小ネタその4










 その4の1






 亜久津が学校帰りに南の家に寄る時は、定番のコースがある。
 大通りの本屋の前で新刊をチェックし、南宅に程近いコンビニを経由して帰る。場合によってはそこにビデオ屋や図書館が加わる。
 コンビニに寄らずに学校の近くにあるマクドナルドや、駅前のロッテリアに行くこともある。

 食べ盛りの15歳男子ともなると、夕飯まで間食なしというのはほとんど拷問で、おまけにこの年頃の男は日常の消費エネルギーがバカにならない。
 その消費したエネルギーと成長の為のエネルギーを補給すべく、体が食べものを求める。

 どう見ても中学生には見えない亜久津や、中学生とは思えない長身の南も、その辺りは同い年の少年達と変わらなかった。


  
 だから、南がこういうことを言うのも、別に珍しいことではない。



 「あ、亜久津。ミスド寄っていいか」

 校門を出たところで、南が思い出したように言った。

 「食いたいのか」

 「うん。昼休みに千石がチラシ見てたから食べたくなった。ハニーオールドファッションが好きなんだよ。凄く甘いけど」

 「分った」

 亜久津はあっさりと同意した。
 商品名を言われてもピンと来ないが、南がそれを食べたいというのなら否やはない。

 「亜久津も甘いもの嫌いじゃないだろ?」

 「………嫌いじゃねぇ。甘過ぎなければ」

 「あそこは甘さが表示されてたような気がするなぁ。じゃ、適当に買って帰って、ウチで食おうか」

 「飲む物はどうする」

 「ドーナツならコーヒーよりも紅茶かなぁ」



 他愛ない会話が心地よい。
 ふとした瞬間に会話が途切れても、沈黙が気にならない。
 一緒にいるととても落ち着く。安らげる。
 
 それだけだったら友人の域をでなかっただろうに、いつのまに感情に違う色が混じり出したのか。
 あまりに静かにゆっくりと染み込んだその気持ちは、気がついた時には無視できないほどに大きくなっていた。

 友達なんかじゃない。
 全然それじゃ足りない。
 他の誰とも違う、特別な相手。

 寒さに赤くなった南の頬が、その横顔を幼く見せて、つい手を伸ばしたくなる。

 甘過ぎるものは苦手だと言ったが、南の頬は、唇はどれほど甘いだろうか。


 
 「南」

 「ん?どうした?」


 にこりと笑ってこちらを向いた南は、亜久津がこんな衝動を抱いていることを知らない。
 きっと、そんなこと思いもつかないのだ。
 

 「いや………なんでもない」


 口に出せば、この心地よい関係は崩れてしまうかもしれない。
 臆病な心を自嘲しながら、続く言葉を飲み込む。

 触れたくてたまらないと熱を帯びる手を、抑えるようにぎゅっと握り締めて。

 亜久津はゆっくりと、南にしか見せない静かな微笑みを浮かべた。









 その4の2






 「夕飯どうする?宅配のピザでもいいかな」

 壁にかかった時計を見ながら、南が提案した。
 言われてみれば確かにそろそろ夕食の時間だ。そう気がつくと途端に空腹感が襲ってくる。

 「今から作り始めるのも面倒だし、でもカップ麺ってのもいまいちだし………」

 早くもピザのメニュー表を探し始めた南を、亜久津が引き止めた。
 実は腹案があったのだ。



 「…………晩飯、外に食いにいかねぇか。うちのババアに言ったら軍資金渡されたし」 

 実際は自腹なのだが、口実として母親の名前を引っ張り出した。
 もちろん了解はとってある。

 頑張りなさいよ!!と激励されたことは、南には言わない。


 「え?外食はいいけど、金は自分で出すって」


 苦笑しながら断りの返事が返ってきたが、この反応は予測済みだ。
 ちゃんと前もって対応策を用意してある。

 「美味かったからお前にも食わせてやりたいっつったら、無理矢理押し付けられたんだ」

 「でも………」

 「返したって受けとらねぇだろうし、俺の懐に入れても文句が来るぞ。お前と食事する以外にどう遣えって?」

 ニヤリと笑って聞き返す。

 こういう言い方をすれば、ここで遠慮したほうがむしろ無礼だと南は判断するだろう。
 それがわかる程度には、南のことを理解しているつもりだった。

 「うーん……」

 考え込む南を、目で促す。


 「…………じゃあお言葉に甘えるか。ご馳走様ですって、伝えてくれるか?」

 
 苦笑しながらも嬉しそうに笑った南に、内心ほっとした。


 これでようやく日頃の恩を返せる。
 普段から家に入り浸って昼食だの夕食だの作ってもらっているので、たまに持ってくる手土産だけでは心苦しかったのだ。
 誰かに対してそんな風に思うなんて自分でも信じられないが、相手が南なのだから仕方がない。
 とにかく少しは礼になるだろうと、亜久津はひっそりと喜んだ。



 ところが。




 「じゃ、お礼にこの間焼いたクッキーを包むよ」

 にっこり。

 「それと、明日までにプリン作っておくからそれもお土産に」

 そして立ち上がる。
 
 「そうそう、貰い物のワインとブランデーがあるんだよ。親父は当分帰ってこないから、それも一緒に持ってって。自分で飲まないでお母さんにちゃんと渡してくれよ?ええと、でっかい紙袋はどこにしまったっけ………」


 如才ない南が好意を受けてそのままにしておくわけがない。
 手作りのお菓子から、単身赴任中の父親の上前まではねての大盤振る舞いだ。
 止める間もなくぱたぱたと手土産を纏めだした。


 「いいから普通に奢らせろよ…………」


 くるくると立ち働く南に溜め息をつきながら。
 多分食事代を上回るであろう「御礼」に、またしても亜久津は連敗記録を更新するのだった。









 その4の3






 テニス部レギュラートリオ、二年生の冬。


 年明けは見事な快晴で、千石は上機嫌だった。


 「ちょー天気いいねー!」

 白い息を吐きながら、うきうきと神社の石段を登る千石。
 まるで小学生に逆戻りしたように無邪気な姿を見て、南と東方が苦笑した。

 昨日まではは寒い寒いと背中を丸めていたのに、ちょっと雪が降っただけで大喜びだ。
 それとも、今朝貰ったお年玉の額が満足なものだったのだろうか。
 どちらにしても見ている方が楽しくなるような笑顔だ。

 「おみくじ引こうね。あと絵馬も書こう!それから………」

 石段の一番上にジャンプするようにして飛び乗ると、今度は歩く歩調に合わせて指折り数え、嬉しそうに話す。
 性格柄派手なはしゃぎ方のできない南や、同い年だというのに妙に老成してしまった東方は、千石のこういったストレートな感情の発露に、羨ましさを感じる。
 お調子者でお祭り騒ぎが好きで、厄介ごとばかり巻き起こす奴だが、こういう無邪気なところはとても好ましい。
 
 「すっごい綺麗な空だし、凧揚げとかしたいなぁ!」

 羽根突きでもいいけど、と言って、千石は再び空を見上げた。

 「千石、余所見して歩いてると滑るぞ。昨日の雪が凍ってるから」

 マフラーに顔をうずめた東方が、笑いながらも忠告する。

 昨日降った雪は途中から雨に変わったため大して積もることもなかったが、朝の寒気によって路面がかなり凍結している。
 空を見上げてふわふわと歩いている千石の足元は、かなり危なっかしかった。
 
 「大丈夫大丈夫。ほら、南ちゃんも東方も見てよ。久々に雲ひとつない青空!」

 確かに、ふと上をみれば、そこには抜けるような青い空が広がっていた。


 冬の早朝の空。


 寒さを頭から追い出せば、ピンと張り詰めているような、気持ちが引き締まるような空気は、心地よい爽快感がある。
 真冬独特のこの澄んだ空気が、南は好きだった。

 平安時代から愛される、冬の朝の気配。

 「清少納言の気持ちが分かるな………」

 冬休み前の期末テスト範囲を思い出す。
 古典としてはそう難しくない、平安時代の女性が書いた春夏秋冬に関する一文を初めて読んだ時も、やはり感心したものだ。
 どれだけ時を経ても、同じ国の人間が感じる情緒というのは変わらないものだな、と。


 しかし、歴史と文学に思いを馳せた南の思考を台無しにする一言が、千石の口から飛び出した。 


 「なに?セーショーナゴン、て。外国人?芸能人?」


 きょとんとした顔で振り返った千石に、南も東方も絶句した。


 「え、ちょっと待って。授業でやったろ?ほら……冬はつとめて、雪の降りたるは言ふべきにもあらず……って……」

 「冬だけ働くの?」

 「そうじゃなくて……冬は早朝がいいって言ってるんだよ。雪が降っている時の趣深さは言うまでもないって……この間テストにでただろ?」

 とんちんかんな答えを返した千石に、懇切丁寧に説明しながら、南は祈るような気持ちでその顔を見た。
 

 祈りは届かなかったようだ。
 冗談を言っている節は見られない。

 「も、もう忘れちゃったのか?」

 確かにもう『枕草子』が範囲に入った期末テストは終ったが、いくらなんでも忘れるのが早すぎだ。
 大体冬休みが明けたら実力テストがあるのに、どうするつもりなのか。

 いつもギリギリながら平均はキープしている千石に、一体何があったのだろう。

 (まさかこの間サボった時に俺がラケットで殴ったせいじゃ……)
 
 自分がしたことを思い出して、南は泣きそうになった。
 
 「南落ち着け。こいつはそもそも覚えてないんだ」

 「え?」

 早くも衝撃から立ち直った東方が説明する。

 「お前は知らなかったんだな。千石はいつも選択問題で点を稼いでるんだ」

 「だって、国語は選択問題ばっかりじゃないだろ。文章とか、漢字とか……いやそれより選択だって、勉強してなきゃ……」

 「や、なんとなく書くと半分くらい当たるから」

 こちらを見たまま後ろ向きに歩きだした千石が、当たり前のように答えた。
 呆然とした南が、千石の後を着いて行く。 
 東方が苦笑しながらそれに続いた。

 「千石の適当な記入で半分。それプラス運任せの選択問題で、こいつは平均点数取ってるんだ」

 「運………?もしかして、全教科……?」

 「いや?得意科目はまともに記入してると思ったぞ。どちらにしろ、こいつに国語知識を期待しても無駄だ」

 すっかり諦めきった目つきの東方を見ながら、南は自分の生き方を振り返って泣きたくなった。

 コツコツと地道に山を登っていたら、頭上をロープウェイで通り過ぎられたような気分だ。


 本人も常々自分は運がいいと言っていたが、まさかここまで筋金入りだとは思わなかった。
 テストの点数まで左右するとは、いっそ超能力だ。

 おみくじを引いたら多分コイツは大吉を出すだろう。



 「なぁ東方………」

 「何だ?南」

 ぼんやりと先をゆく千石を眺める。

 「こういう奴もいるんだなぁ、世の中には……」

 「いるんだよ、こういう奴も」

 元気で明るくて、華があって。
 素晴らしい運動神経と、頭の悪さをカバーするだけの幸運がある。

 
 おまけに彼にはテニスの才能まであるのだ。
 

 「理不尽だよな……」

 「ああ。納得いかないよな……」


 二人そろって天を仰ぐ。

 人の世の不公平さを嘆く二人の前で、千石がツルリと足を滑らせた。





2005.1.16



 後書き↓

 4の1ではじっと我慢の子の亜久津。
 なんでこの二人だと食い物の話に行くんだろうと考えてたんですが、やっと理由が分りました。
 多分、私が二人を幸せに書きたいと思っていて、なおかつ私にとって幸せが、物食ってる時と寝てるときと本読んでるときだからです。
 なんだかなぁ。
 4の2の話。奢ってもらえるのは凄く嬉しいけど、上手くそのお返しをするのって難しいですよね。食事の後にお茶したりすればお茶代の伝票を掻っ攫えるんですが(笑)
 そういうとこ、『主夫』南は心得てると思います。手作りと貰い物ならそれほど負担なく受け取れるし。
 亜久津が「いつも南の家で世話になってるし、今日は俺に奢らせてくれ。でないと心苦しい」と素直に言えば、きっと南もなにもしなかったろうに…………。
 4の3は運だけで世の中を渡っていける千石。兎と亀のようです。
 でも多分千石は恋愛とかだといきなり運が悪くなりそう。そんで、すんごい辛い失恋とかして、東方や南に泣きつくんですよ。
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