小ネタその8






 職員室の引き戸を開けた途端、いきなり横から声をかけられた。


 「あ、キャプテン、こんにちは……」

 「おいおい笠井、俺はもうキャプテンじゃないぞ」

  
 不意打ちの声にも慣れたものだ。
 後輩の発言を訂正しながらも、にこりと笑ってそちらを向いた。

 三年の夏を期にサッカー部を引退した渋沢だが、未だに『キャプテン』と呼ばれることが多い。
 けじめがつかないからと本人は呼ばれる度に律儀に訂正しているのだが、当の新キャプテンが率先して『キャプテンはキャプテンっすよ!』と言って譲らないので、効果は薄かった。


 「皆、藤代につられるんだよなぁ」
 

 それだけ影響力があるのはいいことなんだろうけど、と苦笑すると、副キャプテンとなった笠井が慌てて言い直した。
 

 「すいません先輩、つい」

 「うん、気をつけろよ。で、笠井は移動教室か?」

 「はい。次は理科なんで、生物室に。キャ……先輩は職員室ですか?」

 「授業のことで質問にな。……そっちの教科書は藤代の物か」

 
 小柄な後輩は、両手に二人分の教科書とノートを抱え込んでいる。
 ヨレて汚れてボロボロになっている方には、汚い字で『天才!』と書かれていた。
 
 あと半年もあるのに大丈夫だろうかと、人事ながら心配になるような教科書だ。


 「よく分かりましたね。俺、誠二を迎えにきたんです」

 「迎えって、まさか呼び出しじゃないだろうな」
 

 一気に血の気が引くのが分かった。

 
 (勘弁してくれ……)


 藤代は決して素行が悪い生徒ではない。
 寝ていることが多いとはいえ、ちゃんと授業に出るし、怒られれば素直に反省する。
 明るく朗らかな性格で、友人も多い。
 サッカー漬けの生活を嬉々として過ごしているだけに、生活態度はいいと言えるだろう。
 
 教師陣からの信頼が厚いのを利用して、三上と共にサボる渋沢に比べれば、かなり真面目といえよう。


 しかし。

 しかしだ。





 成績だけは、救いようがないほどに悪かった。





 生半可な悪さではない。
 冗談半分に点数を聞いた中西が、愕然としたあげく真剣に謝るほどだ。
 勉強に対する意欲がまるでない上、そもそも机に向かうと集中力が10秒と続かない。 
 定期テストの度に渋沢と三上が鬼教師と化しているのだが、それでも二、三教科は必ず追試になる。
 

 (引退後だと言っても、先生方は俺に文句を言ってくるだろうな)


 以前下手に藤代の世話を焼いていたせいで、教師陣はすっかり渋沢を藤代の保護者に認定してしまっている。
 関係ないと言っても通らないだろう。
 第一、そう言い切ってしまえるほど渋沢は薄情ではないし、サッカー部との関係も浅くなかった。 


 (追試……追々試………追々々試…………今度は何回までやるんだ………)


 いくらなんでも、栄えあるサッカー部の主将が成績不振で親を呼び出されたりしたら学校の恥だ。
 武蔵森では実力テストの結果も成績考査に組み込まれているから、最低でも赤点は逃れられるように、何度も追試をするだろう。

 そしてその問題を作るのは教師で、教師の愚痴を聞くのは渋沢だ。
 入学して以来、テストの度に持ち込まれた苦情の数を思い出して、眩暈がする。 
 

 「実力テストの結果がもう出たのか……今回は俺も三上も教えてないから……英語か、数学か、国語か……まさか全教科じゃないだろうな」

 「先輩先輩、実力テストが終わったの昨日じゃないですか」

 
 実力テストは五教科だけでよかった……国語と英語と社会は俺で数学は三上かな……あ、理科も三上に頼まなきゃ……などと青い顔で呟く渋沢に、冷静な後輩が即座に突っ込みを入れた。


 「結果が出るのは来週ですよ。誠二は、ほら、あそこに……」
 

 胸をなでおろす渋沢に、笠井は教科書類を不器用に持ち変えると、妙に暗い顔をして、つい、と廊下の先を指差した。
 つられてそちらに顔を向けると、その指の先には確かに藤代がいる。
 


 頭に包帯を巻き、白いネットを被って、養護教諭にガミガミと怒られる藤代が。
 






 「藤代の……アレは、どうしたんだ?」
 
 「アレ?ああ、怪我ですか」

 
 頭はどうしたんだ、と言おうとして踏みとどまる。
 そういう言い方だと少々誤解を招きそうだ。

 口の悪い友人なら躊躇なく口にするだろうが。 

 
 「あいつは、ああいう大きい怪我はあまりしないだろう。あれじゃ、部活にも出られないんじゃないのか」

 「はい。たしか今日は激しい運動をしないように言われていたはずです」 

 
 我ながら他に聞くことがあるだろう、と思ったが、笠井はあっさりと頷いた。


 (そんなに酷い怪我なのか……)


 日常生活ではしょっちゅう擦り傷や切り傷を負っている藤代だが、大きな怪我はほとんどしたことがないのを、渋沢は知っている。
 試合中絶対に怪我をしただろうと思う局面でも無傷で、去年の冬に雪合戦をしたメンバー全員が風邪をひいたときも、藤代だけは元気だった。
 そういう、大怪我や病気に無縁の後輩を、実は密かに尊敬さえしていたのだが……。

 
 怒られて項垂れている頭は、白々とした包帯に包まれてそこだけ浮き上がって見える。
 頭を覆う包帯の範囲は、髪の色がほとんど見えなくなるほどに広く、渋沢は胸を痛めた。


 「大丈夫なのか?一体なんであんな怪我を……」



 「自業自得だ」



 「三上!」

 「三上先輩」
 

 心配から経緯を尋ねようとした声に答えたのは、笠井ではなかった。
 ため息をつきながら職員室の扉から出てきた三上が、渋沢と違って同情の欠片もない様子で藤代を一瞥する。


 「今日の日直は三上だったのか」


 絶妙のタイミングで現れた三上が持っているのは、渋沢も見慣れた英語教諭の筆記用具と資料だった。

 日直は次の授業の用意のために毎休み時間、職員室に顔を出さねばならない。
 二人一組が鉄則の日直では、たいていは交互にその仕事をこなすのだが、この時間はたまたま三上が当番だったようだ。
 

 「そ。次英語だろ?英語の鈴木んとこ行ったら、いきなりその話されたんだよ」  

 「その話?俺は聞かなかったけど……何があったんだ」


 矛先を向けられた三上は軽く首を振ると、黙って後輩を見て、顎を動かした。
 中学生とも思えない尊大かつガラの悪い仕草だが、三上がやれば不思議と様になった。

 意味することは、『お前が話せ』。

 先輩の横柄な態度が示すものを意を違えることなく読み取ると、笠井は嫌そうに口を開いた。








 「ちょうど、一時間目の授業の終わりごろだったんです。あ、ウチのクラスって今日は1時間目が体育で」


 未だ残暑は厳しいものの、たまたまこの日はプールが使用中だった。
 よってこの炎天下で仕方なしにハードルを跳んでいたのだが、クラスメイトのうちの一人がうっかりハードルに躓いて転倒し、ひざを擦りむいた。


 「それで、俺と誠二が付き添って、保健室に連れて行ったんです」

 「お前達が?先生じゃなくてか」

 「俺、保健委員なんです。誠二は面白がってついてきただけですが」

 「藤代の奴……」

 「後で叱ってくださいね。……それで、そいつの手当てをしてもらってる間、俺らは保健室で待ってたんですよ」

 
 クラスメイトの怪我は軽かった。

 ひざの皮が五センチ四方ほど剥けていたが、こういった怪我は、見た目は派手だが治るのが早い。
 手当ても、消毒して大きな絆創膏を貼ったらそれで終わりだ。
 運動部所属だけあって怪我に慣れていた二人が、事前に泥や砂を洗い流していったので、ほとんど手間もかからなかった。
 

 「でも、消毒が終わった時点でもう授業があと5分くらいしかなくて」

 「保健室で待ってていいって言われたんだろう。あの先生はそういう人だから」

 「そうなんです。だから、ちょっと雑談とかして時間潰してたんですけど………」
 
 
 怪我の説明から続いていたハードルの話題から、スポーツテストの結果へと話が移った時。
 たまたま出入り口のところで勝手に身長を測っていた藤代が、朗らかにこう言った。



 

 『俺、垂直跳びには自信あるんだ!!』





 「………なんか、言われなくてもその先が分かったような気がするぞ」

 「お前の想像、当たってるぜ」


 無言で聞いていた三上が、さも忌々しげに同意した。
 笠井が、沈痛な面持ちで続ける。


 「………俺は時計を見てて。もうすぐ授業が終わるなーとか、そんなこと考えてたら……」




 ガンッ!って、いったんです。




 柱を蹴っ飛ばしたみたいな音がして。
 そっちを見たら誠二が頭を抱えてしゃがみ込んでて。
 ああ、その場でジャンプして頭打ったのか、バカだなーって笑ってたら。


 床に血が。

 
 たくさん。

 


 「しゃがんでる間にどんどん血が流れて、本人が顔を上げたら、顔面血みどろになってました」

 「血みどろ……まあ、頭の怪我は出血が酷いっていうからなぁ……」

 「そんな場面想像したくもねぇな」

 「誠二がまた鈍感で大出血のまま笑うから、まるでホラー映画みたいでしたよ………」


 それはさぞかし怖かっただろう。

 
 渋沢と三上は、労わりの思いを込めて笠井の肩を叩いた。
 心なしか頬の辺りが朝より窶れて見える。
 そういう場に遭遇してしまったということが、この先、誰が藤代のストッパーになるかを暗示しているようで、同情を禁じえない。
 
 
 「先生が救急車を呼ぼうとするのを止めて車出して貰って誠二が病院に行ってる間に担任に事情を説明して次の授業の先生に連絡してクラスの奴と保健室の床を掃除してあはははは………」


 話しているうちに段々興奮してきたのだろう。笠井は何かに憑かれたように乾いた笑い声を立てはじめた。
 虚ろな視線の先には、しょんぼりとした藤代がいる。
 先輩二人は、笑い続ける後輩の目に殺意を見たような気がして背筋を凍らせた。
 
 
 「笠井笠井、落ち着け」

 「ふ、不憫な奴………」


 宥めるように背中をさする渋沢と、頭痛をこらえるように額を押さえる三上。

 同じ苦労をしてきただけに、これから先笠井が背負う厄介事のあれこれが手に取るように分かる。
 渋沢の場合は幸いと言っていいものか、元々の能力に加え三上をうまいこと巻き込むことで乗り切ったが、笠井はあの豆台風の補佐だ。
 大人しそうに見える笠井だが、これでかなり気が強いから、くよくよと落ち込みはしないだろう。
 しかし、キレて藤代をボコボコにしかねないという別の危険がある。


 「多少の暴力沙汰は見なかったことにするから、殺人だけはやめてくれよ、笠井……」
 
 「つーか、暴力も見過ごすなよ渋沢」 

 
 一週間後に出た実力テストの結果によってはその殺意が人事で無くなるのだろうが、とりあえず今回の犠牲者は笠井だけだ。
 殺気に満ちた後輩を生暖かくたしなめつつ、二人は自分達があと数ヶ月でこの騒動から開放されることを密かに喜んでいた。




 渋沢と三上の卒業まで、約半年。

 
 卒業後も高等部まで苦情が追いかけてきて、またしても三上の罵声と渋沢の溜息が藤代のために積み重ねられていくのだが、それはまだまだ先の話である。
 
 
 

2005.8.31




 後書き ↓

 数年ぶりの笛更新。久しぶりなのにこんな話……。
 メールにてあたたかいお便りをいただいたので、お礼にお蔵入りしていたネタを引っ張り出してきました。
 笛の渋沢・藤代とテニスの南・千石は、キャラが似てるようで微妙に違います。書き分けができないのは力不足。
 
 渋沢は三上とセットでなんとなく授業をサボることもあるけど、南はそういう理由ではサボらない。
 千石は反省した振りをして心の中で舌を出すけど、藤代は本気で反省しても同じことをやる。

 ………笛のほうがタチ悪いのが揃ってますね………。


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