小ネタその9









 チャイムが鳴った。


   慌てたように駆け出す者、マイペースに歩きはじめる者。友人を探す者。
   教室とは逆の方向に行く二年生は、これからサボるつもりだろうか。
   うららかな日差しの下での昼寝はさぞかし心地よいに違いない。


 窓枠に頬杖をついた雅孝は、眼下で繰り広げられる平和極まりない学園風景に、穏やかな笑みを浮かべた。
 

 「高柳!まだこんな所にいたのか。そろそろ時間だろ」

 呆れたような声に振り返れば、文七が開いたドアから顔を覗かせている。
  
 「文七さん」

 「文七さん、じゃねぇよ。お前が遅えから俺がオツカイに出されたんだろうが」

 そういいつつも、急かすでもなく窓辺に歩み寄ると、ひょいと窓枠に腰掛けた。 
 そのまま視線を下に向け、そこにある光景を目にして僅かに笑う。
 雅孝が何に見とれていたのか解ったからだ。
 

   時折上がる大きな笑い声と、冗談交じりのわざとらしい悲鳴。
   誰かの名前を呼ぶ声と、ぱたぱたと走る足音。


 「感慨深いか」

 「ええ。たった一年であれだけのことがあったのに……」

 凪宗一郎をはじめ、多くの人間があの一連の事件で人生を変えた。
 満身創痍でも、手足を失っても、命を落とさなかっただけ儲けものだ。
 一通りの混乱が収まった時、死者の列に加わった者は一人や二人ではなかったのだから。
 
 ………雅孝の兄、光臣も、その一人だ。
 
 どれだけ時が流れても、忘れることはないだろう。
 兄がどんな気持ちで自分を遠ざけようとしたのか。
 それを知った今となっては、かつての自分を殴り飛ばしたくなる。

 文七は騒動に巻き込まれる形で関わっただけだが、雅孝は自ら進んで首を突っ込んだ。
 兄への確執、亜夜への恋情、自分の武の道に対する悩み、葛藤。
 コンプレックスとプライドと、守りたいという意思。

 心身に深い傷を負いながら、それでもそこに得るものはあったと、あの時は思ったけれど。

 「………去年と同じ光景を見ていると、僕もあの頃と大して変わってないんじゃないかな、って思います」

 自嘲するような雅孝の言葉に、文七は眉をしかめた。
 
 この男のこういうところは、相変わらずだ。
 それでも口に出すようになっただけマシだろうか。

 「今のおまえを、一年前に誰が想像できたと思う?自分を卑下すんのはやめろ。おまえのそれは一種の逃げだ」

 キツイ一言に、雅孝は自分への嘲笑を苦笑に変えた。
 相変わらずの童顔だが、表情一つとってもまるで別人のように大人びている。
 内面の変化がこれほど顕著に現れているのに、当の本人だけが気づいていないのは、いっそ滑稽でさえあった。
 
 「はは……情けない話ですが、いまだに自信がないんですよ」

 「俺ァ、今度こそ学園生活をエンジョイさせてもらうぜ。おめェの自信なんざ知らねぇ」

 あっさりと切り捨てると、困ったような顔で頭をかく。
 文七はその姿を一瞥してから煙草に火をつけると、煙と共に一言吐き出した。


 「まぁ、気楽にやれよ。おまえはおまえだ」


 暗に、『光臣にはなれない』、という言葉に、返って来たのは静かな微笑みだった。
 戦いが終ってから、よく見かけるようになった笑みだ。
 ナントカって仏像がこんな笑い方してたっけ……と、ボンヤリと眺める文七に、視線を逸らした雅孝が呟いた。

 
 「………行きましょうか」


 「あぁ、本鈴が鳴る前にな。立場上遅刻するわけにゃいかねえだろ?」
 
 「それは文七さんだって同じじゃないですか!」

 「俺ァ関係ねぇよ。せいぜい面白おかしく見学させてもらうさ」
 
 「む……無責任です!大体ですね、文七さんは……」

 軽い言葉のキャッチボールは、やがて教室を出て、廊下の向こうに消えていく。
 いつのまにか生徒の声も消え、誰もいなくなった窓辺には、桜の花弁だけが静々と舞い込んでいた。 
 



  
 ライトに照らされた壇上に、雅孝がゆっくりと上がる。
 武道家としてどころか、一般生徒と比べてさえけして大きくはない体躯だが、そこには誰もが目を惹かれる確かな存在感があった。

 混乱の末に残された多くの難題。
 静寂の水面、と棗亜夜に称された男は、高柳家や統道学園やその他諸々を全て飲み込んで、己の内に深く沈めた。
 これから先に予想される数々の困難をも包み込み、黙ってその身のうちに抱え込むのだろう。


 『守る』ということこそを己の武と定め、今、兄が立っていた場所に立つ。

 
 (これで全部引き継いだことになるよ。……兄さんは、満足した………?)

 この問いに応えが返ることは、ない。 
 雅孝は一瞬瞑目し、悲しみを胸の中にしまいこんで、目を開いた。

 
 頭を切り替えて新入生の一団に目を走らせれば、いくつかの強い視線に気付く。
 負けん気の強い奴はいつの時代もいるようだ。
 これから暫くは校内で小競り合いや喧嘩が頻発することだろう。
 
 昨年、凪達が暴れたように。

 
 穏やかな笑みを湛えたまま、雅孝は万感の思いをこめて口を開いた。
  

 
 「………はじめまして。僕が、生徒自治会執行部会長、高柳雅孝です」


 
 かくして暗黒の時代は終わりを告げ、学園が再び「パラダイス」となる。
 新しい統道の歴史が、この時、この場所から、始まろうとしていた。
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