21 殺す




「っだぁぁ〜う〜……」


 後ろ向きに椅子に座った千石が、力の抜けきったうめき声をあげた。
 南の机につっぷしてぐんにゃりしている。
 陽だまりのドラ猫が、一匹。毛色は茶である。


 窓際で日当たりのいい南の席は、眠気と脱力を誘う魔の座席だ。
 ねむれ〜ねむれ〜と囁きかける窓の外の木が、ますます睡魔を助長させる。



 授業中だというのに教室内はだらけたムードが漂い、おしゃべりに花を咲かせる女子の一団や、トランプに興じる男子生徒が、あちこちでグループを作っていた。
 南の机を中心としたこのメンツも、そんなグループの一つ。


 「…やめろよその力の抜ける声…」


 うんざりしたように南が緑のカバーがかかった文庫本から顔を上げた。隣に椅子を持ってきている東方は、先ほどからもくもくと何かの葉書を書いている。 


 「だってさぁ〜考えてもみてよ。最後の授業が自習なんだよ?それなのになんで帰っちゃだめなのさぁ」

 「あたりまえだろうが。この後掃除もHRも残ってるんだぞ?東方を見習って大人しくするなり、あっちの連中に混じってトランプやるなりしろよ」


 そう言ったきり、再び南は本に顔を伏せた。




 
 4時間目の体育が6時間目に変更されたのは、3人の体育教師のうち2人が出張だったからだ。
 よって、代理の大貫教諭(赴任3年目)の授業時間調整のために、当初6時間目であった数学と交換されたのである。
 おかげで昼飯前に無駄な体力を使わなくてすんだため、肥大化した腹の虫を抱える中学生男子には喜ばれていた。
 もっとも疲れきった時間帯に体育をやるのもなかなかきついものがあるのだが。


 ところが。


 6時間目に3クラス合同で授業を受け持つはずだった大貫教諭(彼女いない暦5年)が、なんと先ほど病院送りになってしまったのである。


 階段から足を踏み外して転落。


 風で飛んだプリントを取ろうとして振り向きざまに落ちかけた、1年生を庇っての事故。
 名誉の負傷である。


 教師の鑑ともいえる行動を取った大貫教諭(あだ名はヌキさん)の株は生徒達の間で急上昇中だ。
 しかし正直に言って、たとえ好感を持っていても、教師の怪我の心配よりも自習時間の嬉しさの方が先に立つ年頃で、いち早く情報を入手した千石など、あからさまに顔が笑っていた。


 肩を落として病院に搬送される大貫教諭(27歳猫好き)の背中を見送りながら、薄情にも心の中で喝采を叫んだ生徒は少なくない。


 クラスに最新情報をもたらした千石は、話を聞いてきた時とは打って変わってすっかりふてくされていた。
 帰りたくて帰りたくてたまらないらしい。
 しかし、南に首根っこを押さえられていたために抜け出せず、自習時間をだらだらと過ごす羽目になった。
 それならそれで寝ているなり遊んでいるなりすればいいものを、南にまとわりついて読書の邪魔をしている。


 「東方はやってることが地味。何のハガキ書いてんだ。つか、南ちゃんも地味だよ!なんで真面目に本なんか読んでんのさぁ〜」


 南は別に参考書や課題図書を読んでいるわけではないのだが、漫画しか読まない千石にとっては充分真面目な部類に入るようだ。


 小さい子供のような拗ねっぷり。いっそ見事だ。
 上半身は相変わらずダレつつも、机の下でゲシゲシと南の椅子の足を蹴る。
 大きな駄々っ子。
 本を読んでいた南が少し嫌な顔をした。
 しかしどうやら読書が佳境に入っていたらしく、何も言わず椅子を引いてやり過ごす。


 「雑誌の懸賞葉書書いてんだよ。結構当たるんだ」


 少々ご機嫌が斜めになった南に気づいて、手を休めた東方がくるくるとボールペンを回しながら言った。
 『北海道冬の味覚キャンペーン』と書かれた葉書が自己主張している。
 南は鉛筆を回すことが出来ないので普段やらないようにしているのだが、今は本に夢中だから大丈夫。


 「えぇい!黙れこの懸賞マニアめ!……かぁえろ〜よぉ〜ぅ。南ちゃぁ〜ん」


 上目遣いに南を見て、今度はガタガタと机を揺らしだした。手に負えない。
 普段すぐに声を荒げるわりに、本気で怒ることの少ない南だが、心なしか眉間に皺が寄り始めたようだ。
 このままいけば堪忍袋の緒が擦り切れはじめる。


 「やめとけ。また怒られるぞ?」


 さすがに周りに迷惑だと思ったのか、東方が止めに入る。不穏な空気に気づいたのか、女子がちらほらとこちらを伺いだした。
 女の子達は雰囲気の変化に敏感なのだ。


 「だってさぁ。今日は部活もないんだよ?コート整備中だし。だったらいいじゃん」

 「だからって南に絡むなよ。……懲りてないのか?」


 ここまでしながら一人で帰ろうとしないのは、南を巻き込まないと、後々お小言を喰らうからである。
 しかし、そもそも南に絡みすぎたらお小言どころではないのだ。
 ちゃんと分っているのか?と東方は渋い顔をして千石を見た。
 ……どうやら、分っていないらしい。顔に書いてある。


 南の逆鱗に触れると恐ろしいことになる。



 それを千石は忘れていた。

 喉元過ぎれば熱さ忘れるこの男は、本当に『懲りていない』のである。
 先日部活のサボリが通算200回を越えた時に、サワヤカな笑顔の南に追いかけられながら校庭を30週も走る羽目になったというのに。
 実に物覚えが悪い。


 流石は真面目なテニス部長。不真面目な千石に比べて基礎体力がきっちりある。
 天然の呼び声が高い南だが、締めるところはきっちりと締めるあたりが皆に一目置かれる所以であろう。
 ダメダメな千石の躾けも手を抜いたりしない。


 「みぃぃなぁぁみぃぃちゃぁああん……亜久津のサボリには何も言わないくせにぃ」


 酷い目にあったことを忘却の彼方に追いやって、さらにしつこく言い募る千石。
 忘れてます。完全に忘れてます。
 あまりのうるささに溜息をついた東方が、千石を黙らせようとした時。


 優しいほどに静かな声で、南が呟いた。
 


 


 「うるさい。それ以上騒げばお前を殺す」






 「「「「「「「「………」」」」」」」」




 教室に不自然な沈黙が舞い降りた。


 しーん。


 二つ向こうのクラスの授業の声が聞こえるくらいに、静か。


 南の声が聞こえた周囲の人間は愕然として、凍りついたように固まっている。
 聞こえなかった者も何かを察したのか、遠巻きにしつつ声のトーンを落としてこちらを見ている。





 「み……みなみ…ちゃん?」




 青ざめた千石の声にも反応がない。



 

 慌てた東方がガタガタと椅子を蹴立てて立ち上がり、千石を引きずって南から離れた。
 千石も抵抗しない。
 衝撃のあまりに抵抗を忘れているのだろう。
 教室の戸口まで退避してヒソヒソと問い掛ける。


 『アレくらいで怒る南じゃない。お前何やったんだ!』
 『し、知らないよ!いつもどおりに行動してるだけだって』
 『そんなワケがあるか。あいつは怒鳴ってる時より静かな時のほうが怒ってるんだぞ!?』


 問い詰める東方と狼狽する千石の周りに人が集まってきた。
 どうやら情報がクラスの隅々までいきわたったらしい。
 南の台詞に皆ショックを隠し切れない様子だった。


 これが普通の中学生男子の言ったことならば別に珍しくもない。これくらいのことは日常的に言う。
 言葉遣いが汚いのは、仕様といってもいい。


 しかし、『あの』南が言ったというと話は別だ。


 南は部活が絡まない時は非常におっとりしている。というか、のほほんとしている。
 だから、千石以外で怒られたことがある人間はまずいない。
 更に言えば、怒鳴ったり怒ったりしているときでも、不用意にそういった直接的な言葉を使わない。
 言葉を選ぶだけの理性を残して怒るのだ。


 その南があんな物騒な言葉を吐いた。



 『千石がなにかしたにちがいない!!』



 そこにいた全員がそう考えた。 
 鋭い目で睨みながら千石を包囲する。
 短時間でクラス全体が事情を把握し、団結したらしい。素晴らしいチームワークだ。


 『おい、癒し系南をなんであんなに怒らせたんだ!』
 『温和なアイツがあんなこと言うんだから、相当なことしたんだろう』
 『うちのクラスのオアシスになにしでかしたのよ』
 『さっさと謝って来い!雰囲気がギスギスしてるだろうが』
 『そうだ!この張り詰めた空気を何とかしろよ』
 『どう考えたってお前が悪い』


 『南君が機嫌直さなかったら私があなたの息の根を止めるわよ?』


 クラス全員から激しく責められ、千石はのけぞった。


 「さ、齋藤さん…息の根って……」
 「本気よ」


 女生徒に断言されて、背中を冷や汗がつたい落ちる。と、その時。
 寄りかかった教室の引き戸が無造作に引かれた。


 ガラリ



 その戸に寄りかかっていた千石が上向きに倒れたとき。


 目に入ったのは、亜久津の無愛想な顔だった。


 

 「あっくん!天の助け!!」



 ガバッと体を起こすと、ひざまづき、胸の前で手を組んで亜久津を仰ぎ見た。
 涙ぐんでいるのは演技なのだろうか。
 しかし針のような視線に囲まれたこの状況では確実に何割か本音が混じっているはずだ。



 
 「南ちゃんの機嫌を直してくださぃぃ〜…」



  
 何の前置きもなしに拝み倒し、亜久津を混乱させる。


 いつもの亜久津ならば無言で踵を返して去ってしまうだろうが、事が南に係わるとなれば話は別だ。
 要領を得ない千石の言葉を無視して東方に事情の説明を求める。
 顎を軽く動かして、話せ、とジェスチャー。
 非常に柄が悪い。


 横柄に腕を組みつつ話を聞いていたが、どうやら亜久津は千石にとって救世主だったようだ。
 南の言ったという言葉を聞くと、奇妙な顔をしてから、つかつかと南の方に歩いていった。


 「うぉ…さすがあっくん。南ちゃんの怒りを恐れないとは……」




 興味津々で見守るクラスメイトと、こんな時なのに感心する千石を尻目に、亜久津は遠慮もなく読書中の南の肩を叩いた。


 上を向いた南に、二言三言話し掛ける。



 「……何話してるんだろ…」
 「さてな。どうでもいいが、俺の背中に乗るのやめろよ。重い」


 小声で会話を交わしつつ見ていると、どうやら南は穏やかに亜久津に応対しているようだ。



 南が首を傾げつつ亜久津の話を聞いている。
 亜久津が何か言ったのに対して首を振り、ぼそぼそと何か言った。
 苦笑してから、一つ頷いてまた本を読み始めた。





 「…どう思う?なんかあんまり怒ってないみたいだけど」
 「いや、あれは亜久津だからかもしれないぞ。お前が行ったら殺されるかもしれん」
 「やめてよ、そーゆーこと言うの。…あ、戻ってきた」



 亜久津がつまらなそうな顔で近づいてくる。逃げ腰になるクラスメイト。
 その中で、先ほどさりげなく千石の息の根を止める宣言をした女生徒が、口火を切った。


 「亜久津君、南君はなんていってたの?事と次第によっては千石君を生贄にさしだすけど」

 「うぁ、ヒドッ!齋藤さんヒドイ!!」


 あまりの言葉に千石が非難の声を上げるが、完全に無視される。
 亜久津が面白そうにそれを見やってから、少女に応えた。 



 「……間違えたらしい」
 
 「間違えた?」

 「千石に注意しようとした時に、ちょうど本が同じような場面だったそうだ」


 千石が拍子抜けした顔をする。


 「つまり…千石君に『うるさい』って言おうとした時に、偶然あの台詞を読んでたところだったのね?」

 「ああ」

 「で、間違いに気づいてたって事は、言い直すのも面倒だったし、千石君が静かになったから放っておいた…ってとこかしら」


 亜久津が頷いたと同時に、そこにいた全員がほっとしたように溜息をついた。
 南は相変わらず本を読んでいる。どうやらミステリーかハードボイルドだったようだ。
 生真面目そうな顔で、赤べこのように時折こっくりこっくり頷いてはページをめくっている。
 安心したクラスメイトがばらばらと席に戻った。


 「そーだよなぁ…あの南ちゃんがそうそう殺すなんて言わないよな…」


 気が抜けたらしくへたりこんで笑う千石に、さりげなく亜久津が一声かけた。


 「アイツが殺る前にオレが殺る」



 千石が凍りつく。


 その横をすり抜けざまに、齋藤と呼ばれた女生徒が呟いた。
 口元に微笑を浮かべながら。



 「その前に私が黙らせるわ。ふふ…文字通り口封じって感じ?」



 呆然と取り残された千石の横で東方がぼそりと言った。
 同情の色が混じっているが、出てくる言葉はなかなか厳しい。


 「結局お前が原因だったんだ……これだけで済んで良かったな」



 青空は高く日差しはぽかぽかと暖かい。
 換気の為に開けた窓から太陽に暖められた空気が入り、不自然に上がった熱をやわらかく落としていく。
 ちょっと散歩に出かけたくなるような陽気で、実に過ごしやすい。


 本を読み終わった南が、パタンと文庫本を閉じて、窓枠に寄りかかる亜久津を見上げてにっこり笑った。
 読み終わるまで黙って待っていてくれたのだ。思わず笑顔も優しくなる。


 「さんきゅ、これ面白かったよ。続編出てるかな」


 うきうきと弾んだ声。


 口元をかすかに緩めた亜久津の返事にかぶるように、授業終了のチャイムが鳴り響いた。




    2004.4.27
 三週間ばかり間が空いてしまいました・・・(; ̄∀ ̄)
 ええと、千石はクラスで虐げられています。というか、上や下からのウケはいいけれども、同級生からの扱いが酷い。そういう奴っていつも学年に2,3人はいましたよね。
 ノリが軽くて人気者だが、扱いが酷いやつ。千石はけっこう好きなんだけど弄りやすいキャラだからつい…。ゴメン…。
 南は静かに癒し系。大人気!ってワケじゃないけど、地味に人望が厚い。天然でもしっかりしてます。これがマイ設定。
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