○○○○と言葉の壁



 使わない能力というのは衰えるものだ。

 青年の英語能力は大学入試の段階で停滞している。
 いや、むしろ退化していると言ったほうがいいだろう。
 高校を卒業したとたんに英語と接する機会は格段に減って、今では映画やテレビで時折耳に入るくらい。
 入試直後ならともかく現在の青年の英語能力では、目の前で紡がれる本場の発音などなんとか知っている単語を拾うのが精一杯だ。

 一方彼女は日本語という言語自体を聞いたことがない。
 閉鎖的な魔法族の世界ではそれも当然と言えよう。
 彼女にとって外国といえばフランスやドイツ、イタリアあたりのヨーロッパであって、東洋の島国のことなど思い浮かびもしない。
 専業主婦で外に出る機会も少ないモリー・ウィーズリーは、日本がどこにあるかさえ知らなかったし、興味も無かった。

 そんな二人の間でまともなコミュニケーションが成立するだろうか?
 

 するわけがない。


 『早口すぎて聞き取れやしない。もっとゆっくり話してもらわないと』
 
 「しっかりしてちょうだい!どうしちゃったのロニー!?」

 『うーん……英語なのは確かだよねぇ。ならゆっくり話してもらえれば少しは分かるはずなんだけど……』

 ぼやく青年と、過剰に反応する女性。
 喜劇めいたやりとりではあるが、本人達は大真面目だ。
 青年は暫く考え込んだ後で、おもむろに口を開いた。

 「もっと、ゆくり、はなシてください」
 
 Please talk more slowly、と中学生レベルの英語で伝えてみると、赤毛の婦人の動揺はようやく少し収まった。
 少なくとも言葉を話すからには息子の頭が完全におかしくなったわけではないと判断したのだ。
 その様子に青年もまたほっとする。

 「ゆっくりって……坊や、あなた話し方がおかしいわよ?」

 『通じているのかいないのか。いや、スピードが落ちたから分かってるたァ思うけど』

 ぼやきながら首を捻れば、赤毛の女性が優しい声で宥め始めた。
 当然呟いている言葉の内容は理解していない。

 「だ、大丈夫よロニー。すぐにお父様が来てくれますからね……」

 『ロニー?ちょいと奥さん、そりゃ私に向かって言っておいでで?』

 ネイティブな英語はよく聞き取れないが、女性が連呼するロニーという言葉が自分への呼びかけに使われているのはなんとなくわかった。

 ロニーだって?

 そんな名前で呼ばれたことは生まれてから死ぬまで一度もない。
 頭の天辺からつま先まで生粋の日本人。
 別にバンドをやっていたこともないし、本名だってそんな愛称とはかけ離れている。
 もしかして人違いか、とちらりと考え、すぐさま否定する。

 (私が死んじまったのは間違いない。なんたって自分の葬式まで拝んだんだからね。
  するってぇとロニーってなァ死んだ子供かなにかで、このお人は幽霊が見えるとか?)

 しかし体の上には布団が掛けられている。あまつさえベッドに乗っているのだ。
 実体化していることに気付いた青年は、そこでようやく慌てはじめた。

 『ま、まさかうっかり取り憑いちまったんじゃ……!』

 ロニーというのは自分が乗っ取ってしまった体の名前かもしれない。
 よく考えればこの体は小さすぎやしないか?
 少なくとも死んだ時の自分は成人していたはずなのに、今体をざっと見た限りではどう考えてもこれは子供のものだ。
 ならばやはり、この体の持ち主こそがロニーなのでは。

 そこまで見当をつけたところで「じゃあ中身が違うことを自己申告しておかないと」と思ってしまったのは、やはり動揺していたからだろう。

 『あー英語でなんて言やァいいんだったか』

 まず自分が生きていないことと、彼女の言うロニーではないことを告げなくては。

 青年は必死に記憶を辿った。

 幽霊は英語でゴーストだ。それくらいは覚えている。
 名前の否定はMy name is no Lonny.だな。いやこの場合はnotを使うべきか?
 どちらでも意味は通じるだろう。とりあえず大意が分かればそれでいいはずだ。

 My name is no Lonny.I am a ghost.だな。

 頭の中でいいかげんに文法を組み立てて、おもむろに口にする。

 「わたしのなまえハろにィでありません。わたしハ、ゆうれぃです。」

 相変わらず発音はダメダメだったが、なんとか通じた。
 通じたがモリー・ウィーズリーは余計に混乱した。
 一度取り戻した落ち着きがあっと言う間に遠くへ飛んでいく。

 「何言ってるの、ロニーはロニーでしょう!?ああアーサー!早く帰ってきて!!」

 『アーサー?また新しい名前が!?』

 かみ合っているようでかみ合わない二人の会話未満なやり取りは、その後アーサー・ウィーズリー氏が帰宅するまで数時間続いた。
 とは言っても彼とて息子が話しはじめた謎の言語を理解できたわけではない。
 彼はただ妻よりもいくらか理性的であったというだけだ。


 こういった窮地でもっとも頼りになる優秀な魔法使い、恩師アルバス・ダンブルドアに連絡を取る程度には。


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