ロナルド・ウィーズリーと旅の途中出発時刻が近づくにつれ、車窓の向こう側は明らかに人の数が減っていた。 一時は夏場のダイアゴン横丁を彷彿とさせる人混みと大量の荷物が視界を遮っていたが、何時の間にやら荷物は列車内に積み込まれ、ホームに残るのは保護者ばかりとなっている。 列車内では通路に友人を探す生徒や、立ち話をする生徒、まだコンパートメントを見つけていない生徒が溢れており、落ち着くにはもう暫く時間がかかりそうだ。 早々に自分の居場所を確保しているロンとネビルは、のんびりと外を眺めながら学校敷地内外の探索予定について話し合っていた。 コンパートメントを訪れる者もなく、会話が弾んで時間が過ぎていく。 そして時計の針が11時を指し、構内に笛の音が響き渡った。 出発の合図だ。 動き出す列車の窓から子供達が顔を出し、ホームに残る見送りの人々が手を振り声をかける。 ネビルが少しばかり窓を開けると、とたんに外でのやりとりが飛び込んできた。 しっかりやるのよ、体に気をつけて、と激励する若い母親。 言葉に応えるように、近くの窓から新入生のものらしき小さな手が振られている。 かと思えば、今年こそ真面目に勉強しろ、という叱咤も聞こえた。 声をかけられた生徒はさぞかし楽しい学生生活を送っているのだろう。 人々の別れを断ち切るように車体が軋み、コンパートメントに白煙が入り込む。 ゆっくりと進み始めた列車が徐々に速度を増していき、ホームはみるみるうちに遠ざかっていった。 ロンがぼんやりと行過ぎるロンドンの町並みを眺めていると、ネビルがふと思いついたように口を開いた。 「そういえば、ホグワーツに着くまで何時間かかるんだっけ」 「さて。5時間だったか、6時間だったか。着くのが夜なのは確かだけど」 旅程について師に質問した時、そう聞いたような気がする。 単純にホグワーツへ行こうと思ったらフラメル邸から直行したほうが早いのだが、全校生徒がホグワーツ特急を利用するよう、200年ほど前から決められているのだとか。 生徒の安全のための措置だそうだから、破るわけにもいかない。 「長いね」 「遠いからねえ」 ホグワーツはスコットランド地方にあるのだ。 ロンドンからだと結構な長距離移動となる。 「ロン、お腹減ってる?」 不意に尋ねられて、なんとなく胃の辺りに手を当てた。 移動に時間がかかるのはわかっていたので、2人ともフラメルの妻から山ほど飲食物を持たされている。 気合の入った昼食や菓子類はさぞかし美味かろうとは思うが、あいにくロンはまだ空腹を感じてはいなかった。 「いいや。でもネビルが食べるなら付き合うよ」 少し早いが昼飯にするかい?と聞けば、否定が返ってくる。 「ううん。そうじゃなくて、お腹空いてないなら暇つぶしに映画でもどうかな」 「うん?」 意味がよく分からずに首をかしげると、ネビルがポケットから拳大の水晶球を取り出した。 「えっと、昨日の夜にフラメル先生が餞別だってくれたんだけど」 そう言って渡された水晶玉は、ロンも店先で見たことがあるものだ。 よくある遠見や占い用の水晶玉ではなく、記録した映像を再生するタイプの魔術品。 ダイアゴン横丁でもごく普通に市販されている、マグルで言うところのホームビデオ的な代物である。 「なるほど、映画ね。どんな内容のものが入ってるんだろう」 確か数十時間くらいは容量があったはずだ。 手の中で転がしながら操作方法を探ってみる。 杖に魔力を通すように力を篭めると、水晶玉が青白く光った。 スイッチが入ったらしい。 「えっと、日本のアニメとかジダイゲキとか映画とか色々入ってたよ!」 答えを聞いたロンが思わず手を止めた。 それはもしかして、布教という奴ではないだろうか。 師匠は確かに日本びいきだが、まさか学校に持ち込ませるほど染まっているとは。 奥方とネビルを巻き込んで日々娯楽や食に偏った日本文化を楽しんでいるが、このまま行くと日本オタクというよりサブカル系のオタクになりそうな気がする。 止めたほうがいいかな、と一瞬思ったが、本当に一瞬だけだった。 「……付き合わされるネビルも喜んでるみたいだし、まあいいか」 人の趣味にケチをつけるものではない。 ロンは前世で落研という相当マイナーなサークルに所属していたし、仲間内にはアニメ好きやゲーマーの類も多かった。 最終的に犯罪でなければいい。というか、他人様に迷惑をかけなければ大抵の趣味は許される。 行過ぎなければ布教も、まあいいだろう。そもそも学友が興味を示すかどうかもわからない。 もし人が集まらなければ調合や勉強の合間に付き合ってやろう。 「空間投影型だから、寮に入ったら上映しようと思ってるんだ」 そう言ってにこにこと笑うネビルのトランクの中に、幾種類もの電源不要ゲームが押し込まれていることをロンはまだ知らない。 「ジ○リとー、ドラ○もんとー、ヒッサツとー、あ、トクサツもあるんだよ。それに映画は……」 水晶球に録画されている作品を指折り数えるネビル。 一部例外もあるが、基本的には子供向けのチョイスのようだ。 「『なんか遠足のバスを思い出すね』……それで、何を見るんだい」 「ロンは何か見たいものある?」 「時代劇以外ならなんでもいいよ」 これから魔法学校に行こうという時にチャンバラはない。 決して嫌いではないしむしろ大好きだが、タイミングがあまりにも悪い。 ホグワーツの校舎は壮麗な古城と聞いて楽しみにしているのだが、初めて見た瞬間江戸城がフラッシュバックしたら多分絶望する。 「じゃあドラ○もんにしようか」 ネビルはロンから水晶玉を受け取ると、引き出したテーブルの上に置いた。 特に固定したわけでもないのに、球はそこから転がることもなく静止している。 水晶球の上で指を何度か振ると、列車の窓に映像が映し出された。 時を同じくして、コンパートメントが急に薄暗くなる。 既に何度も操作しているのか、ネビルの手つきには迷いがない。 球面を指が滑るたびに映像が変わり、お目当てのタイトルが現れたところで再生を始める。 ネビルが選んだ作品は「の○太の魔界大冒険」。 映画が進めば、やがて魔界の城が登場する作品だった。 「面白かったね!」 テーブルに昼食を広げながら、ネビルは声を弾ませて映画の感想を述べた。 飲み物の用意をしているロンが、珍しくあいまいに頷く。 「うん。確かに面白かった。魔法要素が入ってるのも悪くなかった」 微妙に選択を誤ったような気がしないでもないが。 「学校ではシリーズの他作品も見よう」 満足げなネビルは、ロンの煮え切らない反応に気付かずテーブルに料理を広げている。 ローストビーフやツナサラダにハムチーズのサンドイッチ、スコッチエッグと日本風の鳥唐揚。 栄養バランスを考えてか、温野菜のサラダと野菜多めのポテトサラダもついている。 ランチボックスの隙間を埋めるように詰められた出汁巻き卵は、フラメルが日本で購入した料理本のレシピだ。 「お、枝豆がある」 「ロンは枝豆好きだね。僕も好きだけど」 具がぎゅっと詰まったサンドイッチを両手で掴んで口にほうばる。 サラダ用の自家製レモンドレッシングが食欲をそそり、スパイスがきいた唐揚は冷めても美味しい。 絶妙の塩加減で茹でられた枝豆がちょうどいい箸休めになった。使っている食器はフォークだったが。 色とりどりの料理が、食べ盛りの少年達の胃にみるみる吸い込まれてく。 デザートは大鍋ケーキだ。 魔女鍋ケーキとも呼ばれる魔法界ではメジャーな菓子で、魔法使いが掻き回す大鍋の形を模している。 ペレネル・フラメルの今日の大鍋ケーキは、定番のココア生地で作った鍋に、チョコレートムースとクランベリージャムが入った力作だ。 「ジャムとムースが交互に重なって層を成している……えらい手間がかかってるな」 「クランベリーの酸味がチョコとぴったりででおいしいね」 「酸味と甘味の対比っていうと苺大福を思い出すよ」 「苺大福!前にフラメル先生に貰ったやつでしょ。僕はあのシュワってする感じが好き」 菓子談義に花を咲かせていると、いきなりコンパートメントの戸が開いた。 驚いて闖入者の方に目を向ければ、男の子が3人ぞろぞろと中に入ってくる。 先頭に立っているのはロンより少し小柄な少年だった。 ローブを着慣れぬ様子からして新入生だろうか。 後ろの2人も同じ年頃のようだが、こちらは揃ってガッチリとした体格だ。 背後に立つ少年達をまるで家来のごとく従えて、小柄な少年がぐるりとコンパートメントを見渡した。 青白い顔に浮かんでいる気取った表情が、ロンとネビルに向けられたとたん見下すようなものに変わる。 「この汽車にハリー・ポッターが乗っていると聞いたんだが、ここではなかったようだね」 見るからにお坊ちゃまといった風情だが、話し方まで偉そうだ。 発音は美しいのに、芝居がかった大げさな抑揚で台無しになっている。 この年齢でここまで嫌味ったらしく喋れるというのはある種の才能ではないだろうか。 ロンがなんと応えようか考えていると、ぽつりとネビルが呟いた。 「ジャイ○ンとス○オのハイブリッドみたいだ……」 つい先ほどまでドラ○もんを見ていたせいだろうか。 なかなか上手い表現だったので、ロンは思わず頷いてしまった。 高慢そうな雰囲気はス○オを思わせるが、子分がくっついているところはジャイ○ンのようでもある。 「ポッター氏のことは分からないが、このコンパートメントには私達だけだよ」 「なるほど、もっと後ろのコンパートメントかもしれないな。 君は新入生だろう?せっかくだから名乗っておこう。 僕はドラコ・マルフォイ。こっちはクラップとゴイルだ。」 ス○オ風なのにドラちゃん、というネビルの言葉は、幸いにもドラコの耳に入らなかったようだ。 名前を聞いて、ネビルは猫型ロボットを連想したが、ロンの方は覚えのある家名に首をかしげた。 「マルフォイ……マルフォイ?聞いたことがある名前だね」 どこで耳にしたのだったか、と顎をさすりながら記憶を探る。 態度からして純血の名家だろう。 師に聞いた事はない。顧客にもいない。手紙でもなかった。 とすると家族か。 一番交流の多い父親経由だろうと思い返せば、頭の片隅に引っかかるものがある。 「もしや、君の御父上はうちの親父殿とダイアゴン横丁の本屋で取っ組み合いをした御仁かい?」 「……そういうお前はウィーズリーだな。その赤毛とそばかす、すぐに分かった」 目つき一つで相手を馬鹿にしていることを表す見事な表現力に、思わず感心してしまう。 この少年、俳優でもやったら成功しそうだ。 「まあそうツンケンしなさんな。君だって本屋での一件を良く思ってはいないだろう。 お互い親の悪いところは見習わないよう、距離を置いて穏便に付き合っていこうじゃないか」 喧嘩後の父から聞いた話では、マルフォイ氏は純血の名家らしい思考の持ち主で、例の中二病の手先でもあるらしい。 出自で決め付けるのはよくないことだが、背景を考えると親子共々あまり仲良くなれそうにない相手だ。 たった今二言三言話しただけでも、ドラコの性格がロンと合わないだろうことは容易に想像がついた。 話せば話すほど拗れるタイプである。 ドラコの行動パターンが父親譲りなら、嫌いな相手には積極的に絡んでいくだろう。 売られた喧嘩をついつい高値で買ってしまうロンとは、どう考えても相性が悪い。 揉め事を回避しようと思ったら近づかないのが一番だ。 「ふん」 ドラコは提案を聞いて鼻で笑った。 とはいえ機嫌が悪そうでもない。申し出の内容から、ロンを及び腰と判断したようだ。 すっかり自分が優位に立ったつもりになっている。 「そもそも付き合うほどの価値がお前にあるとも思えないが。 ま、せいぜい僕の視界に入らないように小さくなって過ごすんだな」 人を見下した挑発的な回答に、しかしロンはにっこりと笑った。 「結構。お互い有意義な学生生活が過ごせるように祈っているよ」 予想と違う反応を返したロンにいぶかしげな視線を向けたが、ドラコはもう一度鼻を鳴らすとコンパートメントを出て行った。 大げさに翻したローブが、置き土産のように戸を叩いていく。 会話の間中物欲しそうに大鍋ケーキを見ていたゴイルとクラップが、慌ててその後を追いかけていった。 2人残されたコンパートメントに、暫しの静寂が降りる。 閉まった戸を見つめていたネビルが、ジロリとロンを横目で睨んだ。 「ロン。面白がってたでしょう」 ドラコが調子に乗った瞬間ロンの目が輝いたことに、ネビルはちゃんと気付いていた。 ロンがああいう目をするのは、たいてい未知の素材を見つけたとか、謎の生き物を見つけたとか、新しい道具を作った時なのだ。 つまり、興味深いもの、面白いものを見つけた時の目。 それをドラコ・マルフォイに向けたということは、ロンにとってドラコが『面白いもの』になってしまったということになる。 「つつきまわして反応を観察したりとかしないでよ?」 せめて1年生のうちくらい大人しくしていて欲しい。 「しないしない。でも、向こうの方からちょっかいかけてくる気がするんだよねえ」 釘を刺すネビルにそう返し、ロンはにんまりと笑みを深めた。 施設や学業の方にばかり目を向けていたが、学生にも中々面白いのがいる。 在学生には兄弟がいるし、この分だと教諭陣にも期待が持てそうだ。 楽しみは多いに越したことはない。 人生を謳歌するために。
|