ロナルド・ウィーズリーととくべつなおくりもの扉を開けた瞬間ふわりと広がったハーブの香りに、ネビルはそっと口元を綻ばせた。 慣れ親しんだトーンとズユース草の匂い。爽やかなミスティカの香気。 大釜の置かれた工房の方ではよく異臭が漂っているが、この部屋は爽やかな空気に満ちている。 錬金術師の調合には匂いや煙が付き物で、材料には生ゴミのような匂いがするものさえあるのだが、さすがに生活空間にまでそういった物を持ち込んではいないようだ。 壁沿いに据付けられた本棚の一部には調合で作り出した道具や採取してきた材料等が並べられているが、悪臭を放ちそうな物は見当たらない。 レジエン石に、猫目石の原石、グラセン鉱石。 乾燥したゼグラス草の束、動物の角、瓶に詰められた宝石のような何か。 「……なんかまた新しい物が増えてるなあ」 来るたびに増殖している棚の上の品々を眺めつつ、空気の対流が起こらないよう静かに扉を閉める。 家主から友人が調合中だと聞いていたし、材料に髪の毛一本混ざっただけでも大惨事になるということは身をもって学習済みだ。 工房ではなく自室で行っている調合ならそこまで気を使う必要はないのだろうが、以前目の前で凄まじい色の産業廃棄物を作られた時の記憶が油断を許さない。 「やあロン、今大丈夫かな?」 扉の前に立ったまま遠慮がちに呼びかけると、机に向かってい背中がくるりと振り返った。 手元には乳鉢を抱えているが、簡単に中断する様子からしてやはり難しい調合ではなかったようだ。 「いらっしゃいネビル。すぐ終わらせるからそこで待っててくれないか」 快活な声といつもの笑顔に、ネビルの顔もつられてほころぶ。 「ゆっくりやっていいよ。どうせ暇だし」 器具を片付け始めたロンを横目で見ながら、すでに定位置と化しているソファへ向かう。 ソファの前に置かれたテーブルの上に乗せるのは、一抱えほどもあるバスケット。中身はロンの温室からの収穫だ。 去年から新しい系統の錬金術を学び始めたロンは栽培による材料の入手についても詳しく教えられているのだが、あいかわらず彼のための温室はネビルが管理している。 今では一角にネビル専用の栽培スペースまで確保され完全にお抱え庭師と化しているのだが、数年前にぽろりと口にした植物学者というのが実は天職ではないかと思い始めているネビルにとってはまったく苦ではない。 最近では錬金術関連だけではなく魔法薬用の薬草や園芸種のハーブにまで手を広つつあるくらいだ。 もちつもたれつ。自宅の薬草園よりも自由が利くので、試験的な栽培はもっぱらロンの温室を頼っている。 「家だとばあちゃんが口を出してくるんだもんなあ……」 眉間に皺を寄せて目を吊り上げる祖母の顔を思い出し、ネビルは深いため息をついた。 ロンにあちこち連れ回されて自分では大分たくましくなったつもりでも、祖母の顔を見ると言葉が出なくなる。 幼少期からの刷り込みか、あるいはトラウマというべきか。いや、一族の者が誰一人として逆らえないところからして、おそらく祖母は魔法族万人にとって恐怖の対象であるに違いない。 鮮やかに蘇る祖母の顔を頭から振り払おうと苦闘していると、ひょいとロンがテーブルの向こう側のソファに腰を下ろした。 「やれやれ。待たせちまって悪かったね」 絶妙のタイミングで思考を断ち切ってくれた友人に心の中で感謝の祈りを捧げる。 「いやいやいや、そんなに待ってないから気にしないで。それよりほら、今日採れたものを持ってきたんだ」 そう言いながらバスケットに被せておいた布を取ると、本来ならば湿地帯で採れるはずの蓮花が芳香とともに姿を現す。 漂う香りに花弁のつや、花の魅力を余すところなく引き出した自信作だ。 「どれどれ……ああ、こりゃあ見事な品質だ」 感心したように言われて、照れくさくも誇らしい気持ちになる。 ロンがこのところ頭を悩ませている従属効果や属性がどうこうというのは錬金術の分野だが、質の良し悪しという点に関しては育てた人間の腕の問題だ。 当たり前のことだが、褒められれば悪い気はしない。 「そ、そうかな」 頭を掻くネビルに頷いて、ロンが蓮花の一つをそっと掌に乗せた。 検分する眼はすっかり錬金術師のそれだ。 「うまいこと従属効果がついてるみたいだし、これならいいものが作れるよ。ありがとう」 率直に礼を言われて、ネビルはみるみる顔を赤くした。 いつも厳しい祖母に叱られてばかりのネビルは、誰かに感謝されるということがほとんどない。 「ありがとう」という一言は、ネビルにとってとても大きな価値のある言葉なのだ。 「つ、作れるっていえば、ロンは今年のクリスマスってどうするの?」 喜びと戸惑いで半ば混乱しながら、ネビルは不器用に話題を変えた。 赤くなった顔を誤魔化すように頬を擦り、さりげなさを装って視線を逸らす。 慣れない言葉にうろたえたあげく場を取り繕おうとして失敗したのが明らかだったが、そこに突っ込むほどロンは野暮ではない。 部屋に据え付けた小さな氷室に収穫物を収めつつ、肩越しに答えた。 「いつものとおり、ここで過ごす予定だけど」 「え、や、そうじゃなくって、クリスマスプレゼントの中身とかもう考えてるのかなって」 話しているうちに落ち着いてきたネビルが、質問に補足した上で同じ言葉を重ねる。 「去年は一緒にダイアゴン横丁に行ったけど、今年はどうするか決めてるの?」 「プレゼントね、一応もう準備は始めてるよ。今やっている作業もその一環なんだ」 乳鉢の乗った机をコンコンと叩くのを見て、ネビルは少し驚いた。 下準備として調合を行っているということは、本当に一からプレゼントを作るつもりなのだ。 例年のロンのプレゼントといえば、両親にこそクリスマスに間に合うようにワインとケーキを作るが、兄弟たちには基本的に市販のものを贈っていた。 錬金術で作られた物は総じて価格的な価値が高いので、不用意に贈るとかえって相手に気を使わせるのだと言う。 それが子どもの言うことだろうかと思わないでもないが、筋は通っている。 それが、突然の方針転換。 これは何か理由があるに違いない。 「今年って、お祝いとか記念とかあったっけ?」 原因が思い当たらず首を傾げていると、ロンはすっと机に置かれた卓上カレンダーを指さした。 今年は残りあと一ヶ月ちょっとしかないのに、今から何か起こるとでもいうのだろうか。 「今年は何もないけど、来年はあるじゃあないか」 指先は月でも日でもなく、年の部分を指している。 不思議そうな顔をしていたネビルは、ロンの言葉に目を大きく見開いた。 「あ……学校……」 ロンもネビルも今年で10歳。 二人とも魔力は発現しているので、順当にいけば来年の9月には揃ってホグワーツ魔法魔術学校に入学することになる。 「プレゼントに手をかけられるのも今年までだから、ちっとばかし気合を入れてみたのさ」 軽い言葉はしっかりとした意思に裏打ちされていた。 見習い錬金術師から駆け出し錬金術師にグレードアップしつつあるロンだが、錬金術師である前に魔法族であるから、最低限の制御を身につけるためにも学校には行かなくてはならない。 ホグワーツは寄宿制であるというし、寮に入れば今のように自由に調合することはできなくなる。 学校なら最低限の調合設備くらいあるかもしれないが、専門家であるニコラス・フラメルの工房と比較すれば確実に見劣りするだろう。 もちろん遠方への採取や日数のかかる調合ができる機会も長期休暇のみに限定されてしまう。 入学したが最後、卒業まで錬金術師としての修行は足踏み状態。調合の腕は確実に落ちることは避けられない。 ならその前に、家族にくらい今までの成果という奴を披露しておきたいではないか。 「ただでさえ家族にゃ不義理をしてるってのに、寮に入ったらもっと疎遠になりそうだしねぇ」 幼くして家を出た六男坊の存在はウィーズリー家の人々に暗い影を落としている。 中身が成人しているロンとしては気に病まれるほうがかえって不本意なのだが、それを一々説明するわけにもいかない。 ならばせめて物に気持ちを託してみようと思ったのだ。 錬金術師としてここまでの力をつけた。 ウィーズリー家の子どもはちゃんと成長しているんだと。 同時に、いつまでも水臭く余所余所しい距離感への反感というか苛立ちも、少しばかり含まれてはいるのだが。 「ま、要するに見栄っぱりの自己満足なのさ」 あれもこれもつきつめれば自分のため。 お師匠さんや奥方あたりには私の気持ちなんざまるっと分かってるんだろうけどねえ。 口にすることのないあれこれを全部ひっくるめてそう言うと、ロンは苦い笑みを浮かべた。 ―――その複雑な胸の内を一切知らないネビルは、パニックに陥っていて見ていなかったのだが 「ど、どうしよう!ぼく全然なんにも考えてなかったよ!」 友人の深慮には感心するが、そんな話をきいたら焦らずにはいられない。 思わずソファから立ち上がったネビルの頭の中で貯金箱の中身が踊った。 ロンと一緒に行動することが多いせいで10歳児にはあるまじく小遣い以外にも細々とした収入があるのだが、子どもらしい無駄遣いのせいでロンの言うところの『気合の入った』特別なプレゼントをするにはいささか心許ない。 「たしかに家で準備できるのはこれが最後かも……卒業したら独り立ちする人も多いって聞くし……あわわ」 考えれば考えるほどに準備不足が悔やまれる。 (ああどうして先月チョコなんか買っちゃったんだろう) 悔やんでもお金は戻ってこない。 自宅の薬草園でできたものを売ったら少しは足しになるだろうか。 それともロンに頼んで今だけ温室の自分用栽培スペースを拡張させてもらうべきか? 金策からすっぽりとお手伝いのお駄賃等が抜け落ちているネビルは、自覚はなくとも見事にロンに染まっていた。 「ていうかその前に何あげたらいいかもわかんないよね……!」 慌てすぎて立ったり座ったりしているネビルに、ロンが冷静な一言を投げかけた。 「ネビルも自分が育てたものをプレゼントすりゃあいいじゃないか」 まだクリスマスまで一ヶ月近くはある。 普通の庭で育てていては間に合わないかもしれないが、錬金術師の家庭菜園を使えば余裕をもって収穫できるはずだ。 なんならさらに収穫を早めるために手製の植物用栄養剤を提供しても構わない。 「や、薬草を?でも家でもつくってる物をそのまま渡したって」 おろおろしつつもちゃんと話は聞いているようだ。 ロンの提案に対してすぐに反論を返してくる。 「普段から家で作れないものをここで育ててるだろう?いつも手を借りてる礼だ、タネくらい提供するさ」 「いやでも……」 「素材さえあれば私が調合を引き受けたってかまわないし」 魔法薬や錬金術の調合を知らないネビルでも、ロンがついていればミスティカで茶葉をつくることくらいはできる。 消耗品でないものを贈りたいのであれば、材料だけ揃えてロンなりどこぞの店なりに発注すればいい。 大量生産品ならともかく職人に頼む場合は、そのまま購入するより材料を用意して加工してもらった方が安上がりだ。 「そりゃ、ロンに頼めたら最高だけど……そんな余裕あるの?」 いくらか冷静さを取り戻したネビルが一番心配な事を聞いてみる。 錬金術の調合というのは簡単に短縮できるものではないし、場合によっては失敗することもある。 こんなに早くから準備しているのも万が一の時に作り直す可能性を考慮に入れてのことだろう。 「予定はもう半分くらい消化したからね。まだ一ヶ月はあるし、そう心配しなさんな」 事前の計算によると全ての調合が完了するのに23日かかるが、既にいくつかの品物は完成している。 間に数日ずつのの休息を予定していたから、予備日を残しても3日かそこら捻出できないわけでもない。 「あ、ああ、なんかちょっと安心した。そうだね、材料とか相談にのってもらうよ……」 理詰めでなだめられたネビルは気が抜けたようにソファに身を沈めた。 言われてみればそうだった。一ヶ月しかないのではなくて、一ヶ月もあるのだ。 ロンと違って用意する数も少ないのだからもっと落ち着かなくては。 「のんびり考えりゃいいよ。うちより人数は少ないんだし、焦るこたァない」 面白がるように言われて、あらためて友人の家族の多さを思い出す。 なるほど、ロンに比べたらネビルなんて楽なものだ。 祖母、父母、大叔父と大叔母、それにロンとフラメル夫妻も合わせてたかだか8人。 その点、ウィーズリー家はロンを入れたら7人兄弟で、両親を合わせると家族だけで9人になる。 9人家族! 両親が家にいないうえに一人っ子のネビルには想像もつかない生活だ。 賑やかなのはまず間違いなさそうだが、いったいどんな暮らしをしているんだろう。 「大家族だね。家族から離れて暮らしてて、寂しくならない?」 会話の流れで素朴な疑問が口から零れる。 瞬き一つ分の間の後、ロンはにっこりと笑った。 「大丈夫だよ。家からはしょっちゅう手紙が届くし、ネビルもお師匠さんも奥さんもいるじゃないか」 そう答えた時の表情はいつもとまったく変わりなかったが、ネビルは気づいてしまった。 (今ほんの一瞬、ロンが緊張した) 行動はトロいし失敗ばかりしているけれど、臆病な分だけそういう気配には敏感なつもりだ。 思えばロンはネビルと出会う前からフラメル師に弟子入りしていた。 親元を離れたのは、たぶんまだ4つか5つくらいの頃だ。 大昔ならいざしらず、今時そんな幼いうちから親戚でもない魔法使いに弟子入りするなんて複雑な事情があるに決まっている。 家族を大事にしているようなのにクリスマスにさえ家に帰らないことだって、きっと何か理由があるに違いない。 そういう部分に他人が無神経に踏み込んではいけないということくらい、子どもにだって分かる。 (ああ、なんて馬鹿なことを言っちゃったんだろう) どういう態度をとっていいかわからず固まったネビルに、優しい口調でロンが語りかけた。 「来月になったらダイアゴン横丁へ行こう」 不自然な態度になどまるで気づかぬそぶりで、指を折って買い物の予定を数え上げる。 「プレゼントを包む包装紙とリボンを買って、ああ、箱もあったほうがいいかもしれないねぇ」 つらつらと言葉を紡ぎながら、ロンは横目でネビルの反応をうかがった。 体は子どものものであっても、二十数年の人生経験が消えたわけではない。 長い人生の終わりには誰だって独りになるということを、ロンは実地で学んだ。 孤独とは折り合いをつけられるし、環境には適応することができるのだ。 大人になるということは痛みに慣れるということでもある。 タイミングが良かったから古傷がちょっとばかり痛んだ。 ロンにとってはその程度のことで、幼い友人を落ち込ませるのは本意ではない。 「……ロン」 小さく名前を呟いたネビルは、そのまま『ごめん』といいかけて止めた。 ロンはきっとそれを望まない。 こうして何事もなかったように話を続けていることからも、それは分かる。 だからネビルは謝罪の代わりに違う言葉を続けた。 「ぼくは、この前文房具屋さんで見た色の変わる包装紙を使ってみたいな」 ぎこちなく微笑むネビルと、猫のように目を細めるロン。 どこか探り合うような視線を交わした後で、不意に二人同時に破顔した。 「ついでだからアイスクリームパーラーにも寄ろうか。寒い中でアイスを食べるってのもオツなもんだよ」 「ぼくはバタービールの方がいいなあ。お金が足りたらの話だけど……」 すっかり和んだ空気に胸をなでおろしながら、ロンは考える。 ネビルは人の痛みが理解できる人間だ。 それは人として強さや賢さよりも尊いものである。 ともにあることで喜びを二倍に、悲しみを半分にしてくれるのがよき友だと誰かが言っていたが、それならネビルは間違いなくロンにとってよき友だ。 この友人と一緒ならきっと来年は充実した学生生活が過ごせる。 「いやはや、私は果報者だね」 悲しみは半分。喜びは倍。 もちろんプレゼントの準備だって二倍楽しめるだろう。 クリスマスまで一ヶ月もあるというのに、ロンの胸はとびきりの贈り物を貰ったかのように暖かかった。
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