1 髪を梳く


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 「……お前はどういった時に冬が訪れたと感じる?」

 洗顔後に顔を拭きながら、尚隆が唐突に質問した。
 朝の支度を手伝っていた朱衡は、少し驚いてから柔らかい声で問い返した。

 「何の脈絡もないご下問ですね。一体どこから出たお話なのですか?」

 朝が早いせいか、差し込む光は白々と朱衡の手元を照らしている。
 白い手が尚隆から濡れた布をそっと取り上げて、そのまま次の間へと促した。

 着替えはもう用意してある。
 相変わらず豪華な衣装を嫌う主に気をつかって、何処から見ても大仰でなく、官よりも質素に見えるような装いだ。
 けれど見る者が見ればその生地がこの上なく上質の物であることが分かるだろう。
 素っ気無いほどに簡素な佩玉が、それだけで家が建てられるほどの逸品だということも。

 見た目よりも質のほうに力を入れるようになったのは、つい数十年前から。
 こういったあからさまでない贅沢に関しては、尚隆も苦笑するだけで何も言わない。
 もっともそれは玄英宮内限定で、外へ行く時は着替えて行くのだが。
 これ以上ないほどに高貴な身分でありながら、上等な服を汚すのも、高価な佩玉を無くすのも気が引けるらしい。

 「話の出所か?昨夕、執務が終わった時に丁度帷湍が処理後の巻子を取りに来てな。ついでに茶を飲んでいったんだが」

 しゅるりと帯を解くと、後ろからそっと朱衡の手が伸びる。
 蓬莱にいた頃から、高い身分にありながら他者が身の回りの世話をするのを嫌った尚隆が、こうして支度を手伝わせることはあまりない。
 いちいち手伝いを待つより自分でやったほうが早いと、一人で起きて一人でとっとと着替えてしまうのだ。

 その尚隆が朱衡にこうして介添えを許すのは、朱衡の要領がよいだけでなく、特別に心を許しているからだろう。
 成笙や帷湍が手伝うと言えば面白がってやらせるかもしれないが、あの二人がそんな殊勝なことを言い出すなど、想像もできない。

 「おや珍しい。帷湍を怒らせなかったのですね」

 くすくすと笑いながら、ある程度まで着替え終わった尚隆を鏡の前に誘う。
 座らせた椅子は先日見た物と変わっていた。
 冬向きなのだろう、柔らかい絹の布張りの椅子だ。

 「横槍を入れるな。その時に、今年の冬の政策だの流通経路だのの話から雑談が始まって………」





 季節の到来を何によって感じるか。

 冬季における荒民の処遇について帷湍と話していたとき、何気なく出てきた話題である。

 あの真っ直ぐな男は、意外と季節の移り変わりを気にとめている。
 職務熱心で、かつて地官であった頃の意識を忘れていない。
 気候が作物に及ぼす影響や、季節の推移が民の経済活動に対して与える変化をよく知っている。
 活発で闊達な性格によらず感性が鋭く、自然の風情を愛し、朱衡よりも感受性が強い。
 成笙などとは比べ物にならないほど細やかだ。  

 夏官のごとき印象を他者に与えがちだが、素朴で繊細な感性を持つ男だ。

 『最近木の葉が落ちてこなくなっただろう?時折、朝早く外に出ると霜が降りていたりもする………えぇいからかうな!!俺がしみじみと風情を感じたっていいだろうが!』

 軽く手を振り上げて怒る。

 『ふぅ……えーと……その他にも女御の衣の色なんかが変わったりとか、冬の鳥が鳴き始めたりとか……え?ああ、そうだな。確かに夜なんか一枚多く上に羽織ったりするよな』

 熱い茶を口に運びつつ小首をかしげて指折り数え。

 『この間なんとなく外を歩いているうちに、冬が来たな、と思ったんだ。そうしたら、他の人間は何によって冬が来たと気づくんだろうと思ってな』
  
 そう言って、小さく微笑んだ。

 帷湍が尚隆の前でこういった笑い方をするのは珍しい。
 たいていは怒っていたり怒鳴っていたり、引きつり笑いだったりする。
 まあ、尚隆がそういう顔をさせているのだから仕方がないのだが。
 この時は溜まった仕事を全て片付けた後だったので、帷湍は上機嫌だった。
 

 『俺は夏が好きだが、冬も嫌いではない。雪景色が好きだからな』

 そしてこう問い掛けたのだ。


 『冬が来た知らせは何だった?』
  





 「そうですか、帷湍が……」

 相槌を打ちながら、寝起きにざっと括ったままだった尚隆の髪を解く。
 肩にさらさらと流れ落ちる絹糸のような髪は、癖もなく真っ直ぐに背中の中ほどまでを覆った。

 朱塗りの、凝った細工の櫛で、まず末端の方から梳かし始る。

 「成笙にも聞いたようだな。朝練の時に息が白くなったら冬が近づいた気がすると言っていたらしい。体から湯気が立ち上るようになると完全に冬だと」


 するり。


 抵抗も少なくなってきた髪に、朱衡が微笑む。

 吐く息の白さはともかくとして、動き回って熱くなった体から湯気が立つのが冬の合図とは、なんとも夏官らしい冬の感じ方である。
 外に出ていることが多いだけあって、季節に敏感なのかもしれない。

 「なるほど、確かに吐息が白くなりますね。それにしても成笙は大司馬にもなって、まだ朝練に出ているのですか………まあ、彼らしいといえば彼らしいですが」 

 朱衡はくっくっと笑った。

 たしかに歴代の大司馬のうちの多くは、役職に就いたとたん朝練に出なくなる。これは位を上り詰めると武官よりも文官に近い仕事をするようになるからだろう。
 書類仕事が激増するためだ。

 「まあな。俺はあいつのああいう気軽な所は結構気に入っている。………まあ、それはそれとしてだ。柄にもなくイタンが風流な話題を持ち出したので、気になりだしてな」

 尚隆の、充分に梳られた髪が手に心地よい。

  「六太の奴は暖かい飲み物が欲しくなったら冬だと言っていたが……お前はどうなのだ。仕事に追われて季節など知ったことではないか?……季節の移り変わりに心を傾けるのもよいものだぞ」

 揶揄するような口調で返答を促す。

 「さて、そう突然に仰られても直ぐには御答え致しかねますが」

 鏡越しに興味深そうな尚隆と目が合う。
 いつになく普段のふてぶてしさが影を潜め、まるで延麒のように稚い顔をしていた。

 「今、何か思い浮かばないか?」

 自分のそういった表情に気づかぬ様子で再度問い掛ける尚隆に、朱衡は笑みを深くした。

 「今、でございますか。では、例えば……」


 顔の直ぐ傍から一房の髪を手にとって、ついと口付けた。
 艶やかな、ぬばたまの闇より黒い髪。夜の色だ。


 「尚隆様の御髪にこうして手を入れた時、指先が冷たいと感じたら、それが冬の到来でございます。貴方がいらっしゃらねば、季節も何の意味もない」

 「なにを……」

 「冬も、春も、夏も、秋も、尚隆様がおられねば、拙の元には訪れません。されば、夜毎に季節の移り変わりを拙に御報せくださいませ。もちろん、後政務が滞りなくば昼間でもかまいませぬが」


 素面では赤面するような口説き文句を臆面もなく口にされて、尚隆は複雑な顔をして黙り込んだ。
 どう応えても薮蛇になりそうだったからだ。


 室内には、尚隆の長い髪を梳く、しゅるり、という微かな音と、朱衡の忍び笑いだけが響いた。


 何事もない、ただ穏やかな冬の朝。
 

    2004.2.15


 「梳られる」は、「くしけずられる」。変換したらこうなりました。
 「ぬばたまの闇より黒い」の描写は、『妖魔アルディーン』から借りてきました。
 そろそろ十二国以外も企画にUPするかな。友達の為に書かされたテニプリ。もったいないから。
 正月SS続編(成笙×帷湍)がタイミング外してUPできない……読みたい方は掲示板に一言ください。
 テキストファイルで押し付けます。htmlのがいいかな?どうですかオウキ様(笑)


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