――戦いの喜びと見えない素顔――
アキトがアカツキの手をとってから3ヶ月、二人はネルガル月面ドックに来ていた。
アカツキは視察の為。アキトはユーチャリスの補給と定期点検の為ではあったが、普段離れて生活している二人にとっては、久方ぶりに歓談できる貴重な機会だった。
そう、『歓談』である。
実は、アカツキとアキトは未だに親友同士の付き合いから脱却できていなかったのだ。
アキトがアカツキと共にいることを選んだのは確かだが、不器用なアキトはそう簡単に気持ちの切り替えができないし、そもそもアカツキに対して恋愛感情を抱けるのかどうか怪しかった。
結局のところ、アキトがユリカやルリと決別したということ以外は以前のままなのである。
アカツキにしてみれば、絶望視していた自分の恋に光明が差しただけで十分で、あとは努力次第だと考えていた。
すくなくともアキトは今フリーで、アカツキは恋人の候補には上がっているのだから。
ちなみに、このアキトにとっては親友との心安らげる時間、アカツキにとっては想い人を口説く絶好のチャンスには、当然『おまけ』ことラピス・ラズリが付いてくる。
しかし、周囲の予想に反してアカツキがそれを厭うことはなかった。
末っ子だったアカツキは、妹のようにラピスを可愛がっている。
アキトの教育のおかげなのか、最近のラピスはエリナやプロスやアカツキに懐きはじめており、ラピスの未発達な心を気にしていた関係者には、この事態はそれなりに歓迎されていた。
『恋人を通り越してほのぼの親子』とはエリナの談だが、この状況ではあながち的外れとは言えない。
エリナはアキトに恋心を抱いていたのに、とんびに油揚げをさらわれるかのごとくアカツキが入り込んできて、一時期かなり荒れていた。
しかし最近ではアキトの精神が安定してきていること、復讐に追い立てられていたころよりもずっと穏やかになったことから、自分ではアキトの支えになるのは無理だと感じて気持ちにケリをつけていた。
腹いせのようにラピスをかまっているうちに母性本能が刺激されたらしく、今や過保護な母親のごとくラピスを可愛がっている。目に入れても痛くないといわんばかりだ。
最近はカケラも進展がないアキトとアカツキをけしかけるような節さえある。
今日も、『お邪魔虫は消えるわ〜』などと言ってラピスを連れてどこかに出かけていった。
久々に二人っきりにしてやろうという気持ちもあるが、普段とても普通とは言えない生活をしているラピスに、一般常識を叩き込むためだ。
だが、せっかくエリナがお膳立てしてくれた二人の時間も、一時間と経たずに邪魔が入った。
今まで散々蹴散らしてきた火星の後継者の祟りだろうか。
「月臣の持ち帰った情報は信頼できるのか」
係留されているユーチャリスの元に急ぎながら、アキトが問いかける。
月臣が火星の後継者の残党によるネルガル月ドック襲撃の情報を持ち帰ったのは、つい30分ほど前のことだ。
「アイツの情報だと思うと不安が残る・・・・」
もちろん月臣の離反を案じているのではない。
そういった点では今の彼ほど信頼できる者もそうはいまい。
ただ、なんといっても彼は徹底的に諜報員に向いていないのだ。
十分に腕は立つし、アキトと同様にその手の情報収集の為の特殊技能も習得した月臣だが、生来バカ正直なうえに、目立ち過ぎるのだ。
白い学ランのせいもあるが、どういうわけか異常に目立つ。
武道の達人らしく気配を消すことに長けているのに、何故かその技能が格闘戦時にしか発揮されない。
そのために敵内部に紛れ込んだり、施設に侵入したりする仕事はほとんどしたことが無かった。
今回の仕事も諜報員のバックアップであって、けして内部に入り込んだわけではない。
なのに、どういうわけかつい先ほど、月臣が敵にやられてぼろぼろの状態でプロスにつなぎをつけてきたというのだ。
ようするに、いったいどういった状況で情報を入手したのか、敵に偽情報を掴まされているのではないか、とアキトは問うたのである。
「大丈夫。このネタは月臣君が受け取った情報だけど、忍び込んだのは別の人間だよ。
プロス君に頼んで、ある程度状況も確認した。信頼性は高いね」
「そうか。なら安心だな」
よく考えれば失礼な話である。
月臣なら騙される可能性があるが、他の人間なら大丈夫だと言ったのだ。
だが、実際に適正がまったく無かったのだから仕方がない。
護衛や警備の面では非常に有能なのだから、それに対して文句を言うのは贅沢というものだろう。
アキトもそうだが、月臣は、一見して優男に見える外見から警護の任には不適当な人材だ。
にもかかわらず月臣が警護を得意とするのは、何かを守ることに価値を見出しつつあるせいだろうか。
かつて後輩の教育をしたことがあるせいか、手加減が適切で、ある程度の実力を披露して牽制するのも上手かった。
一方、雰囲気で威圧することが必要な警備等の仕事をするには、アキトは極端すぎた。
大人しげな様子から舐められるか、異常なまでに研ぎ澄まされた殺気によって警護の対象にさえ影響を及ぼすかのどちらかになってしまうのだ。
人には向き不向きがある、ということだろう。
ともあれ、月臣が持ち帰った話によれば、襲撃予定時刻まではあと数時間は猶予がある。
幸いにして追っ手は全滅させたそうだから、こちらに情報が漏れたことには気づいていないはずだ。
相手は奇襲をかけるつもりだろうが、こちらは出来る限りの準備をして迎え撃つのみである。
「もう戦闘関連部署以外の避難は済んでいるのか」
「ぼちぼちかな。時間が気になる?」
「準備の進み具合が気になるんだ」
準備、というのは当然のことながら戦闘準備のことである。
今現在、月面ドックを含む月基地全体は、敵の攻撃に備えててんやわんやの状態だった。
一般人はそろそろ避難を終了する頃だが、ターゲットであり、民間企業でありながら戦艦を所有するネルガル重工としては、社員全員を避難させる事はできない。
少なくともオペレーターや整備員、パイロット等の戦闘に関係する各部署は戦いの準備に大わらわである。
こういう時のために高い給料払ってるんだからしっかり働いてもらいますよ、と眼鏡を光らせるプロスペクターの声が聞こえてきそうだ。
しかし、いくら人を用意しても、あいにく現在月ドックに係留してある艦のほとんどが整備中か建造中で、すぐに使える物といえば老朽艦ばかり。
裏ルートから情報を流したので軍も準備を進めているだろうが、敵の狙いはネルガルドックなのだ。
警戒するに越したことは無い。
整備中の艦も老朽艦も無理矢理にでも戦えるところまでもっていこうとしているし、ドックにある予備のエステバリスさえ使おうとしている。
その流れに乗せられて、結局なしくずしに、運良く入渠していたユーチャリスも万が一の際の迎撃に使うことになってしまった。
これには、アカツキの打算が絡んでいる。
テロリストとして手配されているアキトだが、一連の事件が解決した直後にホシノ・ルリが公表した真相を知って、世間はむしろアキトに同情的であった。
本人が気に病んでいるコロニーの襲撃に関しても、直接死者を出す原因になったのは火星の後継者であり、むしろアキトはそれを止めようとしていたことが、とある筋による『公式調査』の結果判明したためだ。
テンカワ・アキトへの風当たりはもはやそよ風程度になっていた。
もっともこの、うさんくさい調査結果は二人の妖精の手によってかなり改竄されているため、実際のところはアキトの手によって、彼が滅入るのに充分な数の死傷者が出ている。
そうとは知らない民衆は、アキトを美化して報道するマスコミに煽られ、すっかりアキトを悲劇の英雄扱いしていた。
そのマスコミの多くは、ラピスとルリの『調査』に便乗する形でアカツキが手配したものなのだが。
さらに言えば。
最近では、ミスマル提督への情報提供、火星の後継者との戦闘中での、軍パイロットの救援などにより、軍部との関係もけして悪くはない。
また、それにあわせて手を回した、アカツキ、ルリ、ジュン、ミスマルコウイチロウの手回しによって手配もかなり緩和された。
今では『目撃した場合は報告し、出頭をうながすように』と言った程度で、実質的には手配が解かれているに等しい。
これらの変化と足並みをそろえて、アカツキは畳み込むように統合軍・宇宙軍や政府に働きかけてきた。
後ろ暗いところを指摘し、利権をちらつかせ、なだめ透かし、プロスペクターに徹底的な裏工作をさせて地歩を固めた。
何かきっかけがあれば手配は完全に取り下げられるだろう。
アカツキにとって、この襲撃こそが『きっかけ』だった。
せっかくの再会に水を差されたのは業腹だが、その分役に立って貰う。
ユーチャリスが月を救ったとなれば十分手配が解かれるきっかけになるだろう。
この非常時にここまで気を回す余裕があるのは、最近敵の弱体化が目立つようになってきたからだ。
あの程度の量と質じゃうちのテンカワ君は倒せないよ、とアカツキは思っている。
これものろけの一種だろうか。
「情報は確かでも、かなり危ない橋を渡ったらしいね。
全速力でプロス君に報告できるところまでまでたどり着いたようだけど、時間的にはホントにギリギリだ」
アカツキがアキトの左後方から追いかけながら答えた。
頭の中の計算は、とりあえずそのまましまっておく。
「間に合えばそれでいい、月臣も無事だしな。後腐れのないように殲滅してやる」
「殲滅とはまた物騒だねぇ。ラピスはもうエリナ君と一緒にこっちに向かっているのかい?
買い物にいくとか言ってエリナ君が張り切ってたけど」
「たぶんまだ街にいると思うが……」
エリナもコミュニケを持ち歩いているのだが、アキトはそのまま目を閉じてラピスに語りかけた。
(ラピス。今エリナは側にいるのか?どの辺にいるのか聞いてくれ)
(待って……もうネルガルに着いた。エリナが、「人が居ないから楽」って言ってる。……見えてきた)
(分かった、先に乗艦している。エリナの側から離れるなよ)
「もう着くらしい。ユーチャリスはどうなってる?」
民間からアキトへの敵意、反感が弱まったため、頃合を見計らってユーチャリスを月ドックへ持ち込むようになった。
いつまでもコソコソと隠しておくよりもおおっぴらにした方が整備が楽だし、アキトの評価が上がったため、宣伝効果も出てきている。
英雄となりつつあるアキトがネルガルの手を借りていたことが、表沙汰になる。以前は命取りになると思われていたが、現在はアキトへの人気がネルガルの評判を高めることになっている。
世間とはいい加減なものだ。
アキトと結託していたことがバレてから、ナデシコの乗組員からアキトの行方を捜す通信がちょくちょく来るが、アキトの希望によって一度として繋いだことがない。
一度拒絶したくせに今更何を言うというのか?アカツキをはじめ、復讐の際に加担した者達の対応は冷たかった。
「ふむ。補給は八割方済んでいるようだよ。
ただ、ユーチャリスもブラックサレナも整備のためにあちこちバラしてたから、その辺は技術屋さんの腕しだいだね」
そろそろドックが見えてくる頃だ。
通路を通る人間も少しずつ増えてきている。
戦闘に関わる社員しか残っていないのだから、ドックに人が集中するのは当然だ。
会長の姿に気が付いて会釈をしつつ脇に避ける辺りが、戦闘時といえども民間企業らしいところだろうか。
「整備はともかく、充分な補給が必要なほど、奴らに長い戦闘ができるとは思えない」
「まぁ、たしかにそうだね。今まで散々テンカワ君が潰してきたし、統合軍もがんばってるみたいだし。これでまだ元気があったらゴキブリ並だよ」
ようやく正面に入り口が見えた。通路とは質が違う光が漏れている。
「ふん。ゴキブリだろうがボウフラだろうが知ったことか。敵は叩き潰す。
……少なくとも俺が生きていられるうちはな。」
広い空間に出た時、さりげなくこぼされた言葉に、アカツキは何も言わず強く眼をつぶった。
整備用の強い光から目を守るためのそれは、すぐそこにある終わりを、見ない振りでもするかのようだった。
「仕事が速いな。」
アキトの感嘆の声は騒がしいドック内でも、はっきりとアカツキの耳に届いた。
眼下のハンガーには、つい先程まで装甲を取り外され、あちこちにコードを繋がれていたユーチャリスがあった。
今は既に、いつもと変わらぬ姿で佇んでいる。
アキトとアカツキは左舷側壁面のキャットウォークの手摺りにもたれて、時が来るのを待っていた。
「ウリバタケ君がいたからね」
「セイヤさんが月に?」
「そう、たしか昨日月に着いたとの報告が・・・・・・」
言いながらウリバタケを目で探すアカツキを見て、スパナ片手に後ろを通りかかった整備員がちょっと立ち止まる。
「あ、あの人今サレナいじってますよ。あっちも間に合いそうです」
言うだけ言ってすぐに早足で歩いていってしまった。
どうやらそのサレナの整備に加わりに行くようだ。
「ありがとう。……と、いうわけだから、後はラピス君が来れば準備は万端だね」
現在のユーチャリスはラピスがいなければ全力を発揮することが出来ない。
ラピスはマシンチャイルドであり、ユーチャリスの有能なオペレーターである。
オモイカネβとともに、ユーチャリスの物理的な攻撃と電子戦によってアキトを援護するのがラピスの仕事だ。
アキトの異常に変化したIFSは、治療の過程でマシンチャイルド並の伝達能力、情報処理能力を持つことになったが、アキトの体は一つしかない。
少しでも役に立ちたいというラピスのたゆまぬ努力によって、今やそのワンマンオペレーターとしての能力はルリを上回っていた。
ナデシコのようにシステム掌握はできないものの、搭載されたハッキングディバイスと中枢コンピュータオモイカネβががあらゆるシステムへの侵入を助けてくれるのだ。
「ああ。俺は先に乗艦している。」
「うん。気を付けて……」
いっておいで、とアカツキが言いかけた時、その声を無粋な警報が遮った。
”総員戦闘配置、第一級戦闘体制。
防護態勢はレベル3からレベル4へ移行。
ノーマルスーツを着用せよ。
現在距離5万kmの位置にボース粒子反応増大中。
戦艦クラスです。
繰り返します。総員戦闘配置、第一級戦闘体制・・・・・・”
内容とは裏腹に、冷静な声で放送が流れた。
遠くでいくつかの隔壁が降りる音がする。
作業着だった整備員たちが、その場で慌てて防護服を着込んでいく。
ごわごわした薄水色の、見た目よりも安全を重視した宇宙服だ。
避難訓練や戦闘訓練を頻繁に行っていたせいか、それともネルガルの気風なのか、多少騒がしさが増してはいるものの、今のところ混乱しているような者はいなかった。
慌しくなったキャットウォークの下を、パイロット達が駆け抜けていく。
事前に待機していたネルガルのテストパイロットと、子飼いの機動戦闘チームだ。
「おいでなすったか。しかし、ちょっと早すぎやしないかい?」
「ラピスが間に合えばいいが。」
のんびり言い合っている間にさらに放送が入る。
”敵艦確認しました。
バッタ改500、ジョロ400、積尸気20、カトンボ2、ヤンマ1、ゆめみづき級2……現在も増加中です”
「おやおや。これはちょっとシャレにならないかもしれないねぇ」
予想よりも多い敵の数に、アカツキが口元の笑みをそのままに片眉を引き上げる。
「最後の総力戦といったところか?よくもこれだけの戦力を残せたものだ。」
「軍の準備もまだ済んでないんじゃないかな?」
情報をリークしてからまだ2、30分ほどしかたっていない。
動きの遅い軍がどれほど急いだところで、戦力を発揮するにはあと数十分必要だっただろう。
「待つ余裕がないな。先にサレナで出る。」
「僕も出るよ。援護する。うちの施設には結構な金額がかかってるからね」
これだけの敵を相手にするには、ユーチャリスとラピスのサポートが無いというのは少々つらい。
一流のエステバリスライダーであるアカツキがアキトをフォローすれば格段に動きやすくなるだろう。
「会長自らか?死ぬからやめておけ。
設備には保険がかけてあるだろう。」
「もちろんかけてあるけどね。
軍が完全じゃない状況だし、ここに残るのと出るのと、生存率は五十歩百歩だと思うよ。
一応そこそこの操縦技術があるんだから、生き延びるための努力は惜しみたくない」
「仮にも指揮を執るべき人間が戦闘に参加するのはどうなんだ」
「職業軍人というわけで無し。
専門教育を受けていない僕が指揮するより、きちんと学んだ人にやって貰った方がいいよ。
ウチにはそういう社員もいるんだから」
「いや、残った社員の士気を上げるためにも、目に見える場所で……」
「各配置場所に設置されてるモニターに大映しにしてもらおうね。
会長が先頭に立って戦えば士気もあがるし」
「会長がパイロットやって遊んでることがバレるぞ……。
いや、お前に何かあったらネルガルはどうなる!」
「どうにもならないよ。
別にバレてもかまわないし、僕が死んだりしたら自動的にエリナ君が会長になる。
そう言う風に準備して、根回しも終わってるんだから」
「……。」
やりこめられたアキトは、無言になって愛機ブラックサレナA3型へと歩いていった。
心なしか背中が丸くなっているように見える。
アカツキは遠ざかる背中を見送ってから、近くの社員たちにわざとらしく微笑みかけた。
心のうちが読めない、曲者の笑みだ。
歯が、キラリと光る。
「さぁて、僕もいこうかな。誰かパイロットスーツ用意してくれる?」
アキトはブラックサレナに乗り込みながら、ラピスに話しかけた。
普段着ているものがパイロットスーツを兼用しているので、何の準備も要らない。
(先にサレナで出ている。あとからユーチャリスで出撃してくれるか?)
(分かった。エリナが抱っこして走ってる。すぐに着く)
(ああ、気を付けてな。)
(アキトも、気をつけて)
気遣う言葉に僅かに口の端を引き上げてから、ゆっくりとブラックサレナのプリチェックを開始する。
チェックを終了し、サレナを起動して、アキトはようやくホッと息をついた。
戦いに出る為に兵器を動かして安心するなど愚かな事かもしれないが、それこそが、最初にルリと再会した時に以前の仲間の所に戻れないと感じた理由の一端でもあった。
たしかに体中に走るIFSの光や、コロニー襲撃犯であるということ、味覚・嗅覚・視覚を失ったこともあったが、何よりも再会までに負った心の傷が、昔の仲間の元へ帰ることを許さなかった。
世間の裏側、人間の心の邪悪さ。自分の心の深淵を覗いていない友人たちの側へ、身を置くことができない。
身勝手な言い分かもしれないが、人間がどれほど残酷になれるのか知らない彼らに、自分の気持ちを理解してもらえるとは思わなかったから。
だからエリナや月臣、プロスやアカツキと共にある。
彼らは自らの経験や、企業の暗い部分を通して、自分の心の底を見た者たちだ。
アキトの壮絶な体験は、他にもたくさんの傷を心に刻みつけていた。
視覚や味覚・嗅覚が不自由になってから、IFSを接続していないと、酷い喪失感を覚える。
常にどこかが欠けているようで落ち着かない。
ラピス・サレナ・ユーチャリスのオモイカネβ。
何であろうとかまわないが、何かにIFSを繋いでいないと充足感が得られない。
悪夢にうなされる夜も多いし、最近は少なくなったが、フラッシュバックで過呼吸などの呼吸困難になることもよくあった。
それはパイロットとしての職業病ではなく、犯罪被害者としての精神的外傷を所以とする症状だ。
(今思えば、病室でのことがなくても、おそらく遅かれ早かれ俺は二人から離れる事になっただろうな。
ユリカもルリちゃんも関係なく、俺自身の勝手な理由で。)
とりとめもなく思考を巡らせながら、次々にサレナの内部を点検していく。
淀みない起動後のチェックを終えて、通信を開いた。
「テンカワ、オールグリーンだ。」
「……了解、いつでもどうぞ!!」
一拍置いて応答が返ってくる。
アキトが出る前に何機出たのだろうか。随分と手馴れている。
戦闘を前にしても明るい返事に、苦笑いしつつカタパルトに足をかけた。
グ、と足に力を入れて、一言叫ぶ。
「テンカワ、ブラックサレナ。出る!!」
そしてサレナが虚空に打ち出される。
宇宙。空。アキトにとって心休まる場所。
一瞬息が止まるほどのGがかかるが、常人には苦痛をもたらすそれも、感覚の鈍ったアキトにとっては心地よいものだ。
遠くの方では既に軍との戦闘が開始されているらしく、ポツポツとあちこちで火花が散っている。
人の命を奪う光だが、それはひどく美しい光景だった。
軍では先ほどまで情報を掴んでいなかったはずだが、いつになくその対応は素早い。
着々と増援が駆けつけ、攻撃隊形が構築されていく。
その隙間を抜けてネルガルドックを狙ってくる者がアキトの敵だ。
「邪魔をする者は叩き潰す!」
戦闘の前の昂揚で思わず笑い出したくなる。
と、そこにアカツキの紅のアルストロメリアが接近してきた。
ゆっくりと近づいてくるアルストロメリアを見ながら、興奮している自分と冷静に戦う自分を切り離し、その温度差のバランスを調節していく。
「暁色の赤、だな」
完全に戦闘モードに入ったアキトが柄にもなく詩的な感想を述べたところで、通信が入った。
「やれやれ、随分楽しそうだね。
……残念だけど、楽しくないお知らせを持ってきたよ」
赤いパイロットスーツのアカツキがウィンドウに現れる。
不機嫌とまではいかないが、浮かない顔だ。
「何があった。」
「……ホシノ・ルリ中佐が、ココに来る。」
アカツキにしては珍しく一言述べたきり黙り込んだ。
「ルリちゃんが……?
馬鹿な。ナデシコCは実戦配備されたばかりで、今頃は木星近くで哨戒任務に就いているはずだ。
いくらなんでも来るのが早すぎないか?」
予想外の報告にアキトが眉を寄せる。
「多分情報はとっくに手に入れてたのさ。おそらくルリ君本人がね」
「……なるほど。」
アカツキの皮肉げな物言いにポツリと返してその目線を戦場へ向けた。
ネルガル重工は民間企業だ。
たとえ公的に無視できない軍事力を保持していたとしても、その軍事力を行使することになるのは民間人だ。
だから、軍は当然ネルガルを守り、火星の後継者の襲撃を阻む義務がある。
しかし今回は守るべき民間人に危険を伝えなかった。
「まさかウチの月ドックを囮につかうとはねぇ」
情報がなかったにしては軍の対応が早く、増援が早いと考えたが、事前に襲撃を知っていたにしては戦力が少ない。
おそらくこの襲撃とタイミングを合わせて、火星の後継者の残存勢力を狩りだしているのだろう。
無防備なネルガルドックという美味しい餌でつって、敵の勢力を分断したわけだ。
数の上で圧倒的に有利なところで、不意打ちによってさらに優位に立つ。
軍としては笑いが止まらない展開だろうが、勝手に命をチップにされた民間人としては、笑えない状況である。
「一網打尽にするつもりか。」
「おそらくね。ずっとチャンスを狙ってたんだろう」
二人が話している間に、戦火は着々とこちらへ近づいてきていた。
もう見えるのは火花だけではない。
被弾したバッタやジョロが誘爆する様子、目には見えない電子戦によってか、不自然に動きを止めた戦艦が墜とされる瞬間が、はっきりと分かる距離だ。
「そろそろのんびり話してる場合じゃなくなってきたみたいだよ」
軍の包囲網をすり抜けたバッタやジョロが、ポツポツとこちらに向かってきていた。
戦艦がそれに守られるようにして進んで来るが、アキトたちには全く動じた様子が見えない。
アキトの乗るブラックサレナはもとより、アカツキのアルストロメリアもまた、専用機として改造されている。
『赤いからには専用機じゃないとな!!』と言うのが、嬉々として改造したウリバタケの主張だ。
「大した敵じゃない。」
「ああ。軍が頑張ってるし、僕たちが出なくても良かったかもしれないね。
今からでも遅くないし、ドックに戻るかい?……ナデシコが来る前に。」
話し続けながら、いち早く向かってきたバッタを墜とす。
アルストロメリアは本来近接戦闘を重視したボソンジャンプ戦フレームだが、アカツキの性格上か、ライバル社の機動兵器ステルンクーゲルのごとく中・長距離戦用に近い形に改造されている。
次世代機のための試作機といえるだろうか。
「いつまでも逃げてばかりもいられない。このまま残るさ。」
アキトは思い切るように言葉を残して、敵に向かって突っ込んだ。
襲いかかってくる敵を紙一重で避け、その背に素早くイミディエットナイフで一撃を加える。
「甘い。」
体勢を崩した相手の装甲を掴んで、背後から忍び寄っていた敵に投げつける。まさか味方が飛んでくると思っていなかったのか、標的は避けきれずに団子になって飛んでいった。
ひとかたまりになったところに、アカツキが間髪入れずにラピッドライフルで追い討ちをかける。
後ろで連続した爆発音がする。
アキトを狙っていた敵をアカツキが撃墜しているのだろう。アキトの口元が僅かにほころんだ。
その顔に笑みを浮かべたまま、振り返って相対した敵をすれ違いざまにナイフで斬りつけた。
うっすらと火花を纏い始めた2体の無人兵器を蹴りとばし、反動と爆発を加速に利用して右手にいたジョロを一刀両断にする。
ジョロを斬った勢いをそのままに、後ろに回り込もうとしていたバッタを切り裂き、速度を殺すことなくさらにその奥の敵へと間合いを詰め、新たな敵へ襲いかかる。
まるでダンスを踊っているような、見事な近接戦闘だった。
以前のブラックサレナであればこういった近接戦闘はできなかっただろう。
現在のサレナは、対夜天光に特化していたA2型から、装甲と引き換えに推進力を上げ、稼動部分を増加させ、アルストロメリアの発展系に近い近接戦闘に優れた機体になっていた。
もはや急造の追加装甲であったブラックサレナとは完全に別物だ。
アキトは中、長距離よりも近接戦闘が好きだ。
ぶつかり合って命のやり取りをする瞬間にこそ、生きているという実感がある。
自分の正気を疑いながら、戦いに酔いしれる。
ほころんだ口元が、ニヤリ、と歪んだ笑みに変わる。
「楽しくてたまらない・・・・・・」
複雑な表情を浮かべたアキトの顔は、ナノマシンの光に覆われていた。
「さすがに鮮やかなお手並みだねぇ」
戦場には不似合いな軽やかな声で賞賛しながら、アカツキは凄まじい早さでトリガーを引いていた。
アキトが敵を倒しやすいよう、動きやすいように援護をする。
めまぐるしく敵と位置を入れ替えるアキトに当てることなく、確実に敵を屠る手並みは見事なものだった。
「おや、こっちにも敵さんが」
レールカノンで攻撃をしていたアカツキを狙って、敵が肉薄する。
遠距離攻撃を得意としていると見て接近戦に持ち込むつもりだろう。
「テンカワ君じゃないけど、甘いね」
のんびりとした声が響くと同時に、目の前の敵と背後に迫っていた敵が爆発した。
どうやら挟撃するつもりだったようだ。
アルストロメリアの腕には、目の前の敵を撃ったレールカノンの他に、小型のライフルが仕込まれている。
「ウリバタケ君のギミック好きも、戦場では役に立つなぁ」
度々ウリバタケに改造され、自分の知らない間に仕掛けが増えていくアルストロメリアだが、アカツキにとってはかけがえのない愛機だ。
「テンカワ君に倣って、そのうち名前でも付けようかな」
嘯くアカツキは戦場でもマイペースを崩さない男だった。
アキトはサレナの性能を見事に引き出して機体を操っていた。
重い機体が羽のように軽く見える。
鋭く、キレのある動きで相対する敵を翻弄し、的確に仕留めていく姿は危なげないものだ。
非常識な速度で敵を倒すアキトのサポートをしているあたり、アカツキの腕前も一流の上に超がつくだろう。
アキトのフォローに徹しつつ、ちょっかいを出してくる敵をあっさりいなしている。
『……ラックサレナ、アカツキ機。
こちらネルガル月ドック管制塔。
ブラックサレナ、アカツキ……』
戦闘が本格的に始まってから10分ほど経過した頃。
向かってくる敵を倒しながら戦いの中心に移動して、二人で50機ばかり敵を倒したところで、突然ドックから通信が入った。
「ブラックサレナ、テンカワだ。どうした」
「アカツキだよ。何かあった?」
ほぼ同時に発せられた問いに、ドックの女性オペレーターが余裕のない声で告げた。
『至急ドックの近くまで移動してください。
ボース粒子増大中。ボソン反応戦艦クラスです。
そこでは距離が近すぎて危険です!』
「……来たな。」
アキトは小さく呟いて、すぐさま月面ドックの方角へとスラスターを噴かした。
そのすぐ後ろから、雑魚を蹴散らしながらアカツキがついてくる。
「どうするか、決めたのかい?」
アカツキがそっと声をかけた。
「ああ。まずユーチャリスを出さないように言っておこう。どうも状況が変化しそうだ」
(ラピス。)
(分かってる。ドックの中で待機)
(それでいい。エリナはどうした?)
(一緒にいる。いつでも降りられる)
(そうか。エリナに外の様子に気を付けるように言っておいてくれ。
ラピスが判断できないと思ったらエリナに意見を聞くんだ。できるな?
二人ともコミュニケは持っているんだろう)
(うん。アキトも、気をつけて)
(ああ。)
「ラピス君とエリナ君は無事だった?」
「無事だ。ドック内で待機するよう伝えた。βにも通達しておく。」
言いながら、βとの回線を繋いだ。
「β、最悪の場合、エリナを載せたままでジャンプする。準備だけはしておけ」
『了解しました・キャプテン』
『準備完了』
『待機モードへ移行』
いくつかのウインドウが開き、すぐに閉じた。
オモイカネβのAIは、機能こそオリジナルに勝るとも劣らないものだが、自我といえるものがまだない。
艦内に居住する人間の少なさも、自我の成長を阻害する一因だろう。
コンピューターに自我は必要ないとの考えもあるが、自我を持たないAIより持ったAIのほうが、人間への対応の幅が広いことは明らかだ。
通信を終えたアキトは、静かな声音で話題を繋げた。
「……さっきの答えだが、とりあえず向こうへ行くことは無いな。
すまないがラピスと二人でネルガルに厄介になる。」
俺が死ぬまで。とは言わなかったが、言わずに飲み込んだその言葉にアカツキは気づいていた。
気づいていたが、何も言わなかった。
二人で会話をしているときはそのことには触れないというのが暗黙の了解だ。
「謝らないで欲しいな、こっちは願ったり叶ったりだよ。
……でも、ルリ君は納得しないだろうねぇ」
初めてできたかけがえのない家族が突然二人同時に事故で死に、生きていたと思ったら一人はテロリスト、もう一人は遺跡に取り込まれて壁画か彫刻状態。
必死に駆け回ってやっと事件が終わったら、姉とも母とも思った女性は結婚までした相手が分からず、ほのかな憧れを抱いていた男性はショックを受けて立ち去った後そのまま出奔。家庭崩壊。
これで納得できる人間はよっぽどおつむがおめでたいか、お釈迦様クラスに悟った人間であろう。
「多少強引にでも親離れしてもらう。
ルリちゃんはもう一人前だ。少なくとも俺よりは立派だよ」
そう言って自嘲するような笑いを浮かべたウィンドウの中のアキトに、アカツキは僅かに眉をしかめた。
この笑い方は好きではない。
アキトが自分を責めている時の笑い方だ。
どうせ見るなら、優しく穏やかな、ラピスを見ているときによく浮かべる慈しみに満ちた笑顔がよかった。
そういう風に笑わせてあげたいと思うのに、どうして現実はこうもままならないのか。
「そう簡単にはいかないと思うけどね。
あれでなかなか強情なお嬢さんだ。
それに、ルリ君にとって君は、親とはちょっと違う位置にいるし」
ふがいない自分への苛立ちを押し込めて、軽い口調でそう言った。
アキトの自嘲の笑みが苦笑いに変わる。
他者からの好意に対して驚嘆すべき鈍感さを誇るアキトだが、ルリの気持ちには薄々気づいていたらしい。
「なんと言われても戻らないさ。
ルリちゃんには悪いが、あそこはもう『帰る』場所じゃなくなった。」
アキトはそう言い捨ててドックの正面まで戻り、くるりと機体を反転させた。
月面ドックはもう目の前だ。
自分たちが先程まで戦っていた場所に、光をともなって白い優美な戦艦が現れようとしている。
(死に場所くらいは選びたい)
アキトは頭に浮かんだ言葉の代わりに、こう呟いた。
「あの頃には、もう、戻れない。」
アキトがどんな表情でそれを言ったのか。
心をも隠す黒いバイザーのせいで、アカツキには見ることができなかった。
2003.12.20
後書き反転↓
今回のお話は激烈に長かったですね・・・・。途中で切ったほうがいいかな〜と2回ほど思ったところがあるのですが、このままUPしてしまいました。
説明的な所が多く読みにくいかもしれない。申し訳ない。でも、設定決めると出したくなるんですよね・・・邪魔だという意見が複数あれば、削ります!てか、誰か読んでるのかしら。
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