佐助、夜更けに決意する




 きっと絶対、一生忘れない。

 鈍く光を弾く刃の輝き。
 か細く小さく頼りない、若様の呼吸の音。
 片倉さんの手の中に転がる、小さな眼球のとろりとした白さ。  

 翳した手に僅かな呼気を感じた時の、あの泣きたいような安心を。




 三人も人間がいるっていうのに、部屋の中はやたらと静かだ。
 片倉さんは夜通し若様の御傍に控えるつもりなのか、布団から少し離れたところに置物みたいに座ってる。
 若様は薬が効いているらしく、寝息が微かに聞こえるくらいで身動き一つしない。
 
 時々聞こえる風の音が、やけに大きく聞こえる。

 そんな張り詰めたような静寂の中。
 俺はといえば、治療に使った布を片付けながら、こっそりと布団の上の寝顔を盗み見ていた。


 起きている時は大人びた表情とよく回る口のせいで誤魔化されてるけど、こうして眠っているところを見ると若様は本当に子供だ。
 ちんまりとした頭に不恰好なほど細い首。
 まるで、よくできたお人形みたいだ。

 若様は元々小柄だったけど、寝込んでた一月足らずの間に更に小さくなった。
 腕も足も骨に皮が張り付いているような有様で、ちょっと触ったらポキリと折れちゃいそうだ。
 きっと目方も出会った頃よりずっと軽くなっているだろう。
 子供らしいふくふくとした頬はすっかり痩せてしまって、目ばかりが大きく見える。

 その目も、もう片方しかない。

 ふと、手の中の血が滲んだ布に目を落として、ついさっきのことを思い出した。
 俺の十年ちょっとの人生の中で、多分一番怖かった時のことを。

 ……俺はまだ忍としては未熟者だけど、それなりに修羅場を潜ってきたつもりだ。
 全然自慢にならないけど人を殺したこともあるし、死にそうになったことは一度や二度じゃない。
 それでも、今までのどんな経験よりも今夜の『治療』の方が恐ろしかった。

 身体が小さいと、ちょっと血を流しすぎれば死んでしまう。
 子供なんてただでさえ弱いものなのに、その上若様は病み上がりだ。
 たとえ使い物にならないとしても、体の一部を切り離せば間違いなく若様の身体に負担がかかる。
 行灯の明かりで刃が光るたびに、何度止めようと思ったことか。

 目玉が片倉さんの掌に乗っているのを見て、慌てて息を確認して。
 手当の前に手首の脈を数えて。包帯を巻き終わってからもう一度首筋で脈を測って。
 微かに上下する薄い胸を見て、安心のあまりに思わず泣いてしまったくらいに、怖かった。


 きっとこの怖さが、俺の若様への気持ちの重さなんだ。


 若様が普通じゃないっていうのは最初からなんとなく分かってはいた。
 まず口のきき方からして小さい子のものじゃなかったから。
 俺を助けてくれた手段だって、五つかそこらの何の鍛錬もしていない子供じゃ思いつかないよ。
 身を守れもしないのに無闇やたらと堂々とした様子とか、いきなり他国の忍を勧誘する突拍子のない発想を、子供だからの一言で片付けるにはちょっと若様は利発すぎた。
 ま、特に根拠もなく自信満々だったんだって、後で知ったんだけど。


 ―――若様は不思議な人だよね。 

 大人で、子供で。どうにも捉えどころがなくて。
 四百年先の世から来たとか、御父上より年上だったとか。
 はじめのうちは単なる冗談か与太話として聞いてたけど、付き合いが長くなるにつれて信じざるを得なくなってきたし。

 ガラが悪くて口が悪くて、しょっちゅう変な歌を歌ってて、意味のわからない言葉を会話に混ぜるわ、分けのわからないもの作り始めるわ、すぐにふらふら出歩いて、やることなすこと破天荒で。
 文句を言うわりになんだかんだ言って優しくて、大雑把なくせに変なところで気を遣う。

 寒い日、報告に来た一介の忍に、何気なく温石を渡す若様。    
 下働きの女の子のために未知の技術で井戸を改良してしまう若様。
 ちょっと目を離した隙に仕事に来た職人達に混じって何やら作っている若様。
 御父上の御家来衆と真剣な顔で政事について議論を交わしている若様。
 時宗丸様と縁側で丸くなって眠っている若様。
 
 こんな人他にはいない。

 最初はただ風変わりな若様に興味があっただけだった。
 でも、今は。

 「若様が。若様だけが、俺の主だ」

 外側が大人だろうが子供だろうが、右目があろうがなかろうが関係ない。
 若様が若様ならそれでいいんだ。


 密やかな若様の寝息を聞きながら、強く強く目を閉じる。
 
 これから先、きっと若様は辛い御立場に立たされるだろう。
 戦でならばまだしも、若様は病によって目を失った。
 せめて元服後であれば扱いも違ったろうけれど、たった五つで、しかも一つ下の弟君がいるとなれば当然家中での立ち位置は危うくなってくる。
 若様はいつも隠居したい隠居したいって口癖みたいに言ってるけど、本当に伊達の家を出ることになるかもしれない。
 御命を狙われる可能性だって出てくる。それも、外だけでなく、内からもだ。
 
 それでも。

 例え若様が伊達を追われたとしても、俺は絶対に着いていこう。

 幸いにして俺の雇い主は若様だ。伊達に義理立てする必要は全然無いからね。
 行きたい場所があるなら御連れするし、どこまでだって着いていく。
 大切な、俺の最初で最後の主人だ。
 どんな時でも、どんな敵からも必ず御守りしよう。
 仇為す者には容赦しない。


 ……例え相手が、若様の御母上であろうと。

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