まずは外堀から〜二人で新年会〜

 
 「飲みに行こう」

  

 元宵節の準備できりきり舞いの帷湍に、突然やってきた成笙が真顔で告げた。

 真顔といっても成笙はあまり表情が動かない男で、どんな時でも真顔に見える。
 先王に入牢を申し付けられた時でさえ、顔色も変えなかったほどの鉄面皮だ。
 仲の良い帷湍でも、感情を読みきれなくなる時がよくある。

 

 今も、そんな時だった。

 

 「あ?なんだこのくそ忙しい時に。馬鹿王じゃあるまいし」

 
 書卓から顔を上げた帷湍は、何考えてるんだこいつ、といった顔で苛々と憎まれ口を叩いた。
 新年どころか年末からこっち、宮中行事が目白押しで全く休みが取れない。国府以下、何処もかしこも年末年始は休みだと言うのに、玄英宮ではその慣習が適用外なのだ。
 一日が普段の倍の長さになって欲しいくらいだというのに、ここで遊びに行く話を持ち出されれば、不機嫌にもなろう。
 なるべく八つ当たりはしないようにと心がけている帷湍だが、いい加減付き合いが長い成笙に対するとどうも甘えが出て、ついつい今のようにぞんざいな口調になってしまう。

 ちなみに、いくら付き合いが長くとも、朱衡には当たれない。
 一言でも言おうものなら、万倍になって毒舌が返ってくるのが目に見えているからだ。

 しかし、言葉が少ない割に口が悪い成笙に、八つ当たりの暴言を吐く人間はそうはいない。
 当たられても切り返さずに受け流してくれるのは、相手が帷湍だからだということには、肝心な本人だけが気づいていなかった。

 今も、成笙は帷湍の文句を受け流して、何事もなかったかのように話を続けた。


「その馬鹿王は脱走するぞ」

「は?」


 何を言われたか分からず聞き返してくるのに、再度同じ言葉を言ってから、もう一言付け加えた。


「元宵節は街で過ごすと浮かれていた」


 意味を反芻するように暫く沈黙してから、怒声を上げた。


「なにぃ?なんで捕まえないんだ!!………ここ最近大人しくしていると思ったら、よりにもよって元宵節に抜け出そうだと?冗談じゃない。手配りはしてあるのか?見回りの強化は?」

 「いや。」


 天官も春官も位が高くなるほど実務が減るはずなのに、一向に暇にならない帷湍は、怒りのあまり椅子を蹴立てて立ち上がった。衝撃で報告書がいくつか落ちたが、一瞥もしなかった。
 自分がこれだけ大変な思いをしているというのに、その中心たる尚隆が遊び呆けるなど許しては置けない。 
 半ば私怨も混じりつつ、即座に頭の中で王を捕まえておく算段を始める。
 

 「なんなら天官から人を出してもかまわん!見張りくらいできるだろう」



 これは朱衡も同じことだが、帷湍は自分がやらなくてもいい、いわば仕事外の事に時間をとられる事が多い。  正規の仕事ではないが、『知っていたほうが仕事の役に立つ』ような事にいちいち手を出すのだ。
 今も、朱衡にまかせておけばいいものを、律儀に全ての式次第をこまごまと確認していた。
 いくつか付箋が挟まれているあたり、わざわざ自分で確認しに行くつもりなのだろう。
 そうして際限なく仕事が増えていくのである。


 要するに自分がやりたくてやっているのだが、王が遊び歩いているのを見ると、理不尽な怒りが湧いてくる。これが成笙だと、ここまで腹が立たない。
 それはなんといっても自分の仕事に影響を与えないからだろう。


 実際、職務の遂行に関して最も要領がいいのは成笙だ。


 頻繁に玄英宮をふらふら徘徊しつつ、各所の閹人や小臣のところに顔を出し警備状況を確認したり、軍の練兵中に突然現れて訓練に参加したり、街に下りて国府に立ち寄ったり、市井に潜入している情報官の報告を受けたりしている。
 そして事務仕事を上手いこと部下に振り分ける。
 これが尚隆なら遊んでいると思われるだろうが、顔が真面目で落ち着いているだけに、仕事の為に忙しく立ち回っているように見える。
 見かけが真面目そうだと得だ。


 確かに抜き打ちで警備関係各所を訪問するのは緊張感を高めるし、突然の訓練参加は軍の綱紀を引き締める。
 結果はきちんと出しているし、するべきことはしている。
 実際に他所に顔を出すのも仕事のうちで、事務が滞ったことはない。


 だから、とばっちりが飛び火する王の徘徊と違って、それほど腹も立たないのだ。
 

 しかし、帷湍や朱衡の執務室に入り浸っていることが多く、書卓に向かっているのをあまり見たことがないので、結果は良くてもどうも納得がいかないのもまた事実だった。



 「このところ真面目に仕事をしていると思えば………。」

 「ああ、確かに真面目だったな。過ぎるほどに。………王の身であの顔色だ。よほど疲れているんだろう」

 「たしかに大変だろうし、体調のほうも心配だ。が、元宵節には絶対に出てもらう!!俺だって疲れてるんだ。あいつだけ逃がしてやるものか!」


 疲れのあまりについ本音が出た。


 成笙の勤務状況や尚隆の疲労度はともかく、今回はなんとしても王を逃がすつもりはない。
 元宵節はかなり大規模な行事で、尚隆の出番も多いのだ。


 「それで、どの程度の情報があるんだ。抜け出す時間や抜け道については知っているのか。そうそう、朱衡にはもう知らせたのか。あいつが知れば捕獲はかなり楽になるはずだが」


 あいつだけ楽にしてたまるかとばかり、額に青筋を立てて再度矢継ぎ早に尋ねる帷湍に、成笙はあっさりと答えた。


「いや、今回は朱衡のお墨付きだ」


 帷湍が動きを止めた。
 しばしの沈黙が降りる。


 「………色仕掛けに嵌ったのか?」


 恐る恐る疑問を口に出した。

 自分で言っておきながら、ちょっとげんなりする。
 尚隆が朱衡をたぶらかす様が具体的に浮かんできたからだ。

 普通、王が逃げ出す時に側近を色仕掛けで落とすものだろうか?

 そもそも王が逃げるというところでで何か間違っている気がするが、そういう発想が出てしまった時点で自分も毒されているのだと考えると、帷湍はやるせない思いにかられた。


 「悪い、聞かなかったことにしてくれ………」


 「それはかまわんが、お前の言ったこともあながち間違いではない」

 「………本当にやったのか?」
  

 聞きたくないが、一応聞いておかねばならない。
 
 祭事を取り仕切る春官程ではないが、王が不在となれば確実に帷湍にも影響は及ぶのだ。
 夏官のほうにも余波はくるだろうが、主な仕事は巡回や掌固なのでむしろ王がいない方が仕事が楽になるくらいだ。
 細かい変更はあるだろうが、それは部下の仕事で成笙に支障はない。

 もっとも、夏官の警護など必要ないような王だが。
 

 
 「朱衡が王に、何故年末年始に限って帰国するのかと問うたそうだ」

 「ただで良い酒が死ぬほど飲めるからじゃないのか」


 動揺を抑えるため、強いて冗談交じりにそう言った。
 しかし、予想外の返答をされる。


 「俺もそう思う」


 真顔で返されて、言葉に詰まった。
 

 「………冗談だ。で、アレはなんと答えた?」

 「『民でも百官でも麒麟でも同じだ。俺がここに居るだけでいくらかは天候や気候が安定するし、『天下の安寧』とやらに役立つ。どういうわけか悪巧みをする連中も減るし、遊郭の妓女どもはいつもより愛想がよくなる。いちいち言わんでもお前は分かっているだろうが』」


 一言一句違えずに、淀みなく長台詞を言ってのける。
 棒読みではあるが、帷湍は成笙に演技力など期待していない。
 これだけの言葉を丸々覚えていた朱衡も凄いが、その、のろけともいえる話を全部聞いた挙句、完璧にその文句を暗記した成笙はもっと凄い。

 帷湍は感心しながらそれを聞いていたが、尚隆の言葉にも感銘を受けた。


 「へぇ…………驚いたな。関係ないのも混じってるが、それは本音に近いだろう。
 あののらりくらりとした男からそれを引き出すとは、流石朱衡だな………」

 「朱衡だからな」

 成笙が短く呟いた。
 なんとなく含みを持たせた言い方だ。


 「…………朱衡だから、なぁ…………」


 そういう言い方をされると、今までのあれやこれやが思い出されて脱力する。
 もしかして今回も今までのようにとばっちりが来るのだろうか。
 ガックリと肩を落とし、俯いた。



 尚隆の言葉は嬉しかった。
 帷湍だって雁の官吏だ。
 王がそれほどまでに民を思っていると知って、喜ばないわけがない。
 しかし、その代価は余りに大きいかった。
 朱衡が黙認してしまえば王の脱走を咎めるのは難しい。仕事は増大確実だ。
 これからしばらくは寝る間もなくなるだろう。
 
 前途を考え暗澹としているところに、成笙が横槍を入れた。
 
 「大丈夫だ」


 帷湍の顔色を読んだのか、妙にきっぱりと断言する。


 「今回の朱衡は異常に張り切っている」
 

 おそるおそると顔を上げると、珍しく成笙が口元を緩めていた。


 「………本当か?」


 「本人も王と共に抜ける気でいる。死ぬ気で働いてるぞ。私事によって仕事に影響を及ぼしたとあっては奴の沽券にかかわるからな」

 「ああ、なんだか二、三十年くらい前にもこんなことがあったような………あの時のあいつは妖魔も裸足で逃げ出すほどの形相だったな」

 「妖魔は靴を履いていない」


 突込みどころが違う。


 「例えだ。………しかし、また同じことをしているのか俺たちは」

 帷湍は自分達が一定周期で同じことを繰り返しているのに気づいて、進歩のなさに眩暈がした。
 国が発展しても人間は変わらない、ということだろうか。
 
 
 「朱衡は、追い詰められた状況でこそ仕事は完璧でなければならないと言っていた。大丈夫だろう」

 
 安堵した帷湍は力が抜けるままにしゃがみ込んだ。
 やがて、のろのろと立ち上がって、先程蹴倒した床机を起こし。
 そこに深く寄りかかって溜息をつく。


 「ええと…なんだったかな………話の始まりは」


 成笙は、呆けたような帷湍の肩をぽんとたたいて、近くの床机を引き寄せて座った。

 
 「飲みに行こうと誘った」

 「ああ、そうだった。今日はまだ仕事が終わりそうにないし、とりあえず元宵節が過ぎるまではろくに出歩けないだろう。正月だしな。その後で都合がいいのは………」

 「いや………十八日の夜に出ないか?多分予定が空けられるはずだが」


 帷湍は、当たり前のように成笙から出た言葉に驚いた。

 仕事に支障が出かねない誘いは初めてだったのだ。



 帷湍と成笙が街に降りる回数は、玄英宮の高官の中ではずば抜けて多い。
 
 帷湍が尚隆を捕獲するために頻繁に街へ行く、成笙が軍事教練その他でよく国府へ赴くなど、仕事の上での理由があるのだが、私事においても、二人は度々街へ降りては杯を酌み交わしていた。
 
 成笙は尚隆を超える酒豪で、笊というよりも枠だ。引っかかるものすらない。
 帷湍は酒は嗜む程度だが、酒の肴が好きだった。食事のほうへ意識がいく。
 この二人で飲みに行くと丁度良く酒と肴が消費されていくので、帷湍としては飲みに行く時は一緒のほうが都合が良い。
 成笙からすれば、少々違った感情によって帷湍と共に街へ出かけているのだが、それは帷湍の知るところではない。
 
 理由は違えど目的は同じ『一杯やりにいく』ことであるから、万障繰り合わせて連れ立って出かけていたが、今回の提案はかつてないことだった。
 帷湍は慌てて詰め寄った。


 「お、おい。お前まであいつらのような事をいうのか?仕事はどうする!」


 帷湍が決裁しなければならない案件もあるし、協議が終わった件についても、帷湍が報告書を作成しなくてはいけない。
 当日の手配も確認せねばならないし、部下達とも打ち合わせの必要がある。

 尚隆のサボリの余波がなくとも充分忙しいというのに、どうやって時間をつくるのか。
 仕事を投げ出すというのは却下だ。
 帷湍は責任感が強いので、そんな事をして無理に余暇を作っても楽しめない。

 だが、そんな事成笙は百も承知だった。


 「心配ない。朝方、朱衡の所へお前宛ての書簡を持っていって混ぜてきた。」

 「え………」


 とんでもない事を言う。


 「ここに来る前に見たら完成していたぞ。これは、事後処理に関する文書だろう」


 成笙がそういって懐から取り出した紙の束は、たしかに帷湍の仕事だった。


 「し、朱衡は気づかなかったのか!?」

 「大丈夫だった。王にもちゃんと休暇をもらったぞ。それから……」


 そう言いかけると、さらに袂から巻子を何本か取り出した。

 「こっちはお前の部下からだ。」


 受け取って中を確認すると、当日から翌日にかけての進行の流れ、手配状況、また、帷湍の穴を埋めるのが誰か、さらには関係各所との緊急連絡に関するものまで事細かに記されていた。
 残りは明朝お届けにあがります、と注意書きが付いている。
 

 「………こりゃいったい………」

 「詰め所から帷湍の直属の部下のところへ遣いをだしたら、翌日にコレを渡された」
 
 「遣い?」
 
 「お前宛の書簡を。十八日に帷湍の体が空くかどうか、確認しようと思ってな。ここのところお前はこの房室に居なかっただろう」

 「先日から、春官のところへ確認にいったり、国府へ打ち合わせにいったりしていたからな」

 
 都合を聞こうにもが中々捕まらなかったために、成笙は部下に予定を確認したのだろう。
 帷湍は部下に慕われているため、休む暇もなさそうな様子に気を利かせた彼らが、帷湍の仕事を各々分担して暇を作ったのだ。

 「後で礼を言っておけ。お前のことをくれぐれもよろしくと頼まれたぞ」

 「あいつら………」

 帷湍は巻子を握り締め、ちょっとしんみりとした。
 いつもいつも苦労をかけてばかりなのに、こんな自分を気遣ってくれるなんて、と眼を伏せる。
 その苦労の三分の一は確実に延王のせいだということは、生真面目で素直な帷湍は考えなかった。
 
 いい部下を持ったなぁと思いつつ、素直になれず、わざと軽い口調でちゃかす。
 

 「子供か俺は………」

 水気が多いが、嬉しそうな声だった。

 それに対して更に水を差すように、成笙が言わなくてもいいことを言った。




 「娘を嫁にやる親のようだったぞ。」




 「誰が娘だ!!!」
 
 「いや、言葉の綾だ。それより当日の予定について話そう。せっかくの気遣いだから遠慮は却って非礼になる」


 帷湍の反論をさらりと流し、違う方向へ話を向けた。
 この辺りの間をはずす呼吸は成笙ならではだろう。
 未だに想いが伝わっていないが、成笙は本気でいずれ嫁に貰うつもりだ。


 「誤魔化すな!!………ええと、今からじゃ空きがあるかどうか分らんが、礬楼………豊楽楼はどうだ」


 誤魔化すなと言いつつも応えてしまう帷湍。
 これが尚隆ならどこまでも追求しただろうが、相手が成笙なのでそのまま話に乗る。


 「いや………あそこには朱衡が王を連れ込む。宋門外の仁和店に席を確保した」


 この男は朱衡からそこまで聞き出したらしい。
 その手腕に呆れつつも、帷湍はその事については言及しなかった。
 休める時にまであの二人とは関わりたくない。


 「都東の仁和店か?よく取れたな」


 仁和店は、関弓でも有数の大きな酒楼だ。豊楽楼ほどではないが、名店である。三階建ての建物で見晴らしもいい。
 宋門外には五色の棚が設置されるため元宵に上の階を確保するのは大変だが、成笙は恐ろしく手回しよく、人脈を駆使して一室を抑えてあった。


 「お前、以前あそこの揚げ鶉が好きだと言っただろう」

 「え………」


 その言葉に帷湍は目を丸くした。
 それでは、仁和店を選んだのは帷湍のためなのだ。
 

 「あ、有難う」


 照れながら短く礼を述べると、成笙が、機嫌よく頷いた。
 珍しく、ちゃんと口元に笑みが浮かんでいる。


 「では、そこで。時刻については後で使いを遣る。当日は持ち場へ迎えに行くから」


 「ああ。席を取ってあるならちょっと街を見てから行こうか」

 「そうだな。なんなら夜通し飲み明かしてもいいぞ」

 「うん、それはいいな。俺は元々翌日は休みの予定だし。成笙も休みなのか?」

 「ああ。王が便宜を図ってくれた」

 「そういう時だけは気が効くなあいつは……まあいい。じゃあ俺はこれから仕事をやっつけるから」

 「判った。……じゃあな」
 


 うやむやのままに丸め込まれた帷湍だが、部下達が本当に娘を嫁に出す気持ちだったことを、彼は知らない。


 そして、成笙が『任せてくれ』と力強く答えたこともまた、知らない。



 食べ物で懐柔されつつある帷湍は、揚げ鶉を楽しみに仕事を始めた。

 部下の好意に胡坐をかいているわけにはいかない。
 ちゃんと自分で仕事を進めておかなくてはいけない。

 一生懸命自分に言い聞かせるが、どうしても顔が笑ってしまう。


 「よし、頑張ろう!」


 来るべき日に向けて気合をいれる帷湍の顔は、やる気に満ち満ちていた。
 上司思いの部下の為に、机の上の山がなくなるくらいまで案件を片付けていくつもりだ。
 成笙が訪れるまでの不機嫌さとは打って変わって、上機嫌で巻子を手にする。



 うきうきと筆を取る本人も気がつかないうちに、帷湍の外堀は着々と埋め立て工事が進んでいた。

  
  
    2004. 1. 1 改稿

 昨年宣言したとおり、隠しファイルから表に出します。2004年の正月SSの続編、成笙×帷湍バージョンでございます。
 最近ナデシコやテニプリに偏った更新で、十二国を目当てにいらっしゃる方には申し訳ありませんでした。しかし、十二国もまだネタストックがありますゆえ、今年もなにとぞ、よろしくお願い申し上げます。


    2004. 3. 8 初出
 こんばんは、ダナエでございます。
 季節外れの文章ではございますが、楽しんでいただけたらこれ幸い。
 誰も気にしておられないかもしれませんが、仁和店も豊楽楼も歴史上実在したお店です。
 せっかく学校で勉強したんで使いたかったんですよ………。
 なにはともあれ、読んでくださってありがとうございました。では、また。
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