!!」

 アンタ既に帰る気満々だな!!

 懐から取り出した手紙の束に音を立てて口付けるヒューズ大尉を見て、思わず顔が引きつった。
 完全にのろけモードに突入してるよこの人。

 「やっぱり指輪は給料三か月分が基本だろ!持って行くのは薔薇の花束がいいか?それとも彼女の好きな花にしようかな〜」

 うわーうぜぇー……これだから彼女持ちは……。

 思いっきり冷たい目で見てやったんだが、大尉はそれにまったく気付かずウキウキしながら再び大切そうに手紙をしまいこんだ。
 この彼女とやらがグレイシアさんならうまいこと結婚までこぎつけるんだろうが、今の俺の気持ちとしては『ふられちまえ!』と言いたい。
 やっかみ?ああそうですよ!どうせ俺はモテませんよ!

 「あ、そうだ」 

 手紙をしまい終わった大尉がふと思い出したようにこっちを見た。

 「准尉はどうするんだ。一度は後方へ戻って士官教育を受けなきゃならんだろうが、やっぱりその後は先輩の隊を希望するのか」

 もしそうでないなら自分の下に、と言ってくれた大尉に、申し訳ないが断りの返事を返す。

 「すんません、俺退役するつもりなんですよ」

 「退役って……家業を継ぐ予定でも?」 

 家業……って雑貨屋か、それはちょっとなあ。
 ジャン君の実家は入隊前に暫く居ただけで活字の欠乏に悩まされたし、あそこでずっと暮らしていくのは俺の精神的にかなりキツいよ。
 老後の生活を送るにはいい場所でも、青少年にしてみりゃ娯楽が少なすぎる。
 ずっとあそこで暮らしてたジャン君ならともかく中身は俺だからな……。

 「うーん予定っていう予定はないんですが、イーストシティかセントラルあたりでバイトしつつ就職先を探そうかと」

 ほら、大都市なら本屋も図書館もデカイのがあるでしょ?
 できることならそういう系統の職業につきたいんですが、やっぱ難しいですかね。
 実家に仕送りできるくらい稼げると言うことないんですけど。

 「もったいねぇ!!あてがないなら退役なんてやめとけよ。その若さで准尉ならこの先もっと上へ行けるぞ?」 

 大尉は大げさに嘆くが、特に上昇志向が強いわけでもない俺にしてみれば平穏な生活と比べるべくもない。
 だいたいその階級だってイシュバール限定のものだし。

 「や、でもどうせ野戦任官ですから」

 この一言で説明になるよな。

 戦闘で失われた人員の補充や部隊増設時に指揮官が足りなかったりした時、指揮官の責任で一時的に兵士を昇進させて欠員にあてるのが野戦任官だ。
 本来なら下士官から士官になるにはちゃんと教育を受けなきゃならんのだが、そんなこと言ってられるほど余裕がないからとりあえず司令官の責任で下士官を昇進させて指揮を執らせる。
 噂じゃ上等兵が三日で中尉になったところもあるらしいし、それにくらべりゃまだ俺はマシなほうだろう。

 さてこの特殊な昇進。一時的なだけあって急場を凌ぎきったら元の階級に戻されるんだが……例外がいくつかある。

 一つは、追認。
 これは階級が上がってる間になんらかの手柄を立てた奴にとられる措置だな。
 ま、大っぴらにできない技術を多用した俺にはちと無理だ。

 そしてもう一つ。 

 「階級戻される前に辞めれば准尉で退役できますからね」

 そう。元の階級に戻る前に辞めちまえばいいんだ。
 
 准尉は一応士官の端くれだからな。
 学校出たての新米と同じ階級だが、兵よりは遥かにいい条件で辞められる。例えば退職金とかね。
 同じこと考えてる奴は多分かなりいると思うが、まさに今が辞め時なんだ。
 この機を逃す手はない!!


 「早まるんじゃないよ、ハボック」


 げ、この声は中隊長。

 慌てて振り返ると、まだ南区にいるはずの上官がにっこり微笑んで立っていた。
 あ、相変わらず神出鬼没なお方だ……。

 「……あれ、待ってください。中隊どうしたんです」

 先に着いてたならあの煩いメンツが俺のところに来ないはずがない。

 「後始末は部下に任せてきたんだ。ヒューズ、ハボックは役に立ったかい?」

 無責任なことをあっさり言いつつもタイヤに足をかけて荷台に上がってくる。

 一人で先にきたのか!?
 戦いが終わったからって置いてきぼりとか酷すぎますよ中隊長。
 俺別行動してて良かったなー…面倒を押し付けられたのは誰だろう……。

 「こりゃどうも先輩。ええ、随分助かりました」

 中隊長の外道発言を意に介さない大尉に、いついかなる時もマイペースな未来の姿を垣間見た。

 「それはよかった。貸した甲斐がある」

 「こちらこそ借りた甲斐がありました。どうもありがとうございます」

 俺を置き去りにして会話を始める二人の士官。

 あのーそんな和やかに会話してていいんですか。
 本部への引き上げだけなら誰かに任せられますけど、内乱終結で再編成なんてことになったら中隊長にしかできない事務処理や手続きだってあるでしょうに。

 ……あ、手続きといえば俺の退役は誰に申請すればいいんですか。

 「それなんだけどね、ハボック。お前の階級は戦地昇進になってるんだよ」

 ん?あれ?
 戦地昇進ってことは階級は戻らないのか。

 「第三大隊は中央に戻って再編成だそうだ。編成が終わったら拾ってあげるから士官教育を受けて来なさい」

 「なんだ!それなら急いでやめるこたぁないじゃないか」 

 いや中隊長、ヒューズ大尉。俺はそもそも軍人でいるのが嫌なんです。

 色々危ないじゃないですか、心も荒むし。
 それに軍にいると美味い飯にも紅茶にもありつけないんですよ?
 満足に睡眠も取れない生活なんて金輪際ごめんです。

 「ああ、どうせなら士官学校に行っておいで。推薦書書いてあげるから。お前まだ二十歳だし、あそこなら食事もそう酷くないよ」

 人の話聞いてくださいよ!!

 俺に士官学校行けって、そりゃ無茶でしょう。俺が銃火器使えないの知ってる癖に。
 他にも色々問題あるの分かってますか?

 「大丈夫大丈夫。それにね、良く考えてごらん。今やめたところでまともな仕事が見つかると思う?」

 う。

 で、でも銃が使えないのとか体力が上がらないのとか、まずいし!
 それに士官学校は入った人数の半分くらいしか出られないって聞いたことありますよ。すぐに脱落するなら入るだけ時間の無駄じゃないですか。

 「だからって辞めて何が出来るんだい?ハボックは例のあれ以外に特殊技能は持ってないだろう。イシュバール帰りで職を探してる人間は他にも沢山いるし」 

 どうせ手に職もない一般兵ですよー。
 ああ真実が胸に痛い。なんで兵士でいるうちに何か覚えておかなかったんだろう。

 ……それが許される戦況じゃなかったからか。

 「確かに今の時期は競争率が激しそうだなぁ。准尉よ、こりゃやっぱ間を置いたほうがいいんじゃねぇか?」

 ヒューズ大尉は徹頭徹尾中隊長の味方みたいですね。孤立無援だ!!

 でもちょっと心の天秤が揺れ動く意思の弱い俺。
 どうしようどうしよう。実家帰ったほうがいいの?それとも軍にいるべき?
 原作開始っていつだっけ。最悪それまでに退役すればいいんだよね。

 「在学中も小遣い程度だけど給料出るんだぜ」

 ああー説得されるー。

「士官学校出ならある程度の能力は保証されてるから、再就職にはかなり有利だろうね」

 ぐっ………。


 「よ……よろしくおねがいします……」

  
 ごめん、抵抗しきれなかった。
 意志薄弱というなかれ。人間楽なほうへ楽なほうへと逃げたがるものなのです。

 あと無駄な抵抗とか言って笑ってたヒューズ大尉には彼女さんに浮気疑惑の手紙を送りたいと思います。
 相手は誰にしようかな。



 ◇◇◇



 第二中隊最後の輸送車が本部に着いたのは、俺が起きてから30分後のことだった。

 「あ、よかった!隊長いた!!」

 車が止まった途端飛び出してきたクーガーが、俺の顔を見た途端ほっとしたように笑う。
 顔にでかい絆創膏が貼られているが、どうやら五体満足で大きな怪我もないみたいだ。
 あの絆創膏の下は俺が士官学校に行く前に治してやろう。

 ……そういやコイツちゃんと叱っとかないとなぁ。
 中隊長に怪我させるなんて軍法会議ものだ。
 俺がいない間に大惨事を巻き起こさないよう、ちと念入りに教育しておかねば。

 「せんぱーい!隊長いらっしゃいましたー!」

 俺が何を考えているのか知りもせず、クーガーは車に向かって思いっきり叫んだ。
 おいおいおい、周りの奴らがすげー迷惑そうだぞ!自分の声のボリュームを自覚しろよ!

 「やはりご無事でしたか」

 「死にゃあしねぇと思ってましたがね」

 呼ばれてすぐに車から降りてきたのは、煤けてはいるが傷一つないセントリー。その後ろに、左腕に包帯を巻いたブラックウィドウが続く。
 ああよかった、死んでない。いや死なないだろうとは思ってたが万一ってこともあるし。

 「よ」

 安堵のため息を誤魔化しつつ軽く手を上げると、珍しくセントリーだけでなく他の二人まで敬礼で応えた。 
 駆け寄ってきたクーガーに、背中を丸めて近づいてきたブラックウィドウ。悠然と歩み寄るセントリー。
 そして煙草を片手に待っている俺で、旧ハボック分隊勢揃いだ。

 「クーガーが記念写真を撮りたがっているのですが」

 いきなり言うことがそれかね。

 そういやあっちこっちで写真撮ってるやつがいるなぁ。
 別にかまわないけど順番待ちしてるうちに中隊長に呼ばれるんじゃないか?

 「そいつぁ心配いりませんぜ。ちっとばかしツテがありましてね」

 お前のツテ……詳細は聞かないがそれは安全なんだろうな。

 「隊長は真ん中で座ってくださいね。軍曹と先輩が両脇で、俺が後ろに立ちますから!」  
 
 既にポジショニングまで決めているのか。
 ああもう勝手にすればいいよチクショウ。ここまでいつもと変わらないと笑えてくる。

 「じゃ、手はずを整えて来ますんで」

 「オレもいってきまーす!!」

 はいはい行ってらっしゃい。
 『ツテ』とやらに繋ぎをつけるため別の車へ向かったブラックウィドウと、それについていったクーガーを見送っていたら、ポツリとセント リーが呟いた。


 「……2年になりますか」


 何を指してのことか皆まで言われずともすぐに分かる。
 俺達がイシュバールで戦いだしてから、だいたいそれくらいになるだろう。

 「終わったんだな」

 現実も含めて28年の人生のうち、たった2年。
 今まで生きてきた14分の1の時間だが、内容は100倍くらい濃密だった。

 生まれて初めて銃で撃たれた時のあの衝撃。当たらなくとも向けられた殺意に対する恐怖は忘れられない。
 最初に人を殺した時は胃の中が空になって胃液しか出なくなるまで吐いた。あれも、きっといつまでも覚えている。
 目を背けたくなるような汚いものを見て、他愛ない日常生活がいかに尊いか思い知った。

 ここに来る前と今じゃ確実に性格が変わってるね。

 「ええ。やっと終わりました」


 そうだ。終わったんだよなぁ。


 もう味方の生死に一喜一憂しなくてすむんだ。
 昨日隣で笑ってた奴が今日足元で冷たくなってるってこともない。
 夜中に襲撃で叩き起こされて寝不足のまま行軍しなくてもいい。
 貧相な飯で泣かなくてもいいし、きっと紅茶も飲めるぞ。  
 身体も清潔にできる。髭だって毎日剃れるだろう。
 それに毎日ベッドで寝られる!

 だんだん喜びがこみ上げてきたところで、セントリーがらしくもなく毒気が抜けた笑顔で言った。

 「色々ありましたが、なんとか生き残りましたね」
 
 うん。死んだ奴はかわいそうだけど、生き残れてよかったよ。
 お前達も、生きててくれてよかった。


 ――――あ、やばい。泣きそうだ。




ROプレイヤー鋼錬を往く その20
 

 やあ皆の衆、元気にしていたかい?
 この2ヶ月で爽やかな青年達がみるみる荒んでいくのを目の当たりにしたハボックだよ。

 士官学校入学式当日。

 朝は学習意欲に満ち溢れた顔で微笑んでいた若者が、夜には濁った目で自分のベッドを凝視しているのを見て、戦場とは違うけどここもまた地獄だってことがよく分かりました。

 入って早々年下の上級生に怒鳴り散らされるし、冗談かと思うような規則が大真面目に決められてるし。
 校門を潜ってから数時間しか経ってないのに行進の練習が始まった時にはもう唖然としたよ。
 学校だから少しは楽が出来るだろうなんて甘い考えが初日にして風速50メートルくらいの勢いで吹き飛ばされたね!

 イシュバールから帰って来た兵は悪夢に苦しめられることが多いって聞くけど、学校生活が悪夢みたいだからそんなもん見もしねぇ。
 自分のしてきたことについて思い悩む時間もなけりゃ、罪の意識に苦しんでる暇もない。
 そんな余裕があったら教科書を捲るか制服を調えるか掃除をするか。やらなきゃならないことは山ほどある。

 帰還兵の憂鬱なんぞとはまるっきり縁がない状況なんだが、士官学校に入って良かったとはちっとも思えないんだよな。

 いくらなんでも厳しすぎるって。絶対。



 ◇◇◇



 士官学校は俺の想像以上に凄いところだった。
 どういったら伝わるかなぁ、この過酷な環境。

 まずね、脱落者が半端ない。
 俺と同時に入学した1909年クラスは当初774名だったんだ。
 この774人が6個中隊に分けられて悪名高い新入生基本訓練期間に望んだわけだが、2ヶ月弱にわたる基本訓練期間が終了した時にはなんと人数が700人を切ってた。

 2ヶ月で70人オーバーだぜ。
 数字を聞いただけで厳しさがちょっとは分かるだろ?
 地獄の基本訓練が終わったからには脱落ペースも少しは落ちるだろうが、半年後には確実に退校者が三桁の大台に乗ってるだろうな。

 そして人数が減れば減るほど教官達の目が行き届く。
 新入生は教官にも上級生にも絶対服従なんだよな、ここ。

 でも教官はまだいい。
 指導は尋常じゃないほど厳しいが、『一部の例外を除いて』と但し書きがつくものの理不尽さは上級生に比べれば格段に少ない。
 学科はともかく軍事訓練の教官は下士官ばかりで、たまに顔見知りに当たって気まずい思いもしたが、それもいつしか慣れた。

 真の敵は上級生だ。
 歌えと言われれば歌って、踊れと言われりゃ間髪入れずにその場でダンス。
 俺らは芸人じゃねぇっつーの。
 食ってる最中に意味もなく年間スケジュールの暗唱させられて、間違ったら食事を捨てられる。しかも連帯責任。
 おかげでしたくもない強制ダイエットだ。痩せるというよりはやつれるって感じだけどな。
 昼夜を問わず休む間もなく虐げられて、楽しみの一つもありゃしない。

 そりゃ学校辞めたくもなるよ。

 二年生以上なら色々と抜け道を使ってラジオなり雑誌なりを持ち込んだりも出来るらしいが、今の俺達にゃ来年なんて遥か未来の話だ。
 それ以前にそんなもんが手に入ったって、どうせ新入生が自由に過ごせる時間なんて一日のうちいくらもないがな。
 自由時間にやることといえば装備の手入れか手紙書きと相場が決まっている。

 今夜は俺も、その例に漏れなかった。


 『―――中隊長にはくれぐれも 恨 み ま す と伝えておくように。
  卒業後の兵役義務が5年もあるなんて聞いていなかったぞ。
  兵役5年に予備役3年なんてふざけとる。
  俺はこれから装備の手入れだ。
  明日も服装確認が待っているので手紙はこれで終了。隊の皆によろしく。 

       ボタン付けの上手くなったジャン・ハボックより』 


 ハボック家宛ての手紙には元気でやってますーなんて調子のいいことしか書かないが、隊の連中への手紙には容赦なく愚痴を並べ立てる。
 あいつら相手に気を遣っても無駄だ。

 「明日出せば来週には着くよな」

 インクが乾いたのを確認して恨み言満載の手紙を封筒に入れた。
 表書きは第二中隊、セントリー宛てだ。

 第三大隊は俺の士官学校入学より1週間ばかり送れてイシュバールから引き上げてきたのだが、どういうわけか未だに東方司令部に厄介になっている。
 当初は中央まで戻る予定が何やら上でトラブルがあったらしく、イーストシティで足止めくらって復興の手伝いに駆り出されているとか。
 イーストシティは都会なので、周囲に恥を晒していないかと不安でならない。
 まさか未だに何かしでかす度にハボック小隊ですなんて名乗ってはいないだろうな……。

 嫌な想像を打ち消そうと、手紙の代わりにベルトのバックルを手にとって指が痛くなるほど磨き上げる。
 汚れて傷だらけのバックルを戦術士官に見られようものなら何を言われるか分かったもんじゃない。
 戦術士官の仕事は各中隊の風紀の取り締まり、要するに中隊付きの生徒指導の先生みたいなもんなんだが、やってることは嫁イビリの姑と同じだからな。

 「……ハボック、卒業まで後何日だっけ……」

 一心不乱に金属を擦り続けていたら、同じように靴を磨いていた同室者が、ぼそりと呟いた。

 えらく憔悴してる。
 俺も人のこと言えないが、明らかに入学時より痩せたし顔色も悪い。
 一応軍隊生活経験者の俺でも辛いんだから、学校出てすぐココに来たこいつにとっちゃ毎日がさぞかし苦痛だろう。

 「何事も無けりゃ1、345日と数時間かな」

 同情しつつも表に出さず淡々と答え、ふと手を止める。
 上級生に聞かれた時のため、この手の質問の回答は新入生全員が暗記してるはずなんだが……大丈夫なのか、おい。
 突然奇声を発して走り出したりしないだろうな。
 失礼と思いつつ正気を確かめる言葉を吐こうとしたら、青ざめた顔をのろのろと上げて、そいつは言った。

 「俺、退校しようかな……」

 ……なんで皆それを俺に言う?

 戦術士官か幹部上級生のところへ行け。
 今までの経験に照らし合わせて適切な助言をくれるから。

 「だってハボックって妙に大人だし、教官達より話しやすいんだもん」

 そりゃ中身が中身だからな。
 でも俺は一介の新入生なの!
 人生相談受けてる余裕なんて俺だってない!

 「いーから何も考えず靴を磨け。俺らの下が入ってくるまでの辛抱だ」

 どんなに辛いことでも必ずなんらかの形で終わりが来る。俺が戦地で学んだことだ。
 だからがんばろーぜ。
 俺らの次のイケニエが入学してくるまで。

 「来年か……なんて遠い未来だ」

 気持ちは痛いほど理解できるが、遠い目で空を見るな。怖い。

 「せめてメシくらい普通に食えりゃ頑張ろうって気になるのに」

 まったくもって仰るとおり。俺も同感だ。
 しかしなぁ、ここはこういう場所なんだと割り切って、なんとか楽しいことを見つけようとしたほうが建設的だぞ?
 どうせ一年生のうちはこの扱いが続くんだから。

 上級生から聞いた話だが、一年生はまず自分ってものを分解される年だそうだ。
 解体と言い換えてもいい。

 命令に次ぐ命令。いじめに近いどころか、こりゃ完全にいじめだろうというような仕打ちを受けつつ一年かけて士官学校生のあり方を叩き込まれる。
 希望に満ちた好青年が今までの価値観を全部ぶっ壊されて『士官学校生』という生き物になるんだ。
 理不尽だろうが何だろうが命令は絶対。人権なんて犬に食わしとけってなもんで、新入生は上級生に「はい」、「いいえ」、「申し訳ありません」、「分かりません」以外の返事をしちゃいけない。

 はっきり言って前線のほうが上下関係ユルかったぞ。
 軍隊だから上官の命令に従うのは当り前だけど、日常生活においては言葉遣いにしても行動にしてもこんなに杓子定規じゃなかった。
 他所の中隊に東部で見た奴がチラホラいるが、そいつらも戦場とは違う厳しさにげっそりしてたもんな。
 最前線で戦った歩兵の1年も、中央でまったりしてた通信兵の1年も、大雑把な書類の経歴だけ見りゃ同じ軍務期間1年だ。詳細を知らないセンパイ方は平等に容赦がなくて涙が出てくる。

 それでも上に二年生しかいない俺らはまだ楽なほうだとか。
 三年生と最上級生はイシュバールに行くために繰上げ卒業したからだ。
 実地訓練の生徒でも補填できないほど人員が消費されたと思うと、つくづく生き残った俺は運がいい。
 


 だがそれはきっと、こんなところで不運なめに遭ってる反動だと思うんだ!



 「地理学のノートを図書館に忘れてきたぁ!?」

 授業も終わり兵舎に帰る道すがら、上級生の目も教官の目も届かない小道をまったりと談笑しながら歩いていたとき、それは発覚した。
 結局退校を見送った同室者が目を剥いて叫び、それを聞いた周りの同級生達が一斉に俺の顔を見て、気の毒そうに目を逸らす。


 見ないで……今の俺を見ないで……


 「俺だって忘れたくて忘れたわけじゃない!」

 逆切れしてみる。

 今日の地理学の授業は珍しく図書館での講義だった。
 だから今手元にないなら図書館に忘れてきたと考えるのが一番自然だ。

 現在地、兵舎一歩手前の小道の上。
 図書館、三つ向こうの校舎の四階。

 もうね……!

 「バカッ!とっとと取りに行け、今ならまだ間に合う!」
 
 仰せの通りワタクシは馬鹿でございます。
 ええと、閉館まであと15分くらいだっけ?

 「いいから早く!閉館前に取ってこられなきゃ罰点くらった上に懲罰遠征だぞ!」

 言われて思わず青ざめる。

 懲罰遠征って言っても別に本当に遠征に行くわけじゃない。
 割り当てられた地区内を遠征一回につき一時間行進せにゃならんだけだ。
 体力的に結構しんどい懲罰だが、ヒールというチートのような裏技がある俺にとっては肉体面ではさほど苦しいものじゃない。
 それでも一人きりで行進する孤独感と、懲罰を食らったのが周囲から丸分かりという恥ずかしさを思えば絶対にやりたくない罰だ。
 いくら見た目が周りの連中とそう変わらなくとも、心の方の年齢は10歳近く上。恥をかいた時の精神的ダメージはかなり大きい。

 三十路目前にして立たされ坊主の気持ちを味わうなんて絶対にゴメンだ!

 「とりあえず荷物頼むわ。今からダッシュで行ってくる!」

 言う間も惜しむ勢いで教科書類を押し付け、すぐさま図書館へと引き返す。
 20分あれば多分着くはずだ。入っちまえばこっちのもんで、司書はそれほど厳しい人じゃない。

 最悪泣き落とす!

 情けない決意を胸に目の前の校舎に飛び込む。
 この時間なら練兵場をつっきるより校舎の三階まで上がったほうが見咎められにくい。
 上級生にこんな姿を見られたらどんな仕打ちが待っているか知れたもんじゃないからな。

 規則どおり踊り場では壁側に沿って曲がりつつ階段を上る。
 誰とも遭わないのをいいことに階段は一段抜かしだ。
 三階から一つ向こうの棟へ行く途中通りすがりの教室の時計を垣間見れば、残り時間はあと12分少々。

 いける!これはいける!

 走りはしないが大股かつ可能な限りの速度で灰色の廊下を突き進む。
 教官の気配をちょっとでも感じたら即ルート変更だ。敬礼だけでやり過ごせればいいが、相手の機嫌が悪いといちゃもんをつけられる。
 二つ目の棟では二階に下りて、渡り廊下を通って西側の校舎へ入る。
 途中バッタリと工学の教官に遭遇するも敬礼のみでなんとか乗り切り、そのまま廊下の端まで歩いて突き当たりの階段を三階へ。

 窓から見た練兵場近くの時計は閉館7分前。
 図書室は目前だ。

 あとはこのまま四階へ上がるだけ。
 見慣れない男が降りてきたが、幸い制服には肩章がなかった。
 つまりは同級生だ。障害にはなりえない。
 
 やった!俺は勝った!!


 「うお!?」

 「のわッ!危ねッ!」


 ―――無意味な勝利宣言が神の怒りをかったのかも知れない。

 階段を上がる俺と擦れ違うように降りてきた小太りの同級生が、いきなり足を滑らせた。
 コケた男の両手は本で塞がっている。
 考える前に手が伸びた。

 「大丈夫か!?」

 ぎ、ギリギリセーフ!

 伸ばした手で男の腕を掴み、静止した身体の下に残った片手を差し入れる。
 後頭部と階段の間は目測で5センチメートル弱。
 階段の角に頭を打ち付ける直前でなんとか間に合った。

 「大丈夫か?」

 もう一度同じ問いを繰り返せば、男は慌てたように何度も頷いた。

 「お、おお、だいじょうぶだ。だいじょうぶ」

 「立てそうか?ちと体勢がキツいんだが」

 右手で男の腕を掴み、左手で男の背中を支えている俺。
 どこのタンゴダンサーかってなもんだ。
 ムサイ男二人だと男子校の文化祭の出し物みたいだけど。

 「わ、悪い、今立つ」

 後頭部強打を免れた男がぎこちなく体を起こす。

 顔色が青くてちょっと呼吸が荒いが、多分驚いたせいだろう。怪我が無くてなによりだ。
 あんまり見たことのない顔だけど、他所の中隊の奴か?
 身長低め、体は太め。あの基本訓練期間を乗り切って尚この体型を維持しているってのはある意味すごい。
 よっぽど要領がよかったんだろうな。

 「ありがとよ、助かったぜ」
 
 立ち上がった男が礼を言いつつニカッと笑った。
 おお、意外と気安い感じだ。見た目ダルそうだが人当たりは悪くないな。

 「どーいたしまして。この校舎の階段って滑りやすいんだよなぁ」

 先週も視察に来た将校が見事な階段落ちを披露したらしいぞ。
 いい加減滑り止めくらいつけりゃいいのによ。

 「ところで、図書館に用があるのか?そろそろ閉まっちまうぜ」

 「あ、そうだ!忘れ物取りに来たんだよ!」

 こんなとこでグズグズしてる場合じゃなかった。
 時計を見ればあと2分しかない。 

 「げ。早く行ったほうがいいぜ」 

 言われるまでもない。罰点はごめんだ。

 「おう。じゃあな!」

 右手で敬礼もどきの挨拶を返し、再び図書室へ向かう。
 まだ時間の余裕はあるだろうが急ぐに越したことはない。
 閉館間際とはいえ中に人がいたら厄介だしな。
 さて、ノートはどこに置いたんだっけ……。

 自分の座った場所を思い出しつつ、階段を一段飛ばしで駆け上がる。
 大股で一歩、二歩、三歩。

 四歩目を踏み出した瞬間、つるり、と靴の裏が段差の角を撫でた。

 滑った足ががくんと落ちて、バランスを崩した身体がそのまま倒れこむ。
 しまった、と思った時にはもう遅い。

 視界に迫り来る段差。
 咄嗟に身体を捻った直後、足首に激痛が走る。
 ついで不快な浮遊感が身体を襲い、伸ばした手が空を掻く。

 最後に見たのは灰色の天井。
 
 ガツンという衝撃と痛みによって、俺の意識は強制的に刈り取られた。





 ………目が覚めたらベッドの上。

 ごめん、状況がいまいち掴めない。
 知らない天井。薬の匂い。病院、にしては静か過ぎるような気がする。
 シチュエーションはなんとなくジャン・ハボックになった時に似てるな。

 ……俺、どうしたんだろう。
 確か、そう……図書館に行こうとしてて。
 で、階段から落ちてきた奴を助けて、すれ違って―――。

 落ちた。

 そうだ、俺は階段から落ちた!
 はず、なんだけど、ベッドにいるんだよな。


 「ゆ、夢落ち?」


 でも何だか身体の節々が痛い。
 夢とは思えない素晴らしくリアルな痛み。
 この独特の辛さは寝違えたとかそんなもんじゃないぞ。
 覚えたくもないのに覚えてしまった、外傷の苦痛だ。

 「んなわけあるか」

 思わずこぼした言葉に、僅かな間をおいて思わぬところからツッコミが入る。
 痛みを堪えて声の方へ顔を向ければ、白衣を着た中年男性がこちらに歩み寄るところだった。

 「よう、久しぶり」

 ベッドの脇で立ち止まった森本レオ似のオッサンが片手を上げる。
 猫背気味で少し右に体重をかけた独特の立ち姿。
 白衣を着ている癖に威厳のカケラもない彼は、東部で知り合った軍医だった。

 「うええ!?何で!!」

 どうしてこんなとこで保健の先生なんてやってんだ、内乱終結したら絶対実家に帰るって叫んでたくせに。
 とっくに西部に戻って診療所の一つも開いてると思ってたぜ。
 
 「どうも真っ当な医者に戻るのも気が引けて、かと言って他に出来ることもねぇし。ツテを辿ってここへな」

 モラトリアムって感じ?

 よくもまあイシュバールから帰って来たばっかりで士官学校に就職できたな。
 勤務に耐えうる精神状態かどうかっつって検査されなかったのか。
 
 「されたが何でか問題なかった。今年士官学校に採用された教官の7割はイシュバールから戻ってきた奴らだぞ」
 
 何でかって自分で言うな。

 7割とか多過ぎだろ。
 道理で知り合いが多いと思った。
 ライフル訓練の教官なんか俺が授業に出るたびニヤニヤするんだもん、いい迷惑だ。
 あの野郎俺の撃った弾が当たらないの知ってるからな。悪趣味な奴だ。

 ……それはそれとして、俺って今どうなってんの?

 「全身打撲、右手首捻挫、左足首脱臼骨折左前十字靱帯損傷」

 「大怪我じゃねえか」

 「そうだな。擦り傷その他含めて全治3ヶ月から4ヶ月ってとこだ。もちろん手術と入院は必須」

 うん、直視したくない現実だね。

 やっぱ夢落ちはなかったか。
 そう旨い話があるわきゃないよなぁ。
 いっそジャン・ハボック以前まで遡って覚醒したいぜ。車が突っ込んできてたけど。

 「階段から落ちたこと、覚えてるか?」

 「あーうん、だいたいは」
 
 階段が滑りやすいって自分で言っておきながら、見事に滑ったんだよね。
 顔面から倒れるのを避けようとして身体を捻ったあたりまでバッチリ思い出したぜ。
 受身取ったって結局大怪我したし、今日はついてないなぁ。

 「一緒に居た奴が慌てて医務室に担ぎ込んできたんだ。頭を打ってなくてよかったな」
 
 医官は考え無しに患者を動かした奴にご立腹らしいが、俺としては迅速な手当てを受けられてラッキーだ。
 そいつも慌ててたんだろうし、結果オーライってことで。 

 「手間掛けて悪かった」

 ……っていうか、手当てしてないんじゃね? 

 「どうせお前は自分で治すんだろう?そんな奴に使うのは医薬品の無駄だ」

 それに面白くない、と森本レオは言ってのけた。
 面白いか否かで怪我人の治療を決定しないでください。

 「ひでぇ……まあ治すけどさぁ」

 痛いのヤだし。

 「ここって今利用者いないよな?……ヒール!」

 会話の流れに乗って魔法を使う。
 発動と同時に見慣れた白い光が身体を包み、手足の皮膚からピリピリとした痺れるような感覚が消えた。
 擦り傷は治ったな。でも足のほうは相変わらずか。
 例えるなら患部を大量のホッカイロでぐるぐる巻きにして、その上からリズミカルにバットを叩きつけているような。
 平たく言えば、熱くて痛い。
 鼓動にあわせてズキンズキンと衝撃が襲ってくる。

 「うーん、ヒール1回だとこんなもんか」

 相変わらずしょぼい効果だなぁ。
 完全に治すにはあと4回か5回ってとこか。

 レベル1のささやかな回復量にため息をついていると、オッサンが眼鏡の位置を治しつつ俺の手の甲をまじまじと覗き込んだ。
 さっきまで擦過傷があった場所だが、今は傷一つ無い。

 「いつ見ても不思議なもんだ。生体錬金術とは違うんだろ?」   
 
 あーそれたまに言われる。

 勝手に勘違いする人もいるけど都合がいいから放っておくことにしてるんだ。
 大体な、生体錬金術って名前だけは知っているけど実際に見たことないし、錬金術師じゃないんだからどう違うかなんて俺だって分かんないんだよ。
 マスタング氏は一目で錬金術じゃないって分かったみたいだから、知識のある人にとっちゃ違いは歴然としてるんだろうがね。

 「ハボックよ、便利な技だとは思うが、我が身がかわいきゃ秘密にしといたほうが身のためだぜ」

 「そりゃもう重々承知してる」
 
 だから戦地で散々口止めして回ったんじゃないか。
 口止めが無理そうな時は霍乱のためにデマを流したり、弱み握ったり、勘違いを利用したり。
 中には不名誉なものもあったけどな。妖精とか妖怪とか。
 
 俺の魔法の詳細を知ってるのは当時の中隊メンバーと一部の例外だけで、前線で治療に当たってた医療関係者だってヒール以外の魔法のことは知らないんだぞ。
 戦場独特のちょっとイっちゃた雰囲気が味方していたにせよ、これはかなり上出来な結果といえる。
 それを平穏な日常で無駄にする気はさらさらない。
 愛国心なんざ欠片だってないのに、国のためにモルモットにされるのはまっぴらだね。

 「ヒール!……もいっちょ、ヒール!」

 とはいえ事情を知ってる奴の前で自重する気はない。
 更に2回ばかりヒールを唱えて足首以外の怪我を治しきった。

  「全快しちまうと階段から落ちた言い訳がたたないし、足くらいは治療してくれよ」

 と、言ったとたんにオッサンが放り投げてきたのはシップと包帯。
 この野郎、自分で巻けって?
 わざと渋面を作って見せれば、オッサンもわざとらしく顔を背ける。

 子供かアンタは!

 「しょうがねぇなこのオッサンは」

 ベッドから足を下ろして自力で包帯を巻く。
 裏技のおかげで包帯の巻き方を覚える機会なんか無かったから、適当なぐるぐる巻きだ。
 怪我するならせめて応急手当を覚えてからにすりゃよかった。
 いや、そもそも怪我なんぞしないのが一番か。

 「これでいいか?」

 「いい加減な巻き方だな」

 うっさいわ!

 「とりあえず一度兵舎に戻るから、うちの中隊の戦術士官には階段落ちの話しといてくれ」

 こんな変な時間に兵舎に戻ったら絶対に何か言われるからな。最低限の根回しはしとかんと。

 「それはかまわんが、運んでくれた奴にはちゃんと礼を言っとけよ?」

 あいよー…って、俺を連れて来てくれたのって、近くにいた小太り君だろ?
 名前も知らないんじゃ礼を言おうにも探しようがねえよ。
 同級生ったって700人近くいるんだからさ。

 「名前なら確認しておいたぞ。残念ながらお前とは兵舎が違うが」

 「マジで?そりゃあ助か  」

 る、という言葉と同時に医務室のドアを開いた俺は、そこで固まった。

 噂をすれば影。

 たった今話題に出していた小太り君が目の前に立っている。

 「元気そうだな。見舞いはいらなかったか」

 あ、わざわざお見舞いに?どうもありがとう。
 ちょうど今からお礼を言いに行こうとしてたんだー。

 「大したことはしてねーよ。最初は俺の方が助けてもらったんだし」

 や、それでも礼儀でしょ。
 助けたのは偶然だし。

 「だったら礼は受け取っておくさ。それで、だ」

 はい?

 本題は別のところにあるとばかりに話を強引に切り替えられた。
 素晴らしく嫌な雰囲気になってきたな。

 「俺の名前はハイマンス・ブレダだ」

 ……聞いてたの?今の会話。

 「密談はもっと小さな声でやるもんだぜ」

 ニヒルに笑われたよオイ。
 くそ、なんか猛烈にコイツの顎の下の肉をたぷたぷしたくなってきたな……。

 俺の八つ当たりめいた衝動にも気づかずに、小太り君ことハイマンス・ブレダはニヤニヤ笑いながら話し続ける。

 「聞きたいことは山のようにあるが、まずヒールとやらについて教えてくれ。えー…ハボック?」

 「ヒール?何のことだ?」

 会話を聞かれていただけならまだ誤魔化しが効く。
 このまましらばっくれて知らぬ存ぜぬで押し通そう。

 今こそ中隊長から学んだ弁舌を生かす時。
 必ず煙に巻いてみせるぜ!!

 「俺がここに担ぎこんだときは満身創痍だったのに、随分様子が違うよな」 

 「ごめんなさい。他の人には黙っといてください」

 5秒ともたなかった!

 そこのオッサン、あちゃーとか言いながら片手で顔を覆うんじゃない。
 アンタと会話してたんだからこの件に関しては同罪だ。 


 ――さて、どうしたもんか。


 恩があるとはいえ今は憎らしくてしょうがない小太り君を見下ろしながら、内心首を捻る。

 とりあえずヒールのことは言わざるを得ないか。
 他の攻撃魔法については当然黙秘。同じ境遇の奴もいるし、イシュバールの話はしてもかまわない。
 あとはコイツがどれくらい信用できるかだ。
 ヒールについては好奇心から聞いてきてるんだろうが、吹聴しないだけの分別があるのかどうか。
 弱みでも握れりゃ脅せるのにな。
 今日初めて名前を知ったばっかりだから調べるにも時間がかかりそうだが。

 そうそう、名前といやぁ一つ気になったことがある。
 どうも聞きがある気がするんだよ、この名前。しかもフルネーム。
 どこで知ったんだっけ。顔は見たことないのに名前知ってるんだから、人から聞いたか文字で読んだかどっちかだろう。

 ハイマンス・ブレダ。名前より名字の方が引っかかる。
 ブレダ、ブレダ、ブレダ……。

 ブレダ、少尉?

 「なんだ原作か」

 「は?」

 きょとんとしたブレダを放置して一人納得する。

 そうだ。ブレダって確か原作の脇役だよ。あまりにも日々が忙しくてすっかり忘れてた。
 ロイ・マスタングの部下の一人で、ハボックの同僚だよな。
 ちょっと太ってて、ハボックより背が低くて、腹に一物ありそうな雰囲気で。
 階級は多分少尉だったはずだ。

 つまりこれはあれだな。
 今もって人外バトルの危険からは逃れられていないってことだ。

 このところ原作を意識してなかっただけに、久々に現実をつきつけられた気分だぜ。
 最終的には原作進行中に東部にいなきゃいいんだって分かってはいるものの、気分は決してよくない。
 蜘蛛の糸に絡まる蝶々の心境。もしくはお釈迦様の掌に乗った孫悟空。
 
 もがいてももがいても逃げられないような。

 「ハボック?」

 黙りこんだ俺を心配してか、目の前でぱたぱたと手を振るブレダ。
 そういえばコイツの問題があったんだっけ……。

 あーあ、もういっそ退校して軍人辞めちゃおうかなー。

 小心者の俺じゃとても実行できないけど、考えるくらいは許されると思うんだ。



 ◇◇◇



 『―――というわけで、例のアレがバレた。
  バレた相手が悪い奴じゃなかったので、なんとか口止めには成功。
  交換条件として怪我した時の治療を頼まれたが、それくらいで済みゃ安いもんだ。』

 一行書いてはペンを回す。

 別に名文を書こうとしてるわけじゃないのに、どうにも表現に困ることが多い。
 ヒールだの魔法だの、誰かに見られたらまずい単語を一々誤魔化して書いているからか。
 セントリーに不注意だの危機感が足りないだのとネチネチ小言を言われそうだから、というのも筆が進まない理由の一つかもしれない。

 まして、この先のことを考えると。

 「やってらんねぇよなぁ」

 一言ぼやいて、残りの文は一気に書き上げた。
 もう表現なんて適当でいいや。


 『兵舎に戻るのが遅れたことについては軍医から連絡がいってたんで咎められなかった。
  しかし、地理学のノートを図書館に忘れっぱなしだったせいで、土曜は懲罰遠征だ。
  お前らも忘れ物には気をつけろよ。装備忘れてきたなんてことになったら命にかかわる。
  気が付いた時には既に遅い、なんてことにならないようにな。

       指差し確認を心がけるジャン・ハボックより』


 多少字が汚くなったが、どうせ読むのはあいつらだ。かまうもんか。
 便箋を四つ折りにして封筒に入れる。宛先は明日書こう。
 明日は金曜日で、明後日は土曜日だ。

 「明後日は懲罰遠征か……」

 もう寝よう。

 ぽつりと零して明かりを消した。
 部屋が闇に包まれて、隣のベッドから聞こえる寝息が大きくなったような気がした。。
 誰かの寝息と暗闇。こんな夜はなんとなく野営の時のことを思い出すなぁ。
 同じ闇でも、あの時は回りに人がいっぱいいたっけ。 

 「一人行進……」

 うう、孤独が、身に染みるよう。




ROプレイヤー鋼錬を往く その21
 

 はろーえぶりばでぃー!
 毎度お馴染みのハボックさんが参りましたよ。

 生物として最下等の扱いを受けながら一年。
 途中色々と笑うしかないような事件も起きましたが、概ね集団に埋没して生活しました。
 第一学年の最後で特定科目が力いっぱい足を引っ張りましたが、なんとか進級できそうです。

 あーしんどかった!



 この時期になると辞めるべき奴はとっとと辞めて、退校者も一時期ほど頻繁には出なくなった。
 落第も退校もしてない連中は一定のライン以上の根性と実力を持ってると見ていいだろう。
 思えばこの一年間は篩いにかける意味で無闇にシゴかれたのかもしれないね。

 ……いや、それはないか。

 人が減っても相変わらず上級生も教官も鬼畜だし、俺達が慣れたんだろう。 
 で、慣らされてしまった俺ですが、最近成績に波がありすぎると一部で大評判です。
 波っていうか、起伏?得意不得意の差が激しすぎると。

 自分でも自覚してるんだ、それは。
 だから学科の弱点は目下克服中。
 微分積分学が壊滅的なんで、毎日ひたすらこればっかやってる。
 それを除けばだいたい上の下から中くらいを漂う成績だから、今後に期待してくれ。

 でも、努力じゃどうにもならんこともある。
 言わなくたってお分かりですね?射撃と純粋な体力面ですよ。
 ぶっ通しで動くとなるとヒールでの誤魔化しがきかないからな……。
 二学年に上がったら射撃の割合もドンと増えるし、今から憂鬱でしかたないね。

 瞬発力はあっても持久力がない。体力ないからすぐヘタるけど、ヒールがあるからあっという間に回復する。
 決して手を抜いているから元気ってわけじゃないんですよ。
 毎回きちんと真面目にやってます。具体的に言うと死ぬ二歩手前くらいまで。

 だから意味の無い体力づくりとかさせないで欲しい。

 「……!死ぬ……死んでしまう………!」

 思わず口走った言葉は冗談じゃない。
 きっと漫画だったら滝のような涙が流れてるはずだ。
 なんだってこんな苦行を課されねばならんのだ。てめぇ俺の事情知ってんだろうが。
 
 恨みを込めて昔なじみの教官を睨み上げた瞬間、はたりとそこで目があった。
 なんだろうこれ。死亡フラグの予感が……。

 「元気そうだなハボック!腕立て50回追加だ!!」

 何やら嬉しそうな教官の声が響き渡って、俺は一瞬耳を疑った。
 え、こっから更に50回とかそんな、本当に俺に死ねと……死ねと言ってるんですか?
 両脇の奴がちらりと気の毒そうにこっちを見たのに気づいたが、同情するより助けてくれと言いたい。

 「ん?どうした。100回にしようか?」

 てめぇ戦場で会ったら覚えとけよ。
 そんときゃ俺が上司なんだからな……。



 現時点で脱落者は119名。病院を思わせる嫌な数字だ。
 このうち半数近くは体力や学科面で落とされた奴だが、俺は今のところなんとか踏みとどまっている。 

 「ハボック、もっとスピード上げろ!!」

 「……Yes,Sir!」


 今物凄く脱落者の列に加わりたい気持ちだけど。
 
 
 
 ◇◇◇



 9月だ。
 三週間の休暇をハボック家で過ごした俺は、嫌々ながらも学校に戻ってきた。
 よく戻ってきたもんだと我ながら驚くよ。
 これもひとえに中隊長に対する恐怖のおかげだよな。

 士官学校は東部の西端にあるんだが、9月といっても砂漠や荒野と違って実に過ごしやすい。
 日射しは強いけど、日陰にはいればかなり暑さを凌げる。湿度が低いせいかな。
 日本のジメジメムシムシした夏と比べると不快感が雲泥の差だ。
 士官学校の夏も気候だけはいい。

 そう、夏。そして新年度だ!

 これでとうとう俺達も二年生。ヒエラルキーの底辺脱却、バンザイ!
 今は初めての後輩となる一年生が、夏休みを返上させられた上級生のシゴキを一身に受けている。
 去年の俺達を彷彿とさせる嫌な光景だ。
 あの頃は気づく余裕も無かったけど、なんだか物凄く恨みが篭ってる気がしますよ、先輩方。

 その懐かしくも二度と経験したくない触れ合いを他所に、二年生は夏季訓練の話で盛り上がっていた。
 夏季訓練だけじゃない。今年の授業は去年よりもずっと実戦的で、より高度な内容になる。
 士官学校の学生としてではなく、兵士としての教育が本格的に始まったんだ。

 二年生は、まず二ヶ月弱にわたって兵器の取り扱いについて勉強する。
 砲兵の基礎戦術、機甲部隊の基礎。それに機関銃や迫撃砲。
 次が地図の読み方だったかな?予定では確か10時間。
 意外と長い時間やったけどそれも当然だろう、戦場での迷子防止には欠かせないスキルだ。
 短期間に色々と詰め込まれてみんな大変だろうけど、一通りの兵器関係を実戦で扱ってる俺としては気が楽でいい。
 意味のない体力練成の時間が減ることもあって、この時間が待ち遠しくてならない。

 ただなぁ……射撃があるんだよ。
 それも一年生の頃の倍以上の時間。

 射撃は……いや、ライフルの分解整備とか自信あるよ?機関銃もいけます。迫撃砲の構造も完璧。
 でもやっぱり射撃は……。
 ……もう深くは考えないようにしよう。俺がWizであるかぎりずっとついて回ることだし。

 あ、ついて回るといえば、意外と困ったのが銃剣。
 ナイフや徒手なら許容範囲だけど、銃剣はイシュバールでも使えなかったからな。
 当たり前のことだけど、ダミーになってもやっぱり銃剣は銃剣。
 目標の人形に当てらんないもんだから人より余計にやらされて、そりゃもう無駄な時間を過ごした。

 問題はこんなところかな。一年生の時よりも随分楽だ。
 射撃と銃剣はもうどうにもならんしね。
 辛いことも随分減った。

 
 微分積分学を除いて。


 「うん、まあこういう方法もあるけど、別のやり方もあるんだ」

 練習問題の説明をするミーリの声を聞きつつ、俺はしみじみと自分の幸運を実感していた。

 「まずはy=log2x=log2+logxに変形して、ここから……」
  
 1年生から同室のミハイル・ミーリは陽気で気のいい好青年だ。
 去年の前半は軽く欝だったけど、今はすっかり復活して本来の気質を取り戻している。
 水泳が死ぬほど苦手で、笑えるほどに不器用。そして得意科目は射撃と数学だ。

 分かるかね、数学だよ。
 軍隊と絶対に切り離せない数学だ。

 物資の計算、部隊運用の計算、弾道の計算。
 勉強が進むに連れて、軍隊で偉くなるのってようするに計算する量が増えるってことなんだなってのを実感する。
 数学が苦手な奴は、A0−A=E(B0−B)が「一対一の戦闘だと数の多いほうが勝つ」って意味だと教えられても理解できない。
 実は俺のことなんだが。

 だ、だって現代日本の事務員は微分積分ができなくたってやっていけるもん。電卓とかあるし。
 経理はできるけど、数学になると思考が停止するんだ。
 ソロバンよこせよ、一級の腕前見せてやるから!

 「ハボック、ちゃんと聞いてる?」

 「聞いてる聞いてる」

 ……ちょっと錯乱したけど、とにかく、こいつと同室になれてよかった。
 数学が得意で、しかも消灯ラッパの後まで教えてもらえるからな。
 ミーリが俺に微積を教えて、俺がミーリに兵器の分解整備をレクチャーする。
 どうよ、この完璧な相互扶助。これはまさしく神の采配って奴だ。

 「じゃあ次の問題にいこうか」

 「うぃーす」

 さあ頑張ろう。 
 上級生は新入生いびりに夢中だし、去年みたいに無茶な命令をされることも一気に減った。
 この穏やかな時間を使って、なんとか天敵である微分積分をやっつけてやらねば!

 気合を入れなおして教科書の次のページを開いた直後のことだった。

 バン!と景気のいい音を立てて突然ドアが開く。

 思わず二人してそちらを見ると、金髪の坊ちゃんが肩で息をしながら立っていた。
 初期訓練で同じ分隊だったディムナ・マックールだ。
 大人しげな顔に似合わぬ血の気の多さで有名なんだが、今は純粋に運動量のせいで顔を赤らめている。

 「どした、そんなに慌てて。お前もミーリに勉強教わりたいのか?」

 数学苦手だったろ。お仲間お仲間。

 「やっと見つけた、ハボック!!」

 俺かよ!

 「あれ、ディムナ。確か窓辺に花を飾った罰でお説教くらってたんじゃなかった?」

 ミーリが不思議そうに聞いたが、俺はその言葉の中身が不思議だ。
 花を飾ったって、まさか兵舎の窓辺に?

 なにやってんだお前……。
 
 「それはもう終わったよ!罰点だったよ!」
 
 それはご愁傷様。
 あんまり素行が悪いと退校させられるから、ほどほどにしとけよ。
 体力、学科、素行のどれか一つでも基準に満たないと容赦なく切られるぞ。

 「ところで俺に何の用?」

 「そうだハボック、お前を呼んでこいって言われて……」

 げ、お呼び出しかよ。

 相手は教官か?それとも先輩か?
 俺何かマズイことやったっけ。
 目立つような悪さはしてないし、もしかして射撃の件かな。

 「今すぐ全速力で医務室に行け!」

 「は」

 もしかして緊急事態?






 俺が階段から落ちてから、医務室に呼ばれるのはこれで10回目になる。
 記念すべき二桁だがあんまり嬉しくない。
 呼び出されるイコールひどい怪我人、って図式が俺の中で確率されてるからだ。

 死ぬ一歩手前、ないし後遺症が残るような怪我を生徒が負った時、軍医のオッサンは躊躇せずに俺を呼ぶ。
 戦地で医師の助手をしていたので……とか上を言いくるめてるらしいが、目立つんだよな、結構。
 しかも全快させられないんだ。傷口が全部塞がるのはおかしいから。
 これも人助けだから嫌だとは言わないが、なんだかちょっとモヤモヤするものがあるのはしょうがないよな、人間だし。

 「……オ、オッサッ…けがにん、はっ!」

 とはいえ助けられる怪我人は助けなきゃいけない。
 これは日本で培ったモラルというより、戦場で叩き込まれた精神なんだろうな。
 それに基づいて兵舎から全力疾走してきた俺は、とっさにまともな言葉が出せなかった。

 それでも軍医のオッサンには伝わったんだろう。
 相変わらず森本レオなオッサンは無言で俺を手招きした。

 なんだろ。いつもの呼び出しの時はもっと緊迫した空気なのに。
 常に無い様子をいぶかしく思いつつ近づくと、オッサンは俺を招いた手でいきなり壁を指差す。

 アッチ向いてホイ?

 思わず指が指した方向へ顔を向けると、備え付けの電話があった。
 どういうわけか受話器が外れている。

 ここでようやくオッサンが口を開いた。

 「電話だ。珍しい相手から」

 え、ええー?それで呼んだの?

 「ここまで走ってきた俺の労力は」

 「無駄だ無駄。いいからとっとと出ろ」

 今まで黙ってたのは機嫌が悪かったからか……でも怒るのも無理はない。
 誰だよ学校にこんなルート使って電話してきたの。

 ……思い当たる人が中隊長しかいないな。
 なんでだろう、相手が中隊長だと思った途端に文句を言う気がしなくなったのは。

 「はぁ……」
 
 気持ちを落ち着かせるために深々とため息を零すと、受話器を手に取る。
 最近俺も諦めが早くなったよなぁ。これも士官学校マジックか。

 「――――はい、ジャン・ハボックです」

 『やあ准尉、久しぶりだな』


 誰!?


 「ど、どなたでしょうか」

 中隊長じゃないじゃないか!

 本当に誰だろう。思い当たる人がいない。
 電話越しの声じゃ分からんが、なんとなく上官くさいぞ。
 俺をその階級で呼ぶってことは入学前の知り合いだろうが、こんな話し方する知人なんていたか?

 『……分からないか?ロイ・マスタングだが』

 今、飲み物を口に含んで無くてよかった。
 口になにか入ってたら間違いなく吹いてたね!

 「ちょっ…なんで少佐が俺に電話を!?しかも先生経由とか!!」

 『他にも心当たりはあったんだが、医務室には電話があるからな』
 
 心当たりって、共通の知り合いってことか?
 そりゃここの教官で俺と少佐の両方を知ってる奴なら、確かに何人か心当たりがあるけど。

 『それから一つ訂正だ。私は先日中佐になったんだよ』
 
 「はぁ。それはおめでとうございます」

 じゃあ本題をとっとと言ってくれよ。
 別にお祝いが欲しくて電話したわけじゃないでしょ?
 俺と少…中佐って一度任務を共にしたことがあるくらいで、別にそれほど深い繋がりはないし。
 なんだか嫌な感じしかしないけど一応聞いてあげますよ。

 『随分と嫌そうな声だな……』 
 
 厄介ごとの気配がするからです。

 『まあいい。ちょっと聞きたいんだが、君、確か怪我を治すことができたな?』

 お、そっち方面か。

 「ええ、一応。一度で全快は無理なので回数で補わないといけませんけどね」

 怪我の治療ぐらいなら別にかまわないですよ。
 休暇が終わっちゃったから、もっともらしい理由がないと学校出られませんけど。
 その辺は卒業生の中佐の方が詳しいでしょう。呼ぶならなるべく目立たないようにお願いしますよ。

 『まず確認させてくれ。君は、肉体の欠損を……再生することはできるか?』

 ……また無茶言うなぁ。 

 「状況によりますがね、完全に失われたらアウトです」

 皮一枚で繋がっていた足は、ちゃんとヒールの連発でくっついた。
 硝子の破片でちぎれた腕も、切断された直後にくっつけてヒールしたら繋がった。
 でも爆弾でふっとばされた足は傷口が塞がっただけだったんだよ。

 どういう状態を持ってして完治と見なすか。
 この辺の判断は完全にヒールというスキルが下している。
 俺では関知できないシステムの領域だ。
 もしかすると、平成の現代医学で治るか治らないかが分岐点かもしれないとも思うが、それは推測の域を出ないし確かめようもない。

 『―――そうか。失われたものは戻らないか』

 僅かな間のあとでぽつりと呟く中佐の声には、言葉の表面上の意味だけでなく、もっと別の何かが込められているような気がした。哲学的って言ったらいいのかな。
 この人も難儀な性格してるから、また深く考えすぎてんだろう。

 「一体なんだってそんな質問を?」

 『いや、先日知り合いになった子供が、片腕と片足をなくしていてな』

 ん?

 片腕と片足、欠損、子供……あれ。
 それはどこかで聞いたことがある気がしますじょ?

 『機械鎧を着けるという話は聞いたんだが、もしも生身の身体が手に入るならそれに越したことはあるまい』


 あ、ああ――――ッ!!


 忘れてた!完全に忘れてた!!
 そうだ、確かマスタング氏がエルリック兄弟の家に勧誘に行くとか、そんな話があったっけ!
 
 ………あわわわ。
 いやでもしょうがないよね!
 ほら、俺も環境の変化についていくのが精一杯だったし、イシュバール戦のショックだって残ってたもん。
 原作なんて随分前に読んだきりで記憶ノートも最近見てなかったんだから。

 うん、しょうがないしょうがない!

 「残念ですね!お役に立てればよかったんですけど!」

 『そうだな。だが駄目で元々のつもりだったんだ。仕方ないさ』

 ヤバイ。
 久々にドギツイ罪悪感が。

 「こ、これが欠損以外の傷であればすぐに治せたんですが」

 『欠損以外……准尉。君、火傷は治せるか?』

 おお!!

 「治せます!ええ、火傷だったら目を背けるほど酷かろうが骨まで達していようが何の問題もありません!」

 『傷跡であっても?』

 む。いや、不可能じゃないぞ。

 「時間がかかってもよければ」

 死ぬほど根気がいると思うけど、ブラックウィドウの背中にあった古い刺し傷だって内乱終結時にはほぼ消えてたし。
 火傷だったら二、三百回くらいヒールを続ければなんとかなる、だろう。
 相手が男ばっかりで傷跡なんてさして気にしてなかったから自信は無いが、実績があるからには治るはずだ。

 『では、頼みがある。背中一面に広がる火傷なんだが、実は殲滅戦終結の日に      』

 終結の日に?

 続きはどうした。
 なんで突然音が途切れたんだ。

 ……不気味な沈黙だな。

 「あのー…マスタング中佐ー」

 『 やっ れは、         ねっ!            ら!』

 な、何が起きてるのかな? 
 途切れ途切れの声がちょっと怖いんですけど。

 「……中佐?」

 おーい。もしもし?


 『――――お聞き苦しいものをお聞かせしてすみません、准尉』


 「うお!?」

 えっ、お、女の人!?

 中佐に代って電話に出たのは、驚いたことに女性だった。
 しかも結構若そうな声じゃないか。
 
 うわ、なんだか緊張するわ……。

 よく考えたらこれってほぼ一年ぶりの女の子との会話だ。ジャン君の血縁を除いてだけど。
 それどころか電話に限定したらジャン・ハボックになって以来初めてかもしれん。
 どうしよう。俺、日本で職場の女の子達とどんな話してたっけ。

 「やややや、こりゃどうも」
 
 慌てた俺の太鼓持ちのような返事も気にせずに、電話の向こう側の女性は申し訳なさそうに続けた。

 『先ほどのお話は聞き流してくださって結構ですので……』

 そう言われても……だって背中の火傷って広範囲なんだろ?
 相手がどういう人かは知らないけど、治せるなら治してあげた方がいいんじゃないか。
 休暇まで待ってくれるなら時間かけて治療できるし、傷痕消せると思うよ?

 『本人が治療の必要はないと言っているのに、中佐が無断で准尉にお願いしようとしたんです』

 「そりゃまた……」

 なんとも反応のしようがない。
 善意での行動なんだろうけど、火傷を負った人にとってはおきなお世話だったわけか。
 何で傷跡を残しておきたいのかは知らないけど、きっとなにかその人にとって大事な意味がある傷なんだろう。
 俺も中佐と似たようなことやらかしそうだ。気をつけよう。

 ……ところで、もしかして君って俺の知り合いかな?

 今なんとなくヒールのことを知ってるような口ぶりだったよね。さっきから俺のこと階級呼びだし。
 それに、最初の申し訳なさそうに話してた時の口調、どこか聞き覚えがあるようなないような。

 はて。

 『あ、すみません。私は』

 「まった!」

 聞いといてなんだけど、今自分で気が付いた!

 俺が准尉の時代に会っていて、ヒールのことを知っていて、その落ち着いた控え目な話し方。
 しかも女の子なんて一人しかいない!!

 「ホークアイ准尉!だよね?」

 『正解です。少尉になりました』

 ひゃっほう、金髪美人!
 そして知らない間に階級を抜かされてる。
 准尉はあの時点で士官学校卒業間近だったからな。イシュバールでの功績もあるし。  

 「久しぶりだなぁ。元気だった?今はマスタング中佐の下にいるの?」

 相手が知人と分かってやっと滑らかに話せるようになったぜ。

 『はい、中佐の副官を拝命いたしました。今は東方司令部におります』

 へぇ……うん……なんだか知らない間に着々と原作の体制が整えられつつあるよね……。

 でも俺は卒業できたら中佐じゃなくて中隊長の下に行くんだ。
 俺のいない穴はブレダにでも埋めてもらってください。

 「ホークアイ少尉かー。俺も敬語使わないと駄目ですね」 

 『そんな……それは確かに公式の場ではそうですが、できれば今まで通りに話していただけませんか?』

 う。その困ったような声に俺は弱い。
 ていうか可愛いなぁホークアイ少尉。久々に萌えという言葉を思い出したわ。

 「じ、じゃあせめて少尉も俺には敬語を使わないでください」

 傍から見て変でしょ、階級と言葉遣いが逆転してたら。
 俺が口調崩すなら少尉も同じように話してもらわないと。

 『はい、わかりました』

 「いや、そうじゃなくて」

 『は……うん。わかった』

 うんうん、その調子。


 「……」

 『……』


 なんだこれ。カユイ。

 ちょっと滅茶苦茶気恥ずかしいんですけど。
 今の俺ってちょっと偉そうで格好つけてなかった?誰か突っ込んで。突っ込んでくれよ。
 少尉が何か言ってくれればいいのに、なんだか向こうも黙り込んでるし。
 
 凄くいたたまれない。

 「……えーっと。それじゃあ俺は、微積の勉強があるんで、これで」


 いたたまれなくなったので、強引に話をまとめにかかりました。

 ヘタレと言われようが変なボロを出すよりマシだ。
 ものすごく言い訳がましい感じだけど、実際言い訳だからしょうがない。

 『え、あ、はい。今日はどうも中佐が失礼いたしました』

 とんでもないこちらこそ。
 あ。

 「敬語敬語」

 『ごめんなさい!じゃあ、また』

 「うん、それじゃ。中佐によろしく」


 ガチャリ、と受話器を置いた瞬間、頭を抱えてしゃがみこんだ。
 ここが畳だったら多分ゴロゴロ転がって身悶えてると思う。
 
 なんだあの無意味に気恥ずかしい会話―――!!!

 実年齢は三十路近いのになんであんな甘酸っぱい雰囲気を出さにゃならんのだ!砂を吐くわ!!
 しかも少尉は別に俺の部下でも妹でも恋人でもないのにあんな偉そうに!
 中身は十歳近く違うのにッ!!
 
 バンバンと床を叩いていたら、次の瞬間背筋が凍った。


 「いやぁ青春だねぇ」


 オッサンが聞いてたし!



 ◇◇◇



 「……で、なんでまだお前がいるの?」

 ニヤニヤしながら根掘り葉掘り聞こうとするするオッサンを振り切って、なんとか自室に戻ってきたら、ミーリの横でマックールが見覚えのある本を凝視していた。
 おいおい、それ俺んじゃねえか。表紙に皺ができるからもっと丁寧に扱えよ。

 「微積分なんてこの世界からなくなればいいと思うんだ!」

 「人の教科書を握りしめて何を言っとるんだお前は」

 でも言ってることは同感だ!!

 高校時代に習ったのは確かだが、社会に出てからは殆ど使ってない。
 10年以上のブランクがあって尚且つその間に内乱が入ってるんだ。
 士官学校に入学して初めて教科書開いた時、頭の中に残ってるのは断片だけだったんだぞ。
 そっからここまで這い上がるのにどれだけ苦労したことか。聞くも涙、語るも涙だ。

 微分積分いい気分とかいう駄洒落を言った奴を水泳授業用のプールに沈めてやりたいね。

 「微積どころか数学自体なくなってくれてもいい」

 「俺も俺も」

 段々と頭の悪い男子高校生みたいな会話になってきたような気がするが、本音だからしょうがない。
 若返りとか逆行とか、肉体に精神が引きずられるなんてネタをどこぞの小説で読んだ気がするが、現役学生やってる人間としては、どっちかってーと肉体よりも生活に引きずられるんじゃないかと思うな。

 「数学無くなったら軍隊が立ち行かなくなっちゃうよ」

 分かってますよミーリさん。
 それでも愚痴りたくなるのが人情ってもんでしょ。

 「勉強したくねぇなあ……」

 なんでこんな年になってこんな台詞言わなきゃならないんだろうね、本当に。




その21 NGシーン



 「なあハボック。この部品はなんだと思う?」

 ぼんやり物思いにふけっていたら、隣の席から呻くような声がした。
 ここ一時間くらい黙々と銃をバラしては組み立てていたミーリが、情けない顔で下を見ている。
 『この部品』という言葉に奴の視線を追えば、下敷きにしていた白い布の上に、ぽつんと残った部品が一つ。

 「……お前、それ撃てないぞ」

 俺の記憶が正しければ、それはかなり初期の段階で組み立てる部品です。
 つーかよくそれなしでこの形に持っていけたな。

 「そうだよな。余らせていい部品じゃないよな」

 というかミーリさん、そもそも余る部品なんてありません。

 「こっちは組み立てられたのか」

 机の端のほうに置かれた訓練用ライフルを手に取る。
 全長1,250mm、銃身長740mm、重量4,08kg、装弾数は5発。訓練用のライフルだ。
 イシュバールで散々使った奴の原型だが、今もこれを愛用している奴は多いだろう。
 数か月前まではこんなもん持って荒地を走り回ってたんだよなぁ……一発も当てたことないけど。

 思いっきり間違って組み立てられたライフルを速やかに分解する。
 ま、バラすのは別に難しかないんだ。ミーリにもできるくらいだし。
 だいたいこのライフルの美点は部品が少ないことでもあるんだぞ?両手の指より少ない部品をどうして組み間違える。

 「お前が整備して俺が撃てば無駄がないのに……」

 いやその前に自分で整備点検できるようになろうぜ。

 俺の弾丸が当たらないのは体質というか仕様だ。
 どんなに頑張ってもそれこそ無駄な抵抗で、努力でどうにかなる問題じゃない。
 だけどお前はそうじゃないだろう。卒業まで必死になって練習すればそのうちできるようになる。

 「苦手な分野は学生のうちに頑張って克服しとこうぜー」

 俺も微分積分学頑張るからさ。
 頑張っても無理かもしれないけど。




ROプレイヤー鋼錬を往く その22
 


 こんにちは皆さん!いつになく機嫌よくご挨拶させていただきます。
 ジャン・ハボック22歳、現在進行形で幸福の絶頂でございます。

 カウンターに積み上げた本が10冊を超えたあたりから笑いが留まらなくなりました。
 本を梱包する古書店主を満面の笑みで見つめております。我ながらちょっとキモイ。

 でも……えへ…えへへへへ……ああいかんいかん、顔が緩む。

 「長期休暇最高……!」


 こんなまとまった休暇が取れるのは学生のうちだけだもんね。これだけでも士官学校での苦労が報われた気がするよ。
 ミーリとブレダには悪いが、俺はこの長いお休みを全力でエンジョイさせてもらおう。
 いやぁ、あいつら出来がいいから新入生の監督で休暇半減してるんだよね。ザマ…いやいや可哀想に。
 それに引き換え俺やディムナ・マッコールは完全に選外、フル休暇ですよ!
 べ、別に意図してやったんじゃないんだからねっ!

 ……本当に狙ったわけじゃないのがちょっと切ないです。

 「よいしょ、と。これで送付分は全部ですか?」

 初老の店主がカウンターの横に梱包済みの本を置いた。改めて見ると本当に結構な量だな。
 この古書店には去年もお邪魔したんだが、驚いたことに俺のことをちゃんと覚えていてくれたんだぜ。
 顔を出した途端に『今年もご実家宛てですね?』だってさ。大人買いする客って珍しいのかなぁ。

 「そうですね。こっちはこのまま持って帰りますから」

 返事をしつつ、帰り道のお供に選んだ本をカウンターに載せる。
  
 箱詰めした方は貨物車両行きだ。帰りの列車は明日の昼に出るから余裕を持って積みこめるだろう。
 去年はここの店主のご好意で手配をしてもらったが、今年もどうやらやってくれるらしい。ありがたやありがたや。

 「では、本の代金と送料を併せてお会計を……」

 来た来た!

 古本とはいえいい値段なんだこれが。
 借金はほぼ返し終わったけど、本を買う度になんか後ろめたくなるんだよ。
 しかし自重はしない。本がなければ俺の休みが意味の無いものになってしまう。

 「あ、ついでにこれもいいですか?」

 高額といっても予算範囲内なのは暗算で確認済みなので、追加分の本をそっと差し出す。
 俺の好みから明らかに外れてる上にできれば買いたくない本なんだが、止むを得ない。これも平穏無事な未来のためだ。

 「『微分積分学基礎要論』ですか。士官学校の生徒さんも大変ですねぇ」

 同情を含んだ生暖かい視線が士官学校の制服に向けられる。

 なんだろう。悪気はないのは分かっているけど、久々にちょっとイラっとした。
 抑えきれない苛立ちと衝動。これが若さというものか。

 「あははははは。……お会計、お願いします」

 どんまい俺。
 これから楽しい休暇なんだから、元気出せ。



 ◇◇◇



 というわけで、イーストシティだ。
 
 帰省中に読む本を買うための寄り道だが、ついでに元部下達とも会う約束をしている。
 なんでも安くて酒と飯の美味い店を予約してくれるんだと。
 最初は中隊長も顔を出すって話だったが、あいにく急な出張が入ったらしい。
 まあ会ったところで成績のこと突っ込まれるのも嫌だしな。今回は俺らだけで旧交を温めさせてもらいますよ。

 「ふん ふふ ふふふふふーん♪」

 満足のいく収穫に鼻歌を歌いつつ本屋を出たら、通りすがりのおばさんに変な目で見られた。
 いけね、学校や戦場じゃないんだから行動には気をつけなきゃ。

 イーストシティは都会だからな。
 ハボック君の村やイシュバールとは比べるべくもない。まず駅からして規模が違うもん。
 馬車より車の方が多いし、公衆電話だってある。そして本屋だ。
 いいなぁイーストシティ……原作と関わるのが嫌だから住みたくはないけど。

 「さーて本も買ったし、この後は……」

 ああ、あれが噂のスチーム時計か。なるほど、待ち合わせ場所に丁度いいわ。
 しかしまだかなり時間があるな。せっかく東部一の大都市にいるわけだし、ここは一つ図書館にでも!

 ……と、その前に銀行に寄っておくか。

 「銀行銀行。あそこを右だっけ」

 さっきの散財のせいで軽くなった財布を押さえつつ銀行へ向かう。

 士官学校にいると実入りが少ないが出費も少ない。
 イシュバールにいた頃も金の使い道が各種ギャンブルくらいしかなかったが、入ってみたら学校もさして変わらなかった。
 俺は博打には手を出してないから借金をさっぴいても当座を凌ぐ程度の残高はあるはずだ。
 とりあえず宿は誰かのアパートに転がり込むからいいとして飯代と交通費は必要だよな。

 そうだ、帰りがけにハボック母に土産の一つも買っていこう。
 新しいエプロンがいいかな。それとも店員さんに頼んで流行りの洋服でも選んでもらおうか。
 日射しが強いし、夏用の帽子なんてのも捨てがたい。




 なーんて、思ってたんだけど。

 ごめん、お土産は俺の無事ってことにしといてくれないかな、ハボママ。




 『銃を捨てて投降しろーっ!お母さんが泣いているぞーっ!』

 どこの刑事ドラマだ。
 しかも80年代どころか70年代くらいじゃないかねそのフレーズは。

 拡声器を使っているのかスピーカーを持ってきたのかは分からないが、外から聞こえてくるデカイ声に思わず突っ込みを入れてしまう。 

 「うるせぇ!!いいから言われたとおり金と車を用意しろ!」

 お約束過ぎる回答をありがとう。
 コントの如き展開に今ちょっと吹きそうになったよ。
 でもほかの人質にとっては笑い事じゃなかったようで、皆本気で怯えてる。

 あー…これだけじゃ何が何だかさっぱり分からないだろうが、まあ要するに銀行強盗に拘束されてるわけだ。

 窓口で残高の少なさに悲しくなっていたところ、突然銀行強盗が乱入。
 手続き前にやってきてくれたのが不幸中の幸いだが全然感謝する気にはなれないね。
 その場にいた客と行員あわせて10人前後がそのまま人質として捕まって、現在に至る。もちろん俺も込み。


 せっかくの長期休暇が……!


 唾を飛ばして怒鳴る犯人に、子供を抱いた母親がガタガタ震えている。
 ああそりゃ怖いよな。俺の隣に座ってる人も真っ青になってるし。
 落ち着いてるように見える銀行員も目が虚ろで、決して平常心ではない。

 そんな中で一人だけ銀行強盗と刑事コントに突っ込みを入れる俺。

 あれ、なんで俺こんなに落ち着いてるんだろう。
 普通ならもっと慌てたり怖がったりしてもいいよね?

 でも本当に怖くないんですよ。
 別に周りで死体が量産されてるわけでも、瓦礫が振ってくるわけでもないもん。
 イシュバールでの戦闘に比べて命の危険が格段に低いから危機感が殆どない。
 直接攻撃されたってどうせ当たらないからね。弾丸の雨と違って視覚効果も薄いし。

 「30分以内だ。少しでも過ぎたら人質を一人ずつ殺していく」

 「脅しじゃねぇぞ!」

 犯人が叫んでるけど、やっぱり別に怖くない。

 気になるのは俺の安全よりも民間人のほうだ。
 こっちは銀行員も合わせて10人はいるし、犯人達にしてみれば多少減っても問題ないだろう。
 犯人は四人だから、人質を連れて車で逃げるならせいぜい一人か二人残せば充分。むしろそれ以上は足手まといになる。
 余計な人員は解放するのか、それとも残していくのか。万が一射殺していくつもりなら、俺がなんとかせにゃならん。

 『せめて女性と子供だけでも先に解放してくれ!』

 「黙れ!俺達の要求の方が先だ」

 不意打ちができるソウルストライクなら一人は確実に殺れるが、いかんせんディレイが長い。
 次の呪文を唱えるまでに絶対に何人かは死ぬだろう。
 範囲攻撃も無理だ。ヘブンズドライブなんかは詠唱が短いけど、これは位置関係が問題になる。
 カウンター前に並んで座らされた人質の、列の両端に見張りが立ってるんだぜ。
 敵味方の識別が出来ない俺じゃ民間人もろとも一網打尽にしちまう上に、外を警戒してる二人は攻撃範囲外だ。

 どうしたもんかねぇ。

 「……おう兄ちゃん、随分余裕そうじゃねーか」

 今後について思案してたら、なんか下っ端っぽいのが絡んできた。

 こいつ、最初っからやたらと攻撃的なんだよな。発言も行動も無闇にトゲトゲしい。
 年齢は俺と同じくらいだが、犯人グループでは一番年下のようで、ついでに言うなら一番頭が悪そうでもある。

 ガキで乱暴で捻くれててチンピラ臭漂う銀行強盗か。クーガーとブラックウィドウの悪いとこだけを抽出したみたいな奴だな。
 こんなのと比べたらあいつらが気の毒だが、凄く粗悪な劣化版って感じだ。

 ちょっと引きつつも観察してたら、劣化ブラックウィドウがいきなり吠えた。

 「俺ァテメェみてぇなのが一番嫌いなんだ。エリート様が、偉そうにしやがって」
 
 は?
 
 あ、士官学校の制服か!!
 
 あちゃー…でも着用は規則だしな……。
 そうか、俺にぴったり張り付いてる奴がいると思ったら制服のせいで警戒されてたのか。
 でも俺って一応一番下っ端から入ったのに、理不尽だ。士官学校イコールエリートなんて短絡すぎだよ。

 「テメェもどうせ兵隊を顎で使って殺すんだろう!」

 とんでもなく心外なセリフとともに、劣化ブラックウィドウ……ああも劣化君でいいや。劣化君が俺を蹴り飛ばそうとする。
 
 ところがどっこい、そんなもんが当たるわけがないのですよ。
 弾丸にだって当たらないAgiWizに、人間のキックが当たると思いますか?

 答えは否!

 力いっぱい蹴ろうとした劣化君は予想通りに空振った。
 そのうえ勢いあまってカウンターに肘をぶつけて悶絶している。

 ゴリッという音からして絶対に痛い。言葉も出ない痛みだ。しかしザマアミロと思う俺を誰も責められはすまい。
 
 「たった二年でもう鈍ったのか」
 
 見張り役の片割れ、サブマシンガンを抱えた男がそれを見て呆れたように言った。

 「あのハゲ教官の教え方が悪かったんですよ!銃なら自信があります!!」

 肘を押さえつつも反論する劣化君が似合わない敬語で抗議する。

 分かりやすい上下関係。教官。そして二年前。

 こいつら軍人崩れか……。
 イシュバール帰還兵の悪い噂は多いが、まさか自分がぶち当たるとは思わなかったよ。犯行動機は遊ぶ金欲しさとかか?
 つか、強盗するくらいなら辞めなきゃよかったのに。帰還後一年くらい頑張れば、退職金だって少しは上がるし。

 俺の視線に気づいたのか、劣化君はわざとらしく鼻を鳴らして吐き捨てた。

 「退職金なんざ貰ってねぇよ」

 はぁ。

 「……脱走兵かよ」

 うっかり零した呟きが聞こえたのか、劣化君がチッと舌打ちして近くの植木鉢を蹴倒す。
 どう見ても八つ当たりだ。
 鉢の割れる派手な音に他の人質達が身を震わせ、咎めるようにこちらを見た。

 ええ?俺のせいじゃないよ!?

 しかし視線による訴えは無視されてしまったようで、人質の方々はさり気なく俺から離れていく。
 ああああさっきまで50cmだったお隣さんとの間隔が1mに……。

 「戦うのが怖くて逃げたんじゃねえよ!」

 空気を読まない怒声にますます離れる皆さん。

 それにしてもキレやすい若者だなぁ。小魚食ってカルシウム摂れ。
 そうやってでかい声出すと図星突かれたみたいに見えるぞ。

 「イシュバールでさんざん汚れ仕事させやがったくせに、使い終わったら口封じだなんて冗談じゃねぇ」

 ニートの言い訳かと思いきや妙なことを言い出した。

 汚れ仕事ってのが何を指しているのかよく分からんが、殺人という意味なら俺だってご同様だ。
 老若男女の区別なく、数だけなら多分こいつの倍じゃきかない。
 
 しかし今、『使い終わったら』の後になんだか謎の言葉を叫ばなかったか。

 「口封じ?」

 気になったポイントを繰り返すと、警戒心が足りないのかあっさり教えてくれた。

 「人体実験さ。イシュバール人を拘束して地下に連れて行くんだ」

 ………ああ、やっぱそういうのやってたんだ。

 「気が付くと同じ仕事してた奴がいなくなってる。人の入れ替わりが激しくてよ。……俺は消される前に逃げたのさ」

 薄々分かってたけど改めて確認すると胸糞悪くなるな。
 暗黙の了解というか、声高には話されないが皆が察してる軍隊の闇だ。   
 別に俺自身が直接手を貸したわけじゃなくても、所属する組織のやったことだと思うと凄くいたたまれない。

 そして魔法を隠しといて本当によかったと、今しみじみと自分の判断と周囲の理解に感謝を捧げるよ。 
 俺も一歩間違えれば解剖とかされてたかもしれん。

 「わけのわからねぇ錬金術の材料に人間なんか使いやがって」

 錬金術を兵器として使う鋼錬世界だから、医療技術や、化学・生物兵器関係じゃないのは理解できるが…。
 材料、なのか。実験台の間違いじゃなくて? 

 首をかしげていると、俺は見たのさ、と劣化君が囁いた。 

 「床に書いてあった円だの線だのがたった1回光っただけで、何人も「おい、いい加減にしておけ」」
 
 劣化君に皆まで言わせず、もう一人の見張りが言葉を遮る。

 無駄話が気に障ったか、あるいはこれ以上聞きたくなかったのかもしれない。
 あんまり聞いていて楽しい話じゃないからな。
 
 「……材料に人間か」

 人間を使った錬金術ねぇ。
 
 人体実験ならともかく、材料となるとマスタング中佐の範囲ではなさそうだよな。どっちかっつーとあの人は気体とかの練成のイメージがある もん。
 今の話だとそれこそ話だけしか知らない生体錬金術とか、医療系っぽい気がする。でも生きた人間を材料にして……あれ。
 
 ちょいまち俺。
 なんかこのフレーズ、覚えがあるぞ。確か結構初期の頃だったような……あーくそ、記憶が遠い。

 生きた人間、生きた人間。材料。錬金術。生きた人間。
 錬金術の、材料は、生きた人間。
 近い、これは近いぞ。真理じゃなくて、ホムンクルスじゃなくて……。
 
 「あ」
 
 『賢者の石の材料は生きた人間』だ。

 そうだそうだ、思い出したよ。わりと重要なキーワードだったのにド忘れしてた。
 でももう読んでから何年も経ってるんだもん、しょがないよな。読者的には当たり前みたいな知識だし。

 それにしても、こんな頃から既に賢者の石がらみの研究が進んでたのか。しかも国家主導で。
 いや、原作でなんとかって医者が研究してたようなこと言ってたっけ。
 アルがぶっ壊れた前後で出てきた人だったような……いや、あれは監察医の人だっけ……?

 と、ともかくかなり最初の段階で材料だけは分かってたと思う。
 これは間違いない。間違いないと思いたい。

 でも今この時点だと、これって軍機じゃね?

 あれれ、何気に死亡フラグ?
 もしかして冥土の土産?

 い、いや、まだ大丈夫なはずだ。
 確かに今のはちょとヤバめのネタだが、こいつが俺にバラしたという事実が漏れなければ問題ない。
 俺がいらんことを知ってしまったと、偉くて悪い人に知られなければいいのだ。


 つまりこいつの……こいつらの口を封じてしまえば。

 
 俺と劣化君以外で会話を聞いていたのは、もう一人の見張りだけ。
 幸い他の人質はさっきから距離を置いているし、軍に関わりたがるとは思えない。
 
 相手は犯罪者、人質の身なら正当防衛で押し通せる。

 不意を突いてソウルストライク、たったの一撃で―――
 

 『―――っ…も…長は、大丈夫…す』


 「のわ!?」
 
 思わず迷走しかけた思考が、突然の大音量にぶった切られた。
 
 耳鳴りが残るほどの音を不意打ちで叩きつけられて、一瞬頭が真っ白になる。
 周りの人質仲間の方々も耳を押さえてるし、べそをかいていた子供は目と口を丸くして泣き止んだ。

 「な、なんだ?」

 行内の全員が外に目を向ける。
 
 妙に静まり返る中、ザザッという耳障りなノイズが聞こえ、次いで届いたのは先ほどよりも格段にボリュームダウンした音。

 『――――こちらは、アメストリス国軍だ』

 最初に呼びかけてきた熱心だがちょっとお間抜けなそれとは違うトーンだ。
 憲兵ではなく、とうとう軍が出てきたらしい。

 『犯人に告ぐ。人質解放を解放し、速やかに投降しろ』

 低音にして低温。冷静といえば聞こえはいいが、素晴らしくやる気のない平坦な声。
 この無駄な滑舌の良さ。アナウンサーがニュースを読み上げるような話し方。凄く覚えがあるんですが。


 やあ、久しぶりだね、セントリー。


 ここからじゃ外の様子なんぞ見えはしないが、それでもついつい窓を見てしまう。
 だれだよアイツにマイク持たせた奴。どう考えても説得に向かないって。明らかに人選ミスだ。

 つか、よりにもよって第二中隊が来てるのかよ。
 あいつらで大丈夫なのか?人質を誤射したりしないか?

 『死傷者の出ていない今ならば、まだ罪は軽い』

 絶対そんなこと思ってないだろうお前。

 「黙れ!車はどうした!」

 フルボリュームのインパクトから立ち直ったらしい見張りが叫ぶ。

 『車は既に用意した。先に民間人を解放してくれ。女性と子供だけでも構わない』 

 もっと熱心に投降を呼びかけろ。あっさり取引に応じるな。

 しかもよく考えたら民間人じゃないのって俺だけじゃねえか。
 野郎、知っててやってやがるな。

 「アンタ以外を解放しろってろってさ、士官学校の兄さん。もしかして切り捨てられるんじゃねぇのか?」

 よほど俺が嫌いなのか『士官学校』を強調して揶揄する劣化君に、外国人よろしく肩をすくめようとして失敗した。
 このポーズ縛られてると難しいな。首や肩のあたりの筋がピリピリするよ。

 「戦場ならともかく、民間人の目がある場所でそんな真似できないだろ」

 ただでさえ軍人は嫌われてるのにさ。
 自分たちから評価を落とすような真似したら、苦労するのは現場だぜ。

 「……落ち着いてるな。入学して何年だ」

 カッコつけに失敗して叩いた減らず口に、全然関係ない質問が横から飛んできた。

 「二年。休暇が終われば三年」

 唐突な質問に驚いたが、別に隠すことでもないので正直に答える。

 声をかけてきたのはは三十代後半から四十前後ぐらいの渋いオッサンだ。さっきまで窓の外を警戒していたのに、いつのまにか近くに立ってい る。
 さりげなく様子を伺っていると、そいつは劣化君じゃない方の見張りのところに行って小声でなにやら相談を始めた。

 「2年か。どう思う?」

 聞かれた男が少し考えてから頷く。

 「たかが2年の学校生活だ。お勉強に追われての訓練など恐るるに足りん」

 「ああ。知識があっても実戦経験がなければ新兵と変わらない」

 お勉強に追われてるのは確かだけど、これでも二年生には珍しい実戦経験者なのに……。

 だいたいな、士官学校の訓練だって結構キツいんだぞ。馬鹿にするなら一度やってみたらいいんだ。
 クソ重い荷物背負ったままプールに放り込まれたり、夜間訓練で迷子になったり、サバイバル訓練でヘビの生皮を剥いだりするがいい。
 まあヘビは割りと美味かったが。

 「女やガキを盾にするよりは心が痛まないな」

 「図体がでかくて邪魔そうだが、弾避けにはなる」

 「人数が居ても管理しきれないし、体力があったほうが『持つ』だろう」

 「馬に乗り換える時にでも、車と一緒に捨てていけばいい」

 うう、酷い言われようだ。

 だが状況が好転しつつあるのは間違いない。
 今のやりとりから察するに、逃亡のお伴は俺で決まりだろうし、足手まといがいないなら脱走兵の四人くらい俺一人で片付けられるからな。

 よしよし、もう少しの辛抱だな。なんでもいいから早く終わらせてくれ。

 「交渉成立だ!ここにいる士官学校生を除いて、民間人を全員解放する。車を正面玄関前につけて包囲を解け!」

 『分かった、車を玄関につける。ただし包囲を解くのは民間人の解放を確認した後だ』

 言っている傍から玄関に軍用トラックが滑り込んだ。ボロい。運転が荒い。ドリフトして止まるな。
 段取りが良すぎて最初っから交渉に持ち込む気だったのが丸分かりだ。

 『時間がなかったので軍用車だが、車だ。運転者は退避した。人質の解放を』

 体力があったほうが持つだの馬に乗り換えるだの言ってるってことは、こいつら砂漠に出て国外逃亡コースか。
 東に抜けるのか南下するつもりかは分からんが、素人の砂漠越えなんて無謀だぞ。

 「運転手が離れた。人質を」

 「ああ。全員立て、まず女子供から外に出ろ」

 「ぐずぐずするな!速やかに移動しろ!」

 ――と言いたいところだが、東部の田舎なら不正規の商隊に潜り込むって手があったな。

 ましてイシュバールで従軍経験があるなら、自力で水場まで行って現地で交渉するのも不可能じゃない。 
 一度振り切れば容易に捕捉できないし、案外成功率は高いかもしれん。

 『士官学校生以外、人質全員の解放を確認した。これより包囲を解いて人員を道の反対側に移動させる』

 犯人の逃亡が成功したら俺にとってあんまりよろしくない未来が待っている。
 鉄砲になんざ当たりはしないが、砂漠のど真ん中に放置されたら遭難の可能性大。
 車から放り出されるくらいならまだしも崖から落とされれば一貫の終わりだ。
 犯人達に殺す気がなくても俺の脆い体なら楽に逝ける。   

 「どうする?」

 「手を打たれないうちに行動したほうがいい」
 
 「よし、軍が退いたらすぐに出よう」

 とにかく、砂漠に抜けるまでにどうにかせにゃならん。
 幸いにして俺以外に人質がいないからいくらでもやりようはあるしな。
 周辺への被害を考えるなら、仕掛けるのは市街地を出たあたりか。
 

 「おい、立て。移動するぞ」

 「え?」


 気が付いたら座ってたのは俺一人でした。


 「さっさとしろ!」

 劣化君の蹴りを軽く避けながら立ち上がる。 
 懲りねぇなあ。当たんないっつーのに。

 「クソッ……早く行けよ!」

 イライラしてる劣化君に銃で脅されつつ出入口付近まで移動すると、そこで三人が俺の左右と背後で銃を構えた。
 残った一人が俺の腰に綱を結ぶ。逃亡防止なんだろうが、繋がれた犬の気分だ。
 こんな姿で公衆の面前に出るなんて羞恥プレイにもほどがある。

 手持無沙汰に窓から見た空の色はオレンジ。
 夕陽が綺麗だ、と思った瞬間すごい勢いで頭の中を愚痴が駆け巡った。

 この時間じゃそろそろ図書館は閉まってるだろう。楽しみにしてたのにさ。
 中隊の面々と飲みにいく予定だったけど、これも事件が長引いたらポシャりそうだ。
 そういえば結局ハボママのお土産も買えてない。金も下ろしそびれたし、今夜の宿はどうしよう。
 つか、なんで俺こんなとこで緊縛されてんだろうね。せっかくの長期休暇なのに。

 それもこれも、全部コイツらが強盗に入ったせいだよな。

 ………仕返ししないと。

 範囲攻撃のナパームビートでパシーンと張り倒して逃げようと思ってたんだが、予定変更だ。
 同じ範囲攻撃なら低レベルのサンダーストームでビリビリにしてやろう。
 あれは痛いらしいぞー?うっかり自爆で巻き添え食らったクーガーのお墨付きだ。
 スタン効果はないはずだが、痛みだけで動きが止まるっつってたからな。

 「余計なことはするなよ。不審な動きをすれば撃つ」

 年嵩の、ずっと黙っていた男が据わった目をして呟く。

 へーへー。
 まあ御近所に迷惑かけないように暫くは大人しくしてますよ。
 だがしかし、市街地を抜けた瞬間がお前らの最後だ。
 死なない程度に感電して苦しむがいい。

 「よし、開けろ。言っておくが逃げようとしても無駄だぞ」

 「変なことすんなよ!」

 文字通り紐付きだから逃げられないって。
 背中にSMGを突き付けられながら、正面玄関をいきおいよくオープン・ザ・ドア。
 うん、まあ思いっきり開けたのは嫌がらせなんだけどね。

 向こう側に広がっていたのは、夕暮れに染まるイーストシティの街並みだ。
 部下達から待ち合わせ場所に指定された時計台が、夕日を背にしてまるで一幅の絵のように美しい。

 惜しむらくは、美しい風景を前にして全く美しくないこの状況。
 道の向こう側には銃を下した東方司令部所属と思しき兵士たちが並んでいる。
 予想通り俺の元部下ばかりだが、なんか違和感があるな……なんだろう。

 「よし、そのままゆっくりと車に向かって、ドアの横で止まれ」

 はいはい盾ですね。
 言われるがままに犯人達の戦闘に立って足を踏み出し、立ち並ぶ部下を見てふと立ち止まる。

 「あれ」

 さっきの違和感の理由に気がついた。

 「人数が少ない……?」

 中隊どころか一個小隊にしても少なすぎる。
 内乱中は30人以上いる隊のほうが珍しかったが、今は平時で一個小隊35人に戻っているはずだ。
 なのに、ここにいるのは…にーしーろー……20人ちょいくらい。

 じゃあ残りの10人はどこへいったんだろう。

 それに、絶対にいると思ってた顔が見えな

   ドンドンドンドンドン


 「うわああ!!」
  
 え、な、なに?


   ドン!

   ダダダダダ…… 


 「バカなっ!…ぐあっ!「人質が目に入らないのか!?「…このっ!」ぎゃああああ!」

 「ええええええええッ!!」

 ちょッ、な、ま……うぇぇええええ!?

 銃弾が飛び交ってガラスが砕け散り怒号が上がって犯人が倒れて。


 こんなカオスな状況に叩き込まれたのは二年ぶりでした。


 多分5秒もかからなかっただろう。
 両側にいた男達も、後ろにいた男も、紐を持っていた男も全員が倒れている。
 ミンチまではいかないが穴だらけ、蜂の巣と呼ぶにふさわしいひでぇ有様だ。
 四人全員が血の海に沈んで絶命している。これで生きてたらホムンクルスに違いない。

 「な、なんつーことを」

 最初の銃声はライフルで、次のがマシンガンだよな。
 いったいどこから……。

 「ハボック隊長確保ォ!傷一つねぇ、ピンピンしてやがる!」

 「あ、あの。俺、止めたんですけど!」

 ……お前らか。

 周囲を見回していたら上から降ってきたのは、毎度御馴染み元ハボック分隊の二人だった。
 察するに隣の建物から銀行の屋根に移って、上から犯人を銃撃したんだろうな。

 俺もろとも。

 ブラックウィドウもクーガーも元気そうだね、聞くまでもなく見りゃ分かるよ。
 お前達のおかげでなんだか一瞬全てがどうでもよくなった。

 アホの力って偉大だ。

 「先に言わせてもらいやすがね、撃ったなァ俺の判断じゃありやせんぜ」

 「なんか犯人が手配されてたヤツだって、視察に来てたえらい人が、射殺命令を」

 「人質っつったって隊長なら怪我の心配もねえし、ここはちっとばかし強引でもよかろうと」

 「ちょうどウチの小隊が出てましたしっ」

 交互に話すな。微妙に息が合ってねぇ。
 久しぶりに会って早々にこれとか、あまりに成長がなくて泣けてくる。

 だがまあ言いたいことはなんとなく分かったよ。
 つまり視察に来てたお偉いさんが、犯人が手配されてた脱走兵だと気づいて射殺命令をだしたわけだ。
 で、ノリノリのお前らは、攻撃が当たらない俺が人質になってるのをいいことに、ちょっと強引でもいっかーという軽い気持ちでぶっ放したと。

 そのお偉いさんの名前は後で教えてくれ。多分賢者の石の関係者だから全力で回避する。

 それから、お前らにはちと説教をしてやらんとな。

 「よし、とりあえず殴らせろ」

 「ええっ!?なんでですか!」

 なんでじゃねえ。常識的に物を考えろ。

 普通ならもっと郊外に出てから攻撃するもんだ。ここは荒野や砂漠じゃねえんだぞ。
 こんなとこで撃ちやがって、見ろ。予想よりマシとはいえ銀行の入り口が半壊……どころか全壊してるだろうが。
 こりゃガラスの入れ替えじゃ済まないな。扉から交換だ。足元にも穴がぽつぽつ開いてるし。
 ガラス片付けて、扉を入れなおして、店内に飛び込んだ弾丸片付けて、弾痕を補修して。掃除と修理で丸一日消える。

 「直接的な被害額だけで10万センズはいくと見たね。せいぜい雁首揃えて中隊長に怒られろ」

 今回は俺のせいじゃないもんね。
 しかもさっき一切遠慮せず俺ごと撃ったから、弁護もしてやんない。

 「だ、だって、店の予約が7時だから、間に合わせるには今しかないって、軍曹が……」

 ……飲み会のために民間に被害をだすなよ。

 だいたい、なんでセントリーなの?
 出張ってるのは中隊じゃなくて小隊規模っぽいけど、指揮は誰よ。

 「先月配属された若ぇ少尉でさァ。偉ぶってやがる癖に小せェことに拘る野郎でして」

 「いっつもプリプリ怒ってて、しょっちゅう怒鳴られるんです」

 「それは多分お前らが怒られるようなことやるからだ」
 
 が、今聞いた話だけでも、ウチの中隊と物凄く相性が悪そうな感じはする。

 少尉ってことは少なくとも前の所属に一年はいたわけだ。
 なら、軍務に慣れてないせいで神経質で怒りっぽいんじゃなくて、元々そういう性格なんだろう。
 昇進が早いなら上の受けはよさそうだけど、癇性でエリート意識が強い奴は第二中隊じゃ絶対浮く。
 ウチの連中は皆我が強いから、頭を押さえつけられると反発するし。

 うわ、考えれば考えるほど仲悪そう。

 「でも、あのタイミングでの攻撃命令ってことは、その人俺の体質知ってるのか」

 「知らないと思いますよ?」

 だめじゃん普通に。
 
 俺でなきゃ間違いなく死んでるぞ。
 バカ二人の攻撃の方が派手だったのと弾丸に当たらなかったことで流されてるが、俺は犯人に撃たれてる。
 せいぜい一発か二発。それでもあの至近距離なら、当たれば致命傷にもなっただろう。

 当たらないという確信があってやったのであれば単なるバカだが、知らずにこの場で攻撃させたならそりゃ少尉の責任だ。
 結果的に犯人以外の死傷者は出てないが、銀行の入口を吹っ飛ばしたりしてるし、明らかに判断ミス。
 なんでセントリーがついててこうなっちゃったの?

 「あいつは何考えてるんだ」

 若い上司の経験不足をフォローするのがあいつの仕事だろ。
 いくら扱いにくい上司でもセントリーなら適当に言いくるめて上手く操縦しそうな気がするんだが。
 元々俺の代わりに指揮をとることも多かったし、こんなとこでしくじるほど可愛げがあるとは思えん。

 「あ、軍曹なら」

 ん。何か心当たりがあるのかねクーガー君。

 「これを機会に少尉には異動してもらうって言ってましたよ?誘導する前に自爆してくれたとかなんとか」

 よく分かっていないクーガーに話を聞いて、ほっぺたのあたりが引きつった。

 「け、計画的犯行かよ……」

 もはやなにも言うまい。

 少尉とやらが進んで墓穴掘ったにしても、今回一番ワリを食ったのは銀行だ。
 何にもできないけど、ささやかながらセントリーには給料預金させますね。 

 あと、中隊長にはこっそりチクッとこう。
 あいつは少しお灸を据えられたほうがいい。

 「ま、セントリーには後でゲンコツとお礼だな」

 「ゲンコツは分かりますけど、なんでお礼なんですか?」

 救助のお礼ですか?と不思議そうな顔をしたクーガーに、肩をすくめて答える。
 さすがに縄がないと動きやすい。

 「あそこで我に返らなかったら、当分気づかなかったと思うからさ」

 自覚って大事だよな、と付け加えて、血溜まりに伏せた劣化君の死体に目をやった。

 イシュバール帰還兵の犯罪や自殺の話は士官学校の中にいてさえ耳に届く。
 話の中に知った名前が出てきたことも一度や二度じゃない。
 あの戦場で戦った多くの兵士は、加害者であると同時に被害者でもあった。

 それでも普通に生きている奴もいれば、こうして踏み外す奴もいる。

 劣化君の場合は運の悪さもあったと思うけど、明日は我が身と思って気をつけよう。
 自分じゃ気づいてなかったけど俺も結構キてたみたいだし。
 
 「そういや、お前らの登場もちょっとありがたかったな」

 あの瞬間はひっぱたいてやりたくなったけど、今思うと気持ちが切り替えられてよかったかもしれない。

 「よく分からないですけど、どういたしまして!」

 うむ。お礼に今夜は一杯奢ってやろう。
 ただし1000センズ以下でな。今日は出費が激しくて、財布に隙間風が……。


 「ああっ!」


 しまった、まだ金を下ろしてない!!
    


 ◇◇◇



 懐かしい中隊メンバーに連れられて、やってきましたブラックウィドウ推薦の店。
 結局財布の中身を補充できなかったんで、今日は部下に奢らせて誰かの部屋に転がり込みます。
 クーガーには次に会った時にでも菓子を買い与えてやることにしました。
 酒より食い物がいいそうです。お前は飲むな。ホットケーキでも齧ってろ。

 そして予定通りにはじまったどんちゃん騒ぎ。
 いくら貸し切りだからってこんなに騒いでいいんだろうかという一抹の不安を抱えつつ、本日五杯目を干しております。


 てゆーか、事件解決が夕方だったのに、どうしてほぼ全員が揃っているんだろう……。


 「え、じゃあお前らって今はマスタング中佐の部下なのか」

 宴もたけなわ。
 何人かは翌日のことを考えて帰ったけど、まだ14,5人くらいは飲んだくれている。
 段々とぐだぐだになっていく背後を尻目にカウンターの隅でセントリーと近況を語り合ってたら、意外な事実を知った。

 「厳密には違いますが、人手が足りませんので」

 頷いたセントリーの頭の上をフォークが飛んでいく。
 あれが食い物だったら投げた奴を今すぐ叩きのめしに行くところだ。

 「第二中隊が東部にいるのは一時的な措置ですから。当時の治安の悪さはご存じでしょう」 

 本日昼間、身を持って体験いたしましたとも。

 でもそろそろ異動の話が出てもおかしくないと思うぞ。
 昼間のあれはともかく、テロ関係は大分減ったんだろ?
 俺の入学後からだともう二年近いはずだし、腰掛けにしちゃ長すぎだ。

 「そうですね。中佐が赴任されましたし」 

 そうそう、マスタング中佐。
 国家錬金術師って言うと反感買ったり敵意を持たれたりってイメージがあるけど、焔の錬金術師のネームバリューは結構使えるはずだ。
 少なくとも小物の抑えくらいにはなるだろう。

 「そーすっと中隊はどうなるのかねぇ」

 なんか聞いてない?

 「中隊長のみ異動して中隊が東方司令部に吸収という可能性もありましたが」

 が?

 「先日、中隊長御自身の口から連れて行くと言われましたので、丸ごと異動になります」

 なんだ、もう出ることが決まってたのか。

 「そういえば、お前らが中隊長と一緒に異動したら中佐はどうするんだろう」

 そもそも中佐はまだ自前の部下を確保してないんだろうか。

 原作登場人物のうちホークアイ少尉はいるとして、あとの面々ってーと、俺とブレダと老け顔と童顔だったっけ。あと犬。
 名前が思い出せない上に俺とブレダはまだ学生だぞ。大丈夫かロイ・マスタング。

 「先日若いのを一人見つけたと仰っていました。なんでも通信や機械に強いとか」

 あ、多分それ原作に出てくる眼鏡だ。

 副官と耳が先に決まってるなら、あとは考える奴と動ける奴だよな。
 士官学校出たばっかりのところをかっさらってくるつもりかねえ。あの人紐付きの人材とか嫌いそうだし。

 「中隊長がハーミス大尉の伝手を辿って何人か紹介するとのことでしたが」

 ハーミス大尉って今中央だっけ。
 まあコネがあるなら使えそうな奴の一人や二人見つかるだろう。

 「たいちょーお!むつかしいおはらしれすか?」

 うわ。

 「おーいどこの間抜けだークーガーに酒飲ませたのー」

 もったいないから味の分からない奴に飲ませんな!
 あと、責任持って飲ませた奴が面倒見るように。こいつガタイがでかいから潰れると大変なんだよ。

 「ブラックウィドウはどこいったんだ。」

 「向こうの隅で新入りから巻き上げてます」

 そう言いながらセントリーの示した先では、補充と思しき見慣れない奴がトランプを前に燃え尽きていた。

 「……ほどほどにな」

 知らないって不幸だ。
 せめて今月の飯代くらいは残してやれよ。

 「たいちょー、らいしょばらしはいけらいとおもうのれす」

 「お前は何を言ってるんだ」

 人間の言葉を喋れ。

 「なんの、おはらし、れす、か!」

 うぜぇぇええええ!!
 酒を零すな!後ろの奴らは踊るな!
 ああもう目を放した隙に宴会がサバドに移行しちゃって。

 「たーいーちょーおー」

 あーはいはい分かった分かった。
 話してやるから皿を齧るな。 

 「中隊長が異動になったらどうするかって話だよ」

 「なあんだ」 

 「なんだとはなんだ」

 せっかく答えてやったのに。

 「らって」

 酔っ払いらしく脱力して斜めに座っていたクーガーが、のろのろと姿勢を正した。
 心なしか胸を張って、呂律の回らない舌で宣言する。

 「はぼっくぶんたいは、ろこにいってもたいちょーのかえりをおまちしているのれすよ?」

 む。

 「クーガーよ。ふか、ぶっ」

 口を開いた瞬間後頭部に何かが当たった。
 ぶつかった物体が柔らかかったので痛みは無いが、衝撃でそのまま顔が斜め下を向く。
 「たいちょー、らいじょぶれすか!?」

 「ああ、これは酷い。すいませんマスター、タオルを……」 

 あわあわと両手を彷徨わせるクーガーと、冷静にタオルを要求するセントリー。
 その様子を横目で伺いながら、俺はそのままの体勢で固まった。


 ―――不覚にも感動した、と言おうと思ったんだよ。
 
 酔っ払いの戯言だけど、クーガーが結構いいこと言ってくれたからね。

 そしたら後ろから飛んできた何かが頭にぶつかった。ぐしゃっと。
 多分、間違いなく、後ろで騒いでる連中の誰かが投げたんだろうね。
 食べ物を。

 「アップルパイか。酒場には珍しいメニューだな」

 頭に張り付いていたそれを引っぺがしたら、中にリンゴが入った掌サイズのパイだった。
 飛んできてぶつかった衝撃でかなり崩れてはいるが、充分食える代物だ。

 「こんなに美味いのに、勿体ねえことしやがって」

 形が崩れたそれを一口齧って、クーガーの抱えていた皿に載せる。
 お前は向こうの隅でこれを食ってなさい。
 セントリー……は言わなくても既に離れているか。ああ、タオルありがとう。

 「さて」

 あのな、食い物を投げるというのはいかんと思うのだよ。
 好き嫌いはあるだろうけれども、粗末にするというその姿勢がよくない。
 イシュバールであんだけ食い物の大切さを知ったというのに、どうしてそういうことをするのかね。

 万死に値するぞ。


 「テメェら全員氷漬けにされてぇか!!」


 俺も酔ってたんだろう。そっからあとは記憶がない。

 誰に乗せられたのかわからんが、気がついたら翌朝列車の中で荷物抱えてました。
 しかも土産物まで持たされちゃってどうしよう。
 いらん気遣いが心に痛いわ。お前らは田舎のおばあちゃんか。

 あああ誰も殺してなきゃいいけど………。


 酒は飲んでも飲まれるな。
 この教訓を生かして、お酒は慎もうと思います。

 三日くらい。



ROプレイヤー鋼錬を往く その23
 



 皆様ごきげんよう。

 三年生になってもあいかわらず軍医ドノにいいように使われているジャン・ハボックです。
 今日も新入生が大怪我をしたとかで突然呼び出され、練兵場から医務室まで全力疾走させられました。
 間に合わなくて死んだとか言われたら寝ざめが悪くてかなわんので、毎回メロスのごとく懸命に走ります。
 オッサンの思う壺だと分かっていても、命は大事ですから。
 でも悔しい。凄く悔しい。

 そういえば最近、兵舎や練兵場はともかく、校舎内でこれだけ遠慮会釈もなしに走っているのに咎められなくなりました。
 去年の初めごろまでは事情をご存じない教官に毎回ダッシュ中に呼び止められ、それを振り切ろうとして壮絶な追いかけっこを繰り広げたりもしましたが、今では「またか」という顔でスルーされるだけ。

 たまに声をかけてくれる方々といえば……

 「怪我人は新入生だ!相当出血してたぞ!」 
 
 状況を教えてくれる実技の教管とか。

 「帰りに寄って怪我の様子を説明していけ!」

 さりげなく命令する学科の教官とか。

 「よっ!お疲れっ」

 「急げ急げー」

 「がんばってくださーい!」

 無責任だったり面白がってたりする先輩とか同級生とか下級生とか。

 そりゃ見てる人はどうせ他人事だし気楽でいいでしょうが、走ってる本人としちゃその不真面目さにモノ申したくなりますよ
 幸いにして士官学校ではまだ一度もないものの、イシュバールじゃ何度も手遅れの無力感を味わってますからね。こっちも必死なんです。

 「ハボックも大変だな……」

 かつての同僚の横を駆け抜けた時、そんな言葉を聞いてイラッとしました。

 同情なんて。同情なんて……!



 ◇◇◇



 「同情するなら成績上げろってんだ。ケッ!」

 どこかで聞いたような言葉を吐き捨てて、八つ当たり気味に紅茶を呷る。

 かなり大きな声を出したにもかかわらず怪我人は未だ意識が戻らない。
 今のところ容態は安定しているが、なかなか景気よく出血してたからな。

 「お前そんなに頭悪かったか?」

 「悪かねぇよ!」

 学力の面だけなら平均よりは良い方だと思う。微積以外は。
 安定して中の上から上の下あたりを維持していて、僅かとはいえ成績は上昇傾向。
 必死になって勉強してこのレベルだから今より上は望めないかもしれないが、優秀な人材が集まる士官学校でこの成績なら一般人的には上出来だろう。
 数学系はやっぱり苦手なものの、他の科目でなんとかカバーできる範囲に留まっているし。微積以外は。

 ミーリやブレダには遠く及ばず、マッコールよりは遥かにマシ。
 平たく言えば平々凡々な成績ってことだ。 

 「にもかかわらず、なんでか評判は悪いんだよな……」

 実技の成績に落差があるのは体質上の問題で改善の余地が無いから、それを知らない人に嫌われるのは我慢する。
 こればっかりは説明しようがないし、するわけにもいかないからな。甘んじて受け止めるさ。

 が、真面目に勉強してる学科で評価が良くないのは納得がいかん。

 「俺はちゃんとやってるのに!」

 提出物はきっちり出してるし、居眠りだってしないように気をつけてる。
 予習復習もミーリの手を借りながら頑張ってるんだぞ。

 「呼び出しのたびに医務室に来て授業をサボるからじゃねえか」

 なにを人事みたいに。
 そもそも俺はアンタが呼ぶからここに来てるんであって、一度だって自分の都合でサボったことはない。
 こうしてのんびりお茶飲んでるのは授業が全部終わってるからだ。でなきゃとっくに戻ってる。

 「せめてフォローくらいしろ、ただ働きさせてるくせに。なんなら今度から報酬を要求するぞ?」

 「今、場所貸してやってるだろ」

 「……あんたな」

 俺が駆け付けた時、新入生の右腹部には、腹から背中まで貫通した木の枝が刺さりっぱなしになっていた。
 その枝の背中部分を二人がかりで切断し、腹側からオッサンが引っこ抜いた瞬間ヒールを連発。
 傷が塞がり切らないところでヒールを止めて、今度はオッサンが施す外科的な手当の手伝い。
 治療時間はヒール30秒に手当15分ってとこだが、普通に考えたら間違いなく手術が必要な怪我だ。
 本気で命に関わるような状態だったのをオッサンもちゃんと見てたじゃないか。

 さて、民間の病院なら手術代と入院費でどれくらいかかるだろうね?

 紅茶を淹れるための湯と場所の提供のみじゃ、絶対吊り合わないってことは断言できるよ。

 「大体オッサンの飲んでるそれ、俺が持ち込んだ紅茶なんだぜ。返してもらおうかな」

 「へーへー、悪うござんした……お、美味いな」

 誤魔化すようにズズーと音を立てて啜ってから褒められても、話の流れからしてお世辞なのか本気なのかいまいち判断できない。
 今使った茶葉はハボック家から持ってきた奴だから、普通に一般家庭で消費されてる物と同じだし。
 ……味が分からんから何飲んでも美味いなんてオチじゃあるまいな。

 「そいつぁどうも、ありがとう?」 

 「なぜそこで疑問形にする」

 オッサンの舌に対する信頼性の問題で。

 「ま、確かに紅茶はよくわからんが、この間淹れてもらったコーヒーは飲める味だったぞ」

 あーオッサンってコーヒー党だっけか。
 俺もコーヒーは嫌いじゃないけど、紅茶と二択なら迷わず紅茶を選ぶな。

 「紅茶好きってのは軍人じゃ珍しいな」

 まあ国軍の糧食は基本的にコーヒーだからね。

 初めて東方司令部に寄った時も、紅茶は私物しかなかったっけ。
 ブラックウィドウがどこからともなく持ってきた袋には名前が書いてあったようだし。
 翌年からはセントリーが用意してくれてたんで見たのはあれ一度きりだが、結局あの茶葉は誰のものだったんだろう。
 飲んどいてなんだけど、なにげに良い紅茶だったぞ。パクッて大丈夫なのか。

 「なんで紅茶なんだ?」

 不思議そうなオッサンに端的に答える。
 
 「イシュバールの泥コーヒー」

 「ありゃコーヒーじゃねぇ!インクだ!!」 

 どうやら一言で理解してくれたようだ。皆まで言うなとばかりに大声を出された。
 オッサンも例に漏れずあそこで黒い液体の洗礼を受けたんだな。コーヒーが好きなら、あのブツはなおさら頭にきたに違いない。
 砂漠の夜の冷え込みにはそれなりの効果があったにしても、あれをコーヒーと言ってしまうのはコーヒーへの冒涜だ。

 「思えばあれで食い物に対する姿勢が改まったんだよ」

 というか、戦地のクソ不味い糧食の全てが食への飽くなき欲求を駆り立ててくれた。
 もうなんていうか食べ物を大事にしない奴は死ねばいいと思うんだ。

 「イシュバール帰りだと極端に走るよな」

 食物への執着心が異常に高まったり、もはや味音痴の域を超えて何を食べても美味いと感じるようになったり。
 後者はわりと幸せかもしれんが、食べることへの意欲を失ってエネルギー補給活動としか思えなくなる可哀想な奴もいるらしい。
 俺はこだわるタイプだったので、帰省するたびに台所でハボ母の周囲をチョロチョロしてたら、とうとう飯時の台所が出入り禁止になった。

 「あの時に比べたらここの食生活は天国だろ」
 
 「……食えればね」

 オッサンは教職員だからいいよな。新入生はかなりの頻度で飯抜きになってるぞ。
 まあ上級生も馬鹿じゃないんで度を超すような真似はしない。倒れられでもしたら問題になるしな。
 だがそれでもいたいていの新入生は飢えた獣だ。

 「とにかく卒業後の配属先はまともな飯が食えるところだといいなー」

 その意味じゃ東部はわりと優良物件なんだが、あそこは別の問題があるから。

 「とか言って、東方司令部の勧誘蹴ったんだろ」

 うえ!?
 
 「うっそ、なんで知ってんの。どっから聞いたその話!」

 真剣にニュースソースが気になる。

 確かに長期休暇が終わる直前、東方司令部に寄った時にちらっとそんな感じの話はあった。
 でもそれってすげー非公式な話だったんだぞ。どうしてこんなとこまで話が漏れてるんだ。
 あの時は室内の人間が出払ってて俺とマスタング中佐と事務の女の子くらいしかいなかったし、雑談中に話の流れでたまたま出ただけの話題なのに。
 もしかして新しく中佐の部下になった奴が外部に情報を流してるんじゃ……。

 「ロイ・マスタング中佐殿から聞いたんだ」

 どーしてそういうこと人に言っちゃうかなぁあの人は!!

 「なんで断ったんだ?いい話だったろうに」

 「あー……」

 まさか原作の危険がどうとかいう話をするわけにもいかない。
 さて、あの時中佐にはなんて説明したんだっけな。

 えーとえーと。

 「―――原隊復帰希望なんだよ。中隊長にも話が通ってるし」

 多分こんな感じのことを言ったはずだ。

 実際に士官学校入学前からそういうことになってたから嘘じゃないし、中隊長ならうまいこと手を回してくれるだろう。
 ハーミス大尉が中央にいるらしいから、結局貰えなかった煙草の代わりに借りを返してもらうって手もある。

 「無事に卒業できたら、歩兵として中隊に引っ張ってもらう予定だ」

 同期にゃまだ希望兵種を決めかねてる奴も多いが、俺は歩兵一択。
 工兵ってのも一瞬考えはしたけど、例の特殊技能のことがあるから選ぶ余地がなかった。
 ちなみに砲兵が無理なのは言うまでもない。

 「ああ、フルチンの第二中隊か……中隊長は確かアードヴァーグだったな」

 え、なにその枕詞。定着してんの?

 何年も前の惨事がまだ尾を引いてるなんてどんだけのインパクトだったんだ。
 突っ込みたくてたまらないが、発端が俺なだけに突っ込んだらヤブヘビになりそうで何も言えない。

 「だ、第二中隊には愛着があるし、小隊の連中も心配でさー」

 放っておくと何しでかすか分からんからな。
 セントリーはともかくクーガーとブラックウィドウはちょっと監督が要る。前者は保護、後者は監視的な意味で。
 今だって手紙を読むたびに頭を痛めてるってのに、学校出てまでこんな思いしたくない。
 それに目を離してるとうっかり魔法をばらされそうで怖いんだよ。

 「東部からは動くって話だが、まあどこにいくにしても中隊長の下だね」

 個人的には西が無難かなーと思ったりするんだ。西方司令部のあるウエストシティならいいもん食えるに違いない。
 東は元からバツ、北は自然が厳しすぎて行きたくない、南はどうも最近アエルゴの動きが活発化してるってもっぱらの噂。
 どこを選んでも微妙だが、西はまだマシな部類だろう。
 国境付近でクレタとの戦闘が頻発してるとはいえ、規模は南部よりずっと小さい。 

 「なるほどな。ロイ・マスタングの下なら出世は早いだろうが、古巣の方が魅力的か」

 「……うん、まあね。」

 納得したように呟かれた一言で、嫌なことを思い出した。
 多分オッサンは詳細まで聞いていないだろう、勧誘の時のあのやりとり。

 マスタング中佐のさりげないお誘い「卒業後の予定は決まっているのか?」に対し、鈍感を装って首尾よくフラグを粉砕したところまでは順調だった。
 しかしそこで気を抜いたせいか、会話の最後に余計な事を言って自分の首を絞めてしまったのだ。


   『中隊のことは別としても、東部にはあんまり良い思い出がないですしね』

   『そうだな……君は前線にいたわけだしな……』

   『や、そう深刻にならずに。俺のことはいいですから中佐はバンバン出世してくださいよ』

   『……ふむ。まあ私もそのつもりではいるがね』

   『その意気です。頑張って早く大総統になってくださいね』

   『は?』


 ―――あの一言は地雷だった。

 ヒトラーが幅を利かせてるナチス・ドイツで、あんたが次の総統になってくれと言ったようなもんだからな。
 俺にそんな意図がなかったとしても、大総統の死を望んでいるととられても仕方が無い発言だ。
 そういうことをポロリと口にしちゃったわけだから、普通の人で良くてドン引き。ましてや軍人がそんなこと言おうものなら……いやはや、考えたくもない。

 しかしロイ・マスタング中佐は何も言わなかった。

 かといって、気を利かせて聞かなかったふりをしてくれたわけでもない。
 困惑と興味の入り混じった妙な顔で暫く俺を見ていたかと思うと、急になにやら考えこみはじめたのだ。

 ……うーむ。本当に大丈夫だろうか。
 だんだん不安になってきたな。フラグの折り方が甘かったかもしれん。
 その後何度も第二中隊に戻りたいんだと力説しておいたから、多分中佐の下につくことはないと思うんだが。

 「しかしなぁ、ハボックよ。もしかすると後悔するかもしれねぇぞ」

 「んあ?」

 思い出し笑いならぬ思い出し心配に気を取られていたので、とっさに間抜けな返事を返してしまった。
 聞いていなかったと思ったのか、オッサンが再度同じ事を言う。

 「後悔するんじゃねぇか」

 「勧誘を断ったこと?でも俺って出世欲とかあんまりないし……」

 「いや、出世じゃなくてな」

 否定の後で、僅かな躊躇。
 なんだね、言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。
 そうやって中途半端なところで止められると気になってしょうがない。

 「ここだけの話として聞いておけ」

 若干声を潜めたオッサンに、もしかしてヤバい話なのかと眉を顰めた。
 どうも聞いちゃマズいことのようだが、それでも話そうとするってことは俺が関係する事なんだろう。
 表情からして悪いことだな。そうに決まってる。

 ならよけいに聞いておかないと。ここは一つ覚悟を決め……

 「近々、最上級生が繰り上げ卒業になりそうでな」

 心の準備をするまで待てよ!

 と、普段なら空気を読まないオッサンに裏拳突っ込みを入れるところだが、今は内容の方が気になってそれどころじゃない。
 なんだって?繰り上げ卒業?

 マジですか。

 「なんでまた」

 繰り上げ卒業なんて耳慣れない言葉かもしれないが、実は日本にも例がある。

 学生時代まともに授業を聞いていた人なら、学徒動員もしくは学徒出陣という言葉をご存じだろう。
 太平洋戦争の初期の頃は大学、高校、専門学校の学生は、在学中なら26歳まで徴兵を猶予されていた。
 ところが兵力が不足するにつれ、どんどんこれが短くなっていく。
 最初は三ヶ月。次は六ヶ月。そしてとうとう理工系以外の延期の撤廃。最後には徴兵の年齢まで引き下げられてしまった。

 この時、徴兵された学生に対して適用されたのが繰り上げ卒業。 
 
 ……でもこれはあくまでも兵力が足りない時の措置だったはずだ。
 もうイシュバールは片が付いただろ。今更慌てて士官を増やす必要なんてないじゃないか。
 先輩方が卒業するまで、あと半年も待てば済むことなのに。

 「アエルゴが最近やたらとちょっかいかけてきてるのは知ってるだろ」

 「そりゃまあ」

 授業中に聞いたからな。
 クレタとも小競り合いはあるが、アエルゴとの戦闘は年々激しさを増しているとか。
 特に最近はあちらさんが積極的なもんだから、東部の次に注力すべきは南部だって話だろ。

 「東部は三年がかりでようやく落ち着いてきたが、殲滅戦のせいでどこもかしこも士官が不足してる」

 「そんなもん百も承知だよ」

 内乱終盤はどの隊でも人手不足で、特に小隊指揮官クラスの人材は貴重だった。
 とにかく死にやすいポジションなうえに、小隊長はたいてい不慣れな新米士官だからな。
 俺がアホみたいなスピードで昇進してったのも、着任した若い士官が1日と持たなかったせいだし。

 「……てことは、先輩方は南部に送られるわけか」

 言いたいことを察して先に口に出すと、オッサンは苦い顔で頷いた。

 「前線が圧されてるそうでな。卒業を待てない状況なんだと」

 うわー。
 実戦実習の一環ってわけじゃないんだろ?本気で退路がない状態じゃん。

 南部の状況は知らんが、この流れだと殲滅戦の末期と同じことになりそうだ。
 実戦経験の有無に関わらず、戦況が悪化して人がいなくなれば否が応にも前に出される。
 士官学校に在籍してればまだ配属先に手心を加えてもらえたかもしれないが、一応とはいえ卒業してしまったら待ったなしだ。
 学校出たての小隊長なんて前線に出たら物凄く簡単に死んじまうぞ。
 そういうの散々見てきたから容易に想像がつく。

 やだやだ。今日は何だかイシュバールを思わせるようなことばっかだね。

 「俺の卒業までにはなんとかしてくんないかなぁ」

 「無理だろ」

 「なんでよ」

 まあ確かに一年くらいじゃさして変わらないだろう。
 でも、そうもあっさり否定されるとちょっとムッとするな。
 間髪入れずに無理とか言わないでもらいたいね。

 非難の意を込めてジロリと睨んだら、返ってきたのは爆弾発言だった。


 「お前らも一年卒業繰り上げだから」

 「ええぇぇぇええ」


 なんだそれサラリと言いやがって一年とかふざけんなよ。

 「ありえない!ありえない!戦時中でもないのに!!」

 叫ぶ俺をオッサンが可哀想な目で見ているが、我慢できなかった。

 俺の母方の祖父さんは学徒出陣で海軍に行った人だ。
 最上級生の時に仮卒業証書を貰って入営し、そのまま正式に卒業させられてしまった。
 せめてあと一年早ければ復学できたのに、と言っていたから、多分最上級生でさえなければ休学扱いだったんだろう。

 ところが、我がアメストリス国軍士官学校は違うのだ。

 一般の大学でなくて士官学校だというせいもあるのだろうが、普通に修業年限が引き下げられる。
 つまり俺ら1909年クラスの学生が、最後の一年を残して三年生の途中で仮卒業になっても、復学はできないのである。
 これは実際に殲滅戦の時うちの中隊に来た元学生に聞いたから間違いない。
 三年生で仮卒業したという彼は一ヶ月後の内乱終結を待たずに戦死してしまったが、生きていたならそのままウチの中隊にいただろう。

 一年早く卒業したらそれっきり。
 来年勉強するはずだったことがすっぽり抜けたままになる。
 もちろん繰り上げが決定した時点で必要最低限のことは詰め込むんだろうが、確実に足りない部分はある。
 だからよほどのことがない限り……それこそ東部の内乱レベルの事態でもなければ三年生まで繰り上げ卒業になることはない。

 と、いうのが一般的な見解だ。

 「南部ってそんなにヤバいのかよ」

 その常識ともいうべき考えを打ち破るからにはよほど大変なことになっているに違いない。
 想像もしたくないが、ついつい聞いてしまう。

 「だから後悔するっつったんだよ。今から前言撤回したほうがいいんじゃねえか」

 電話貸そうか?と言われて思わず悩んでしまった。

 東部にいるのとどっちが危険なんだろうなぁ。
 俺の場合は戦場の方が安全な気もするんだよね。周りに人がいればフォローしてもらえるから。
 それに中隊と離れると魔法の隠蔽の面が不安だし。

 うあーどうしよう。

 また治療のために駆けずり回って、間に合わなかったと嘆くのか。
 でも行かなければ後々もっと悔いることになるだろう。

 「まぁ、まだ全員南部に行くって決まったわけじゃないしさ……」

 言葉を濁しつつ飲んだ紅茶は、すっかり冷たくなっていた。



 ◇◇◇




 医務室でのティータイムから一週間後、一葉の葉書が届いた。

 受け取ったのは兵舎の入り口だ。
 いつものようにその場でざっと文面を確かめ、四行目で読むのを止めた。

 今の一文を見なかったことにしたい。

 ……でも、そういうわけにもいかないしな……。

 何度か力なく首を横に振り、再度気合を入れて読み直す。
 なんで葉書一葉にここまで打ちのめされなきゃならんのか。


   『隊長、お元気ですか?俺は元気です。
    今日はお知らせがあってお手紙を書きました。
    驚かないでくださいね。

    突然ですが、中隊が南部に行くことになりました!

    軍曹に行き先をはっきり書かないように言われたので、今日はこれだけです。
    お返事をくださる時は、南方司令部付け?で出すといいそうです。
    詳しいことは学校で聞けば教えてくれるだろうって、中隊長がおっしゃっていました。
    俺の家も南部なので、南部にいらしたらご案内しますね!
    それじゃ、また手紙を書きます。』


 始めの方の字がでか過ぎて、最後の二行は文字のサイズが文頭の半分くらいになっている手紙だ。
 書いた人間の筆圧が強かったのか、ところどころ酷くインクが滲んでいる。
 いっそのこと素直に鉛筆で書け。というかその前に。

 「クーガー……名前を書けよ……」

 字と文で誰が書いたかは分かるよ。付き合いも長いからね。
 でもそこは手紙として大事なところだろ。
 セントリーも文章直すくらいならちゃんと教えてやればいいのに。

 「南部に転属ねぇ」

 消印が一週間前。
 投函は東部でも、今頃は皆とっくに南部にいるだろう。
 それが南方司令部か前線か、はたまた全然関係ない場所かまでは分からないが。

 「うん、まあ薄々予感はしてたんだ」

 口では否定しながらも、きっとそうなるだろうなーって。

 繰り上げ卒業が南部の戦況悪化のせいなら、元々異動予定だった第二中隊が行かないわけがないもん。
 でもね、こうもはっきりと目の前につきつけられると流石に目の前が暗くなるっていうか白くなるっていうか。

 「こいつらが行くなら、俺が行かないわけにはいかんだろ」

 あ、なんだろう駄洒落っぽい。大真面目なのに。
 皆俺が行くまで死ぬなよー。
 それにしても南部って飯はどうなんだろう。
 前線に送られるならせめて東部よりはマシなもんが食いたいね。

 ……繰り上げ卒業する学生のうち何人が南部に行くかは分からないが、とりあえず俺が行くことは確定しました。
 まだ見ぬ南部がどんなところか。気候と地形と敵のことと、特産品でも調べておこうと思います。

 ははは。ははははははは。



ROプレイヤー鋼錬を往く その24
 


 こんにちは。ジャン・ハボック士官学校生改めジャン・ハボック准尉です。

 そう、『准尉』です。

 なんとか卒業できました。自分でも信じられないことに!
 朝からずっと夢オチを警戒してたけど、式が終わっても目が覚めないってことはマジで卒業したらしい。
 俺偉い。俺凄い。誰か褒めてくれ。
 感動しながら周りを見渡せば、式典中はピシリとしていた同級生達もやっと安心したのか、既にグダグダした空気が戻りつつあった。
 うむ、それでこそお前らだ。

 俺はといえば、やはり式の最中はそれなりに緊張していたものの、制帽投げる時に俺一人だけ帽子が明後日の方向に飛んでったところで気持ち も一緒に投げやりになったのですっかりいつものテンションだ。
 いや、むしろそれより低いかもしれない。
 帽子が投擲武器とみなされたのか、それとも俺が素でダメダメなのか。
 どっちにしても悪目立ちで、これが中隊長や部下達に知られたらと思うと……。
 うう。先のことを考えて暗くなるのは止めよう。せめて今だけでもこの喜びを堪能しなくては。

 軽く頭を振って嫌な気持ちを追い払い、万感の想いを込めてこの数か月を振り返る。

 大変だったんだよ、本当に。ギリギリまで卒業できるかどうか確信が持てなかったからな。
 一教科でも落とすとアウトだってのに、結局最後まで微積が足を引っ張ってくれちゃって。
 しかし崖っぷちをふらふらしながらもなんとか落ちずにゴールインできたし、これで隊の連中に顔向けできるぜ。

 ま、なんだかんだ言ってもさすがにディムナほどヤバくはなかったけどね。
 アイツなんて最終的には胡散臭いジンクスにまで頼って、真冬の深夜に一人で練兵場一周してきたからな。
 雪の中、全裸で。
 今思い出してもあれは見事な走りだった。
 ディムナはすごいなあ。ぼくにはとても真似できない。

 ともあれ奴も暴挙の甲斐あってかなんとか卒業に漕ぎ着け、今日は誰より高く帽子を空に投げた。
 正直なところ、自分のことより奴が卒業資格を得たことの方が驚きだ。
 崖っぷちどころか崖の途中で引っかかってるくらいの成績だった癖に。

 「それでも卒業したんだよなぁ」

 『してしまった』というか。

 呟きながら肩章の輪郭を指で辿る。ハボックママが目を潤ませつつつけてくれた准尉の階級章だ。
 下士官よりも線が一本増えたこの肩章に、ここ三年あまりの苦労が集約されている。
 そう思うとなんとなく感慨深いものがあるな。 

 たかが准尉。
 一般人の方々は「あんだけ苦労してたのに元の階級に戻っただけ?」とお思いだろう。
 だが、同じ准尉でも士官教育を受けているのといないのとじゃ将来性の点でまるで違う。
 前者にとって准尉は出発点だが、後者においてはほぼ到達点だ。数年もすればその差は如実に現れる。

 俺としてはその前にとっとと退役したいんだが、士官学校に入ってしまった時点で最低でもあと数年は軍で働く義務ができてしまった。
 わざと受傷して退役するような根性もないし、バレたら軍法会議だ。もちろん脱走兵になるのも御免蒙る。
 真面目で堅実な勤務態度でもって、退役までに中尉になれれば恩の字ってとこかな。

 「おーいハボック!ブレダとは写真撮ったんだろ?俺らとも撮ろうぜ!!」

 「もう制帽投げちまったんだけどー?」

 まだ回収されてはいないけど、自分の奴は遥か彼方に飛んでっちゃったよ。

 「適当にその辺の拾って持って来りゃいいだろ!早く!」 

 「へーいへいへい」

 大声で呼ぶディムナにいい加減な返事を返して、のんびり歩きだす。
 歩む先にいるのは在学中にすっかりお馴染みとなった面々だ。

 ミーリは頭脳を買われ中央へ。
 ブレダは原作のとおり東部へ。
 なんの因果かディムナも東だ。

 そして俺は、予想通り南部に。  

 「大丈夫かなあ……」

 入学当初繊細だったミーリはこの三年で図太くなったから、多分どこでだってやっていけるだろう。
 だが東部組は激しく不安だ。特にディムナ・マックール。

 「あんまり役に立つとは思えんが、一応できることは教えておくか」

 あくまでも念のため、万が一を考えて。ミーリとディムナにも俺の特殊技能の話をしておこう。
 どうせブレダは知ってるし、あれで奴らは口が固いから言いふらすようなことはしないと思う。
 戦場以外じゃ大して役に立たない技能だが、怪我でもした時は治してやれるしな。

 でも東部への出張治療は受け付けません。

 「ハボックッ!!遅いぞぉ!」

 「今行くって!」 

 急かすディムナに応えて走り出す。
 苦しくも楽しかった学校生活も今日で最後。気のいい仲間たちともお別れだ。
 ここを出れば久々の戦場へ向かうことになる。  

 南部といえば、第二次南部国境戦か。

 実際どうなってのか知らないが、いいニュースが全く聞こえてこないんだよな。
 東部に行かなくても未来に暗雲が立ち込めてる気もするが、とりあえず地味に手堅く働いてきますかね。



 ◇◇◇



 そもそも繰り上げ卒業自体が南部の戦況悪化に起因するものなのだから、卒業生の大半が南部に配属されるのは当然だ。
 士官学校の学生達はもちろんその程度のこと予想していたし、実戦経験のあるなしに関わらず皆それなりの覚悟はしていた。
 最上級生は予定より半年早く。三年生はその三ヶ月後に。
 運よく南部行きを免れた若干名を除き、大多数が諦めとともに運命を受け入れて南へ向かった。

 そこで待ち受けていたのは、イシュバールとはまた違った地獄。
 『それなり』の覚悟など粉砕するような容赦のない現実だ。

 味方も敵も塹壕に篭っているせいで長期化していく戦闘。
 守るにも攻めるにも兵は容易く死に、激しい砲撃が兵士を恐慌状態に追いやる。
 無為に繰り返される突撃、時に味方にまで撃たれる前進壕、そして塹壕での過酷な生活。 
 戦闘によって傷を負う者はもとより、塹壕特有の病気に罹患する者、精神を病む者が絶えないという。


 「だからお前は今の境遇に感謝しないといけないよ」

 「クソくらえって感じですね!」


 もはや取り繕う気力もなく、俺は上官の戯言を一蹴した。

 着隊した途端、挨拶もそこそこに机を用意されペンを握らされて、ドンと目の前に置かれたのはゴチャゴチャした紙の束。
 その厚さたるやもはや白い巨塔です。
 そして問答無用で書類整理突入。
 サウスシティの南東部、アエルゴの侵攻即応部隊として駐在している第一大隊は第二中隊へ着隊して三時間。
 この間、俺は一切席を離れておりません。

 うん、ちょっとくらいキレてもいいと思うんだよね。

 これって本来は中隊本部の下士官か上等兵あたりがやるもんで、一応俺はちゃんとした士官なんですよ。
 別に感動の再会を望んでたわけじゃないけど、せめて仕事の前に『久しぶり』の一言くらいあってもいいんじゃないですかね。

 「つーかなんで着任直後からこんな大量の書類に埋もれにゃならんのでしょう」

 普通は中隊本部でやる事務処理ってこんなにありませんよね?
 昔野戦倉庫で書類仕事手伝った時と比べて、この量は明らかに異常だと思います。
 俺と中隊長の机じゃ飽き足らず椅子の上にまで置いてあるし、絶対一日や二日で溜まる量じゃないですよ。

 あーそーすか。毎日少しずつ貯蓄してきたんすか。嫌がらせかよ。

 「それはお前の部下の仕事が遅いから」

 「この書類が来た時点では俺の部下じゃありませんでした!」

 しかも部下じゃなかった奴のだって混じってるだろ。
 着隊直後の戦闘もあるかと覚悟を決めてきた人間になんなんだこの仕打ちは。 
 ペンと書類を押しつけながら「それじゃよろしく」と爽やかにのたまったその笑顔。

 俺は一生忘れませんからね。中隊長。

 「あーもー読んでも読んでも終わらないし……」

 最初に手をつけたのは混沌とした文書の仕分け作業だった。

 個人情報満載の重要書類や誰かの書き損じ。
 どっから持ってきたのか戦闘詳報の写しらしきもの、昼食のメニュー。
 今月の予定、下手くそな落書き、掃除の当番表に消耗品の在庫調査票。
 中央から送られてきた回覧文書、新聞の切り抜き、読み終わった雑誌まで紛れ込んでいる。
 
 これらの有象無象を大雑把にチェックして、急ぎのものだけ処理し終わったのがつい一時間前だ。
 それ以降はずっとこの文書整理にかかりきりになっているが、なかなか終わる気配がない。

 「これは人事関係、こっちは備品、んでもって消耗品。えー廃棄廃棄廃…いや、保管かな……」

 帳簿が不自然に薄い気がするんですけどね。
 もしかして中身足りないんじゃないのかこれ。

 「復命書に、納品書に、先月の給与受領書……ってサインがねえ!」
 
 給料貰ってねえわけじゃねえだろうに、なんつー管理だ。
 これは確認してない上司も悪いぞ。中隊長しっかりしてください。

 「主計や出納係は何やってるんです」

 「今年の頭に赤痢で入院。それは新任が決まる前、入院直後の物だろう」

 入院かよ。しかも病気で……ああ、塹壕のせいか。
 水は消毒してるって話だが、それ以外が汚きゃ意味が無いだろうに。
 今年の頭に入院って事はちょうど先輩たちと入れ違いになったんだな。南無南無。

 「塹壕っていえば、この辺って塹壕ないんですか」

 それ以前に戦闘の有無が疑わしいです。
 死体の一つも転がっちゃいないし、地面に砲弾の痕もないんですけど。
 しかも麦畑がそのまま残ってたりとか、もしかして戦う気ないんじゃないのかオイ。

 「一応あるよ、古いのが。現在突貫で拡張、補強中だけどね」

 「じゃあ侵攻はあるわけだ」

 なんかパッと見すごい長閑で戦闘後独特の雰囲気がカケラもなかったのに。
 そうですか、戦うんですか。くそう。

 「少なくとも今までは使っていなかったようだよ。私達はつい先日ここに来たばかりだから」

 その前はフォトセットの北東部にいた、と苦い顔で呟く中隊長。
 あんまり負の感情を表に出さない中隊長にしてはかなり珍しいことだ。
 出納係が赤痢に感染したのもそこか。
 この人がこんな顔するってことはよほど酷いところなんだろうな。

 「その関係で事務処理が多いんですね。……あれ、じゃあなんで辺鄙なとこに?」

 普通なら兵士が補充されるだけで終わると思うんですが、いったいどんな裏技を使ったんですか。
 ぜひともその手口を教えてください。いざという時の身の安全確保のため参考にさせてもらいます。

 「年末の時点で大隊は200人切ってたからね。まあそれでも妙な話だとは思うけれど」

 200人だとギリギリ二個中隊くらいの人数だな。
 それは大隊と呼ぶのに躊躇する規模だろう。

 「確かにおかしいですね」

 そんなに消耗するほどに戦闘が激しかったなら、ますますもってこんなところに配備されるのは不自然だ。
 ウチの中隊を含めて第二大隊は戦闘経験が豊富なんだから、こんな時に使わない手は無い。
 人員不足は繰上げ卒業で多少の補充ができるわけだし、敵も滅多に来ないような場所で遊ばせておくより前線に置いておいたほうがずっと活用できる。
 俺個人にしてみればありがたいが、真っ当な士官ならこんな無駄なことはしないと思うんだがな。

 「私も同感だよ。上の考えがさっぱり分からない。やるべき時に限って退いて……」


 「やるべきでない時に前に出る」


 いまだに耳が覚えている声が聞こえた。
 続いた言葉と共にドンと置かれたのは、机の上のブツよりさらに大量の書類の束。
 よくこれだけの紙を落とさず崩さず持ってきたな……。

 半ば感心、半ばうんざりしつつも置かれた束の厚みを目で測ると、その上には予想通り見慣れた顔があった。

 「おーセントリー。久しぶり」

 相変わらずふてぶてしい面だな。ちょっと痩せたんじゃないのか。
 さっき隊長に皆元気だって聞いたけど、あの二人はどうしてるんだ?
 まだ会ってないんだがちゃんとやってるんだろうな。
 賭けポーカーは自重してるか?物を無闇に壊してないか?

 「追加の書類をお持ちしました」

 いやそれはいいから。

 「雑談も結構ですが手は動かしてくださいね」

 へーへー…って、よく考えたらむしろこの仕事はお前がやるべきじゃねえかよ下士官!
 手伝え。ほら、このペン持って!そこに座って!

 「私では机仕事の戦力にはなりませんよ」

 うっさい。猫の手よりマシだ。

 「戦力にならないと言えば、隊長の先輩方も戦力というより犠牲になっているようです」

 え?

 「経験の浅い准尉達は塹壕戦のノウハウを知りませんから。かなりまずいことになっているとブラックウィドウが」

 ……ブラックウィドウが言うからには本当にまずいんじゃないの?
 先輩達には悪いけどそんな前線なんて絶対行きたくないわ。第二中隊バンザイ。

 「もう俺ずっとここでいいよ。毎日一所懸命古い塹壕の補強とか拡張とかしちゃうぜ」

 土木作業のプロになる勢いでやらせていただきます。
 酷いことになってる先輩や同級生達にはこれも運と諦めてもらおう。

 「しかし他所の状況を見るに、あと数ヶ月もすれば戻されると思いますよ」

 「何それ!」

 さらりと嫌な予想をたててくれたセントリー君、10点減点。

 つか無駄じゃん土木作業!!
 なにがしたいんだアメストリス国軍首脳部。
 一々ベテランを前線から離してまた戻すとか意味分かんない!

 「ほら、だから分からないと言っただろう」

 皮肉げに笑う中隊長に、思い切り首肯して同意を示す。
 俺はともかく中隊長にも理解できないってことは、お偉いさん達が耄碌してるんじゃないですか。

 「何考えてるんですかね、中央の方々は」

 「さてね。大尉の分際じゃ雲の上の様子は分からないよ」

 中隊長が肩を竦めて見も蓋も無いことをのたまう。 
 それを言ったら俺なんてもっと下っ端ですよ。

 「そういうことが知りたいなら生き残って出世しないと」 

 生き残りたいとは思うけど、別に出世はどうでもいいわ。
 俺より中隊長やマスタング中佐に上に行ってもらったほうが効率的ってもんでしょ。適材適所です。

 「そんなことよりも生き延びるための知恵の方が知りたいですねぇ」

 「では隊長には後で塹壕についてじっくりお教えいたしましょう」

 そりゃどうも。

 「卒業したのにまたお勉強か。無知だから仕方ないとはいえ泣けるわ」

 がっくりと肩を落としてうなだれる。人生って厳しいよね。
 それでも予備知識が一切無いよりはいいんだけど。

 「訓練とは桁違いの辛さですよ。各種塹壕病に虱、湿気に悪臭。鼠が毎晩睡眠を妨害してくれます」

 うへぇ。
 東部の砂漠も嫌なところだったけど、もしかしてそれ以上か?勘弁してくれよ。

 「鼠はやだなぁ。湿気はファイアウォールでなんとかならんか。火で乾燥させて」

 「暑さまで加わったらおそらく死者が出るのでは」

 そん時だけ別の場所にどいててもらうとかさ。
 教科書でしか見たこと無いが、第一線壕ってなんかこう俯瞰すると凸凹の線になってるんだろ?
 ブロックごとに端から乾燥してって、その間に補助壕で待っててもらうとか……ダメかね。

 「どうでしょう。どちらにせよ隊長がいらっしゃればあの環境もはるかに良くなるとは思いますが」

 アイスウォールとファイアウォールのおかげで水にだけは困らないしな。
 不衛生からくる問題なら、大部分は綺麗な水とヒールで改善できるだろう。
 東部にいた時も散々使われてたからその辺は分かってるよ。
 問題は魔法の隠匿だが、これは中隊長になんとかしてもらわないとな。

 「塹壕病って聞いてもイメージが沸かないが、一応疾病なんだろ。ヒールで治ると思う?」

 「手始めにうちの小隊で試してください。軽度とはいえ塹壕足の奴が何人かいますから」

 どんな足だよ。軍隊に蔓延してる水虫の亜種とかか。
 水虫は東部にいた頃に罹患した奴に試したが、あれは一定以上悪化しないと治せない上に、治療前と同じ靴履いたら元の木阿弥だぞ。

 「塹壕熱ってのもあるんだっけ」

 なんつー適当な命名だ。
 なんにでも塹壕つければいいってもんじゃないだろう。

 「名前の安易さはともかく、私としても是非治してやってもらいたいな。痛々しくて見ていられない」

 はあ、とりあえずやってはみますよ。
 別にヒールかけたからって悪化するわけじゃなし、治りゃ御の字、ダメで元々。試す価値はあります。
 東部で盲腸の奴に試した時は結局手術する羽目になりましたが、結核に罹った奴は一時的に回復しましたから、根治は無理でも効果が皆無ってこたないでしょう。

 「過度の期待はしないでくださいね」

 一応釘は刺しておいたが、中隊長は笑って頷くばかり。
 セントリーは聞いていたのかいないのか表情を変えることもなく、病人を集めておきますと言い置いて出て行った。

 「まあ、上の思惑や戦場の環境は追々なんとかしていけばいい。今は目の前の問題を解決しようじゃないか」

 言いながら指し示された先には、逃避を許さない現状が。
 この書類全部整理するのに、果たしてどれだけ時間がかかることやら。

 「……とりあえず、期限がヤバイ奴からなんとかしましょう」 

 凄く見たくないけどやらなきゃ減らないしな。
 再び机に向かって業務再開、

 うーん、なんかうやむやのうちにここでのスタンスが決まってしまったような……。
 いやいや俺は第一小隊長を拝命したのであって、事務方になった覚えはないぞ。
 セントリー早く来てくれ。この際塹壕足でも塹壕耳でもなんでもいい。

 「言っときますけど、病人がいるなら治療を優先しますからね?」

 ねえちょっと中隊長。俺の話聞いてます?


 ―――セントリーに逃げられたと気づいたのはそれから10分後のことだった。



 ◇◇◇


 黙々と紙の山に向かい続け、気が付けばすっかり夕暮れ時だ。
 机の上に落ちる光はいつのまにやら橙色に変わっている。
 じきに日も落ちて暗くなるだろう。そろそろ照明が必要だな。

 「う、うー……」

 思いきり伸びをしてからおもむろに首を回すと、予想以上に派手な音がした。
 無理もない。こんなに長時間事務処理をしたのは久々だった。

 雑然とした書類の束は九割方姿を消し、代わりにファイルが机の上に積みあがっている。
 後は棚にしまうだけだが、そこまでやってやりたくない。
 中隊長の机には文書箱が二つ。既決と未決に案件が分けられ、廃棄文書は机の脇に詰まれた箱の中で処分待ちだ。
 部下が処理すべき書類は中隊長に一々内容を確認して、担当者別に分けた上で封筒に入れてある。

 何この無駄な達成感。

 「くそ……セントリーの野郎は結局戻って来やがらなかったし……」

 なんだかんだ言いつつも結局書類を片付けてしまった自分が悔しい。
 や、本当に片付けただけなんだ。ファイリングと仕分けを中心に整理整頓。
 報告書関係とか手をつけてない上に俺じゃどうにも出来ないものの方が多かったからな。
 それでもこれだけ綺麗になるわけです。

 「助かったよハボック。明日もよろしく」

 腰に手を当てて仁王立ちする俺に、中隊長が爽やかな声を投げかける。

 薄々そうなるとは思ってましたよド畜生。

 精神的な理由でふらりとよろけ、机の端にぶつかる。
 その小さな衝撃で、薄っぺらい紙が一枚ハラリと落ちた。

 「おっと」

 床に着く前にとっさにキャッチする。どうやら新聞の切り抜きのようだ。
 これも廃棄文書なんだろうが、一応内容は確認しておかないとな。
 ざっと目を走らせて、必要がなさそうなら箱に……。


 うっ!


 「あの、中隊長。この記事」

 書類を揃えていた中隊長に恐る恐る声をかけて、手の中の記事を見せる。

 「ああそれか。私も詳細を知ったのは最近なんだ。でもその驚きようは……知らなかったのかい」

 「ちょうどこの頃は繰り上げ卒業の話を聞いたばかりでそれどころじゃなかったんで」

 記事の日付は去年の10月だ。
 その時期の士官学校は騒然としていて南部関連以外のニュースは流されがちだった。
 俺もついつい世情に疎くなっていたが、まさかこんなところでそれが祟るとは。

 「戦場にまで噂が届いていたっていうのに。その記事、欲しいなら持ってってもいいよ」

 「ああ、いえ、結構です。それよりこれって中隊長が切り抜いたんですか?」

 「ハーミスが話の種に持ってきたんだ。今のところ南部に動員されるような動きは無いがね」

 ハーミス大尉もいるんだな。後で煙草貰わないと。

 「バックにはマスタング大佐がいるそうだよ。彼も着実に株を上げてるね」

 マスタング中佐はいつの間に大佐になってたんでしょう。
 世界って知らない間に動いてるんだなあ。あはは。

 「ハボック、ちょっと目が虚ろだけど大丈夫?」   

 「だいじょーぶですよ」

 「ならいいけどね。明日も仕事があるんだから体調は整えておきなさい」

 やさしさと見せかけ実は容赦のない事を言って仕事に戻る中隊長。
 ひでえ。

 「……体調より、心の方にダメージが」

 そんなシビアでクールな上司をよそに、俺は再び記事に目を落とす。
 精神に多大なる衝撃を与えてくれた見出しは、太字で力いっぱいデカデカと。
 はっきりくっきり、間違いようもなく。


 『史上最年少の国家錬金術師誕生! その銘は―――』


 ああ俺本当に東部行きを回避できてよかった。
 頑張ろう。南部で超頑張ろう。
 便利屋扱いも厭わないし書類仕事だってやっちゃうよ。
 だから神様作者様、どうかこのままの平穏をください。ついでに俺の仲間の無事もお願いします。

 「死ぬなよ、ブレダ、ディムナ」

 切り抜きをパシンと指で弾いて、廃棄文書の箱に放り込む。

 記事の主役は僅か12歳にして国家資格を勝ち取った天才錬金術師。
 華麗に原作からフェイドアウトしつつある俺は、その名を既に知っていた。
 この先色々と苦労するだろう少年の前途を祈って、遠い東の空に向かって手を合わせる。

 「頑張れよエドワード・エルリック。『鋼の錬金術師』殿」

 俺は遠いところで見守らせてもらうからな。
 絶対こっちには来るんじゃないぞ。

 「ハボック、何をしてるんだい?」

 「ああちょっと冥福を」

 「冥福?」

 「じゃなかった、幸運を祈ってたんです」

 なんて不吉な言い間違い。
 まるで未来を暗示しているような……き、気のせいだ気のせい!

 俺は絶対平穏無事に過ごすんだからな!!




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