梵天丸様、兄の貫禄を示される






 爽やかな風が吹き抜けていく初夏の早朝。
 湿気が少なく、気温は少し肌寒いくらいだ。
 空には綿雲が二つ三つぽっかりと浮かんでいる。

 「昼寝にちょうどいい陽気だなあ」

 土手に寝転がって空を見上げているひとときは、何ともいえず満ち足りた時間だ。
 この心地よい気候も今だけで、一ヶ月と立たずに地獄がやってくると思うとよりいっそう貴重なものに思える。
 朝飯を食って間がないため、満腹なのも幸せな理由の一つだ。
 おにぎりおいしかったです。

 「お、いい風」

 ざああ、と草が波打つ音がする。
 綿雲は緩やかに形を変えつつ左から右に流れ、草の匂いが鼻をくすぐっていく。
 風にのって聴こえてくるのは、子どもの笑い声や働く男衆の掛け声。
 時宗丸が近くを走り回っている足音に、時折佐助の叫びが紛れ込む。
 抜けるような青空を切り裂いて、紙飛行機が飛んでいく。
 いかにも牧歌的な日本の原風景なのに、時代的に場違いなはずの紙飛行機が違和感なく同化している。

 ちなみに紙飛行機を飛ばしてるのは、珍しく俺にくっついて外に出てきた竺丸だ。

 なんでか知らんが、こいつ飛んでくものが大好きなんだよ。
 世が世なら航空自衛隊とか民間機のパイロットとか宇宙飛行士あたりを目指していただろうと思わせるレベル。
 その偏愛ぶりといったら、この戦国の世において、各種の凧はもとより、竹とんぼに落下傘、今飛ばしている紙飛行機から、失敗して燃え尽きはしたがミニチュアの熱気球にまで手を出す始末。
 佐助の話によれば最近では「鳥になりたい」とか電波なことまで言い出しているらしい。


 ……電波発言の理由には趣味だけじゃなくて現実逃避って面もありそうだが。

 
 俺と違って竺丸は日々抑圧されてるからなあ。
 母上は相変わらず溺愛しつつも首根っこ抑えてるし、二人とも元服すらしてないのに既にお家騒動の片鱗が見え隠れしてる。
 竺丸派と俺派で家が割れつつある状況は子供にとっちゃ相当なストレスだろう。
 しかもあいつは父上譲りの温和な性格に加え、伊達家の人間とは思えないほど神経が細い。
 廊下で母上と俺のギスギス喧嘩コミュニケーションを目撃したり、俺が竺丸派に暗殺されかけたなんて噂を聞くたびに心労が重なっているらしく、気に病みすぎて可哀想になってくる。
 やだねえ、子供を振り回す大人って。

 その結果「あいうぃっしゅあいわーあばーど」とか言い出しちゃったのは、俺がその手の玩具を与え続けたせいですが。

 フヒヒwwwサーセンwww
 
 「ま、ちょっとでも気分転換になるなら紙飛行機くらいいくらでも飛ばせばいいさ」

 佐助に頼んで烏を借りて擬似飛行体験させるってのはの安全上好ましくなかろうし。
 ゴムがあればゴム動力の模型飛行機とか作ってやれるんだけど、さすがにこの時代じゃ無理だろう。
 雑学として、ゴムの原料がゴムノキの樹液だってのは知ってる。
 原産は東南アジア方面だったかな。台湾あたりを中継にすれば、ギリギリ手が届くくらいか。
 だが、運よく原材料が手に入ったとしても、ゴムとしての加工方法が分からない時点で詰んでいる。
 その辺、今まで輸入してきた馴染みの食材とは難易度が段違いだ。

 「やっぱ加工方法がネックだよな。外来植物自体は結構入ってきてるし」

 現在栽培試験中のジャガイモとかサツマイモとかさ。
 小十郎が頑張ってくれてるおかげで作付面積は増えているし、成果は上々だ。
 原種だからか俺の知ってるイモとは若干違うが、基本的な調理方法や注意事項は変わらない。
 どうやったらおいしく食べられるかとか、緑の部分や芽には毒があるってことを知ってるだけで確実に普及は早くなる。
 菜の花やイモ類、あとは養蚕のための桑畑。
 俺の無責任な発言が発端とはいえ、こうして多様な農作物が栽培されているのを見ると正直胸が熱くなる。
 そして食欲をもてあます。

 「食欲といえば、今日のお昼は卵料理がいいな」

 とりとめのない思考の連鎖は続いていく。

 卵料理の連想は鳥になりたがってる竺丸への皮肉ってわけじゃない。
 単純に、遊びに来てる時宗丸が卵好きだからだ。
 流通が未発達なこの時代は卵って結構貴重だけど、ほら、俺はマイ鶏持ってるから。


 「ぼんさまーーっ!!」

 
 タイミングよく時宗丸が俺を呼ぶ。

 そうだ、卵に豆腐を合わせてそぼろ炒めなんてどうだろう。 
 月見うどんとかも悪くないな。シンプルに出汁巻玉子を作って大根おろしを添えてもいい。
 ううむ、時宗丸のリクエストも聞いてみるか。

 「ぼんさまっ!きたよぉ――!!」  

 その叫びで、頭の中から卵が消えた。



    きたか…!!     

      ( ゚д゚) ガバッ 
 w  w⊂  し)   
  w_wゝO-Oww_   




 反動を付けて寝転がっている状態から跳ね起きて、
 夜明けからずっとこの知らせを待っていたんだ。
 さあ、気合を入れていくぞ!

 「どこだ!」 
  
 叫び返した俺の目にまず映ったのは、ちょっと離れたところで茶の用意をしていた小十郎。
 土手で跳ね回っている子供らに、目立たぬ風情で佇む護衛の黒脛巾組。
 どこから聞いてきたのか、見物人が数十名。
 正面には、満面の笑みで駆け寄ってくる時宗丸。
 その後ろには時宗丸を中腰で追いかける、慌てた顔の佐助。
 制作に協力してくれた孤児の面々の、誇らしげな顔。 
 仁王立ちの竺丸の背中。


 そしてその後ろにぽっかりと浮かぶ奇妙な飛行物体。


 直径3尺高さ約6尺円筒型の、和紙を張り合わせて作った無人気球だ。 


 「おお……!」

 地上2メートル、いや、まだ上がりそうだ。
 確かに浮遊している。素晴らしい!

 自分で作ったんだから浮くとは思ってたけど、実際に見るとさすがに感動するわ。
 耐火性能どころか耐水性も怪しい、ぶっちゃけ巨大な紙風船みたいな代物ではあるけれど、それでも気球は気球だ。
 蝋燭使って何度も実験した甲斐があった。軽くて丈夫な和紙万歳。
 竺丸は焚火の上で手を離したら火に落ちて燃えたとか言って泣いてたが、目の前の気球は見間違いようもなく浮いている。

 「――竺丸」
 
 興奮している時宗丸の向こうに、竺丸の背中があった。
 何を考えていのか、気球を見上げたまま呆然と立ち尽くしているようだ。

 竺丸、お前の気球が飛ばなかったのは、このそろそろ夏になろうって時期のよりにもよって真昼間に試したからだよ。
 本来なら温度差考えて冬に飛ばすべきなんだ。でなきゃ今みたいに気温が低い早朝とかさ。
 そうしたらお前が作った気球だってきっと。

 ああ、いや、そんなこたぁどうでもいい。

 「竺丸」

 気球を見上げたまま立ち尽くし微動だにしない竺丸の背にむかって、 足を踏みしめ腕を組み、精一杯胸を張って話しかける。 

 「いいか、兄より優れた弟など――」


 間違えた。


 「ンンッ、……いいか竺丸、お前はもっと自分勝手になっていい」

 咳払いで誤魔化し、強引に仕切りなおす。
 なんだこれ。
 つい雰囲気に流されたせいで一瞬にして台無しになったわ。

 ……もういい。とりあえず言うことは言っとこう。

 「外野のことは気にすんな」

 まずこれだな。竺丸は少し繊細すぎる。
 母上がモンスターペアレンツなのはあの人の気性の問題だし、お前を擁立しようとしてる奴らが俺にちょっかい出すのは奴らの都合だ。
 別にお前が萎縮したり申し訳なく思ったりする必要はない。

 父上を見てみろ。
 気性は温厚にして寛容、人に愛される仁君とか言われてるけど、あの人実はめちゃめちゃマイペースだぞ。
 鷹揚で陽気といえば聞こえはいいが、実際はのほほんハイテンションだ。
 しかも自分の趣味で領内に怪しげな英語を蔓延させているくらいフリーダム。
 お前だってあの人の息子なんだから、父上の半分くらいは気楽でいいはずだ。

 「気球みたいに、もっと軽く生きていけ」
 
 ……ぶっちゃけ、これが言いたくて気球作ったようなもんだ。

 竺丸は遊んでるときさえ真面目すぎて心配になるんだよ。
 将来伊達家を背負って立ってもらわにゃならんのに、そんなに繊細で生真面目だと先行き不安だ。
 気晴らしも兼ねて、竺丸の心に何か響きそうなものといったら、真っ先に出たのがこれだった。
 視覚的インパクトって記憶に残るしな。

 実際、この選択は正しかったと思う。

 「俺がいいたいことはそれだけだ」
 
 背後からでも、竺丸が拳を握り、小さく頷いたのが分かった。
 途中でちょっとしくじりかけたものの、なんとか目的は達することができたようだ。

 よかった、気球がただの見世物で終わらなくて。
 これを作るため必死になってポンチ絵本の下絵描いたりして金を稼いだからな。
 人件費については善意の協力があったからいいけど、材料費は自腹なんだよ。
 何がしかの反応がなきゃ無駄な出費になるとこだった。

 「弟を元気付けて励まして、背中を押す。なかなか兄貴らしかったと思わんか?」

 静かに近づいてきた小十郎に、ニヤリと格好つけて笑ってみせる。
 現代人だった頃はリアル弟がいたし、これも昔とった杵柄ってもんだ。

 「道具に頼らなければもっとよろしかったかと」

 いかつい顔に微笑を浮かべつつ、余計なことを言う小十郎。
 どうしてこいつはいつも一言多いのか。

 「うっさいわ!」 

 弟っていったって時宗丸よりエンカウント率が少ないくらい没交渉なの知ってんだろ。 
 きっかけもなしにこんな突っ込んだおせっかいが焼けるか。

 「梵天丸様はヘタレでいらっしゃる」

 「ふん」

 ヘタレで結構。

 道具を使おうがシチュエーションに頼ろうが、思惑どおりに事が運べればそれでいい。
 周りの人間に支えられ、背中を押されて、いつか竺丸は伊達家の頂点に立つ。
 そしてあの気球のごとく、戦国時代という大空を飛んでいくことになるだろう。

 その時俺は一介の技術者。
 ドロップアウトの生臭坊主。
 ちりめん問屋のご隠居。

 の、どれかになっている予定だ。

 「……10年後が楽しみだなァ」

 政務に励む竺丸の幸せを、俺は市井で心から祈っているよ。  そうなったらまた気晴らしに、今度は錘式カタパルト使ったグライダーの有人飛行とか見せてやろう。
 もちろん乗るのは佐助です。



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