ロナルド・ウィーズリーと最初の友達紅色の列車が草原を横切り、森を抜け、山間を通り、また森へ入っていく。 線路脇に点在していた小集落は日暮れ前に姿を消したきり、家一軒も目に入らない。 太陽はとうに地平線の向こうに沈み、外はもうすっかり夜になっている。 眼下の草むらに落ちた列車の明かりが、絶えず後方へと流れていく。 たなびく雲に隠れては現れる月と、月光で浮かんでは消える森の影。 ロンは冷たい窓に頭を預けながら、変わりゆく景色をぼんやり眺めていた。 草木に覆われた暗い地上に、頭上で瞬く星々と月。 夜空の雲は月の光を浴びて薄青く、風に形を変える様には幽玄の風情がある。 まるで銀河鉄道に乗っている気分だ。 行き先は天上でも星の世界でもなく、魔法使いの学校なのだが。 『まあでも、非魔法族出身の子にとっては似たようなものかもしれないねえ』 同じ場所で暮らしていても、魔法族とそうでない者では生きる世界が違う。 今まで魔法を知らなかった新入生にしてみれば、これから行く場所は別の惑星と大差ない。 当分の間はカルチャーショックに悩まされることだろう。 願わくばそこでの生活が子供達にとってよい経験になるように……いや、これは上から目線な考えだ。 自分にとってもよい経験になるように、祈っておこう。 『もっとも、自分のことは祈るまでもないか』 ふふふ、と思わず笑みを漏らしたところで、コンパートメントの扉が勢いよく開いた。 「ロン、そろそろ到着みたい!」 手洗いから戻ってきたネビルが声を弾ませる。 数時間に渡る列車の旅も、ようやく終わりを迎えるようだ。 「おかえりネビル。外で聞いてきたのかい?」 「あちこちで話してたよ。通路には結構人がいたし」 友人を訪ねていた者達が、降りる準備のために各々自分のコンパートメントに戻っているのだろう。 新入生も在校生も、広げていた荷物をまとめて学校指定のローブを着用しなければならない。 ネビルが大叔父から聞いた話によると、生徒の移動は身一つで、荷物は列車に置いていけば寮まで運び込んでくれるのだという。 「私達の準備はほぼ終わってるから、焦るこたぁないね」 ロンの言葉どおり、2人のコンパートメントは乗車した時と同じ状態に戻っている。 菓子類の残りは全て収納されて、水晶玉も鞄の中だ。 ネビルが読んでいたペーパーバックも、ロンが道中磨いていた原石と研磨剤もトランクにしまってある。 「でもまだ時間があるみたいだし、身だしなみのチェックとかしといたほうがいいよ」 「ネビルは心配性だねぇ。手ぶらでいいってんなら用意もなにもなかろうに」 面倒そうに溜息をつきながらも、ロンもネビルに付き合って自分の身形を改めることにした。 2人の姿を反射する列車の窓を鏡代わりに、跳ねている髪を撫でつけ、なぜか顔についていた泥を拭う。 ネビルがさして汚れてもいないローブの埃を払って襟元を正し、ポケットの中身を確認した。 「ハンカチと、杖と、ナリタサンのアミュレットと……あれ、のど飴が入ってた」 まあいいやと飴玉をしまうネビルを見て、ロンもローブの内外につけられたポケットを叩く。 「ハンカチとちり紙は持った。杖よし。お守りよし。クラフトよし。忘れ物はないよ」 「うん、最後のは置いていこうね」 すかさずネビルがロンの手首を掴んだ。 クラフトは、ニューズという種子が飛散する植物を加工して作る爆弾である。 元が植物の種だからといって甘く見てはいけない。 軽く投げたクラフトでも、森のぷにぷにが木っ端微塵になるのだ。 「そんな!これは威力が弱い奴だから大目に見ておくれよ!」 「ダメダメ!!」 ネビルの丸い目が釣りあがる。 ロンがポケットに爆発物を忍ばせることについてはもう諦めつつあるが、それでも今だけは。今だけは勘弁してもらいたい。 叱り付け、宥め、日本式最敬礼のドゲザも辞さないという勢いで詰めよって、ネビルはなんとかロンからクラフトを取り上げた。 だが、内側のポケットにもう1つ『かわいい』という妙な従属効果がついたフラムが仕込まれていることを、ネビルは知らない。 「あと五分でホグワーツに到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いていってください」 没収したクラフトをネビルが荷物に詰め込んだところで、タイミングよく車内放送が入った。 夜間運行のために前照灯を灯した特別列車が、徐々に速度を落としていく。 1000人近い乗客を乗せているだけに停車には時間がかかるのだが、ドアの前には到着を待ち兼ねたせっかちが幾人も集まっていた。 そのわりに出発時より静かなのは、長時間の移動に皆少しばかり疲れているからかもしれない。 ロンはといえば、コンパートメントの中でローブの袖口を折り返して窘められていた。 「今から調合するわけでもないんだから、最初くらいちゃんとローブを着てなよ 別に大きすぎるってわけでもないんでしょ。ちゃんと採寸してもらったんだし」 「そうなんだけどね。手首の辺りの布がダボついてると、どうも落ち着かなくて」 「そういうのも職業病っていうのかなあ」 「さて。すぐ上の兄貴達は袖口にあれこれ仕込んでは悪さしてるらしいけど」 「そういえば、ロンのお兄さん達ついに来なかったね。 少なくとも双子は列車で絶対会いに来ると思ってたんだけど」 「入学前くらい新入生らしい気分を堪能させろって言ったのさ。 学校に着く前からあの2人に構い倒されるのは、さすがに御勘弁だ」 雑談を続ける間にも、列車は速度を落としていく。 小さなホームへ進入する特別列車の窓からは、ひしめき合う子供たちの姿が見える。 やがて最後尾の車両がホームに入り、じりじりと進んでいた列車が動きを止めた。 『ホグワーツ』の名を冠する駅は夜目にもそれと分かるほど簡素な造りだったが、長く連なる車両をちゃんと最後まで納めきったようだ。 列車が止まって一拍ほどの間をおき、全てのドアが一斉に開かれて、子供たちがホームへ溢れ出す。 勝手知ったる上級生達が迷いなく歩いていくのを窓越しに見ながら、ロンとネビルも人波を追いかけるようにコンパートメントを後にした。 降り立ったホームは暗く、冷たい夜の風が吹いている。 降車したのが遅かったためか、周囲からは既に人が減り始めていた。 姿を消しているのは上級生ばかりで、残された新入生達は皆一様に不安げな面持ちで辺りを見回している。 誘導をする職員もおらず、看板の類も見当たらない。 仕方なく年上の誰かを捕まえて話を聞こうとロンが辺りを見渡したとき、少し離れたところで凄まじい怒鳴り声がした。 「イッチ年生!」 小さなホームの隅々まで聞こえるだろう音量に、その場の全員が注目する。 声を張り上げたのは、身長2メートルを軽く超えるような大男だった。 野放図に伸びている髪と髭、暗褐色のコートによって、長身というより巨体という印象を受ける。 片手に持ったランプを高く掲げながら、彼がまた声を張った。 「イッチ年生はこっち!」 再びの大音声が夜の駅舎に響き渡る。 どうやら新入生のための案内人らしい。 呼ばれるままに小さな影がわらわらと集まってくる。 「さあ、ついてこいよ――あとイッチ年生はいないかな?」 男は3度めの呼びかけのあと、ぐるりと辺りを見渡してから歩き出した。 ロンとネビルもすぐにその後を追いかける。 「足元に気をつけろ。いいか!イッチ年生、ついて来い!」 時折揺らめくランプの光を追いかけて、子どもたちの小集団がゆっくりと動きはじめた。 駅を出て歩きはじめた道は、注意されるだけあってやたらと細く険しい。 両側に木々が生い茂っているために視界も悪く、歩き出して早々に木の根に躓いたらしい女の子の小さな悲鳴が上がった。 道が降りはじめると、より一層子供達の歩みが遅くなり、先頭の男が何度も振り返っては足を止める。 厳つい容貌ではあるが、なるほど、新入生をまかされるような人柄であるらしい。 ロンは大きな背中を眺めながら思わず微笑んだ。 初めて出会う相手が好ましい人格の持ち主であるというのは、幸先がいい。 「あの人はこの道を歩き慣れてるようだね。学校の職員かな」 「彼はホグワーツの森番だよ」 夜道でも確かな大男の足取りを見て呟いたロンに、ネビルとは逆隣から答えが返ってきた。 顔を向けた先では、眼鏡の男の子が何やら嬉しそうな顔で案内人を見つめている。 ちょうどロンとネビルの間くらいの背丈のその子は、さらに続けて言った。 「ハグリッドっていうんだ……いい人だよ」 「知り合いかい?」 「うん。ちょっとね」 少年の様子から見て取るに、知人というよりもう少し親しい関係性のようだ。 さしずめ付き合いの多い親戚か、両親の友人といったところか。 ダンブルドアと時節の挨拶を交わすロンとしては、学校側に知り合いがいるという点には親しみがわく。 もしかしたらホグワーツで作る一人目の友達になってくれるかもしれない。 「私はロナルド・ウィーズリー。こっちは幼馴染のネビルだ。君は?」 森番の後を追って歩きながら、ここぞとばかりに名前を名乗った。 ついでに隣にいたネビルも紹介する。 「あ、ぼ、僕は……」 眼鏡の男の子は口ごもり、唾を飲み込んでから思い切ったように囁いた。 「僕の名前はハリー。ハリー・ポッターだよ」 名前を聞いたネビルが、驚きのあまり息を飲んだ。 ハリー・ポッター。 恐らくは魔法界で一番有名な子どもの名前だ。 名前を言ってはいけないあの人とセット扱いされる、生き残った男の子。 しかしその名に何を言うでもなく、ロンはにっこり笑って手のひらを差し出した。 ハリー少年の名乗る前の躊躇は、触れて欲しくないということだろう。 中身が大人であるというのはこういう時に強い。 亀の甲より年の功。まして日本人ならば、とるべき態度は心得ている。 「よろしく!私のことはロンと呼んでくれ。 校舎に着く前に学校初の友達ができて嬉しいよ」 堂々と知らない振りをしてみせるロンを見て、ネビルも慌てて手を伸ばした。 「あの、僕はネビル・ロングボトムだよ。僕とも仲良くしてもらえるかな?」 2つ並んだ手のひらを前に、ハリーは目を丸くした後で、心から嬉しそうに笑った。 なんのてらいもなく顔をくしゃくしゃにして、体全体から喜びを発するように。 見ているだけで気持ちが伝わってくるような顔をして、ハリーはいっぺんに2人の手をとった。 「もちろん!もちろんだよ!」 ロンとネビルの手を両手に1つずつ握り締めて、大きく頷きながら声を弾ませる。 「僕、電車の中で色々あってちょっと不安だったんだけど……友達ができて、凄く嬉しいよ」 はにかみながら言われて、ロンとネビルもまた微笑んだ。 ここまで喜ばれたら誰だって悪い気はしない。 電車の中での出来事が気になるが、そこは後で聞かせてもらおう。 なんとなく3人で手を取り合ってニコニコしていると、ホグワーツが見えるぞ、というハグリッドの遠い声が聞こえた。 いつの間にか置いていかれていたらしい。 慌てて一団を追いかけると、前の方でなにやら歓声が上がった。 足を速めた3人は転がるようにカーブを抜けて、すぐにその理由を知る。 突然視界が開けた先には、大きな湖が広がっていた。 向こう岸では山に抱かれた巨大な城が、闇になお黒々と横たわっている。 天を突くいくつもの尖塔にはずらりと灯の燈った窓が並び、光を反射する黒い水面はまるで星空のように輝いていた。 『あっこれ悪魔城……』 美しくも壮大な光景を前に子どもたちは言葉を失っている。 小さな声で呟かれた日本語は、誰の耳にも入らなかった。
|