ロナルド・ウィーズリーとひのきのつえ



 自室で「初等錬金術講座」の英文と格闘していたロンは、ココン、と素早く2回続く独特のノックにふと顔を上げた。

 『どうぞ?』

 うっかり日本語で言ってしまったが、意図は伝わったのかガチャリと重いドアが開かれる。

 「おう坊、暇かい?」

 ダンブルドア曰くいささか古臭いロンドン訛りは、いつものように少し掠れ気味だ。 

 「お師匠さん」

 何度も練習したのであろう完璧な発音に、ニコラス・フラメルは笑顔で応えた。

 一目で魔法使いと分かるダンブルドアと違って、フラメルはさほどマグルと変わらない服装をしている。
 ローブの代わりにごく普通のシャツとスラックスを身につけた姿は、そのままマグルの街に出ても違和感がない。
 ぱっと見ればどこにでもいるような老紳士だったが、銀縁の片眼鏡の向こうの目だけが、ダンブルドアと同じように不思議な強い光を放っていた。

 「ナニか、ごようですか?」

 椅子から飛び降り慌ててドアへ近づくと、フラメルがくしゃくしゃとロンの頭を撫でた。
 どうも外見のせいで実年齢を忘れられているようだ。
 いや、数百歳の人から見れば四つだろうが二十過ぎだろうがも大した違いはないのかもしれない。

 それでも成人した人間として一応文句を言うべきか。

 つたない英語でなんとか不満を述べるべくロンが考えこんでいると、師から思わぬ言葉が降って来た。

 「一ヶ月以上家に篭ってちゃあいい加減坊も退屈だろう。近くの森に採取に行かねぇか」

 一ヶ月、退屈、森、採取。行きますか?
 その意味するところを頭の中で確認し、ロンは思わず大きな声で応えた。

 「はい、いくです!」

 フラメル邸は草原のど真ん中にあるのだが、ロンの部屋の窓からは確かに森が見える。
 目的地がそこであれば幼児の足でも行けないことはあるまい。

 邸の周囲には店どころか民家一つなく、しかも森の方に行くと化け物が出ると聞いていたので、ロンはこの一ヶ月一度として邸の周囲から離れたことがなかった。
 それは師であるフラメルの手を煩わせるのが嫌だったからなのだが、こうして誘ってくれるならば遠慮するつもりはない。

 『いや嬉しいねぇ、やっと家を出られるよ!』

 フラメル邸に引き取られ41日目にして、初めての外出だ。 
 久々の外ももちろんだが、ロンにはもう一つ嬉しいことがあった。

 「絵で見る錬金術」解読のおかげで、魔法界初心者のロンも錬金術のイロハのイくらいは知っている。
 錬金術とは要するに調合のことで、質を求める錬金術師ならその材料は自力で採取するのが一般的だ。
 が、錬金術をかじっているのは何も本職だけではないし魔法薬学と被る部分も多いので、基本的なものを商っている専門店があった。

 そしてありがたいことに、この手の専門店は採取したものの買取も受け付けているのだ。

 『これで将来の不安が一つ解決されたね』

 ロンの将来の不安とは、ありていに言えば生活費を稼ぐ算段だった。
 魔法使いとして職に就く自信はなかったが、かといってイギリスのマグル世界で生きていくのも躊躇われる。
 どうしたものかと思いつつ、とりあえず勉強にせいを出していたロンは、諸手を挙げて喜んだ。
 採取したものを売れば金になるのでは、と気づいたからだ。
 今のうちから経験を積んでおけば、きっと将来食うに困らないだろう。

 「ありがとうございます!がんばります!」

 現実的な理由で喜ぶロンを見て、フラメルは微笑ましげに目を細めた。

 「そんだけ喜んでもらえると誘った甲斐があらァ」

 知らぬが仏である。

 「おししょうさん。イマ、いきますか?」

 「おうよ。動きやすい服に着替えて、コレ持って、下に下りてきな」

 そこでようやくロンはフラメルが片手に何かを持っているのに気が付いた。
 ほれ、と渡された物は子供の手にずしりと重い。

 「コレは……」

 困惑してフラメルの顔とそれを見比べる。
 どうしていいか分からないといった様子を見て、フラメルが楽しげに笑った。
 
 「御覧の通り、ただの棍棒さ。杖を持たせたところでまだ魔法も使えねぇしな」

 「ツエ……杖?」

 早口すぎてよく聞き取れなかったのか、ロンが眉間に皺を寄せつつ繰り返す。
 どこかぎこちない発音に、フラメルはさりげなく会話の速度を落とした。

 「そいつを使うのはもう何年か先のこった。本当なら棍棒だって使えねェ年だが、幸いにもいい道具がある」

 その言葉と共に渡されたのは、周囲に文字の刻み込まれた金色の輪だ。

 「コレが、ドウグですか」 

 幅およそ2cm、厚さは5mmほどの円環を、ロンはしげしげと見つめた。

 おそらく腕輪なのだろうが、どう見ても使用者を大人に想定したサイズだ。
 ロンが身に着けるとすれば首から提げるか、懐に入れるか。本来の使い方をしたらあっという間に落とすだろう。
 思いのほかに軽いそれを弄りつつ意味も分からぬ文字を指でなぞっていると、フラメルがその輪を取り上げて、するりとロンの手をその中に通した。

 「おししょうさん?」 

 首を傾げつつされるがままに腕を預ければ、大きすぎたはずの金の腕輪がいつの間にかロンの手首にぴったりと嵌ってる。
 
 (こりゃまた殊勝な輪っかじゃないか。持ち主の身体に合わせてくれるのかい)

 すっかり感心して腕輪を眺めるロンに、フラメルがいささか自慢げに説明した。

 「俺が錬金術で作った逸品だ。攻撃した時に相手に与えるダメージが大きくなるから、そいつを持ってりゃ少しは戦える。」

 「ダメージを、おおきく?」

 「ああ。ペチンと叩いた衝撃がガツンと殴ったくらいにな。ま、使う機会なんて当分ねぇだろうが」
 
 何かを振り下ろすような仕草をする師に、ロンはコクリと頷いた。
 今までの会話で断片的に理解した部分を反芻し、次に無言で『杖』らしきものを見る。

 (前半はよく分からなかったし知らない単語もあったけど、後半は大体聞き取れた)

 ロンの手の中にあるのは木の棒だ。
 長さはおよそ60cmほどだろうか。先端に行くつれ太くなり、一番上の部分は瘤のように隆起して若干重くなっている。

 握りの太さと長さからして、一番形状が近いのはバット。
 だが長さを無視すれば、中国の水墨画や何かで仙人が持っている木の杖にも似ている。
 記憶の中のそれと照合した結果、ロンは素直にこう思った。

 これは魔法の杖なんだ、と。

 だが師匠は自分にはまだ魔法が使えないと言った。
 それに、「道具で補う、ダメージ云々」という発言と今の仕草からして、この「杖」は完全に打撃武器として与えられたのだろう。
 こんな小さな子供であっても、錬金術で作った道具があれば身を守ることができるのだ。

 なんて不思議なんだろうね、とロンは今貰ったばかりの腕輪をそっと撫でた。
 
 木で出来た不思議な魔法の杖。身体能力を増加する道具。それ以外にいったいどんなものがあるのだろう。
 たしか以前ダンブルドアが空飛ぶ箒の話をしていた。
 子鬼がいるとも言っていたし、魔法の学校まであるらしい。


 妙な気分だった。
 まるで突然目が覚めたように、視野が広がる。


 そう。
 
 今までずっと自分の身近なことに気を取られていたけれど、ここは魔法の世界なのだ。


 杖と腕輪。不思議な道具。
 知的好奇心が刺激されて、思わず胸が高鳴る。

 錬金術を学べば自分もこんなものが作れるようになるのか。
 杖を自分で作るには。箒はどうだろう?この腕輪を作るにはどれだけ学べばいいのか。
 こんなにワクワクするのは、きっと『生き返って』から初めてのことだ。

 (錬金術か。いいね、面白そうじゃあないか)

 将来自分の身を立てるため、という目的で勉強していたロンだったが、ここにきてやっと錬金術という学問自体に興味がでてきた。
 考えてみれば、単に採取したものを売るよりも加工したほうが儲かるに違いない。 
 幸いにしてロンが預けられた名目はフラメルの弟子だ。
 錬金術を学ぶなら、おそらくは魔法界で最もいい環境である。
 
 (錬金術師になるなら、まずは自力で採取できるようにならないと)

 体力作りと勉強のメニューを頭の中で組みつつ、強く「杖」を握り締める。

 強く、賢くなろう。魔法界のどこにでもいけるように。隅々まで知るほどに。
 そうだ。この世界だってそう悪くないじゃないか。
 家族や日本が恋しくて孤独に苛まれる夜もあるけれど、こうして面白そうなことだってある。

 (うん、悪くない)

 黙り込んだ自分を心配そうに見下ろす師を見上げ、ロンはにっこりと微笑んだ。
 真っ直ぐにフラメルを見つめる瞳は生気に満ちている。   

 「ありがとうございます、お師匠さん」

 棍棒を両手で抱えながら満面の笑みを浮かべるロナルド・ウィーズリー、この時若干4歳。
 後に数多の錬金術師の頂点に立つ人物が、微妙な勘違いをしつつ魔法の世界に足を踏み出した瞬間だった。



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