ロナルド・ウィーズリーとかぞくのてがみ



 以前は書庫であった一室には、その名残か壁一面に本棚が備え付けられていた。
 棚は八割がた埋まっているが、その多くが低年齢向けなのは邸の主の配慮だろう。
 かつてただ本を収蔵するためだけにあった部屋は、新しい主のために装いを新たにしている。

 無機質な床にはダークグリーンの絨毯が敷かれ、黄ばんでいた壁紙もまっさらな新品に取り替えられた。
 これまた新しいカーテンが掛かった窓辺には、住人のために入れた家具が置かれている。

 重厚なマホガニーの机と椅子。
 クイーンサイズのベッド。
 東洋風のクローゼット。
 一人がけのソファー。
 
 どれもこれも時代がかった本物の骨董品だが、使用者のほうは邸で一番新しかった。

 
 「しんあいなるアーサーさま、おげんきですか……」

 日本語と英語の混じった奇妙な独り言が、広い部屋の天井に消える。
 邸内最年少たるロナルド・ウィーズリーは、子供には高すぎる椅子に腰掛け、大きな机の前でブツブツ呟いては首を捻っていた。 

 その様子は家具との不釣合いも相まって、まるで戯画めいた奇妙さがあったが、本人はいたって真剣だ。
 書いては消し、書いては消し、必死に書き慣れない文字と格闘している。

 『これは入れるべきだね。えーと…「パパ……おとうさん…」こっちのほうがいいか』

 シンプルな便箋を埋めているのは英語の手紙文だ。
 時折辞書で綴りを確認しながら修正を加えている。

 
 ”親愛なるお父さんへ

  こんにちは。私は元気です。
  先生はとても優しいです。奥様もとても優しいです。

  先日はお手紙をありがとうございました。
  双子の兄弟が私の兄の―――”

 
 『……これじゃ私が双子で兄がその片割れみたいじゃないか』

 書きかけた文を読み返すと、ロンは深いため息をついた。

 どこから見ても中学生レベルの英作文だ。
 単語についてはかなり覚えたつもりだが、文章となると未だにこの程度。
 もしかすると内容自体を少し変えたほうがいいのかもしれない。

 煮詰まってきたのを自覚して、休憩とばかりに鉛筆を机の上に放り出す。
 手持ち無沙汰から、脇に置いた和英辞典をぱらぱらと捲った。


 英語。この厄介なもの。


 読むことや聞くことに関しては、詳細が分からなくても感覚で大意を掴むことができる。
 しかし書くことと話すことについてはそうはいかない。相手に意図するところを伝えるには正確さが必要だ。
 ロンは単語を知らない、綴りが分からない、発音がうまくできない、簡単な慣用句さえ使えない。

 フラメル邸で起居するようになってから一ヶ月少々立つが、この間一番困ったのが言葉の問題だった。

 フラメル夫妻は日本語を知らず、ロンの英語は実用に耐えないお粗末さ。
 頼みの綱はダンブルドアだったが、学校の教師であり要職についているらしい彼に無理を言うのも気が引ける。

 結局ロンはこの試練を一人の力で乗り切ることに決め、猛勉強を開始した。
 読み書きは言うに及ばず、時間のある時を見計らってフラメル夫人や師匠に発音の質問をし、間違いを恐れず積極的に話しかける。
 邸内のあらゆるところに単語の書かれたラベルが貼り付けられ、ロンはここの一月で無駄にパントマイムが上達した。
 愛読書は英和辞典と和英辞典。「絵で見る錬金術」をクリアして、現在の教材は「初等錬金術講座」だ。 

 しかし努力に反して中々成果は上がらなかった。
 立ちはだかった言葉の壁は、あまりにも高く、厚い。

 本州から出たことさえなかった元日本人のロンにとって、魔法がどうというよりもここが英国だといううことの方がよほどに重大事だった。

 『せめてこの手紙だけでも、すらすら読めるようにならないと』

 日本語でぼやきながらチラリと見たのは、きちんと重ねて置いた数通の手紙だ。

 筆圧の高い筆記体の署名は、最初自力で読むことが出来なかった。
 ダンブルドアに教えてもらった差出人の名は、アーサー・ウィーズリー。
 もしかするともう一生会うことはないかもしれないと思っていた、ロナルド・ウィーズリーの父親だ。



 ―――アーサーがどんな気持ちでこの手紙を書いたのか、ロンには想像もつかない。
 
 長い手紙の中で、彼は一度もロンを責めなかった。
 翻訳してくれたダンブルドアが気を遣ったわけではなく、本当にただの一語もなかったのだ。
 彼にとっては息子の体が突然別の人間に乗っ取られたに等しいだろうに、覚悟していた憎しみも、恨みつらみも、何一つ。
 代わりにそこに記されていたのは、真摯な謝罪と、淡々と語られる事実と、祈るような願いだった。


 ”失われたこれまでが戻らなくとも、どうかこれからのことを考えてほしい”  


 この一文は、ロンだけでなく妻や家族や、自分自身に向かって言い聞かせた言葉なのではないだろうか。

 『……強いお人だねェ』 

 強くて前向きで、勇気がある。
 何度も途中で筆を休めたのか、インクの濃淡がまちまちになった文字を眺めながら、ロンは静かに呟いた。

 できることなら家族として、もう一度。

 ウィーズリー家の今の状況を見れば、勇気と覚悟がなくてはとても書けない。
 現実として、ロンはニコラス・フラメルの弟子という名目でフラメル邸に預けられている。
 酷く取り乱していた赤毛の女性や、「ロニー」が消えた原因だという双子など、すぐには解決できない問題もある。
 それでもアーサー・ウィーズリー氏はどうやら本気のようだった。

 その証拠に、毎週呆れるほどに分厚い手紙が届く。

 二通目の手紙にはアーサー・ウィーズリーとモリー・ウィーズリーのことが書かれていた。
 三通目は長男たるビル。四通目に次男のチャーリー。五通目で三男のパーシー。
 そして今朝方届いた六通目では、ロンが現在のロンとなった原因の、四、五男の双子について。 

 妻は口煩くも愛情深く、長男は陽気で溌剌。次男は目下クィディッチに夢中で、三男は読書と勉強が好き。
 例の双子は活発で悪戯好きだが、ロンがいなくなってから火が消えたように落ち込んでいる。 
 綴られているのは、愛する家族を紹介するいくつもの思い出深いエピソード。
 日常の些細な出来事。家庭内のちょっとした事件。ロンへの他愛ない質問。

 ダンブルドアから手紙を受け取るたびに、ロンはありがたさと申し訳なさで涙が出そうになった。

 無に帰した関係を再び一から構築しようとする強靭な意志に頭が下がる。
 同時に、ウィーズリー家の人々を家族と言い切れないことに対して罪悪感を感じる。
 
 ロンにとって家族といえば、日本にいる父母や弟妹、祖父のことなのだ。
 ウィーズリー一家を家族として、日本のことなど忘れてしまえたなら楽だった。
 だが、頭では分かっていても20年以上かけて培った気持ちは簡単に割り切れず、今もロンは日本の家族を想い続けている。
 死んだ自分を悼んでくれた、もう二度と会えない家族を。

 それは、ロンのことを家族と呼んでくれるアーサー・ウィーズリーに対する不実なのではないだろうか。

 (人の心はままならぬたァよく言うが、自分の心一つとっても中々自由にゃならないもんだ)

 ロンが気持ちを整理するには、もうしばらく時間が必要だった。

 いつかきっと、アーサーのことを面と向かって父と呼べるようになるはずだ。
 日本の家族は思い出として、ウィーズリー家の人々を愛せる時が、きっと来る。

 それまではせめて正直に、誠実に。

 
 「ウン、きゅうけいしゅうりょう」


 物思いに耽っているうちに随分と時間が経っていたようだ。
 ロンはそっと重ねられた手紙から視線をはずすと、再び便鉛筆を手にとった
 黙って書き損じを横に避け、新しい便箋を前にする。


 ”親愛なるお父さんへ

  こんにちは。私は元気です。
  先生はとても優しいです。奥様もとても優しいです。

  先日はお手紙をありがとうございました。
  次のお手紙では妹のことを教えてください。

  今日、私は新しい単語を覚えました………” 

 
 翻訳なしで、アーサーからの手紙を読めるようになること。
 代筆なしで、アーサーへの手紙を書けるようになること。

 それが現状におけるロンの最低限の礼儀で、見せられる最高の誠意だ。

 (私の気持ちがどうであろうと、礼には礼で返すのが筋ってもんさ)

 だから頑張ろう、とロンは鉛筆を握る手に少しだけ力を込めた。 

 真っ白な便箋に、ぎこちなく書き綴られるヘタクソな英文。
 今はまだ未熟なその手紙だけが、いつか「家族」になるかもしれない人達との唯一の絆だった。
  




 
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