○○○○と死後の騒乱人間てなァこんな簡単に死んじまうものかねぇ。 死の直前に至ってさえ、青年はのんびりとそう思考した。 「お兄ちゃん……お兄ちゃん、目を開けて!」 「院に行くんだろう!もっと勉強したいって言ってたじゃないか!!」 半年の闘病生活は長かったのか、それとも短かったのか。 この病気にしてみれば短かろうが、家族にしてみればきっと長かったに違いない。 ベッドの上の青年は内心で舌打ちした。 せめて妹と弟に何か言い残してやろうとしたが、目を開くことができなかったのだ。 身振りで意思を伝えたくとも体が動きはしないし、青年に意識があることさえ誰も気付いていない。 「親より先に逝くなんて……とんだ親不孝だよ……」 母の呟き、涙を堪える父の唸り。 家族や友人を悲しませるのは本当に申し訳ないが、自分なりに満足の行く人生だったと、青年は短い一生を振り返る。 小学校では思う存分遊び倒し、中学では読書にのめりこみ、高校では尊敬できる師と出会い、大学では友人達と共に学びたいことを好きなだけ学んだ。 短いながらもなんと充実した日々だったろうか。 大好きな本が読めなくなること、家族や友人を悲しませることだけが残念だが、これもまた人生というものだ。 酷い虚脱感に襲われながら、せめて笑って逝こうと最期の力を振り絞って微笑を浮かべてみせる。 「お兄ちゃん……笑ってる……?」 笑っているとも。お前達のおかげさ。 ありがとうありがとう。この家に生まれて幸せだった。 小さい頃から可愛がってくれた浅草の爺様にどうかよろしく。 お世話になったゼミの教授に心からのお礼と、不義理の謝罪を。 そしていつも笑って、笑わせてくれた落研の仲間達にさよならを伝えておくれ。 震える妹の声を聞きながら青年は満足げに最期の息を吐く。 そしてそれきり息は途絶え。 優しい笑みを浮かべたままで、彼は遠い場所へと旅立った。 享年22歳。 急性骨髄性白血病の発症から半年。 退院間際、肺炎を併発しての死だった。 「この先が極楽ってやつかい」 ぷかぷかと宙に浮きつつ、青年はぼんやりと目の前の階段を見上げた。 神々しいまでに輝く階段は、はるか空の果てまで続いている。 死んでから一月と半、49日を過ぎたからお迎えってわけか。 祖母から聞いた話を思い出しつつ階段の先を探すが、どうやら目に見えないほど遠いらしい。 自分の通夜と葬式まで見守り、幽霊の身であるのをいいことに日本全国津々浦々を観光して回った青年は、ふむ、と首をかしげて呟いた。 「……まさか歩いて登れと言うんじゃあるまいね」 それは勘弁願いたい。 こちとら文系で体力の欠片もないのだから。 「とりあえず行けるところまで行ってみようか」 ちらりと地上を一瞥してから、そのまますいすいと階段の上を飛んでいく。 感覚としては泳ぐに近いのものの、水と違って抵抗がほとんどないので進む速度もえらく速い。 地上はどんどん遠ざかるが今更そちらに心を惹かれることもなかった。 東京タワーの天辺に行ったら死にたての可愛いお嬢さんと遭遇したり。 京都に行ってあちこちで時代の違うお仲間と語り合ったり。 さすがに広島に行く度胸はなかったが、この身体でできることはやり尽くした感がある。 あの世に行くにはいい頃合だ。 「それにしても大分遠いやね」 既に地上は雲の下。こんなに高く上ったことは今までなかった。 「このままじゃ大気圏どころか宇宙まで行っちまう」 本気で星になれってことかい? ぼやいた途端、突然階段が消えた。 そして、眩いほどの光が辺りを覆い、気が付いた時には。 「これは」 階段の変わりに、足元には光り輝く河が流れていた。 光の奔流と言うに相応しい見事な眺めだ。 後ろを見ても下を見ても既に階段の影も形もなく、闇の中で足元には光る大河があるばかり。 沢山の光の粒が明滅しながら流れていく。 どこから来てどこへ行くのか。緩やかな流れは留まることなく、とめどなく。 わけもなく涙が出そうだ。 思わず飛ぶのを止めたところで、ふと何かの気配に気が付いた。 そして頭上を見上げれば、沢山の星が走っている。 見たこともないような流星雨。 全てが河の先へと落ちていく。 青年は一番近くを流れた星に手を伸ばして、気付いた。 「ちがう、星じゃない……あれは魂だ……」 近くを往き過ぎたのは猫だった。半透明の三毛猫だ。 小さな魂、大きな魂。一つ一つを凝視すれば、やがて目がそれに慣れ始める。 犬、子供、猫、老人、小さな動物は近くに来ないと良く見えない。 どうやら生前の身体の大きさに合わせてサイズが決まっているようだ。 「中々面白いね」 思わずその場で胡坐を掻いて観察していたところ、青年はおかしなことに気付いた。 他の魂はやたらと高いところを飛んでいるのに、なんで自分はこんなところにいるんだろう。 上には沢山の魂がひしめき合っているというのに、彼の周りにだけは何もない。 時折猫だのカエルだの蛇だのの魂が横をすりぬけることがあるものの、とても上の混雑とは比較にならない量だ。 何だか気持ちが悪い。 本能の命ずるまま思い切り上がろうとした時、下から急激に引き寄せられた。 「何!?」 誰が足を引いているわけでもない。 ただ、思い切りそちらから引力を感じる。 何か凄まじく力の強いものに引っ張られているのだ。 いくらなんでも地獄に落ちるのは嫌だ!! 前科のつくような真似はしたことがないのに、一体何の因果でこんな羽目になるのか。 死に際にさえ感じなかった恐怖に駆られ頭上に手を伸ばすが、引き上げてくれる者も縋る物もあるはずがなく、抗う暇とてない。 もがく青年はみるみるうちに落ちていき。 ―――――――光の河に、飲み込まれた。 モリー・ウィーズリーは今すぐ卒倒しそうだった。 『大丈夫ですか奥さん、顔色が随分青いですよ』 まだ手の掛かる末っ子にかまってばかりだったのがいけなかったのだ。 やんちゃ盛りの双子の息子に世話を任せた自分が悪かった。 ベッドに散らばった沢山の蜘蛛。 意識を失い動かない小さな息子。 真っ青になって縋り付いてきた双子。 他愛ない悪戯の結果として、この子は三日間高熱を出して寝込んだ。 そして今、目を覚ましたと思ったらこの第一声。 『ところで奥さん、ここは一体どちらで?』 四つになったばかりの我が子が自分を見上げている。 どうやら自分を心配しているようだ。 それはいい。それはいいが。 『英語を喋ってるようだしそっちのほうがいいかね。「こんにちは」あの、聞いてます?』 ああ、なんてこと。 「ロン!!」 それは一体何語なの!?
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