ロナルド・ウィーズリーとはじめてのともだち



 ダイアゴン横丁とノクターン横丁の交差点に立つ、この辺りでもっとも目を惹く白い建物。
 それがグリンゴッツ銀行だ。

 目を惹くといっても特に変わった外観をしているわけではなく、ただ単に白くて大きいというだけなのだが、これがやたらと目立った。
 ダイアゴン横丁にせよノクターン横丁にせよ、街並みを形作る店舗はどれも総じて小さく、それゆえに銀行の高く立派な建物は遠くからでもあきらかにそれと分かる。
 おかげで頭一つどころか二つ三つ周囲から飛び出した建物は、分かりやすい待ち合わせ場所として、あるいは迷子のためのランドマークとして買い物客に重宝されていた。

 その、グリンゴッツの前。
 青銅の扉に続く石段の下で、ニコラル・フラメルは腰を屈めて小さな弟子に問いかけた。

 「―――俺は1時半から約束があるから、3時にここに集合だ。気をつけるこたァ分かってるな?」

 念を押すような口調に、ロンは煩がるでもなく何度も言い聞かされた言葉を繰り返す。

 「迂闊に物に触らない。呪いと誘拐に気をつける。ノクターン横丁には近づかない」

 呪いが入るあたりが魔法界らしい、などと暢気なことは言っていられない。
 さらりと並べられた注意事項はどれもこれも切実な問題なのだ。

 1980年代、いまだ安全神話の崩れない日本と比べてイギリスの治安は決していいとは言えず、魔法界はそれより更に物騒だった。
 誘拐や失踪事件の目的には魔術における人体実験や生贄が含まれ、発生件数だけでなくその凶悪さも筆舌に尽くしがたい。
 ことに悪名高いノクターン横丁は犯罪の発生率も高く、そのノクターン横丁に隣接しているダイアゴン横丁で未就学児が単独行動を取るというのは、鴨が葱を背負って鍋の周りを歩いているようなものだ。

 しかしフラメルは、ロンをダイアゴン横丁につれてくるたびに注意一つで自由行動を許した。

 もちろん無闇に放任しているわけではない。 
 ロンは常日頃から『非常ベル』と名づけられた鈴を持たされている。
 この鈴はフラメルが所持しているものと連動しており、何か問題が起こったときは即座にフラメルが姿現しで救助に来る手はずになっていた。
 さらに、ロンはフラメル手製の装備で武装している。
 防御や増強の呪具に、使い込まれ黒光りする棍棒。そして肩掛け鞄の中にはクラフトと呼ばれる小型爆弾。
 いくら威力が弱いものとはいえ、こんな幼い少年に爆発物を投げられるとは誰も思うまい。
 インパクトとしてはスタンガンよりはるかに上だろう。

 「よし、それだけ押さえときゃ大丈夫だ。買い食いしすぎんなよ」

 カラカラと笑う顔に不安の影はない。
 なにしろ元成人男性だけあって分別があるし、冷静で落ち着いた性格をしている。
 非常時の連絡手段と危険に対する備え。そしてロンならばそれを活用できるという信頼があって、何を案じることがあろうか。

 「大丈夫ですよ、お師匠さん。奥さんの夕飯の分はちゃんと空けておきます」

 気負う様子もなく冗談を返す弟子を見下ろし、フラメルは満足げに頷いた。

 「それじゃあ後でな」

 「ええ、また後で」

 足早に離れる師の後姿を見送り、くるりと身を翻す。

 『さあて、どこへいこうか』

 青空の下、街並みはどこまでも続いている。
 年齢そのままの子どものような笑顔を浮かべると、ロンは石畳を軽やかに歩き出した。

 ◇◇◇


 ダイアゴン横丁で人と会う約束があるが、暇なら一緒にくるか?

 そんな師匠の言葉にに一もニもなく喜んで飛びついたものの、実のところロンは特に目的があって同行したわけではなかった。
 だが、無目的で訪れたとしてもダイアゴン横丁で時間をもてあますようなはことはない。
 服屋や靴屋、文房具屋のようなマグルの世界にもある店から、大鍋屋や飛行用の箒屋、ふくろう専門のペットショップなど魔法界ならではの店まで、扱っている品物にはどれも魔法がかかっていて、店一軒を見るだけでも時があっという間に過ぎていく。

 なにより、こうしてダイアゴン横丁で魔法界の人々の生活を垣間見ることは、ロンにとって決して無駄ではない。
 主人が昔マグルに混じって暮らしていたためか、フラメル邸の生活は魔法界でも珍しいくらいにマグル寄りだ。
 日本のマグル育ちのロンにとってはありがたいと同時に、このままマグルと似たような生活を続けていて、はたして魔法界に馴染めるかどうかという不安がよぎる。
 その不安をわずかながらも埋めるのが、こうした魔法社会とのささやかなふれあいだった。

 『それにしても、いつ来ても人が多いね』

 軒先にいくつも吊るされた名も知らぬ草花。
 猫と蛙と梟と、得体の知れない動物の鳴き声。
 ショーウィンドウの箒に釘づけになっている少年達。
 子どもの手のひらで飛び跳ねるチョコレートのカエル。

 ごちゃごちゃと無秩序に集まった店と騒がしい人の波。
 混沌としていながら楽しげな空気に、昔よく行ったアメ横を思い出す。   
 擦れ違う人々のローブの合間を縫うようにすり抜ける技術は、思えばあそこで培われたものかもしれない。

 『せっかく来たわけだし、どこか適当な店でも覗かせてもらおうか』

 ロンは過去に向きかけた気持ちを切り替えるように声を出し、通りがかった店の前で足を止めた。

 薬草の類を売る店なのだろう。
 何かの草の瓶詰がずらりと並んでいるが、今のロンには瓶詰の用途どころか草の名前すら分からない。
 もっと錬金術を勉強すれば分かるようになるのだろうか。
 いや、瓶に詰められているから分からないのであって、もしかしたら知っている植物かもしれない。
 もっとよく見ようと背伸びをした時、ふと目の端に不審なものをとらえた。

 自分と同年代と思しき男の子が、道の反対側にある靴屋の前を一人でうろうろしている。

 人のことは言えないが、ダイアゴン横丁を保護者なしで歩き回るとはずいぶんと度胸のある子どもだ。
 男の子特有の冒険心ゆえか、はたまたうっかり親とはぐれて迷子になったのか。
 どちらにしてもあれは放っておいたらまずいことになるのではなかろうか。

 『でも子どもを保護してくれそうな場所が思い当たらな……って、ちょいとそこの坊ちゃん!』

 はらはらしながら様子を伺っていたロンは子どもが不意に店と店の間の暗い路地に足を向けたのを見て、思わず日本語で叫んだ。
 男の子はこちらを振り向かずそのまま暗がりへと足を進めようとしている。

 『ええい面倒くさい!えーと、「そこの路地裏に向かう少年!」』

 なんとか思考を切り替え英語で呼びかければ、そこでようやく自分のことと気がついたのか、子どもが歩みを止めた。
 不思議そうにきょろきょろと辺りを見渡し首をかしげている。
 いかにも大人しげな、おっとりした雰囲気の少年だ。
 そのままあの道を抜けて隣の通りに入ったら、5分と経たないうちに姿を消すはめになるだろう。

 「そっちはだめだ、ノクターン横丁だよ!」

 「ええ!?」

 静止に続いてかけられた男の子は火にでも触れたかのように路地から飛びのいた。
 一瞬にして青ざめた顔は遠目に見たとおりロンと同じ年頃のものだ。

 『まったく、こんな小さな子どもを無防備に一人で歩かせるなんて……』

 姿の見えない保護者に憤慨しつつも走り寄り、背を押して道の反対側まで連れて行く。
 子どもはあたふたとロンと路地を見比べるも、されるがままになっている。

 「あ、あの」

 何か言いたいが言葉が出てこないようだ。

 「……一緒に来てくれた人はどこにいったんだい?」

 どうも様子がおかしい。
 一人歩きを決行するにしては内気すぎはしないだろうか。
 これは、もしや―――

 「ぼ、ぼく、おばあちゃんが……み、みつからなくて……う、えうう」

 幼い顔がくしゃりと歪み、小さな口から嗚咽が漏れる。

 「やっぱり。ああ、泣かない泣かない!男の子だろう」

 案の定、迷子だ。

 予想通りの状況に内心頭を抱えつつ、ロンは必死に男の子を元気づけた。
 わしわしと豪快に頭を撫でながら、ぐるりと当たりを見渡す。

 『さて、交番らしきものもこの辺にゃ見当たらないし、とりあえずはお師匠さん待ちか。』

 闇雲に声を張り上げておばあちゃんとやらを探せば、迷子だと宣伝しているようなもので却って危ない。
 この子だって知らない大人に預けられるよりは、見た目だけでも同世代の子どもと一緒にいるほうがマシだろう。
 頭の中ですばやく思考を廻らせ、ロンはこの迷子の男の子に付き合うことにした。

 『袖すりあうも他生の縁、ってね』

 子どもは嫌いじゃないし、たまには師匠夫婦以外の人間と接しないと人付き合いを忘れてしまう。
 何よりこの子はロナルド・ウィーズリーとしては多分初めての同年代の人間だ。
 随分昔に通り過ぎたはずの幼年期に逆戻りして、外見年齢相応の振る舞いに悩む身としては絶好のお手本といえる。

 べそべそと泣いている男の子をもう撫でると、ロンは静かに一歩下がった。
 多少打算的なものはあるが、目の前の子どもと友好的な関係を築きたいという気持ちに偽りはない。
 ならば最初にすべきことは決まっている。
 師匠に教わったとおりに片手を差し出して、にこやかに告げた。

 「はじめまして。私の名前はロナルド・ウィーズリー。短い間だろうけれど、どうぞよろしく」

 子どもにしてはやたらと堅い挨拶だったが、それなりに効果はあったのだろう。
 男の子は慌てて服の袖口で涙を拭うと、おずおずとその手をとった。
 握手で緊張がほぐれたのか、ようやく口の端に笑みが浮かぶ。

 「お名前は?」 

 「……ネビル・ロングボトム」

 小さな声で付け加えられたよろしくという言葉に、ロンはにっこりと微笑んだ。


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