ロナルド・ウィーズリーとえいゆうのうわさ





 8月当初のダイアゴン横丁は、例年どおり酷く混みあっていた。
 久方ぶりの長期休暇に浮かれた子供たちはここぞとばかりに街歩きを満喫し、9月に入学する新入生やその保護者が届いたばかりの教科書や学用品のリストを片手に横丁を右往左往している。
 常には大人や老人ばかりが行きかう通りもこの時期ばかりは全体的に若返り、人口密度が一気に上がる。

 しかしこの日のダイアゴン横丁の混雑ぶりは、そういった事情を差し引いてもいささか常軌を逸していた。

 横丁の入り口付近では充分に人の擦れ違う余地があったのに、さして歩かないうちに黒山の人だかりが行く手を阻んだのだ。
 教科書を販売している本屋の前はいいとして、ふくろう百貨店を大人たちが大挙して訪れるのはいかにもおかしな風景だった。
 どういうわけか手前にある鍋屋の前にまで人がたかっているし、客と思しき人々はやけに興奮して大きな声で会話している。 

 道幅一杯に広がる謎の集団のせいで通行人は先に行くことができず、迂回できそうな隙間もない。
 となれば戻るしかないが、既に後ろにも人が集まっており退路が塞がれている。
 進むも地獄、戻るも地獄。
 そうしてまごまごしているうちに子供たちは人の波に飲み込まれ、溺れるようにしてもがきながら流れ着いたのは、横丁から少し離れた路地の入り口だった。

 避難すべく自力で路地に脱出したのではなく、人の流れに翻弄された末はじき出されたのだが、幸い子供2人がなんとか息をつけるだけの空間はある。
 他人に押されたり足を踏まれたり舌打ちされたりすることがない、充分に上等な避難場所だ。

 「……波に揉まれる木の葉の気分だったよ」

 動く壁のような群集を眺めながら、ロンは額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。
 混雑には慣れているつもりだったが、さすがに子供の体でこの人混みを泳ぎきるのは難しい。
 落ち着いて観察してみれば、特定の店の前にだけやたらと人が集まっているようだ。
 たまたま今日開催された何かのイベントに巻き込まれてしまったのだろう。

 (この様子じゃ買い物は後日に回したほうがよさそうだ)

 目当ての店まではここから少し距離があるし、横で身支度を整えているネビルは、たった数分で疲れきった顔になっている。
 元々人の多いところが好きではないうえに、わけもわからずもみくちゃにされたのが随分と堪えたらしい。
 髪が乱れシャツがよれてしまっているせいで、より一層疲労感が強調されて見える。 

 「ロン、今日はもう帰ろう。いやロンドンに行こう。買い物はあっちでしよう」

 ロンドンバンザイ。

 どんよりとした空気を醸し出してブツブツと呟くネビルに、ロンは深く頷いた。
 この状況で店に入ったとしても、商品を選ぶこともままなるまい。
 元々切羽詰っての買い物というわけではないし、時間にはまだまだ余裕がある。
 ロンドンで万年筆を買って帰れば無駄足にもならない。

 「それにしても、妙な混み具合だねぇ」

 ネビルに倣って服の埃を払いながら、ポツリと零す。
 箒屋のショーウィンドウに群がっている暇な学生連中よりも、ペットショップに屯している大人の方が多いというのは今の季節珍しい。
 とはいえ、新学期前にプレゼントとして動物を買うというのはよくある話だ。
 もしかしたらシーズンを狙ってキャンペーンかセールでも開催していたのかもしれない。
 本屋の前にも人垣ができていたが、こちらは以前誰だかのサイン会でこんな状態になっているのをロンは見たことがあった。

 「さっき聞こえたんだけど、どうも昨日ハリー・ポッターが買い物に来てたらしいよ」

 あれこれと理由を考えていたロンに、ネビルが耳にしたばかりの新情報を伝えた。
 人混みを掻き分ける際に先導していたのはロンで、肘を引っつかまれていたネビルには周囲の声を聞くくらいの余裕はあったのだ。

 「ホグワーツの森番と一緒に、学用品を買っていったんだって。
  何か白ふくろうがブームになりそうとかどうとか、後はよく聞こえなかったけど」

 今日の人出は、店主に彼の話を聞きたい野次馬か、彼にあやかって同じ店で買い物したい人たちじゃないかな。
 そう言ったネビルに対し、ここでロンから予想外の反応が返ってきた。


 「ハリー・ポッターって誰だっけ」

 「えっ」


 驚いてロンの顔を凝視するが、ふざけたりからかったりしている様子はない。
 彼は心底真面目に問いかけているのだ。
 イギリスの魔法族ならば片手に満たない年齢の子供だろうと知っているはずの、かの有名な彼のことを。

 「君、ハリー・ポッターのこと知らないの?」

 聞き返したネビルに、ロンは少し顔をしかめて目を閉じた。

 「どこかで目にしたような…去年の新聞……いや、師匠の一般教養講義、か…?」

 ネビルの発言からしてよほどの有名人なのだろう。
 名前だけはどうやら聞き覚えがあるのだが、具体的な経歴が浮かんでこない。
 本気で思い出せずに腕を組んで考えていると、記憶の回復を待たずに横から回答が与えられた。

 「名前を言ってはいけないあの人を倒した、魔法界の英雄じゃないか!
  僕たちと同い年で今年ホグワーツに入学するんだよ?魔法族の常識なのに!」

 そこまで言われて、ようやくロンは顔を上げた。
 『名前をなんちゃら』というフレーズは、日刊預言者新聞の片隅で目にした記憶がある。
 たしか純血主義で全てのマグルを滅ぼそうとか考えている、選民思想を持ったアホだったはずだ。
 フラメル師が「精神的には小物の癖に、扇動者の才と魔法の才を併せ持ったせいで被害甚大」とか言ってたような。
 
 確かそう、名前は…… 

 「グリンデルバルドだっけ?」

 「違うよ!それはもう随分昔だよ!!そうじゃなくて、ヴォ…ええと」

 激しく否定しながらも、名前のはじめだけを言って口ごもったネビルを見て、ぱんと両手を打った。

 「ああ、ア・ラ・モードみたいな名前の奴か」

 やたら複雑な名前を自称したあげく、名前の後ろに卿などとつけてしまう、痛々しいなんとかモード。
 発音がやや難しいために、ロンにとって彼は『名前を言ってはいけないあの人』ではなく、『名前を覚えられないあの人』という認識だった。
 もう一度教えられたとしても多分また忘れてしまうだろう。

 「全然違うよ!語尾しか合ってないじゃないか」

 全力で首を横に振ったネビルは、語尾もまともに合っていないことに気付いていない。

 「大丈夫、もう分かった。例のポッター氏は中二病野郎を倒した超強い赤さんのことだね」

 名前はまだ全部思い出せないが、フラメル師がやたらと嫌っていたので何があったのかは知っている。 
 
 その昔、中二病モードは子供染みた思想を掲げ大量殺人を犯し、英国魔法界を恐怖のドン底に陥れたらしい。
 マグル出身者を片っ端から襲撃したり配下を権力の中枢に送り込んだりと色々やらかしたそうだが、10年くらい前、殺そうとした赤ん坊に返り討ちにあって死亡。
 ただ、フラメル師曰く確実に死んでいるとは限らないんだとか。
 居場所の特定に手間取って被害が増えるあたりはテロリストに近い気がする。

 「しかしまあ、なんというかポッター氏には気の毒な話だ」

 ロンは同情をこめてしみじみと呟いた。
 あの立場には頼まれたって立ちたくない。

 「気の毒?」

 不思議そうな顔のネビルに頷いて続ける。

 「生まれた時から英雄のレッテルを貼られて、こんな珍獣みたいな扱いをされてさ」

 まるで見世物のようじゃないか。

 ロンに言われて、改めてネビルは通りの喧騒に目を向けた。
 顔を紅潮させ、熱に浮かされたように大きな声で語り合う、スーパースターに熱狂する人々。
 しかし、ハリー・ポッターは本当にスターなのだろうか?

 ネビルは想像してみる。

 もしも自分が何も知らない赤ん坊のうちに何かを成し遂げたとして、大きくなってからそれを自分がやったことだと誇れるだろうか。
 自覚もないのに、英雄だ、素晴らしい、と大人たちに持て囃されたら、身の置き所がなくなりそうだ。
 でなければ、小さいうちからちやほやされて調子に乗ってしまうかもしれない。
 どちらにしても性格は歪んでいるだろう。

 「なんか、嫌な話だね」

 おしあいへしあいしている人の群れを見ながらそう呟く
 今ここで騒ぎ立てている人達は、誰も彼自身を見ていないように思える。
 ハリー・ポッターがどう育ってどんな性格をしているのか、少なくともネビルは噂にも聞いたことがない。

 「どんな子なのかなあ、ハリー・ポッター」

 さてねぇ、と首をかしげながらロンが楽観的な予想を述べる。

 「今の今まで話の種になったこともないし、隠れ住んでたなら案外まともかもしれないよ」

 ハリー・ポッタの場合は恐らく魔法界から離れていればいるほど環境による悪影響が少ない。
 保護者が真っ当ならば、分別もつかない幼子のうちから特別扱いはしないはずだ。
 先立つものが充分にあるならば、魔法界は実にひきこもりやすい社会であることだし。

 「友達になれるといいんだけど」

 不安げな面持ちで言うネビル。
 しかしこの点に関してはなんら心配することはない。
 ロンと友人付き合いができるならば、たいていの相手と友好関係が結べるだろう。
 ここ数年で培われた忍耐力と寛容性は『あの』ネビルの祖母でさえ認めるところだ。

 「そうだね。まあ私は性格が悪かったらぶん殴っちまいそうだけど」

 グッと力強く拳を握るのを見て、ネビルの顔が一瞬にして引きつった。

 「人間が相手の時は自重してね!?」

 はっはっは、と朗らかな笑い声をあげながらも決して自重を約束はしないロンに不安を抱きながら、ネビルは最悪の場合自分が割って入る覚悟を決めた。

 ロンが何かしでかしそうな時は、必ず傍で彼を止めよう。
 大事な友人がアズカバンに収監されるのは見たくない。

 ホグワーツ入学を前にして、胸に掲げた固い誓い。
 しかしその崇高な誓いゆえに、在学中ロンともども散々厄介事に巻き込まれる運命が、このとき決定したのだった。


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