――体力勝負の勝敗――



 「どうしたんだ朱衡は。あいつの周りだけ空気が淀んでるぞ」

 

 数人の部下を伴って、政策の検討するために顔を出した帷湍が、室内の沈んだ雰囲気に気づいて顔を顰めた。

 (また王が何かしでかしたのか?)

 朱衡は基本的に、自分の感情を執務中に表に出すことが少ない。
常に冷静で、部下に対して声を荒げることもない。
 その平常心を日ごろから心がけている朱衡が、こうして感情の起伏を顕わにするのは、たいてい延王尚隆が絡んでいる時だ。

 「・・・・・・また王に逃げられたようだ。」

 居合わせた成笙が端的に原因を述べた。
どうやら次回の式典の警備計画を報告しに来たところだったらしい。原因を知っているのは警護の者から報告が上がってきたせいだろう。

 「逃げた・・・・・・?ちょっとまて、十日振りに戻ってきたばかりだろう!警備はどうなってるんだ!!」

 「扉の前にも窓の前にも、小臣を見張りに立たせておいた。門卒にもよく言い含めた。」

 「じゃあなんで逃げられたんだ?」

 門卒に関しては、空を飛ぶ『たま』がいるので気づかず逃げられても仕方がないとしても、小臣は尚隆にぴったり張り付いていたはずだ。まさか倒して逃げたわけではあるまい。仮にも自分の護衛の臣だ。



 「壁に穴を開けられた」



 「何!?壊したのか!」

 帷湍はぎょっとした。さすがに堂屋を壊すとは思わなかった。

 「壊したというか、四角にくり抜かれていた。後で出入り口に改装できるな、あれは」

 成笙は現場を見てきたらしく、見当違いの感想を口にした。

 「また器用な真似を・・・・・・大工にでもなるつもりか?」

 「さてな。出ていったものはしょうがない。それより朱衡だ」

 朱衡は相変わらず落ち込んだ様子で、いつになく暗い上司に、春官達も動揺を隠せないでいる。

 「あーまぁ確かにな。馬鹿王の方は足取りが掴めたらとっ捕まえに行くとして、問題は朱衡だ。取り逃がすのはいつものことだろうに、なんであんなに暗くなってるんだ」

 帷湍の言葉どおり、尚隆が脱走するのは今回に限ったことではない。情けない話だが、もうすでに数え切れない程逃げられている。
 尚隆は王になってからこれまで、玄英宮に居るのと同じか、もしかしたらそれ以上の時間を『外』で過ごしていた。

 「王が逃げ出したところに鉢合わせして、追いかけたが振り切られたと。」

 「それは・・・・・・仕方ないんじゃないのか。体力と武力が仕事道具の夏官でもあるまいし」

 朱衡は文官だが、比較的体力はあるほうだ。
 文官の中には、運動神経が切れているような人物や、7歳児程度の体力しかないのではないかと思うような者もいる。しかし朱衡は、文官にしては身体を動かすのが嫌いではない方だ。おまけに『大きな仕事には気力と体力が必須』という考えの持ち主で、それなりに運動もしているようだった。
 しかし、体力を商売道具にしている夏官とはやはり根本的な鍛え方が違う。

 「夏官であっても王を捕まえるのは至難の業だ。おまけにかなり高さのある走廊から飛び降りられたのだから、どうしようもあるまい」

 延王尚隆は武に長けた王として有名だ。その辺の夏官など相手にならない程強い。はっきり言って小臣など必要ないくらいだ。
 力がある上に身が軽く、身のこなしが鋭い。少し鍛えているくらいの人間の手に負える相手ではなかった。

 「それを朱衡に言ってやれ。周りが気を使って仕事が進まん」

 「言った。しかしあまり効果はなかったようだな」

  「何か良い案はないのか?」

 うっとおしくてかなわん。と、帷湍が薄情なことを言う。


 「・・・・・・あるといえば、ある」



 「なんだ、それを早く実行しろよ!」

 「あまり勧められないのだが。」

 喜色を露わにする帷湍に、成笙は気の進まない様子でぼそぼそと返した。物事を極端なほどに単純化して話す成笙にしては、珍しくはっきりしない口調である。
その迷ったような姿に、帷湍がまた苛立ちを募らせる。

 「あいつの部下だけじゃなく俺の部下にまで影響がでてるんだぞ。何とかできるならなんとかしろ」

  帷湍の言うとおり、たしかに春官だけでなく、帷湍と共に入室した者たちも妙にしょんぼりとしている。どうやら朱衡の落ち込みは伝染性があるらしい。普段精神が安定しているだけに、落ち込んでいる様子が気になってつられてしまうようだ。

 「しかし、帰ってきた王が暫く被害にあうかもしれんが・・・・・・」

 相変わらず成笙は歯切れが悪いが、帷湍に押されて流されそうになっている。

 「自業自得だ!とにかくあの朱衡をどうにかしろ。普段ふてぶてしい奴が辛気くさくてかなわん」

 「・・・・・・」

 「これ以上あいつのせいで書類が溜まったら、滞った仕事を手伝って貰うぞ?」
 「分かった。ちょっと行ってくる。」

 即答だった。
 王を心配する成笙をあっさり斬って捨てる帷湍も帷湍だが、自分の身に被害が及ぶとなったとたん手の平を返すように態度を変える成笙もなかなかいい性格をしている。




 「・・・・・・お前、何を言ったんだ・・・・・・」



 「大したことじゃない。」

 「大したことじゃない!?たしかに暗くはなくなったが、周囲がどす黒くなってるぞ!何を言ったか知らんが、あいつの腹黒さを引き出して部下達を恐怖に陥れるのはよせ!!」
 


 たしかに暗くはなくなった。が、黒くなった。



 『行ってくる』と言い残してスタスタと無造作に近づいた成笙が朱衡の耳元でぼそぼそと何かささやいただけで、朱衡の表情が激変したのである。

 にんまりと、『私は何かを企んでいます!!』と言わんばかりの顔をして、それまでの憂いなどどこ吹く風の様子だ。今にも鼻歌でも歌い出しそうなほど楽しそうである。
 しかしのその周りはちょっと普通の人間には近づけないような異様な雰囲気が立ちこめていた。もう政策の検討どころではない。
 

 「帷湍が何とかしろと言ったのだろう。」

 「だからってあれはないだろう!お前何言ったんだ!」

 「それは・・・・・・」


 躊躇する成笙の胸ぐらをひっ掴んで揺さぶる。
 帷湍のほうが成笙より背が高いために迫力がさらに増しているが、所詮帷湍も文官である。成笙は全く堪えていないようだった。



 「吐け!キリキリ吐かんか!!」

 「ただちょっと」

 「ちょっと何だ」

 「『逃げられるのが嫌なら逃げられないように・・・・・・」

 「・・・逃げられないように?」

 どことなくセイショウの言葉に不穏なモノを感じながら、帷湍が復唱した。




 「『足腰が立たないようにしてしまえ。』と。」




 「・・・・・・朱衡は夏官じゃないぞ。」

 「そうだな。」


 だから尚隆に追いつけなくてもしょうがない。


 「じゃあどうやって『足腰立たなく』するつもりなんだ」

 「分かっているんだろう。」

 「やめろ分かりたくない。というか考えたくない。」
 

「しかし朱衡は元気になったぞ」


 元気になったが、もう今日は仕事にならないだろう。部下達はいつの間にか房室から姿を消しており、辺りには瘴気が立ちこめているようだった。
 楽しげに仕事を片づける朱衡の爽やかな笑顔が恐怖を煽る。朱衡だけは着々と仕事が進んでいるようだ。これならば尚隆が帰ってくる頃にはまとまった時間が空きそうだ。



 「明らかに何か画策している笑顔だな、あれは。帰ってきた馬鹿王がどうなるか・・・・・・まぁ奴は打たれ強いし、腐っても『王』だから大丈夫だろう。大丈夫なはずだ。たぶん。きっと。」

 自分に何度も言い聞かせ、成笙をそそのかした責任はない!と自己暗示をかける。

 「朱衡も仙だぞ。」

 「・・・・・・大丈夫だといいな。」

 「微妙に気弱になってるな。」

 「五月蠅い!」


 「・・・・・・・・・・・・」  「・・・・・・・・・・・・」


 「・・・・・・・ヤり殺されたりして」
 「だからやめろと言ってるだろう!!!」
 




 4日後に玄英宮に帰ってきた延王小松尚隆は、それから数日諸官の前にも麒麟の前にも姿を現すことがなかった。また、時を同じくして春官長もしばらく人前から姿を消した。
 心配した延麒が王の堂室に近付こうとしたが、王の側近の二人に止められたらしい。教育上良くないから、と。

 後に延王は成笙にこう洩らした。  




『王になってから初めて腰を抜かした。太陽は黄色いものなんだな・・・・・・』と




 成笙は改めて、普通の体力とは違う次元にある、例えるならばそう、『躰力』とでも言うべきものがあるのだと学んだが、帷湍に学習の成果を伝えたところ一つ忠告を受けた。


   「その躰力とやらを身につけようなどと馬鹿なことを考えるなよ。お前の向上心は立派だが、『酔狂』の名を欲しいままにするだけだぞ。朱衡がもう一人増えるなどまっぴら御免だ。」


 無口で無愛想だが、『酔狂』で頑固で向上心が旺盛な成笙が、いつまで帷湍の忠告を聞いているのか。
 帷湍の平穏な職場環境は、変人に好かれる上司と変わった趣味の同僚によって、着々と悪影響を受けていた。

 帷湍がはたしてどこまで自分の常識を死守できるのか。
 それは天帝だけが御存じである。
 どっとはらい。

     


    2003.5.10


 掛け合い漫才をさせたかった。帷湍と成笙コンビを書きたかった。ただそれだけです。
 ちなみにCPにするとしたら、成笙×帷湍・・・・・・。   
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