――雁州国春官玄英宮日記――



 さて、なにからお話いたしましょうか……

 私が玄英宮に昇殿を許されてから、かれこれ十年がたちました。といっても、ようやく走廊を臆せず歩くことができるようになった程度のことで、まだまだほんのひよっこでございます。
 なんといっても先輩方は、先王の御世から何十年、何百年と勤めておられる方ばかりですから、私は先輩の仰ることをできる限り心に留めて、ひたすらに勉強する毎日が続いております。


 はて、どんな毎日を過ごしているか、と問われますと……具体的には申し上げにくうございますね。
 日常……私の職務についてお話しても仕方のないことですし……。

 は。同僚や上司についてですか?

 皆様よくしてくださいますよ。一番仲の良いのは夏官の男なのですが、時折酒を酌み交わすこともあります。
 ですが特に変わったことは……

 ……ああ、そういえば数年前、上司に日記を書くことを勧められました。
 私も府吏とはいえ春官の端くれでございますから、記録することの大切さは重々承知しております。ですから早速勧めに従って日記をつけ始めることにいたしました。それはいまだに続いております。
 私の職場は、恐れ多くも玄英宮は内殿にございますので、私の日記はすっかり主上の話題に占められております。
 ほんの手遊びではあるのですが、それが存外友人に好評でして……


   え?ご覧になりたい? 


 はぁ、そうですか。
 まあ、機密に触れる内容があるわけでなし、見られて困ることも………では折角ですから、我が国の自慢の主上の生活を知っていただくために、まずは最初の数日の日記をお目にかけましょう。
 少々お待ちくださいね。




  大元六年・四月一日

 本日は柳から劉王の使者が訪れた。公式の訪問ではないせいか、主上はいつものように簡素な袍のお姿でお会いになられた。私のごとく位の低いものにはどのような事情で訪れたのか皆目検討もつかないが、贈り物だということで玉を献上していった。

 柳には良質の鉱山や玉泉がたくさんある。
 そのせいか、現在の芬華宮は美しい玉をふんだんに使った華美なものであると聞く。劉王も、やはりそういった自国の鉱物を使った装飾品を身につけられることが多いそうだ。

 身につけるといえば、主上にはどんな飾りがお似合いになるだろう。

 誇らしいことに、我が国の王は大変ご立派な美丈夫でいらっしゃる。
 長く伸ばされた艶やかな黒髪も、涼やかな眼差しも、凛々しい口元も、すらりとして均整のとれたお身体も、女御たちの感嘆と憧憬の溜息を誘う。
 だが、残念なことに王は着飾るのがお嫌いで、式典でもなければ常に簡素な袍の姿でいらっしゃる。
 それはそれで主上の魅力を損なわせるものではないが、やはりたまには豪奢な装いのお姿も拝見してみたいものである。
 想像することしかできないが、さぞかし美々しいことだろう。




  大元六年四月二日

   昨日思ったことを同僚に話していたら、走馬廊を通りがかった春官長の楊朱衡様が、偶然それをお耳に留められた。
 慌てる私たちを見てにっこりと微笑まれて、『私もたまには王の華やかな姿を見たいものですね』などと仰られた。
 ………そこで話を終らせなかった所が春官長の春官長たる所以と言うべきか。
 なんと即座に内宮の女御をお集めになって、腕によりをかけて主上のお召し物を選ぶようにとお命じになられたのだ。


 私はあの時ほど、女性が衣装にかける情熱を実感したことはない。
 髪ひとつとってみても、冠にするのか結わえるのか、結うのなら布で包むのか流すのか、何色の紐を使うのか、飾りはどうするのかなどと、恐ろしいほどの勢いで盛り上がっている。集団なだけに迫力はいや増して、近づくこともできない。
 しかし、どれほど気合を入れて衣や装身具をお見立てしたところで、主上がそれを身に着けてくださらなければ意味がない。
 はたして、あの自由闊達で虚飾をお厭いになる主上が、これほどに手の込んだ物を身に着けてくださるのだろうか。
 私は随分心配したものだが、どうやら春官長にはお考えがおありのようで、女御たちが選んだ衣装を一抱えにして正寝に運びこまれた。
 春官長は主上の臥室に入る事を許されるほどに、大変な信頼を受けておられるので、きっとなにか手立てを講じていらっしゃるのだろう。
 思いもよらずによい一日であった。明日が楽しみだ。




  大元六年四月三日

 今日は朝から大変よい眼の保養をさせていただいた。
 昨日女御たちが髪を振り乱して選んだ衣や装身具を、主上がひとつ残らず身に着けて朝議に主席してくださったのだ!
 きっと私たちの苦労を気遣ってくださったのだろう。
 思いやりの深い王の御心に思わず涙が浮かぶ。

 珠簾ごしに聞こえた声から考えると、どうやら春官長が朝のお召し換えを手伝われたらしい。
それでは春官長は昨夜府邸へお帰りにならなかったのだろうか。
 まさか、夜を徹しての説得をなさったのかと、たまたまお傍近くに召された際に行儀の悪さを承知で聞き耳をたててみたが、どうもよく聞こえない。
 微かに洩れる主上のお言葉は、『やりすぎ』『腰が』『痕をつけるなと言ったのに』などと断片的なものしか分からず、それにたいして春官長は『お離しにならなかったのは主上のほうです』と応えておられた。
 言葉を繋げて想像するに、珠帯を締めるときに主上が布をお放しになられなかったため、帯を強く締めすぎてしまわれたようだ。
 しかし、痕が残るほどに締められるとは、意外と春官長は力がお強い。

 さて、問題の主上のお召し物だが、女御たちがお見立てした本日の装いは、青を基調としたものだった。

 青・藍・黒と色の濃淡を組み合わせた、鮮やかでありながら落ち着きのある色調で、披巾だけが純白だ。
黒い珠帯から下げられた玉佩もまた海のごとき蒼で、帯頭は金である。披巾で幾分隠された袞の袖には手の込んだ金糸の刺繍が縫いこんであり、黒い履には目障りでない程度に金の模様が入っていた。
 腰に佩かれた剣は黒塗りの鞘に金の飾り、蒔絵の入った美々しいものだが、実用にも耐えうると、刀工自慢の一品らしい。
 恐ろしく手が込んで凝った衣装であったが、主上はまったくそれに負けておられない。
御髪を結わえる紐はいつもより長く、珠金がついており、何故か普段より青ざめて見える主上のお顔に打ちかかって、えもいわれぬ風情でいらした。
 時折披巾をつかまれる指先さえ鷹揚で優雅な仕草であられる。
 海や空のごとき布巾をたっぷり使った大袖は、主上にとてもよくお似合いで、人によっては品を失いかねない金の帯頭や珠金も、実に上品で見事に着こなしていらしゃった。
 朝議が始まる前までは珠簾をあげておられたのだが、居並ぶ官が主上に見惚れて言葉も出ないのに呆れられたのか、すぐに珠簾を降ろしてしまわれたのがなんとも残念でならない。

 いつもは朝議の途中であっても不意に立ち上がってどこかへ行ってしまわれることが多い主上だが、今日は何故か朝議が終わってもなかなかお立ちにならず、春官長に促されてようやく退出なされた。
 いつになく動作が緩やかでいらしたのは、やはり動きにくいせいであろうか。
 ご退出なさるときに春官長が、『定期的にこのような機会をもうけましょうか』と呟いておられたが、お気が向かれた時だけでよいから、またあのような麗しいお姿を拝見したいものである。




 ………これは、大元六年の春の日記ですね。
 私が玄英宮に勤め始めたのが大元元年ですから、丁度六年目の春でございます。主上は相変わらず快活で鷹揚で寛大な方でいらっしゃいますよ。
 私ども官吏も心からお慕い申し上げております。


 え?今でもこのようなことがあるのかと?


 はい、ございますよ。
 主上はいつも女御の手を使わずご自分でお着替えになられますが、女御の選んだ衣装を春官長が運ばれるときはいつも春官長がお手伝いをなさっておられるようです。
 ですが、毎回帯を締めすぎたり、どこかにぶつけてしまわれたりしているご様子です。
 この間も後ろから走廊をお供していた時に、主上の首筋が一箇所赤くなっているのが見えましたので、おそらく御髪をまとめる時にぶつけられたか何かなさったのでしょう。


 まだ、ご覧になりますか?あぁ、でももう暗くなってまいりましたね……


 では、またの機会にいたしましょう。昇仙してから六十年、気も長くなろうというものです。
 ああ、どうやら上司が呼んでいるようです。
 私は仕事に戻らなくてはなりません。
 なんといってもまだ私は玄英宮にきて十年しかたっておりません。
 新参者は忙しく立ち働くのが身上ですから。

   よろしければ次の機会にも日記をお見せしましょう。
 お会いするのを楽しみにしております。
 それでは、また……




    2003.4.4


 尚隆を褒め称えたかった……。だって氾王に猿呼ばわりされて悔しかったんです……。

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