――月だけが知っている――



 全治一ヶ月。それが渋沢の怪我に対しての診断だった。


(診断というより判決って感じだな)

 誰もいない公園のジャングルジムのてっぺんで、ぼんやりと月を眺めながら、自分の膝のことを考える。
 病院を出たときはまだ日が落ちきっていなかったのに、気がつけばもうすっかり夜で、月が真昼のようにあたりを照らしだしていた。

(早く帰らないと、皆が心配する……)

 藤代あたりはそろそろ騒ぎ出しているかもしれない。笠井や辰巳も心配しているだろう。

(三上は、怒っているかもしれないな)

 片方の眉を引き上げ、口元に笑みを刷きつつ笑わない目で皮肉を言う、つむじ曲がりのルームメイトが目に浮かぶようで、渋沢は思わずクスリと笑った。 笑って、それにまぎれこませるかのように小さなため息をつく。

 帰ろうと思えばすぐに帰れる。渋沢が今いる公園は、松葉寮から歩いて5分もしないところにあるのだ。 けれど、どうしても最初の一歩が踏み出せない。


渋沢が担ぎこまれた総合病院は寮からそう遠くないが、松葉杖で歩けば1時間はかかった。
それでも怪我をおして、車で送るというのを断ってまで歩いて戻ってきたのは、歩いている間は何も考えずにすむと思ったからだった。
怪我をしているくせに意味もなくジャングルジムに登った。もやもやした気持ちで寮へ帰るのが嫌だった。こんなイライラを抱えたまま、皆のところへなんて帰れない。
 やっていることが矛盾している。

 することがなくなれば、必ず意識は怪我へと向かう。



一ヶ月。



 今の渋沢にとってはあまりにも長すぎる時間だった。自分が立ち止まっている間に、後ろからどんどん駆け足で追い抜かれていくような感覚をおぼえる。  14、15といえば伸び盛りの時期だ。ましてや選抜に選ばれるほどの人材なら、飲み込みの速さも成長の度合いも普通の中学生とは比べ物にならない。
 抜かれる、置いていかれるという不安がひたひたと心に忍び寄る。
 自分の不注意と不甲斐なさに怒りさえ湧いてくる。
 ましてや膝の故障は渋沢にとって2回目なのだ。癖になってしまっているのではないかと、言い知れぬ恐怖が襲ってくる。
 焦りと不安の中の一ヶ月。その長さは永遠かと思うほど。


 だが、それよりも心に強く響くのは。


 自分の白い息に滲む月をみながら、ポツリともらした。


 「つまらない失敗、したなぁ……」



 「まったくだ」



 何気なくもらした言葉に、思わぬところから聞き覚えのある声。

 慌てて下を見ると、月明かりに照らされて、ひどく不機嫌な顔をした三上が立っていた。

 「み…かみ?」

 驚く渋沢にかまわず、三上は乱暴にジャングルジムを登ってきた。そして、渋沢の隣に腰をおろす。

 「つまんねー怪我してんじゃねーよ、バーカ」

 キツイ口調でののしりながら、言葉とは裏腹に冷え切った渋沢の手を、そっと温めるように握りこんだ。

 「こんなに冷たくなりやがって」

 呆れたようにため息をつきながら、器用に片手で自分がしていたマフラーを渋沢の首に巻きつけた。


 「……三上、なんでここに……」

 わけが分からないまま、それでも三上の手を振り解くことはせず、渋沢は恐る恐る問いかけた。

 「バカ代が、お前が帰ってこないってギャーギャー騒いでうっせーんだよ。オレもやることあったし、迎えに来た」

 間髪いれずに答えがかえってくる。

 「どうしてここが分かったんだ?」

 「いまさらなに言ってんだよ、お前何かあると昔っからココにくんじゃねーか。3年も一緒にいりゃわかんだよ、そんくれーのことは」

  ちらりと渋沢に目をやって、すぐに視線を空へと向ける。何かにいらだっているような態度だ。

 「そうか…皆、待っててくれてるんだろうな。悪かった、もう帰るから…三上は、用事があるんだろう?一人で帰れるから、先に行ってくれ」

 迎えに来てくれてありがとう、と笑ってから、ゆっくりジャングルジムを降りようとして。ぐい、と握られていた手をひかれた。



「へらへら笑ってんじゃねーよ」

 振り返ると、そこにはひどく真剣な三上の目があった。

 「オレにまで無理して保護者みてーな笑い方してんじゃねえ。オレが用あるっつーのはお前だよ」

 強く握られた手から、三上の熱が流れ込んでくるようだった。
 じんわりと暖められるのは、手だけではない。

 「皆がどうした。ほかの連中のことばっか気にしてんじゃねえ。今一番ツレーのはお前だろうが。……ヒビの入った笑顔なんざ見たかねーよ」

 三上の強い声。うまく笑えない。

 「ここにはオレとお前しかいねーんだ」

 駄目だ。

 「泣いちまえ」



 一滴、涙が零れ落ちたら、あとはもう歯止めがきかなかった。嗚咽をかみ締めることさえもできない。

 不安定な場所だというのに、いつのまにかしっかりと三上に抱きしめられて、小さな子供のようにその胸にすがっていた。

きつく抱きすくめられ、流れる涙をぬぐうこともせず三上の肩に頭をのせる。

ゆるやかに、宥めるように、髪を、背中を撫でる手が心地よかった。



「…サッカーが、やりたいんだ…」


渋沢が小さく呟いた。呟いたとたん、ああ言ってしまった、と思った。

本当は、抜かされていく焦りより、置いていかれる不安より、サッカーができないことが一番つらかった。認めればますますつらくなるから、どうしても認めることができなかった。

頭が冷えるまで帰らないなんてたんなる言い訳だ。本当は寮に戻ってサッカー部のメンバーと顔をあわせて、フィールドの中で見てきた顔を前に、あらためてサッカーができないと思い知らされるのが嫌だったのだ。

「たったの一ヶ月だ、サッカーができないのは。別に一生出来ないわけじゃない。なのに、なんでこんなに苦しいんだろうな……」

 ポツリポツリと話す渋沢の背を、三上はただ黙って静かに撫で続けていた。

 気がつけば月はすっかり高く上り、ますます冷え込みは厳しくなっている。冷たくなる空気に反比例するように、渋沢の心はいつの間にか温かく穏やかになり、涙も止まっていた。

 「今になってこんなに泣くとは思わなかったよ」

 渋沢が、スン、と鼻をすすって笑った

 「…誰も気づいてねーかもしれねーが、お前はプライドが高くて意地っ張りなんだよ。周りに人がいればいつもと同じように笑うし、泣くこともできない。無理してるくせに、それに自分ですら気づかない」

 強いくせに脆いんだよ、お前は。

 三上にしては珍しい、ひどく優しい声だった。


「…帰ろう。もう、大丈夫だ」

 幾分赤くなった目で、それでも渋沢はふわりと笑った。

「お前がいてくれて、よかった。……ありがとう」

 月明かりの下、綺麗に微笑む渋沢に、三上は満足そうな顔で頷き、トン、とジャングルジムから飛び降りた。

「足怪我してるくせにこんなとこに登るんじゃねーよ」

三上が呆れたように言う。

「膝のこと、考えたくなかったんだ。…俺は意地っ張りなんだろう?」

見上げてくる三上に笑って、小さく首をかしげた。

「しゃーねー、降りるの手伝ってやるよ」

 三上がジャングルジムに一歩近づいた。


そして、芝居がかった仕草でツイと手を伸ばす。


 片方の眉を引き上げて、からかうような不遜な笑顔。 





 「さて……お手をどうぞ、意地っ張りのお姫様?」




 身長183cmの男前なお姫様が、不敵で不遜な王子様にどんな反応をしたか。



答えは月だけが知っている。






    2003.3.19
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