梵天丸様曇れる闇夜に煩悶なさる




 日を追うごとに日没が早まる晩夏。
 いかにも夏らしい積乱雲が沈みかけた太陽を隠したかと思うと、にわかに叩きつけるような雨が降り出した。
 乾いて白んだ土に大粒の雨が落ち、地面を色濃く塗り替えていく。
 騒がしい蝉の声は雨音にすっかり掻き消されて、視界は靄がかかったようだ。
 厚い雲に覆われた空は、夕暮れを通り越していち早く夜に変わろうとしている。

 書き物をするには少しばかり明るさが足りない。
 かといって灯りを用意するのも、いまいち気乗りがしない。 
 オレは両手を組んで伸びをすると、そのままごろりと横になった。

 「暑い」
 
 夏なんだから当たり前だけど、マジ辛い。
 このままパンイチならぬフンイチになって雨の中に踊り出たいくらいなんだが、前にソレをやったら烈火のごとく怒られたので自重している。
 我慢のできるオレは凄く偉いから、御褒美に気温を2度くらい下げてくれてもいいんだぜ。

 「向こうはもうちょい涼しい……」
 
 雨で冷やされた空気に惹かれて、廊下にごろごろと転がり出る。
 仰向けになって庭の雨に片手を伸ばしたら、なぜかそこにいる小十郎から小言が飛んできた。

 「また御行儀の悪いことを」

 神出鬼没の男、片倉小十郎景綱。
 オレのお守り以外にも仕事があるはずなんだが、振り返ればなぜかヤツがいる。
 メリーさんかお前は。

 「久々の雨なんだから大目に見ろよ」

 ここ4,5日ほど快晴が続いて、川の水量も減ってきていたところだ。
 俄か雨のようではあるが、雨量としては充分だろう。

 「確かに、よいお湿りでございますな」
 
 実家近隣の年寄連中みたいなことを言って、小十郎が空を見上げた。

 「そろそろ夏も終わりか」
 
 日中はまだまだ脳が溶けるような暑さだが、日が落ちると涼しくなってきた。
 あと数週間もすれば気温も落ち着いて、台風シーズンがやってくる。
 その後は刈り入れの時期だ。農繁期って奴だな。
 収穫の終盤あたりから河川は渇水期。治水工事のはかどる季節に入る。
 
 「刈り入れが終わればすぐに冬が参ります」
 
 「もっと秋が長けりゃいいのに」

 体感的に、一年の大半が暑いか寒いかの両極端な気がする。
 まあ圧倒的に寒い方が多いんだが。
  
 「寒さはともかく、雪が邪魔で外出に制限がかかるのが辛い」
 
 冬場は戦が減るのがせめてもの慰めだ。
 雪が積もると戦闘が物理的に困難になるからな。
 対陣したまま越冬するにしても大規模な直接戦闘は起こらない。というか起こせない。
 そう考えると積雪で身動き取れない時期があるのは悪いことばかりでもないかな。
 人死にが出ないというのは素晴らしいことだ。
 退屈を堪えようという気にもなる。

 ただその分身内の暇人たちが蠢きだすわけだが。
 春でもないのに蠢動とはこれ如何に。

 「外に出られないと父上も悪だくみするからなあ」
 
 ただしあの人の悪だくみはオレに害をなすようなものではない。 
 
 ……厄介なのは閑居して不全をなすような連中だ。
 オレが年を重ねるごとに弟周辺が殺気だってきているからな。
 襲撃や毒物は対処してくれる面々を頼るとして、オレ自身も行動に気をつけなくては。
 ああまったくもっていい迷惑だ。

 
 「梵天丸様」


 寝転がったまま考え込むオレの傍らに、ふと膝をつく気配がした。
 名を呼ぶ声の響きが妙に固い。真面目な話が始まる気配だ。

 「梵天丸様は、伊達が……この国がお嫌いですか」

 オレを担ぎ上げようとして憚らない男が言う。
 唐突だな。いや、父上の名を出したからか。

 これから始まる話題を察して、オレもよっこらせと身を起こした。
 そのうちちゃんと話しておくべきだと思っていたことだ。
 寝転がってする話でもあるまい。

 「いいや、そんなこたぁねえよ?美しい、いい国だ。恩も愛着もある」

 そして罪悪感もある。
 両親にも弟にも家臣にも乳母にも民にも、伊達政宗になるはずだった子どもにも。
 とはいえ、それに潰されたり流されたりするほど清らかな人間ではないのだが。

 「知り合いも随分増えたし、色々としがらみもできたしな」

 人間関係は大切だし、そこは不義理をしちゃいかんところだ。
 近しい者としては、小十郎を筆頭に、時宗丸や佐助や綱元達。
 ある程度の責任があると思うのは、まず子どもら。次は黒脛巾。
 オレの思いつきをよく聞いて協力してくれたくれた医師、職人連中。

 「それでも御父上の後を御継ぎになるのは厭われると」

 「嫌だな。それとこれとは別の話だろ」

 後を継がなくたってできることはある。
 今だって知識や技術を提供しているじゃないか。
 いい暮らしをさせて貰ってる分は働いてるぞ。

 「では、この国がどんな国であって欲しいとお思いか」

 「国の隅々まで衣食住が足りて、水と安全がタダみたいな国」

 
 質問を変えた小十郎に、オレは即答した。
 
 今まで散々欲しいものを作ったり探したりしてきたが、結局行き着くところはそこになる。
 理想ではなく現実にそうあったものを知っているだけに、オレの要求は厳しい。
 この時代で生きていく覚悟があっても、望郷の念は捨てられないものだ。

 ていうか戦国時代マジ不便で危険だからね。
 そら暮らすなら平成日本よ。

 「夢物語だと思うか?だが、オレが生きていたのはそういう日本なんだ」
 
 多少の誇張はあるものの、丸っきり嘘ってわけでもない。
 世界的に見ても日本は豊かで安全な先進国であり、水資源にも恵まれている。
 子どもの虐待死や老人の孤独死がニュースになるのは、それが稀なことだからだ。
 少なくとも戦国時代の日本と比べれば生活レベルは雲泥の差といえよう。

 蛇口を捻れば水も湯も出る。ボタン一つで風呂が沸かせる。
 台所ではコンロで手軽に煮炊きができて、室温はエアコンが快適に保ってくれる。
 コインランドリーに汚れ物を持ち込めば、ものの半刻で洗濯から乾燥まで全自動だ。
 娯楽だって山ほどあった。正直各種家電よりもそれがなくなったことが一番痛い。
 
 「基本的に、今までしてきたオレの提案って全部自分がよりよく過ごすためのものだからな」 

 自分だけいい暮らししてるのも精神衛生上よくないし、そういう意味ではいくらか人のためになる提案もしたかもしれんが。
 こういう物が欲しい、と考えてそのためにあれこれ試行錯誤をするのは嫌いじゃないというか大好きだしな。
 ただし、提案したことを他の人間がどう活用するかは、それこそ他人任せだ。 

 「そういうわけで、オレは政治とかには向かない性格なんだよ」
 
 御家や血筋も、土地や民も、元一般人が背負うには重たすぎる。
 それに、この時代の常識的な思考回路や感覚と決定的にズレているオレじゃ戦国時代の世渡りはできない。
 切った張ったや命の軽さには大分慣れてグロ耐性もついてはきたが、無意識的な部分を擦り合わせるのにどれだけ時間がかかることか。

 「自分がやりたいことしかやりたくない。ああ、生活のための労働くらいはするさ。
  遊んで暮らしたいとまでは言わん。ただ単に、極力楽をして、楽しく生きたいんだ」
 
 中継ぎくらいなら勤めよう。が、持って数年だな。
 それ以上だとオレの我慢が限界を突破しそうだ。
 そうなったら出奔するぞ。

 「だから最終的に仰ぐのは竺丸にしておけ。大丈夫、素質はある」

 普段は気球だ落下傘だと騒いでいるが、あれで案外自分の置かれている状況を理解している。
 繊細で神経質なところも和らぎ、今では母上の目を盗んで遊びにくるくらい図太くなった。
 武芸の方はそこそこってところだが、身体は丈夫だ。頭だって悪くない。
 DNAのおかげか素のスペックは高いので、これからどうとでも教育できる。
 穏やかな気性だから家臣や民に無体を強いることもないだろう。
 
 セールスマンの如く弟を売り込むオレに、小十郎がゆっくりと首を横に振った。


 「我々はあなたがよいのです」

 
 その『我々』に含まれる面々に察しがついてしまうところが辛い。
 普段から過保護な小十郎は、それはそれはいい声で滔々と語りだした。

 最初は義務感であったこと。
 面白い主人だと興味を持ったこと。
 共に在れることが嬉しく楽しいこと。
 自分が支えとなれるのが誇らしいこと。
 仕えるに、オレほどの相手はいないと思っていること。
 
 「買被りすぎだよ!!」

 なんだそれオレじゃねえよ。もしかして:。
 身贔屓というか、盲目にもほどがあるぞ。
 
 「梵天丸様の前向きさに、皆が救われております」

 「いや、結構弱音を吐いたり愚痴ったりしてるだろ。文句もよく言うし」

 特に夏の盛りには何度も醜態を晒しているぞ。一昨年くらいまでの話だが。
 遠心分離機がなぜか動かなかったり養蜂箱に蜂が入ってくれなかったりと失敗するたび不貞寝してたのも、お前が一番よく知っているはずだ。

 「そういうことを申しているわけではないのは、お分かりでしょう」

 小十郎が保護者オーラを纏って苦笑した。
 分かるからこそ誤魔化したいのに、それさえ許してはくれない。
 オレの反論を封じるように、さらに口を開く。 
 苦笑いは、オレもあまり見たことがないくらいに朗らかな笑顔に変わった。 
 
 「あなたはあなたのままで居てください。
  やりたいことを思うままに行って、楽に楽しく生きるために一生懸命で。
  行く先を望み示してくださるならば、我等は喜んで行く道を造りましょう」


 こりゃアカン。


 ここまできて、ようやくオレは自分が思い違いをしていたことに気がついた。
 気持ちを伝えるとか、話し合いをするとか、そういう次元はとうに過ぎていたのだ。
 
 小十郎のこれは、宣戦布告だ。

 『我々』を代表して、「逃がさんぞ貴様」とここに宣言した。
 今からオレがどんだけやめとけと言っても、もはや小十郎の心を動かすことはできないだろう。
 どうしても距離を置けなかったオレの失態だ。
 もう腹を決めてしまった目をしている。
  
 「――どいつもこいつも、酔狂だな」

 応えることができないオレは、そう言って再びその場に横になった。
 
 そうやって逃げることしかできない。
 何を言っても無駄な相手に、他に何が言えただろうか。
 度し難いのは、オレが小十郎の言葉を多少なりとも喜んでしまったところだ。
 何百年も先まで名前が残っている武将にここまで言われて、嬉しくない男はそうはいない。
 伊達政宗という『ガワ』の補正があってこそだろうが、それでも快挙だ。

 「だからって今更生き方は変えられないんだよなあ」

 ぼやきながら空を見上げれば、いつの間にか雨は止んでいた。
 もやもやしているオレの心とは裏腹に雲間から夜空が見えている。
 小十郎の気配が静かに遠ざかり、虫の声が庭のそこここから聞こえだす。  

 ようやく顔を出した三日月が、頭上で蒼く輝いていた。



  
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