梵天丸様衛生事情についてお考えになる(後)




 ―――勢い込んではじめてはみたものの、やっぱ知識と実践は違うわ。
 
 灰から取った灰汁がアルカリなのは知っていても、どうやって取るのかが分からない。
 精製水をの代替として井戸水を蒸留しようとしたら、蒸留するために必要な器具がない。
 石鹸を固めるための型を用意しようにも、プラスチックの容器もも牛乳の空きパックもない。
 その上戦国時代じゃ計量カップも温度計もスプーンもなくて、びっくりするほどないないづくし。


 これが現実の壁ってやつだ。


 しかし!そういう壁に立ち向かうのが人間ってヤツなんだなこれが。
 
 幸いにして、灰汁の取り方は佐助が知っていた。
 水については今回は諦めて煮沸。次回までに器具を作る。 
 型は小十郎が厩の後ろから竹を持ってきてくれるから、それで作成。
 スプーンは木杓子で代用するし、計量と温度はオレの記憶頼りの目分量だ。

 失敗フラグがいろいろ立ってるけど、まあ失敗は成功の母って言うしな。
 いつかきっとどこの家のお風呂にも石鹸が並ぶ日が……。

 「……目的と手段を取り違えとった」

 風呂で思い出したよ。

 よく考えたら石鹸の前にまずあいつらが風呂に入れるような算段をせねばならんのではないか。
 オレは馬鹿なのか。すみません、馬鹿ですみません。  
 石鹸作りに熱中して頭から抜け落ちておりました。

 「佐助ぇ」

 「何ですかー」

 なんだか返事がいい加減だが今回は大目に見よう。沸騰途中の鍋を一心に見つめてるし。
 お前ってカレー作ったら絶対に鍋から目を離せないタイプだろうな。超非効率。

 「町民や農民の人たちってやっぱりお風呂には入らないのか」 

 「そうですねぇ。贅沢ですからね」

 近所に湯が沸いていれば別ですけどー。と言うのを聞いて、なるほどと思う。
 そりゃ近くに温泉があれば入りに行くわな。タダだし。 

 「贅沢って言葉が出るからには、やっぱ問題は燃料?」

 この時代の燃料といえば薪だが、だったら採ってくればいいという考えは甘い。
 風呂といえるほどの量の水を温めるとなると、薪の消費も膨大になる。そんなに沢山の薪を取ってくるなんていったいどれほどの労力がいることか。
 かといって購入するとなれば燃料費が御家庭の家計を圧迫する。
 石油のせの字もないような時代においても燃料価格高騰。世知辛い話です。

 「もちろんそれもありますけどね、水だって用意が難しいです」

 「井戸から汲んでくればいいじゃん。冬は雪が降ってるしさ」

 あ、雪を解かすにも燃料が必要か。
 でも井戸なら最初っから水だし、ポンプがあるから水汲みは楽になってるはずだぞ。
 運搬自体は確かに面倒かもしれんが、できないことはないだろう。

 「もうすこし南に行くとここほど雪は降りませんよ」

 へー、そうなんだ。
 まあ良く考えると関東の北の方まで領地がかかってたかもしれんな。
 別に大きな戦もないのに、気がつけば去年より領地が増えている。
 オレが何かする前に既に知ってる歴史と違うぜ。父上自重しろ。

 「それに、いい井戸がないと遠くまで水汲みにいかなきゃならないし」

 「……川とか?」

 「山ん中の湧き水ってこともありますね」
 
 水のために山登りかよ。
 転んだらやり直しだろ、引っ越したほうがいいんじゃないか。

 「水道がありゃ便利なのにな」

 道路整備だって始まったばっかなんだから無理だってのは分かってるが、言うだけならタダだ。

 「水道ってゆーと水の通り道ですか」

 正解。水をね、こう、水源地から管とか樋とかで町中まで引っ張ってくるの。
 江戸時代だと神田上水とか玉川上水みたいな。いっそローマ水道を目指してもいいかもね。
 どっちにしても着工から完成まで数十年単位で時間がかかると思うけどさ。

 「ろーま?」

 聞きなれない言葉を耳に留めたのか、で黙々と竹を弄くっていた小十郎がふと顔を上げた。
 こいつには石鹸の型として竹を節ごとに切ってもらってたんだが、切り終わったと思ったら何やらその内側に小刀で細工…を……。

 「え、なんなのこれ」

 「梵天丸様の『梵』の字にございます」
 
 なんか禍々しい感じだから、てっきり呪いでも刻んでるのかと思った………。
 言われてみればそう見えないこともないこともない。つーか見えねーよなんだこれ怖いよなんか。
 
 「ご説明いただいた石鹸とやらがこの型で固まれば、出した時に『梵』の字が反転して上に」

 いや懇切丁寧に解説してくれなくても分かるから。
 しかしお前自分の不器用さを自覚してないのか。悪意がないだけにタチが悪い。

 「えーと、小十郎」
 

 こじゅうろうは ほめてほしそうに こっちをみている!

 ぼんてんまるは わだいをかえた!


 「……ローマってのは海の向こうにあった昔の国で」

 「異国でござますか」

 よかったノってくれて。

 「そそ。ローマで使われていたのがローマ水道。水道橋が有名だけど実は地下にも埋められてて」

 「水道橋とは」

 「水が通る橋だよ。ローマ水道の目玉はサイフォンの原理を利用しているところなんだけど、」

 「さいほん」

 「うあ」

 あああああ!
 こいつサイフォンの原理知らないのか!またしても名称がネック?まだ日本じゃ知られていないとか?
 どっちにしても言葉だけで説明して理解してもらえる自信がない。
 オレはこういう行き当たりばったりで話すのって苦手なんだよ。もっと熟考させてくれ。

 「サ、サイフォンっつーのは高低差による圧力を利用したもんで……」

 うん、圧力が空気圧あったか水圧だったかも覚えてねぇ。 

 「えー…例えば。酒樽と酒瓶があったとしよう。樽は瓶よりちょっと高いところに置いてあって…」
 
 適当に話しながら、竹の切れ端で地面に簡単な図を書いていく。
 ローマ水道の情報は『世界不思議○見』からなんで正確性に自信がないが、サイフォンの原理は学生時代に教師から教わった。
 実は本来の授業内容からの脱線だったんだが、授業ってどういうわけか脇道に逸れたほうが面白くて記憶に残るんだよな。

 「でもって、酒が通る管を用意して、樽から瓶に酒を移そうと考える」

 棚の上にある酒が満ちた樽と、下の方に空っぽの瓶書いた後で、その二つををコの字を縦にしたような線でつなぐ。
 コの字の端は樽の方の酒に浸かっている状態だ。

 「普通に柄杓で汲めばよいのでは。でなければ樽の下の方に穴を開けて栓を……」

 例えだってば!!
 樽は動かない、穴も開かない。だからこの管を使って移し替えようとしてるんだ。そういうことで納得しろ!

 「ですがこの図を見るに、それも無理のように思われます。水は上りません」

 うん、その疑問を待っていた。

 「管が一度水面より上に向かってるから、普通なら酒は移動しない。そう考えるのはもっともだ」

 小十郎がうなずくのを確認してから、縦コの字の線を二本にして、中が空洞な筒であることを示す。

 「だが、オレがこの管の瓶側から酒を啜って、管を酒が満たしたとしよう」

 空洞部分に矢印を描く。

 「すると、あら不思議。オレが管から口を離しても、樽の管より酒の水面が下になるまで、酒は流れ続けるのです」

 「はぁ」

 うーむ。まだ分からんか。
 酒樽と酒瓶じゃ例えがまずかったのかねぇ。  もっと具体的で分かりやすい説明かー……ああそうだ、あれがあった。
 「違う例を説明しよう。オレが昔友人から貰った土産に教訓茶碗というのがあってだな……」






 なんでオレはサイフォンなんて話題に出しちゃったんだ。
 
 そう思いながらも聞かれると答えずにはいられない。
 地面を利用して解説し、その場にあった物で実演し、あまつさえ原理を利用した技術にまで言及し。
 小十郎がやっと満足するころにはとうに日も暮れ、いつの間にやら石鹸は残すところ時間を置いて型に流すだけになっていた。

 あたりまえだけど、石鹸が勝手にできあがったわけじゃない。

 
 佐助が一晩でやってくれました。


 実際はまあ4、5時間くらいだったんだろうけど、方に流し込んだのは翌朝だったからほぼ一晩と言っていいだろう。
 オレが小十郎相手に化学の深淵の一端を披露している間、佐助君は黙ってコツコツ作業を進めてくれていたわけだ。
 佐助が鍋を見つめてる時に話し始めたんで、オレはまた延々と灰を煮詰めているんだと思ってたよ。

 話し終わって日が暮れてたのにも驚いたが、それにもまして鍋の中に石鹸がほぼ出来上がっていた時の方がもっとビビッた。
 解説中に灰汁を濾しとってオレに次の作業を確認し、実演中に油を温めて灰汁と混ぜ合わせ。
 訳が分からないだろう石油ポンプの話を聞きつつ、分離するたびに鍋をかき混ぜ続けた君の瞳に乾杯。
 非効率だなんて言ってごめん。超ごめん。
 地味さに耐えてよくがんばった! 感動した! おめでとう!
 

 ――――ちなみに。

 オレ指導、佐助作成の石鹸は、失敗か成功か判定が難しい感じの出来でした。

 泡立ちはかなり控えめながら、機能としては石鹸といえなくもないという程度。
 オレが現代で使ってたものの足元にも及ばない代物だったんだけど、意外にも喜多さんはじめお試しにと渡した女性陣には総じて好評だった。
 香料を入れてはどうかとか、漢方薬を混ぜられないかとか、色々とリクエストなども戴いたんで、改良して量産してほしいってことなんだろう。
 ま、今後に期待してもらえてるなら、辛うじて成功って考えてもいいのかね。

 肝心のブツは、四週間たっても固まらない、どろどろの液体石鹸だったが。

 ……おっかしいなぁ。なんで固まらなかったんだろう。
 一番引っかかるのは灰汁なんけど、水が多かったのか、それとも少なかったのか。
 どっちにしても迂闊に量をいじると危険な気がするし、使い心地的に灰汁自体はむしろ減らしてもいいくらいだ。
 うーん、いっそ灰を変えてみるかな。一番それが安上がりだし。
 とりあえず植物ならなんでもいいから色んな木とか藁とか試してみよう。次は松とかどうかな。
 
 「ああ、化学って大変だー……」
 
 器具だって満足に揃わないこの時代。
 完璧な固形石鹸を作るには更なる研鑽が必要なようです。


 そしてやっぱり子供を風呂に入れる話は進んでいないのだ。


 石鹸とローマ水道で完全に目的が脳裏から洗い流されていたが、そもそもそれが行動理由なんだよ。
 オレの残り湯使うんじゃ根本的な解決にならないし、いっそ銭湯でも作ろうか。
 春から地道に薪を貯めて、冬季限定営業とかならできないこともないような……燃料持込割引とかしてさ。
 それも雪が解けてからの話だけど。

 何もかも春になってから。
 なんだか去年も同じこと言った気がするが、実際に冬は身動きが取れないから多分この先も毎年言うことになるんだろう。
 ああ、早く春にならねえかなぁ。

 春よ来い、早く来い。
 
 人生初の霜焼けができて、そろそろ我慢の限界なんです。

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