――優しい微笑みと途切れた声――
ボソンの光と共にジャンプアウトしてきた白い戦艦。
それは、かつてアキトが忘れ得ぬ日々を過ごした、懐かしい場所を模した船。 そして、今はもう家族とも言えない、義理の娘が乗る艦だった。
「ナデシコ……」
ため息をつくように、アキトがそっと呟いた。吐息に含まれるのは、郷愁。 アカツキはただ黙ってしばらくウィンドウのアキトを見つめてから、ナデシコCの方へ視線を移した。 ナデシコは、アカツキにとっても特別な艦だ。 白い艦体が眩しく見えるのは残光のせいばかりではない。
ナデシコの姿を遠くから眺めていると、間をおかず戦況に著しい変化が現れた。
ナデシコCが現れた途端、軍の艦や機動兵器、小型戦闘艇などが、まるで潮が引くように敵陣から撤退し始めのだ。 いわくありげな登場の仕方に、積年の恨みもあってか、敵はナデシコCを目標として集中砲火を浴びせる。 しかし強固なディストーションフィールドがことごとくそれを阻んだ。
敵が泡を食っている間に、軍は着々とナデシコCを軸として隊列を組み上げていく。 整然と並んで柔軟な艦隊運動を見せるその様子は、目に見えない巨人の手でゲームでも行われているかのようだ。 チェスか、将棋か。どちらにしても駒が取られる側は決まっている。
「おそらくオモイカネが各艦のAIを指揮してるんだろうね」
トントンと膝を叩きながらアカツキがコメントする。
お茶が一杯欲しいね、というのと同じ声音だったが、アキトにはアカツキが緊張を解ききってはいないのが分かっていた。 戦場から離れてのんびりと会話していても、最低限の警戒は怠らないのがパイロットというものだ。
第一、流れ弾に当たって負傷などしたらイネスが大喜びで人体改造しかねない。
「ほら、あの右翼のあたりの連携、うまく囲い込んで逃がさない……あれはオモイカネが直接指示を出してるんじゃないかな。まさかワンマンオペレーションプランがいきなり実戦で使われるとは思わなかったけどね」
「ああ、動きが揃いすぎている。」
ワンマンオペレーションプランとナデシコフリート構想は、元々ネルガルが打ち出したものだ。 旗艦が艦隊全ての行動を支配し、命令を下す。その名のとおり、端的に言えばワンマンオペレーションシップ艦隊バージョンといったところか。 要するに、ワンマンオペレーションシップと一つの中枢コンピュータで艦隊運用を行うのである。 無人の艦を有人のごとく動かすことができるというのは中々おいしい。 人員、その他の経費削減や効果的な艦隊運動など、まあ色々とメリットはあるが、結局実用までは辿りつけなかった構想だ。
(実戦で使うならネルガルに報告してもらわないと……これは裁判沙汰かな。エリナ君に手配してもらって違約金を死ぬほど分捕ってやろう)
捕らぬタヌキの皮算用をしつつ、指揮を執っているであろうホシノ・ルリの階級を思い出して首をかしげた。
「そういえばルリ君はこの前の事件の功績で中佐になったんだっけ?年齢や実績からするとありえないくらい破格だけど、艦隊司令官としては階級が低すぎるんじゃないかな。いくらなんでもこれ全部ルリちゃんとオモイカネの指揮下にあるはずはないし。」
一般的に艦隊司令官となるのは将官クラスが基本だ。 それが、優秀とはいえまだ年若く経験の浅い佐官が艦隊を操っているのである。疑問が沸くのは当たり前だ。 いったいどんなこずるい手を使ったのか。
「軍上層部の弱みでも握ったんだろう。」
「そりゃまた物騒な」
「オモイカネの能力やルリちゃんのマシンチャイルドとしての技能は軍でも突出しているが、裏がなければこんな無茶は通らない。」
「裏工作の結果の抜擢だと?」
「ミスマルの小父さんが保護者だから、後ろ盾には事欠かないしな。」
強力なバックボーンがあるから、無茶が通って道理が引っ込む。 もちろん後ろ盾がなくともその気になれば簡単にやってのけただろう。 オモイカネという相棒がいれば大抵のことはできるし、ルリは、いざとなれば目的のために手段を選ばない所がある。
「それだけじゃないと思うよ。そもそも昇進の切っ掛けが火星の後継者がらみだし、軍の若手や艦長には電子の妖精ファンが多いからあんまり文句もでないだろうし。なにより一般人へのPRになる。最近軍も評判ガタ落ちだからねぇ」
アカツキとアキトが雑談しているうちに敵が慌てて集まりだした。 軍が何かを狙っているのに気づいたらしく、生き残った艦を結集させて紡錘形に陣形を整えていく。囲いをうち破り撤退を試みるつもりだ。 しかし艦隊の動きは亀の歩みのごとく鈍い。
おそらく艦隊内で通信ができない状況にあるのだろう。電子戦を得意とするナデシコCならではの攻撃、ルリとオモイカネのタッグの真骨頂であるシステム掌握術だ。 周囲の動きを見て自分がどう行動するべきか分かる者ならば、周りに合わせて陣形を構築し、退路を切り開く事もできるだろうが、そうでない者が邪魔をするために上手く動くことができない。 無能な味方は有能な敵よりも腹立たしいという見本だった。
「僕もろくなことしてないけど、ああやって足を引っ張られて死ぬのだけは嫌だなぁ……」
中途半端にまとまって、狙い撃ちしてくれと言わんばかりのざまにアカツキがため息をついた。
「終わったな。」
アキトの言葉とほぼ同時に、ナデシコCからグラビティブラストが放たれた。
ナデシコCの一射を皮切りに、一斉射撃が開始される。 攻撃の一段目ですでにほとんどの敵艦が被弾していた。しかし軍は追撃の手をゆるめない。防御力の高い艦を盾として、一糸乱れぬ攻撃を続けている。
ナデシコCと同じグラビティブラストを撃つ艦もあれば、射程が短いがコスモスと同じタイプの多連装のグラビティブラストを搭載している艦もある。 大口径、中口径のグラビティブラストに、ミサイルも混じっている。 オモイカネによって完璧に統制された攻撃は、火星の後継者を完膚なきまでに叩き潰した。
丁度体勢を立て直している最中で密集していたためか、火星の後継者の残党はひとたまりもなかった。懸命に応戦してくるが、みるみるうちにその数も減っていく。 爆発炎上する艦、それに誘爆する艦、撤退しようとして軍の戦艦に攻撃されて沈む艦。 バッタやジョロは狂ったような動きで向かってくるが、これ以上ないほどに士気が上がっている軍のパイロット達の敵ではなかった。 勢いに乗じて一気に叩くつもりらしく、攻撃に容赦がない。 敵の中には積尸気が混じってはいるが、たとえパイロットが優秀でも絶対数が圧倒的に少ないので焼け石に水だ。 数の暴力に、なす術もなく押し潰される。
そして、いつしかそれは一方的な殺戮に変わっていた。
「なんともいえない光景だな」
「人間って結局こんなもんなんだって考えちゃうよね、こういう光景を見てると」
「戦場で、ましてや相手が敵ともなれば、他人の命など紙屑の如しだ。……いや、そうやってあっさりと他者の命を奪う人間こそ、紙屑程の価値しかないんだろうな」
宇宙空間で機械に遮られているが故に感じられないが、今まさに二人の眼前で数多くの命が失われていた。 今爆発したあの艦一隻にはたして何人の人間が乗っていたのだろうか。 まるで打ち上げ花火のように、漆黒の闇に咲いては散る光の華は、ひどく美しく恐ろしかった。
一機、また一機と光の尾をひいて墜ちていく敵を一歩引いて眺めながら、アカツキが静かな声で語りかける。
「見たまえ、テンカワ君。君は自分が大量殺人者だと言うが、ルリ君の方がもっと多くの人間を殺している。違いは、それを許される職業に就いているかどうかさ」
目の前の惨事を、目をそらすことなく見つめていたアキトが答えた。
「それを許される職業に就いている、ということが大事なんじゃないのか。軍人が人を殺すのはそれが仕事だからだ。俺が人を殺したのは、自分の為だ。」
敵の残存勢力はもうほとんど残っていない。掃討戦へと突入したようだ。 戦艦ならば撤退もできようが、アキトやアカツキのように機動兵器に乗っている者は母艦が墜ちたら帰る場所を失う。 ボソンジャンプの能力があるなら話は別だが、ジャンプできるパイロットは未だ少なかった。 後は他の艦に拾われるか、死を覚悟して突っ込むしかない。 運よく生残った艦に拾われても、その艦が落ちたら元も子もないし、逃げ出したとて補給がなければ生残れない。
死出の旅路に、足を踏み入れてしまった悲劇。
「仕事として人を殺す方が罪深いという考え方もあるさ。まぁ、殺される人間にとっては同じかもしれないね。銃で撃たれようと階段から落ちようと、死ぬ事に変わりはない」 「死から意味を読みとろうとするのは、残された人間だけか……」
また一つ、大きな爆発が起きた。
『……残される人間にとっては相手が生きている事にこそ意味があるんです!!』
不意に聞き覚えのある声が会話に割り込み、次いでノイズの走るウィンドウが開かれた。
「ルリちゃん!?」
そこには、目に涙をためたホシノ・ルリ中佐が画面いっぱいに映っていた。
正規の通信でないのは一目瞭然だ。 普通ならば、仮にも戦闘中に、よりによって真正面にウィンドウを出したりするはずがない。 たいていは音声が先行するし、アカツキのように半ばフリーパスの相手でも、画面脇に小さな透過ウィンドウを出す程度だ。
「なんでウィンドウが……。そうか、ネルガルドックの回線から入り込んだのか。」
普段は、共に行動するラピスとのリンクがあるために、通信を使うことはほとんどない。 たとえラピス以外に連絡をとる場合でも、ユーチャリスのAIオモイカネβを経由するため、外部からの接触全てをコントロールすることができた。
だが、今回はいつもと違ってネルガルドックからの出撃で、βを通さずに直接ドックから指示を受けている。 簡易的に接続していたドックとの回線は割り込みやすかったのだろう。
アキトが正面に出ていたウィンドウを横によけると、アカツキから報告が入った。
「テンカワ君、通信回線がどんどんリンクされていっているみたいだ。音声、映像が艦隊に筒抜けになるよ。βに介入させて止めさせるかい?」
「聞かれてまずい話はしない。βに監視させておいて、それ以上深く潜りそうになったら閉め出せばいい。」
相談している間に、ルリが開いたウィンドウからノイズがみるみる減っていく。 あっというまにアカツキのそれとほぼ同じくらいに鮮明になった。
クリアになった画像から、ルリが呼びかける。
『アキトさん、帰って来てください!!テロリストだってなんだって関係ない。ユリカさんだってすぐにアキトさんの事が分かるようになります!』
艦隊全てが聞いているということを度外視した発言だったが、それだけにルリの必死さが伝わった。
ルリは、あの哀しい再会の後アキトがユリカを思い切ったことも、アカツキの手を取ったことも知らない。 ただ、自分にできた初めての家族を。 ほのかに思いを寄せていた初恋の人を。 もう二度と戻れはしない懐かしいあの頃の風景を、取り戻したい一心だった。
『他の誰に非難されてもいい。軍から何か言われれば辞めます。たとえコックができなくても、アキトさんが生きて側にいてくれるだけで充分なんです……』
切々と訴えるその姿は、儚げで、可憐で、見る者全てが守ってやらなければと思うような、妖精と呼ぶに相応しい風情だった。
けれど、いくら他人が守ろうと言ったところで、本人が望むのはテンカワ・アキトただ一人。 ひたすらにルリの想いはアキトへ向かっている。 想いをこめたその視線は、心のまま真っ直ぐにアキトを貫いていた。
アイドルも裸足で逃げ出すような、とびっきりの美少女の涙ながらのお願いである。 さすがにこれを見ればアキトの決心も揺らぐかと思われた。
ところが、アキトは、自分に向けられる感情の機微を介さない男だった。 人の事は分かるのに自分の事は分からないを地で行く人間で、敵意には敏感だが好意には恐ろしいほど鈍感だ。 元々の鈍さが復讐に生きるようになってからさらに拍車がかかっており、だからこそエリナはアキトへの恋を諦め、あのひねくれたアカツキが珍しくストレートに思いを告げたのだ。 自分に対して相手がどんな感情を持っているのか分からない、というか気にならなくなっていたアキトは、ルリの気持ちに薄々気づいていながらも、この時ルリがどれほど自分に向かって必死に語りかけていたのか、視野にさえ入れなかった。
はっきりいってかなり酷い男である。
そしてこの酷い男は、あっさりとルリを奈落に突き落とすような発言をした。
「悪いが俺は戻らない。」
『どうして!?指名手配はもうすぐ解けます。アキトさんは無罪です。それでも気に病むのならば、私たちの側で償いの道を探して下さい!』
ポイントを外した事を言う悲痛な声に、アキトは少し困った顔をしてから、バイザーを外した。
遺伝子操作によって強制的に作り出された金の瞳が現れる。
後天的にナノマシンに犯されたその瞳は、真昼の猫の目のように瞳孔が収縮し、視線を宙へ送っている。 黄水晶色の瞳は、鉱物のごとき硬さで、そこには何も映らないと語っていた。
違和感。
アキトの顔が端正であるが故に、それは際だって目立った。 小さく息を飲む音がする。ナデシコCのブリッジクルーだろうか。
「一緒には行けないんだ。」
『何でですか!?答えてください、アキトさん!!』
必死に言い募るルリに対して、かすかにためらってから、ぽつりと答えを返した。 本当は一生告げずにいるつもりだったけれど、ルリの誤魔化しを許さぬ声音に、本音を引きずり出された。
「俺は、あと僅かしか生きられない。」
『!!!』
突然発せられた衝撃の言葉。 果たして何人が聞いているのかしらないが、聴衆の全てに等しく衝撃をもたらしたことは間違いない。
ルリが真っ青になって倒れかかるのを、誰かの腕が抱き留めた。おそらく部下の一人だろう。
サレナの隅のウィンドウに映るアカツキが、色を失うほど強く唇を噛みしめる。
「元々人体実験でガタがきていた所に、極めつけのナノマシン過剰投与のせいで、味覚、嗅覚が完全にダメになった。視覚も補助がなければ失明同然だ。かろうじて残っている聴覚や触覚も、だんだんぼやけてきている。」
医者が患者に告げるように淡々と症状を列挙するアキトとは対照的に、ルリは自分が不治の病を宣告されたかのように動揺した。 視線をさまよわせ、必死にアキトの表情に嘘を探そうとする。
最初から無いものは見つけられないというのに。
『そんな……』
「アカツキが奔走して随分助けてくれた。セイヤさんが視覚補助バイザーを作ってくれたし、イネスがナノマシンの研究を続けてくれている。それでも、俺の身体はもう持たない。」
言葉を発することもできないルリの横から、黒髪の少年が顔を覗かせた。 まだ幼いと言っていい年齢でナデシコCに乗艦しているということは、マシンチャイルドなのだろう。 あどけない顔が、困惑の色をたたえている。
『あ、あの……』
バイザーがないためほとんど目が見えないアキトが、新しい声の登場に気づいてちょっと首を傾げた。
「初めて聞く声だな。少女……いや、少年か?声のからするとラピスと同じくらいのようだが。君の名は?」
『マ、マキビ・ハリです。艦長はハーリー君と呼んでくれます!僕は艦長を尊敬してます!!』
真っ赤になって答えるのに、上から拳が落ちてきた。
『バカ、余計なこと言うなよ!……どうも、高杉三郎太です。』
後ろから長髪の青年が出てくる。先程倒れかかったルリを受け止めたのはこの男のようだ。 精悍な顔つきに、落ち着いた雰囲気。軟派な外見とは裏腹な、しっかりした男なのだろう。
まるでナデシコ時代のアキトとガイのようなやりとりに、アキトがにっこりと笑った。 アカツキが好きな、柔らかく優しい笑顔だ。 『黒の皇子』のイメージとは、あまりにかけ離れた、慈愛に満ちた微笑みだった。
「テンカワ・アキトだ。ルリちゃんが……うちの義娘が世話になっているようだな」
『あ、いえ、とんでもない!こちらこそ艦長にはいつもお世話になって……』
突如として世間話が始まろうとしたところで、三郎太がストップをかける。
『挨拶はとりあえず置いといて!……テンカワさん、あなたの身体が良くないってのは聞いてましたが……そんなに悪いんですか?』
どこから情報を手に入れたのかは分からないが、真剣な問いかけだった。 二人ともショックを受けるルリを見ていられず質問役をかってでたのだ。
「悪いな。天才イネス・フレサンジュがどうすることもできないくらいだ。さて、あとどれだけ生きていられるか……二年だったか?アカツキ」 何気なく発せられる確認の言葉は、重たい意味を持っていた。
「………三年……いや、四年だよ。四年は持つ。……持たせてみせる」
呻くような言葉に、アキトは申し訳なさそうに苦笑した。
「だ、そうだ。」
『にねん……』
サレナの中で同時展開されていた通信の音声は、ナデシコにも聞こえていた。
予想を上回る状態に、サブロウタが無言になり、ハーリーが絶句する。
四年というのは、実際はかなり楽観的な数値なのだろう。二年と言ったアキトのほうがおそらく正しいに違いない。 アキトとアカツキの僅かな会話から、それが分かった。
『なんで……なんでアキトさんがこんな目に遭うんですか……?戦争に巻き込まれて、誘拐されて、人体実験されて、……ユリカさんのことだって……!!』
がたがたと震えながら、泣きそうな声で答えがでるはずもない問いかけをするルリに、アキトは笑って言った。
「色々あったが、まあ悪くない人生だった。こんな身体にした奴にはそれ相応の復讐をしたし、いい仲間に恵まれた。結婚もしたし、娘だって持った。これ以上ないくらいの理解者もいる。俺が殺してしまった人や俺のせいで亡くなった人には、あの世で詫びるさ。……ご遺族の方には謝罪のしようもないが…」
誰も何も言えなかった。 アキトは客観的に見て、『悪くない』とはとても言えない人生を歩んでいる。
二人の会話は全艦隊にオープンになっていた。 聞いていた者の多くが、マスコミによって公開されたアキトの経歴を思い出す。
幼い頃に目の前でテロによって両親を亡くし、火星では木連の襲撃によってこの世の地獄を垣間見て、地球に飛ばされてナデシコに乗ってからは否応なしに戦争に巻き込まれた。 友人を死によって無くし、パイロットとして戦場に引き出され、戦争が終わって結婚式を挙げた直後に誘拐、人体実験、妻は遺跡と一体化されて、ようやく助け出したというのに、先程のルリの話ではアキトのことが分らないらしい。
復讐のためにその心身を闇に落としながらも、命を落とした罪なき人々を想って自分を責める。
そして彼はもうすぐ死ぬのだという。
『こんな馬鹿な話ってない……』
ついにルリの目から涙が零れ落ちた。ハーリーが心配そうにルリの顔を見上げる。
「まぁ、先のない命だ。好きにさせてほしい。」
微笑みを絶やさずに言うアキトに、ぽろぽろと涙を落としながら詰め寄る。
『せめて!!……せめて残された時間だけでも、私たちの所に……帰って、来ては……くれませんか……?』
「……ごめんね、ルリちゃん」
アキトの静かな謝罪に、ルリの目の色が変わった。
ぷつん。
何かが切れる音が聞こえたように、傍観していた三郎太の背筋に寒気が走った。
『……わかりました。口で言ってだめなら腕ずく、です』
ルリからブラックサレナへの通信が一瞬途切れる。
「ハーリー君!」
「は、はい!!」
「艦隊、まかせます」
「ぅぇぇぇぇええええええっっ!!??」
オロオロしながら見守っていたハーリーに理不尽な命令が下された。 パニック状態になるハーリー。 三郎太はイライラと髪をかきあげてから、クルーに指示を出し始めた。 ルリを止めるよりもやりたいようにさせたほうが時間が無駄にならないと踏んだようだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!」 「すいません、3分でいいです」
有無を言わせずコントロールを押し付けられた。
「ふぇぇん……」
半泣きになりながら大量のウィンドウボールにつつまれるハーリーをよそに、ルリは新たなウィンドウを開き始めた。 見る見るうちにウィンドウが増えていき、ハーリーを越えるウィンドウボールが形成される。
「……なんだ!?」
突然ブラックサレナのコントロールが利かなくなった。 計器が次々に点滅を始める。 勝手にナデシコCに向かってサレナが移動を開始した。
「そうか、システム掌握…ラピス!!」
(ラピス、状況は分かっているか?) (モチロン。もうカウンター仕掛けてる) (頼むぞ。ルリちゃんとオモイカネ相手はきついだろうが、ドックに戻るまではもたせてくれ)
(うん、ガンバル!)
気合の入ったラピスの返事と同時に、サレナが動きを止める。熾烈な電子戦が繰り広げられているのだろう。
「…くっ!」 電子の妖精ルリがこれほどてこずっているのを、ナデシコクルーは初めて見た。 めまぐるしく展開され消滅するウィンドウが、ルリの苦境を伝えてくる。
初めての強敵との戦いに、状況が膠着しているのを見て取った三郎太がブリッジを出て行ったのにも気づかなかった。
「テンカワ君、動かないサレナは棺桶だよ。ドックまで曳航していく」
不意にアキトのコミュニケにアカツキの通信が入った。 アキトがバイザーを掛け直す。 フライウィンドウが開く。どうやら今までずっと固まっていたサレナを護衛していたようだ。 サレナの通信が使えなくなったため、コミュニケを使ったのだろう。 機転が利く男である。
「すまないな。こんなことになって」
アキトもルリがこんな強硬手段に出るとは予想もしていなかった。 こうなると分かっていればナデシコが来る前にとっととドックに戻っていたのだが、今更言っても後の祭りだ。
「いいからいいから。ドックに戻ったらルリ君の目をかいくぐる方法を考えよう」
「ああ、よろしく」
周囲を警戒しながらアカツキのアルストロメリアがサレナに近づいたその時、ナデシコCからスーパーエステバリスが一機、真っ直ぐサレナに向かって飛んできた。
「艦長、面倒はとっとと済ませてしまいましょう!!」
ナデシコCのブリッジにそう伝える。 アカツキと同じく、動けないサレナを外から引きずってこようと考えたのだ。
「三郎太さん……すいません、お願いします!アキトさんを連れ戻してください!!」
「……アカツキ」
「分かってる。たぶんこちらに向かって撃ってはこないだろう。格闘になりそうだね」
「すまない、頼む」
「了解。しかしどうやって君を安全なところに連れて行こうかな。ここはまだ戦場なのに………っと」
アカツキは、攻撃してきた相手をいなし、背後に回った。 三郎太をひきつけながら、ドックに連絡をとる。
「……よし、うちのパイロットで手が空いてるやつが超特急で迎えに来るから、それまでちょっとだけ待ってね」
「解った」
素直に頷いたアキトを見て、アカツキがにこりと笑う。
「ん。おっと!彼、結構やるね」
「木連のエースじゃなかったか?確かテツジンに乗っていたような気がする」
「へえ、道理で!でもまあ、なんとかなるかな。ほら、お迎えが来たみたいだ。とりあえず僕は彼を引き離すから、君はドックに戻ってユーチャリスで逃げたほうがいい。ラピス君は準備ができているようだし」
「そうしよう。……結局、今回はあまり話しもできなかったな……」
「うん。でも次の機会があると思えば―――――――」
そう、アカツキが言いかけた時。
チャンスを狙っていた生き残りの積尸気から、ハンドガンが打ち出された。
狙いは、動かないブラックサレナ。 迎えに来ていたネルガルの機動兵器は、サレナを守るには僅かに遠く。 真紅のアルストロメリアが伸ばした手は、届かなかった。
「しまったっ……!!」
まるで何かの冗談のように。
全てをなぎ倒し圧倒的な強さを見せたサレナが、なすすべもなく被弾した。
「アキト君!!」 「アキトさん!!」 (アキト!!)
悲鳴を上げるアカツキとルリ、ラピス。
アカツキは即座に反転してサレナを引き寄せた。三郎太が積尸気に向かって攻撃を仕掛ける。
「アキト君、大丈夫かい?怪我は?被害状況は?」
コミュニケとサレナの通信と二重にアカツキの声が入る。どうやらルリがハッキングを停止したらしい。
(アキトアキトアキトアキトアキト!!!)
ラピスの悲鳴がリンクを通じて伝わってきた。 アキトを失う恐怖に怯える声。
「大丈夫だ、怪我はしていない」
一拍おいてしっかりとした返事が返ってきた。 固唾を呑んで見守っていた周囲も、再び通信を繋げたルリも、それを聞いてほっとする。 しかし、その直後にアキトの緊迫した声が続いた。
「アカツキ、すぐに離れろ」
「どうして!?」
「高機動ユニットがやられた。ジャンプ装置が暴走して……」
言い終わらぬうちに、サレナが見慣れた光を放ち始める。 数え切れないほどに見たボソンの光だ。
輝きは、不規則に点滅し、強まったり弱まったりと一定しない。 その不安定さが酷く危機感を煽った。
「まずい、ジャンプフィールドが形成される。アカツキ!」
「一緒に跳ぶ。僕もB級とはいえジャンパーだ」
「バカ、暴走だぞ!ランダムジャンプになる。どこに飛ばされるか……」
焦りを含んだ鋭い声を、穏やかな声が打ち消した。 何かを覚悟した者だけが持つ、強い響き。
「君がいないならどこに居たって同じことだよ。君がいるならどこだっていい。それこそ、因果地平の彼方でもね」
「何を……」
「僕は君の手を離さないと言った。これは僕の権利なんだ、二度と君を手放すものか!」
「っ……この……バカツキ!!いいから離れ……」
今にも泣き出しそうなアキトの言葉は、最後まで届かなかった。
一際強い光が視界を奪い
それが収まった時には、もう、そこには何もなかった。
ルリも、ラピスも、声をかける間もなく、アキトとアカツキは消えた。
「う……そ…………」
ランダムジャンプ。
ジャンプ装置によって遺跡へ送られるべきイメージが、なんらかの事象によって上手く送信されなかったことで起こる、ジャンプ事故。 この事故に遭った人間は、時間も場所もまったく意図しない場所へと跳ばされる。
果たして百年前に飛ばされるか、千年後に飛ばされるか……もしも遥か宇宙の彼方に現れたとしたら、機動兵器のエネルギーや酸素が尽きて、死んでしまうだろう。 それこそ、アカツキの言ったように、因果地平の彼方に飛ばされたかもしれない。 彼らがどこに行ったの探す術はなく。
この日、闇の皇子とネルガル重工の会長が永遠に姿を消した。
残された者の悲哀も、二人には届かない。
ただ、オモイカネβからの最後の通信だけが、全艦の通信履歴に残された。
『航天の無事をお祈りします・キャプテン』
確固たる自我のないβが、アキトがジャンプする時に発する、お決まりの文句。 だが、それは何かを暗示するかのように、見ていた者の心に残った。
二人は、二度と現れなかった。
多くの者の心に、消すことのできない傷跡を刻みつけ。
そのまま、消えうせた。
2004.09.18
後書き反転↓
信じられないことに、このナデシコ小説を読んでくださる方がいらっしゃいました。というわけで、さっそくお蔵入りしてた続きをUP! 掲示板に熱いカキコしてくださった、しお様、ありがとうございます。本当に嬉しかったです。あと、私のぶしつけなメールに日記でお返事くださった上、ナデシコSSの続きを気にしてくださった某サイトの管理人様(名前をお出ししてよろしいか分りませんので)にも、この場を借りて感謝を。
それにしても、ようやく逆行させられてホッとしています。 宣言どおり本当にありきたりな逆行方法ですが、この話はアカツキ×アキトというところこそがポイントですので、それ以外のオリジナリティーは希薄になるかと。頑張りはしますが。
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