――青い青い空と君のわがまま――




  ずっとずっと考えていた。

 本当はあの時、復讐なんか考えなければよかったのかもしれない。

 お義父さんやルリちゃんに、俺が生きていることを伝えて。
 ユリカの救出もナデシコの皆に手伝ってもらって。
 そうしたら、アカツキにばかり迷惑をかけずに済んだのに。

 あるいはあの時、遺跡を跳ばしたりしなければよかったのかもしれない。
 ナデシコクルーだけで勝手な判断なんかしなければ。
 ちゃんと公表してしっかり管理してもらえれば。
 
 そうしたら、こんなことにはならなかっただろうか。

 でも、もう全てが終わってしまったこと。
 過ぎてしまった時間は元に戻らない。
 通り過ぎた過去には帰れない。
 二度と、あの時には。










 アキトが意識を取り戻した時、その目に映ったのは、何処までも続く蒼穹の青空だった。
 
 (……仰向けに、横になっているのか。)

 ゆっくりと目をつぶり、もう一度見開いた。
 やはり青い空が見える。
 顔にそっと触れるが、バイザーは無かった。
 いつのまに外れたのだろうか。

 視覚補助もなしにこんなに美しい空を見られるわけがない。
 とすれば、これは幻か。
 

 だが、こんな幻覚なら悪くないと、アキトは思った。

 
 幻覚でもいい。こうしてまた自然な色の空を見ることができたのだから。
 夜の夢でさえ見ることができなかった綺麗なスカイブルーが、今、目の前で鮮やかに映し出されている。
 ただの青色の濃淡でしかないのに、まるで何かの映画のように劇的なそれ。


 高く遠く、宇宙へと続く空。
 
 そっと優しく頬をなでるそよ風。

 何処からともなく聞こえる鳥の囀り。


 長い間感じることができなかった、忘れようとしていた感覚に、アキトは涙が出そうになった。

 暖かい日差し、青々とした草の匂い。

 (これが死後の世界というものだろうか。………地獄にしては美しいが……)

 意識がはっきりと覚醒してからも、アキトは起き上がれなかった。

 起き上がれば自分の感じる全てが壊れてしまう気がした。

 本当はまだ自分は暗くて冷たい部屋に押し込められていて。
 目を覚ませば、ドアの外から近付いてくる足音に怯える日々が続く。
 アカツキの部下が救い出してくれたのも、自分に都合のいい妄想で。
 

 …………自分はもう、狂ってしまっているのではないか。


 現実とはとても思えないのどかな空気。

 何よりも、五感が戻っていることが、これは夢なのだと思わせた。

 意識が夢の中にいるのなら、自分の体は、どうなったのだろうか。
 相変わらず現実感のないままに、記憶の糸をたどる。
 




 そう、最初は月だ。

 火星の後継者の襲撃。
 ネルガルを囮にした連合宇宙軍の策略。
 ボソンジャンプによって現れたナデシコ。
 戦場でぐずぐずと無駄話をしていたせいで、身動きがとれないまま無様に被弾した。
 そして、暴走するジャンプユニット。


 ルリの涙、ラピスの絶叫、アカツキの笑顔。
 
 
 (アカツキの、馬鹿が)

 自分に付き合ってランダムジャンプなんて、自殺するようなものだ。
 馬鹿だと言いつつも喜んでしまった自分はもっと馬鹿なのだろうが。
 
 あの瞬間、枯れはてたはずの涙が蘇ったような気がした。
 それくらい嬉しかった。
 後に残す者のことが、頭から吹き飛んでしまうほど。

 (残してきてしまったラピスはエリナがいるから大丈夫だろう。だが、ルリちゃんは気に病んでいるだろうな………)



 そこで、ふと気づいた。



 アキトはランダムジャンプによって飛ばされた。
 



 では、その時一緒に飛ばされたアカツキはどうなった?




 ここがあの世でなく、幻でもなく、ジャンプアウトした場所だとすれば、アカツキも共にいるはずだ。


 巻き込んでしまった、誰よりも信頼している相手。
 アキトのことを最優先に考えてくれる貴重な人間。
 自分を労わることを知らないアキトに代わってその身と心を守ってくれた男。
 アキトにとって、何よりも大切な理解者。

 彼が、いない。

 アキトは勢いよく上体を起こし、周囲を見渡した。
 全てが崩れ落ちるようなこともなく、自分が夢から覚めるような気配もなかった。
 どうやら本当にこれは現実らしい。
 
 気が付けばどこかで見たことがある景色が目の前に広がっている。
 見覚えのある風景に、何処で見たのかと記憶をたどった。


 (………ああ、そうか。これは俺が初めて地球に来たときに、目を覚ました所だ)

 あの時は死ぬほど驚いたから、よく覚えている。
 火星を襲撃された日、無人兵器から逃れてジャンプアウトした場所。
 長い非日常の出発点はここだった。
 
 (地球にジャンプしたってことか………不幸中の幸いだな、何年後か……あるいは何年前かはわからないが。しかしなぜ五感が回復しているんだ?)


 疑問点を数え挙げつつ、人影を目で探す。

 いない。



 いない。



 アカツキの姿が見えない。

 サレナもアルストロメリアもない。

 
 視線を巡らせる度、アキトの不安が募っていく。
 顔色がみるみるうちに真っ青になった。
 こんな風に顔色を変えて誰かを心配したのは一体いつ以来だろうか。
 少なくともユリカを助け出してからはその覚えはない。


 周り全てを敵に囲まれようとも恐れることはなかったのに、人一人を失うかもしれないというだけで、目の前が真っ暗になるような恐怖を感じる。
 

 まさか。まさか。


 その先は考えられなかった。想像することすら恐ろしい。



 立ち上がって視点を高くし、再度周囲を見渡した。

 
 いない。

 何処にも見当たらない。
 感覚を研ぎ澄ましても気配を感じない。
 それでも、震える声で名を呼んだ。




 「アカツキ……?」



 返事が無い。

 気配もない。

 言い知れぬ恐れに身体が震え、カチカチと歯が音を立てる。
 まさか、まさか、まさか。

 両親を、故郷を、親友を、ユリカを、失ったように。

 また、失うのか。


 「アカツキ、返事を……」



 ただ言葉が頭の中でぐるぐると回る。
 今アカツキを失ったら、アキトは間違いなく壊れるだろう。
 もう、これ以上の絶望には耐えられない。

 目の前が暗くなる。

 

 「………っアカツキッ!!」



 喪失の恐怖に慄きながら、再度その名を絶叫した時。
 後ろから強く抱き締められた。



 「呼んだかい?アキト君」



 軽い、けれども優しい口調。 
 耳慣れた声。 
 暖かい腕。



 ここしばらく見せることのなかった晴れやかな笑顔で振り返ると、



 アキトは、力一杯アカツキの頭に拳骨をお見舞いした。  


 









 「………つまりだね、場所が違ったんだよ。君が現れたのがココ、僕が現れたのはネルガル本社。どうも僕と君の出現場所はちょっとずれたらしいね」

 「ふん。………で?」
 

 アキトは気が済むまでアカツキを殴った後で、なぜあの場所にいなかったかの釈明を求めた。
 緑の草の上にどっかりと腰を下ろして、男二人が膝つき合わせて談合する様は珍妙だが、本人達は大真面目だ。

 アカツキが涙目で頭をさすりつつ、上目遣いにアキトを見る。
 アキトは偉そうに腕を組んで、さっさと話せとばかりに、あごで促した。
 憮然としている。
 

 「僕の意識が覚醒したのは、本社の会長室だった。状況が分からなかったし、君がいなかったんで一瞬パニックになりかけたんだけど、すぐに服装に気づいてさ」

 「服装?」

 
 言われてみれば、アキトもごく普通の洋服を着ている。
 黒ずくめの姿とはまるで違う一般的な服だ。
 今まで気づかなかったということが、アキトの動揺の激しさを窺わせる。
 落ち着いてみれば、すぐに気が付いたのだ。


 「そう、スーツ着てたんだよ。で、まさかと思いつつ鏡を見たら髪も短いし」
 
 「鏡……ああ、会長室の壁にかかっていたな」

 「うん。こりゃとんでもない事だと思ったね。体は昔、頭は今だもん。いや、未来になるのかなぁこの場合。体は現在、頭は未来。大昔の漫画みたいだね」

 「……つまり、意識だけが過去にジャンプしたと?」


 
 アカツキの仮説はこうだった。



 遺跡にまともにアクセスできずランダムジャンプすることになった時、二人とも過去に戻ることを深層意識下で望んでいた。


 「僕は前々から、ナデシコ出航前からやり直せればいいのにと思ってたんだよね。だからあの時もそう思った。多分テンカワ君もそうなんじゃないかな?」

 「……俺は、多分火星襲撃の時だな。お前を止められず光に包まれた直後、過去を回想したような気がする。……自信は無いが」

 「あの状況じゃ無理はないよ」

 
 『あの時に戻りたい』という、心の底から出た切実な願い。

 それが不完全ながらも遺跡に伝わり、ジャンプ先が選択されることになる。
 だが、正しくアクセスできなかったために、具体的な行き先がイメージとして伝達されず、今までのアクセス記録から希望に近い場所を自動的に選出することとなったのではないか。

 
 「コンピュータでもあるでしょ。検索した条件に該当するものが見当たらないので履歴から一番近いものを表示しますとか」

 「あの時のジャンプがその状況だったと?」

 「そうなんじゃないかなーと思ってるだけだけどね」  


 この時点で、アカツキには自発的な生体でのジャンプ経験がない。
 よって、A級ジャンパーで単独生体ジャンプの経験がある、アキトの意識と記憶が優先され、アキトの初ボソンジャンプの時期まで時間を遡った。

 『ナデシコ出航前』で、『木星蜥蜴襲来』の日。

 条件はあっている。
 ナデシコよりも火星襲撃の方に日付が偏っているが、ジャンプ経験のないアカツキはアキトの希望に引っ張られたのではないだろうか。
 そう考えればつじつまは合う。

 あくまでもこれらのことはアカツキの推測だ。
 イネスに聞きかじった知識や、アキトと共に勉強したジャンプに関する理論は、専門家には遠く及ばない。
 だがそれを聞いていたアキトは、身贔屓が入っているにしても的外れとはいえないような気がした。
 少なくとも、理屈をつけることによって落ち着きが増しただけ、アカツキの仮説は無駄ではないだろう。


 「ようするに、過去に戻りたいっていう希望だけがかろうじて届いて、一番古い履歴を参照したっていうか……。僕はそもそも生身でのジャンプ履歴がないしね。だから、ジャンプアウトの時代もアキト君優先だったんじゃないかな」

 「なるほどな。しかし、会長室からどうやってこんな短時間で 来ることができたんだ?それに、まだ疑問が一つ残っているぞ。なぜ若返ったのか。いや、過去に来たにもかかわらず、未来の俺の身体がないのか。」


 アキトが倒れていた場所は、ネルガル本社からかなり遠いところだ。
 先ほど見回した時に車その他の乗り物は見えなかった。
 どんな交通手段を使っても、アキトと同時にジャンプして会長室で覚醒したとしたら、この時間にここに来ることはできない。
 アキトが呆けていた時間を差し引いてもまず不可能だ。
 そして、身体の異常。
 この場合は若返ったというべきか、それとも脳だけがタイムスリップしたというべきか。
 どちらにせよ不可解な現象である。
 
 しかしアカツキは当然の疑問に沈黙で応え、黙って手の甲をアキトの眼前に差し出した。


 そこには今まで見たこともないような紋様が浮かび上がっている。
 パイロットのものともオペレータのものとも違うナノマシンの輝き。
 

 複雑だが、美しい意匠だった。


 「IFSが……変質している!?」


 アカツキは驚くアキトの手を取って、自分の手と並べて見せる。

 同じ紋様だ。

 通常ではありえないそれに、アキトは困惑した。
 アキトのIFSは、実験中に投与されたナノマシンによって形状と能力が変化していたが、それともまた違ったIFSだった。
 こんな紋様に見覚えはない。
 黙りこむアキトに目をやって、アカツキは静かに仮説の続きを語り始めた。
 

 「これは本当に仮説というか、もはや想像でしかないんだけど、僕らが身体なしに意識だけジャンプしたのは、これのせいじゃないかと思うんだよね」

 「IFSのせいだと?」

 「うん。IFSっていうより、ナノマシンのせいだと思う。……まあ、若返ったのはありがたいし不満もないから、べつにいいんだけどね」

 「随分あっさりと言うな」

 「こればっかりはさっぱり理屈がつけられなかったからさ。まあ、ジャンパーの身に何かあればたいていナノマシン関連だし」

 そもそもジャンパーになるためにはナノマシンを注入しなければならないのだから、結局そこへ行き着くのは当然のことだ。

 「それはそうだが、いいかげんな奴だな……」

 「まあまあ。……で、だ。若返ったことよりも僕が気になったのは別のことなんだ」


 自分のIFSを指でなぞりつつ、考えをまとめながら話す。


 「過去に意識が飛んだと仮説を立てた僕は、すぐ日付を確認したんだ。そうしたら、今や………じゃなかった、未来じゃ歴史の教科書にも載っている木連による火星襲撃の日だ。」

 「覚えてるのか。」
 
 「当然。記憶力には自信があるよ。で、君が結婚する直前に、ここに連れてきてもらったことがあったろう?自分が火星から飛んだ場所だって言ってさ」

 
 まだアキトが佐世保近辺で屋台のラーメン屋をやっていた頃だ。 
 仕事から脱走してラーメンを食べにきたアカツキと、夜道の散歩をした。

 珍しくユリカもルリもいない、月の明るい夜だった。

 確かにそんなことを言った。
 いつになく感傷的な気持ちで、珍しく火星の話をした時だった。


 「そんなこともあったな………本当によく覚えている。随分前だろうに」


 感心するというよりも呆れているような口調だ。

 アカツキはただ苦笑する。
 空白の三年間、数々の事件を乗り越えても消えなかった記憶は、こんな他愛ないものばかりだった。
 ほんのちょっとだけ幸せになる日常の一コマが、とてもとても大切だったのだ。 


 「まあね。日付と僕のいる場所から、もしかしたら君はここにいるんじゃないかと思って。ものすごく自分に都合のいい予想だったんだけど」

 「だが、俺は実際にここにいた……」
 
 「うん。でも僕はそれを知らなかった。ここで会う君は僕と同じ時代のアキト君じゃないって可能性もあったけど、とにかく居ても立ってもいられなくて。全速力でここに行かなきゃ!と思ったら………ジャンプしたんだ」


 アキトは『ジャンプ』の言葉に愕然とした。



 「……な……バカな!お前はB級ジャンパーだろうが!!」



 生体ジャンプで自分の行きたい場所へと行くことができるのはA級ジャンパーのみ。
 つまり、火星で一定期間以上を過ごした人間だけだ。
 少なくとも、あの時代に火星出身者以外のA級ジャンパーの存在は確認されていない。

 そして、未来のアカツキはB級ジャンパーだった。
 火星大戦以前に何度か旅行やら仕事やらで火星に行ったことはあるようだが、せいぜいがところ長くて半月の滞在で、検査をしたところ、ナノマシン処理をしなければジャンパーにはなれなかったのだ。
 人為的にジャンパーになるには、当時の技術ではB級が限界。
 B級からA級へのジャンプ能力の格上げなど聞いたこともない。


 「なんでかはさっぱり分からない。そもそもCCを使わなかった時点でおかしいよ」

 「CCを使わない……?それはもう……A級ジャンパーですらない……!」


 途切れ途切れに言葉を紡ぐアキトとは対照的に、アカツキは淡々としている。
  

 「僕がIFSの異常に気づいたのはジャンプ直後だったんだ。考える間もなくジャンプしちゃったし。ちらりと手を見て、あれ、なんか前と違うなーとは思ったんだけど、気が付いたら君がいたし、実はよく確認する暇もなかったんだよね」

 わけが解らないまま、自覚もなく跳んでしまったというところは、アキトの初めてのジャンプに似ているかもしれない。
 火星から地球へのジャンプ。未来から過去へのジャンプ。
 ありえるはずのない、B級ジャンパーの単独ジャンプ。
 その全てがこの場所に繋がっているというのは、アキトの記憶という理由があったとしても因果めいたものを感じさせた。


 「……よく冷静でいられたな。俺のIFSにも気づいたようだし」

 「冷静ってのはちょっと違うね。君のことに気をとられてたから、それ以外どうでもよかったんだ。確かにちょっとは驚いたけど、光に包まれた時にはラッキーと思ったね」

 「無茶苦茶だ」

 「ハイになってたんだよ。ついでに言うと、そのIFSが既存のものじゃないって確信も、なかったんだ。ただ、アキト君もIFSを持っているし、比較対象になるかなーと」

 「なるほどな。比べて見せようとしたら、俺のIFSも同様に変化していたのか……」

 「僕もビックリしたんだけど、君の驚きようを見てたらなんだか落ち着いちゃったよ」

 「慌てて騒ぐよりはいいんだろうが……」 

 「うん。で、ナノマシン関連なら君のほうが詳しいだろ?なにか分かることがある?」

 
 かつて感覚障害が判明した初期段階で、アキトは味覚と嗅覚を取り戻すためにあらゆる手をつくした。
 イネスと共に検査につぐ検査を繰り返し、自らもそれなりの技術や知識を身に着けている。
 治療の手がなくなり絶望してからは、もっぱら復讐に有効利用できる科学、工学の分野にのめりこんでしまったが、専門の研究者には遠く及ばずとも、その辺の大学生程度のレベルには達している。

 アキトはまじまじと自分とアカツキのIFSを眺めた。

 「俺の知る範囲では、こんなIFSを見た覚えはないな……」

 「心当たりは全然なし?」

 「ああ。イネスならば知っているかもしれんが、少なくともパイロット用やオペレータ用とも違う。ナノマシン過剰投与で汎用になってしまった、以前の俺ものとも違う。きちんと調べたわけではないから断言はできないが、おそらくナノマシン自体の形態も変わっているだろう」

 「やっぱりね……。現在分かっている限りでは、B級ジャンパーをA級に変え、CCなしでのジャンプを可能にする作用がある……ってとこかな。僕が跳んだのはこれのせいだろうから」

 「そうだな。それ以外の可能性は、俺には考えられない」

 「パイロット、もしくはオペレータとして使えるかどうかは調査しないと分からないけど、僕の勘では多分大丈夫だと思うんだよね。元々アキト君のIFSはその機能もあったことだし」

 「本格的に調べるまでは保留か。それにしても、とんでもないことになったな。」

 IFSが変異している。
 それは、ナノマシンが変異しているということだ。
 何も言わずとも、二人とも同じ事に思い当たった。
 

 かつて類を見ないA級ジャンパーによるランダムジャンプ。
 アキトに引っ張られる形でジャンプアウトしたアカツキ。
 同じ時間軸に現れた二人。
 二人とも同じ形態に変異したIFS。
 変わってしまったナノマシン。



 原因は誰か。

 こうして並べ立てられれば子供でもわかる。
 アキトは暗い表情で、下を向いた。

 「すまない。俺のせいだ。……これでお前は、俺たちA級ジャンパーと同じ……いや、それ以上のリスクを背負うことになってしまった」

 A級ジャンパーのリスク。
 それは、ジャンプ実験の被験者としてつけ狙われるという危険だ。
  特殊なナノマシンを持ちCCなしで生体ジャンプをする、いわば超A級ジャンパーの二人ならば、その危険は否応なしに跳ね上がることになる。


 相手は木連、後の火星の後継者だけではない。
 ネルガルのようにジャンプによって利益を得ようとする企業や、軍。はては政府さえもがその技術・体質の秘密を欲しがるだろう。
 未来の、ある程度のジャンプ技術が確立している時でさえ危険度は高かったというのに、まだボソンジャンプの存在自体が一般的でないこの時代だ。
 しかも戦争の最中で、新しい軍事技術の獲得に地球も木連も血眼になっている。
 アキトはもとより、アカツキのようにごく普通の一般人からジャンパーになった人間がいると知れたら、どんなことになるかは火を見るより明らかだ。


 かつて火星出身者を襲った誘拐や人体実験の危機が、更なる激しさでその身に降りかかる。

 だが、沈み込むアキトに、アカツキは微笑んで言った。
 その声に責める色はかけらも見つからない。


 「謝らないで欲しいな。僕は自分で君と行くことを選択したんだ。……そういえば、体が戻ってるってことは五感も回復してるんでしょ?」

 「……ああ。もう一度自分の目で世界を見ることができるとは思わなかった。」

 「うん。なら、よかった」


 まるで自分のことのように嬉しそうに笑うアカツキに、アキトが食って掛かる。


 「よくない!お前が……」

 「それ以上言ったら怒るよ?何もかも自分のせいだと思い込むのは、僕の決断を侮辱するのと同じことだ」

 笑顔のままでぴしゃりと撥ね付けられ、絶句した。

 「なっちゃったものはしょうがないし、いい面を見ようよ。嬉しいなら素直に嬉しいと言いたまえ」 


 ぽふぽふと、まるで子供にするかのように頭を叩かれて、アキトは黙って頷いた。
 言うべき言葉が見つからなかったのだろう。
 17歳にまで若返ったせいか、何気ない動作が不思議と幼く見える。
 俯くアキトに、畳み掛けるように問うアカツキ。


 「嬉しくない?」

 「………」

 「君が嬉しいなら、僕も嬉しいんだけどね」

 「………」

 「どうかな?」

 一瞬の間の後、アキトが答えた。


 「…………うれ、しい……」


 鍛える前の、成長しきっていない軟弱な身体だが、五感が損なわれていないだけで充分だった。
 体中に走っていた無残な傷跡も、今はまだ一つもついてない。

 心の傷は消えないが、戻った分だけ傷を癒す時間は増えている。

 IFSだけがあの頃と違うが、失われたはずの感覚が蘇るのは、掛け値なしに涙が出るほど嬉しかった。


 ようやく素直に喜びを認めた、その心に沿うように、まだ僅かに幼さの残る顔が、ふわりと笑みを浮かべる。
 淡い微笑みが、過去に戻ってさえ身にまとっていた鋼のような空気を溶かした。


 それを見ていたアカツキもまた、優しい笑顔を浮かべている。
 この笑顔を見ることができるなら、超A級ジャンパーとしての危険も甘んじて受けよう。


 「うん。本当に、よかったよ。それに、僕的には君と一蓮托生っていうのは願ったり叶ったりだし」

 「どうしてだ?」

 「だって君と同じ立場にならないと、君は自分だけ危険な場所に突っ込んでいってしまうじゃないか」

 「それは……」


 とっさに否定できない。
 例え同じ立場に立てたとしても、アカツキのように目端が利かなければアキトは隙をついて飛び出していってしまうだろう。
 そういうどこか不安定で目が離せないところも、初めて会った時からずっと変わっていない。


 「どうも君はすぐ忘れてしまうようだから言っておくけど、一人でできることには限界があるんだからね?」

 「そんなことは分かっている」

 「分かってないよ。知ってるだけだ」

 アカウツキの口調がすこし強くなった。

 「………技術者としてならウリバタケ君が1番だし、科学者としてならイネス君。裏社会のアレコレに一番詳しいのはプロス君だし、企業間の取引や駆け引きなら僕やエリナ君のほうが得意だ。君一人で何もかも背負い込んだって却って効率が悪いだけだよ」


 手厳しい言葉に、沈黙で答えるアキト。

 そしらぬ顔でそっぽを向く様子に苦笑してから、アカツキは仕方なく話を変えた。
 これ以上言ってもどうせ聞き耳を持たないのだ。


 
 「そろそろ場所を移そうか、今後の方針も決めたいし。とりあえずは本社でいいよね」
 
 「それはいいが……お前、金持ってるのか?」


 「……あ」



 アカツキのゴールドカードが入った財布は、会長室のデスクの中で、黙って主人の帰りを待っていた。










 「なんでこう、ここぞという時に格好よくキメられないんだろう………」

 「まだ愚痴ってるのか?」

 言い訳が思いつかなかったために迎えも呼べず、五感が戻ったアキトがジャンプを嫌がったため、結局移動にはアキトの財布に入っていたなけなしのクレジットを使うはめになった。
 通りがかりに役所で身分証明書を発行してもらったせいで、財布の中は小銭が一つ二つ入っているばかりだ。

 アキトに金を使わせたのがよほど気に入らないのか、ネルガル佐世保支社についてから随分経つのに、アカツキはまだ渋い顔をしている。
 『アキト君の財布』を自認している身としては、不本意極まりないといったところか。 

 
 「うー…この埋め合わせは必ずするからね……」

 「これから先はほとんどお前に頼ることになるんだ、気にすることはない」


 宥めるように声をかけるアキトは、逆に随分とすっきりした顔をしている。
 
 辛い目に遭いすぎたせいで平坦になってしまった口調に、ほんの僅かだが抑揚がつき始めている。
 過去に来てから、自分の目で見て、自分の耳で聞いているせいだろうか。
 
 かけられた言葉にようやく頭の切り替えができたのか、会長室のデスクでアカツキが端末を操作しはじめた。
 アキトはその隣でアカツキの椅子に寄りかかってウィンドウを横目で見ている。

 まるでいつもそうしているかのような自然な雰囲気だったが、お茶を運んできた受付嬢は、見たこともない若い来客者に小首をかしげていた。
 
 「……………よし、この後の予定は全部キャンセルしたよ。この部屋もロックした」

 「この時期のお前と敵対していた奴等の『耳』があるんじゃないのか」

 「社長派?盗聴器にはダミーを流してるよ。心配ない」

 「そうか。なら、話を進めよう。……とにかく今後どうやって二度目の歴史をすごすか、だ」

 「って言ってもねぇ。アキト君はどうしたいの?」

 
 アカツキが最優先するのはアキトだ。その希望を聞かないと動きようがない。
 目線で促され、少し間を置いてから、アキトが呟いた。




 「…………火星を………もう、あんな荒地のようにはしたくない………」 




 思いのほか小さい声だった。

 「火星は、いいところばかりではなかった。ネルガルで言うのもなんだが……父さん達が死んだのも火星だし、孤児になってからは辛いことも多かったしな。……でも、あそこは俺の生まれたところで……とても綺麗な場所だったんだ」

 「うん……僕も大戦前に何度か火星に行ったことがあるから、分かるよ。景色のいい所が多くて、どこの街も活気があった」

 ユートピアコロニーだけで 100万の人間が暮らしていたのに、ナデシコで再び訪れた故郷には、瓦礫だけが重なっていた。
 地下に篭ってかろうじて生き延びていた人達の荒んだ目を思い出して、アキトは強く拳を握り締める。



 人の営みの『跡』だけが残った廃墟。
 街は、もう街ではなくなっていた。



 戦争の最後には遺跡確保のため、アカツキも火星に行った。だからアキトの気持ちは少なからず理解できる。
 あの時はそれどころではなかったが、けして周りが見えていなかったわけではないのだ。
 そこがどんな有様になっていたのか、忘れようとしても忘れられない。

 自分の暮らしていた場所があんな風になったら、どんな思いがするのか。
 アカツキには想像することしかできないが、アキトの気持ちを考えると胸が痛んだ。
 ユリカを救うため、自分の復讐のためという行動の根底に、故郷をボロボロにされた恨みが流れていなかったとは言い切れない。
 アキトは口に出さなかったが、きっとずっと心のどこかに引っかかっていたのだろう。

 
 「2億の人間が火星で生活していた。ごくごく普通に学校に通ったり、会社に行ったり。辛いことがあったら泣いて、楽しいことがあったら笑って、なんの変哲もない毎日を過ごしていたんだ。それがたった一日で崩れ落ちた」

 「うん……」

 「もう元に戻すことはできないだろうが、せめてあそこをもう一度人が暮らせる場所にしたい………いや、そのための手伝いが、したい」


 火星生まれの火星育ちであるアキト。
 
 生まれ育った愛する故郷は、ナノマシンの輝きに彩られた美しい星だった。

 未来では更地になっていた、懐かしのユートピアコロニー。
 記憶の中にしかないあの場所。


 父と母の眠る星は未来でさえも無残な姿を晒し、アキトの復讐が終わった後も、住む者とて居なかった。


 しかし、アキトにとって火星は自分の拠り所だ。
 人生の大半を過ごした所であり、父と母と共に過ごした幼いころの思い出が、そこには残っている。
 見捨ててしまった星。
 

 そもそも、アキトがナデシコに乗ったのは、ナデシコが火星に行くと聞いたからだった。




 「うん。いいよ。アキト君がそうしたいなら、僕が反対する理由はない。できる限りの手を尽くそう」
 
 「……おい、そう簡単に決めていいのか?お前の立場ってものもあるだろうに」

 「僕の立場なんかどうでもいいよ。木連の襲撃はもう起こってしまったから、せめて生き残った人を助けたいよね。できれば復興の算段もしたいし」

 「随分と積極的だな」

 「そりゃあ、ねえ………」


 (こんな風に前向きに生きる目的を見つけてくれるなら、僕はなんだってするよ)

 ネルガルなんかより君のほうがよっぽど大切なんだから、とアカツキは苦笑した。

 言葉に出しては言わない。
 よくそんな台詞が出てくるものだと呆れた顔をされるだけだ。

 言わずにしまった気持ちは後で行動で示せばいい。
 

 「君が我侭言ってくれるなんて早々ないことだし、むしろ僕は嬉しいけどね」


 我侭というには余りにも大きすぎる願いだったが、アカツキがアキトの希望を叶えないはずがない。
 ずっと死に向かって歩き続けていたアキトが、ようやく立ち止まって前を向いた。
 できるはずがないと思っていた『やり直し』のチャンスが、ここにある。
 ここから先、前に向かって歩き出す彼の隣は、誰にも譲らない。
 

 アカツキはアキトの顔を見てから、力強く微笑んだ。 

  








 「とにかく火星に行くまでは消極的に係わりを持って、蜥蜴戦争の山場をやりすごしてから火星住民を迎えにいくとか………無理かな……時間もかかるし……」

 「お前の会社のこともあるから、完全に戦争から手を引くのは無理だろうが、本当に火星に行ってもいいのか?」

 「まだ気にしてるの?とりあえず企業として、火星に残留している住民を救助するのはマイナスにはならないよ」

 「だが、費用が………」

 「費用はともかく、新型機動兵器、新型戦艦、相転移動力炉、新兵器、新型AIの運用データを一度に採って、優秀な科学者を救出する。軍にたいしても民間にたいしても宣伝になる」
 
 「それならいいが、無理ならちゃんと言ってくれ。どうも俺は鈍いらしいから」

 「ははは………うん。ちゃんと言うよ。大丈夫」

 「どうも不安だが……まあいい。さっきの火星の話に戻るぞ?火星に行くまで消極的に関わると言っても、どうしても土壇場で結局首をつっこむことになるような予感があるんだが………」

 「……うん……でもまあ、その時はその時ってことで。とにかく何があっても対処できるように、準備しておくくらいしか対処法が思いつかないし」

 「準備か。そうだな」

 「コスモス……ナデシコ2番艦のコスモスなら、今から手を加えて徹底的に改造すれば、救出用の艦としては悪くないんじゃないかな」

 「ああ、コスモスか。ナデシコ時代に見たな……たしか、お前と最初に会った時だったか」

 「そう、あれだよ。大量の人員を輸送するならナデシコよりもあっちのほうがいいかも」

 「つまり、ナデシコを使わないということか?歴史をそんなに変えていいものだろうか」

 「さてねぇ……どうなるか想像もつかないけど、最悪でも、僕はテンカワ君が無事ならそれでいいんだ」 


 たとえナデシコクルーを犠牲にしてもね、とアカツキは心の中で呟いた。

 椅子に寄りかかるアキトが、腕を組んで考えこむ。
 目の前のウィンドウにはスキャパレリ計画の概略が映し出されていた。
 

 「とにかく、問題はナデシコなんだ。あの船はどうあがいても蜥蜴戦争に絡まずにはいられない。性能はもとより、クルーの性格がアレだからな……」

 「うん。どうしたものかなぁ」

 「ナデシコは色々と事件も引き起こしたが、蜥蜴戦争終結の立役者でもある。あの艦の存在がなければ未来の記憶も役に立たないほど、歴史が激変するだろうな」
 
 そもそも、アキトにとってもアカツキにとってもナデシコは特別な船だ。
 人生の転換点となった、我が家とも思える場所である。

 しかし同時に、ナデシコ乗艦はアキトの不幸のきっかけでもあった。
 あの時から戦争の歯車に巻き込まれたということを、アカツキは知っている。

 (アキト君は、きっと乗りたくないだろうね)

 扱いに悩むところだ。
 
 既にナデシコ、識別番号ND−001は、建造が開始されている。
 さらに、ナデシコを用いたスキャパレリプロジェクトは、アカツキが今は亡き兄から引き継いで、会長派の威信をかけて強引に打ち出した計画である。


 生半可なことで止められるものではない。


 「とにかく出航を遅らせて、その間に木連の存在を明るみに出そうか。やっぱりテロにでも見せかけて壊すしかないかな。オモイカネの搭載前に仕掛けて、コスモスと二隻で火星へ行くとか……」

 「まて。別に壊さなくてもいい、このまま完成させてしまおう。」

 「え?」

 
 驚くアカツキに、アキトは静かな目を向けた。


 「史実どうりにいこうと言ったんだ。」
 
 

 ナデシコ出航時、スキャパレリプロジェクトの表向きの目的は、火星に残った住民の救出だった。
 だが、結局イネス以外には誰も救うことができず、むしろ止めを刺しに行ったような有様。
 一時的に火星を離れるなどして、かろうじて難を逃れた者も、北辰や山崎の手にかかり非業の死を遂げた。


 やり直せるからには、今度こそしくじらない。


 「もう、あんな思いはしたくない。あんなものは見たくない。………子供のような駄々だな。」

 「それは人として当たり前のことだよ。駄々なんかじゃない。僕としては君にもっと我侭を言って欲しいくらいだ」

 「そんなことを言うのはお前くらいだ。………同胞を見殺しにしないために、史実を知っているというアドバンテージをできる限り生かすべきだ。アカツキが手を貸してくれるならば、俺はナデシコに乗ろうと思う」


 静かに訴えるアキトの願いを、アカツキは黙って聞いていた。


 「確かにナデシコに乗るというのは、心理的負担が全くないとは言えない。だが、乗ってしまえば既に一度経験した事件が続く。歴史を知っている人間が同乗していれば、それを最善の方法ででクリアできる。」

 「それによって歴史が変わったらどうするの?」

 「お前がさっき言っただろう。タイムスケジュールが変化してもいいように、今から準備しておくさ」

 語る言葉は理性的だ。

 「連合宇宙軍の方へ徹底的に根回ししておけば、ビックバリア辺りはかなり楽に抜けられるはずだし。トビウメの件も、さらに上の方へ渡りをつけて置けばいい」

 「……まあ、そういうのは僕の得意分野だけどね」
 
 「戦闘がらみは、俺が乗っていれば八割方は片付けられると思う。出来る限りのことはする。だから……」


 口ごもるアキト。だが、その先は聞かなくとも分かった。
 伊達に長い付き合いをしていない。

 アカツキはアキトの真剣な顔を見て、少し微笑み。
 ゆっくりと力強く、頷いた。










 「人手が欲しいな。」


 端末に呼び出した火星支社・研究所の備品リストを覗き込みながら、アキトがポツリと口にした。
 やることは沢山あるのに、圧倒的に手が足りない。


 「そうだねぇ、誰を巻き込もうか。・・・とりあえずプロス君かな。彼はテンカワ夫妻の知己だし」

 「有能だし、信頼できる相手だ」 
 
 「うん。考え方も柔軟だから僕らのことを信じて協力してくれると思う。なにより、彼は裏社会でも有数の実力者だからね」

 仲間になってくれない可能性が低いというのもポイントだった。

 プロスペクターには負い目があるのだ。
 テンカワ夫妻の暗殺を止められなかったという過去が、プロスペクターをアキトの味方にしてくれるだろう。
 あまりキレイな手とはいえないが、もし協力を渋ったら罪悪感を煽ってやるつもりだった。
 それでもダメならその時は、アカツキが権力を使うかアキトが実力行使にでるか、だ。

 
 「プロスペクターが居てくれれば心強い。できればイネスにも一枚噛んでもらいたいな。今火星にいるはずだから、あちらで動いてもらえる」

 「向こうで?なるほど、道理で備品なんか気にしてると思った」

 アキトが先ほどから見ているのは、ネルガルが所有している火星の施設、設備等の一覧だ。
 ウィンドウがすさまじい速さでスクロールしていく。
 マシンチャイルド並みの情報処理能力だ。

 「非常用物資を配布して貰おうかと思ってな」
 
 「ああ、それは結構豊富にあるはずだよ。備品台帳を呼び出してごらん。」

 アカツキが少し手を出して、ユートピアコロニーに近いネルガルの施設を一つ選び出した。
 いくつかウィンドウが増え、そこで管理されている備品や物品の表が現れる。

 なるほど、非常用の食料や薬の類はかなり備蓄がある。

 「折角だからネルガルではなくお前の個人名で提供できないか。設定としては、そうだな……地球からの最後の民間通信で、不特定多数の人間に呼びかけるという形で」

 「……で、その通信の発見者としての役割をイネス博士に任せるわけか。いいんじゃないの?」

 「かまわないか?」

 「彼女ならネルガルの職員だし、僕の通信記録見たっておかしくない。火星に住む人間のためになるなら、やってくれるでしょ」

 「だろうな」

 
 火星で生まれ育った彼女ならば、復興の為にできるかぎり手をつくしてくれるはずだ。
 無人兵器の襲撃はいわば木連、地球間の諍いのとばっちりだが、イネスのように理性的な人間なら、不毛な復讐よりは住民の安全や原状の回復へと天秤が傾く。

 現実的で適切な状況判断ができる人材というのはなかなかに貴重である。
 

 「なんか、サレナを作ってたころのメンバーになってきたね………とするとウリバタケ君も必要かな。火星に行くためには欠かせない人材だし」

 「ああ、そうだな。巻き込むのは気が引けるが、誘うのは簡単だと思うぞ?俺達の知る限りの新技術を教えて、『好きなだけ改造できる職場』を紹介するんだ。その代わり、ナデシコに乗ってくれと言えばいい」

 一瞬二人の頭に、不気味に眼鏡を反射させてにやりと笑うウリバタケの姿が浮かんだ。
 どちらともなく深い溜息をつく。

 ウリバタケは、大企業ネルガルでさえ並ぶものがないほどに腕がいいエンジニアだった。
 また、妻子がいる為か、ナデシコにしては珍しく大人の分別と観点を持っている。普段はおちゃらけていたりするが、シビアに現状を把握できる得難い人物でもある。
 アキトにとってはアカツキに次ぐ、プロスと同じくらい信用の置ける兄貴分だ。


 が。


 いかんせん初期からのナデシコクルーらしく『性格よりも能力』の特性を遺憾なく発揮してくれる、少々問題行動の多い人物なのだ。
 恐妻家で、女好きで、基本的に女性に弱い。
 分解、改造となると歯止めが利かなくなり、イネスと比べても引けをとらないマッド振りをご披露してくれる。  
 
 「あー……きっと大喜びで飛びついてくるだろうね……」

 「それこそやりたい放題にやってくれるだろうな……エステ1台与えて、サレナの設計概略図作って渡しておけばいい。出所は俺の両親あたりってことで。」


 それでもまだ不安だが、少しは被害が減るだろう。
 

 「それくらいでブレーキになるかなぁ………ま、連絡をとっておくよ。プロス君には僕が話しておくから、イネス博士には君が連絡をとってくれるかい?」
 
 現在イネス・フレサンジュは火星にいるはずだ。
 本人が以前、数日の間表にでなかったと言っていたから、おそらく何処かに避難し立て篭もっているのだろうが、その場所がいったいどこであったのか、残念なことにアキトもアカツキも聞いたことがなかった。
 

 「火星か。ユートピアコロニーのシェルターにいるだろうか……」

 「いや、多分まだ研究所にいるんじゃないかな。あそこの地下シェルターは戦争後も残ってたし、コロニーのシェルターへ向かうには一度地上に出なきゃならない」

 「彼女は慎重だからな。それなら、あと2,3日は研究所の地下を拠点として情報収集するだろう」


 はたして研究所で生残った者が何人いるか。
 イネス以外の生存者を見込んで、アキトはバイザーを付けていくことにした。
 
 このバイザーには、特に何か機能がついているわけでもない、値段は高いがその辺で売っているような物だ。
 たまたまアカツキが、アキトが未来で使用していた物と似たデザインのバイザーを持っていたのである。
 ………スキー用だったが。 


 アカツキが用意したネルガルSSの戦闘用防護服は、狙ったわけでもないのに、黒だった。
 




 「じゃ、明日はこれ着て火星に行ってもらうね。技術はともかく体力はこの時代のままなんだから、無理はしないように。本当は僕も行きたいんだけど、仕事があるし……」

 心配そうな顔をするアカツキに、アキトが苦笑した。
 まるで小さな子供をおつかいに出す母親のようだ。

 ランダムジャンプを経験したというのに、ジャンプに対する不信感や抵抗などまったくないらしい。
 IFSのこともあって、もしかしたらトラウマにでもなっているのではないかと密かに案じていたアキトは、なんだか拍子抜けした。

 (アカツキは変なところで図太いな……)

 坊ちゃん育ちのくせに雑草のような性格だ。

 「お前は真面目に仕事してろ。仕事以外にもいろいろすべきこともあるだろうが」

 「あー……あと何すればいいのかな。政府や軍関係には出来るだけトップとパイプ繋いで、その下の連中の弱みを握って………」

 「クリムゾンはどうする」

 「う……それもあったね。あそこで味方に引き込めそうな相手っていたっけ……」

 「そのあたりはお前の方が詳しいだろうから任せる。俺はもっぱら機械相手だ」

 「ああそっか、少なくともアルストロメリアくらいの機体は欲しいね」

 エステバリスはそろそろ完成する頃だろうが、今後のことを考えれば、性能が高いにこしたことはない。
 改造してエステバリス・カスタムかスーパー・エステバリスくらいにはできるかもしれないが、それでは少々物足りない。
 ブラックサレナのように追加装甲にするか、あるいは根本から設計をするか。
 いずれにしても1年でどこまで持っていけるかは難しいところだ。

 「時間はないけど、アキト君ならできるだろう?」

 当たり前のことを言うような口調でたずねたアカツキに、アキトが頷く。

 アキトは最後のブラックサレナに至るまでの過程で、様々な機体の開発に携わった。
 ウリバタケやイネスをはじめとする、ネルガルの誇る一流の技術者、科学者と共に、ずっと研鑽を重ねていたのだ。
 ウリバタケクラスには手が届かないが、ナデシコの整備員として雇ってもらえる程度の腕はある。


 それらは全て復讐のため、火星の後継者を滅ぼすためのものだったが、今、その時に得た技術が、未来のためという正しい方向で役立とうとしていた。 
 

 「……どうせなら未来の他社製品も参考にして、新しい兵器でも作るか。アルストロメリアベースで、ステルンクーゲルを組み合わせるとか」

 「いいねぇ。僕も欲しいなそれは」
 
 「開発は俺には無理だろうが、既存の……いや、未来で既存だった機体を組み合わせるならなんとか……今なら特許もないしな……」

 「それじゃ、時間もないことだし業界で手を組めそうなとこと提携して開発する?……明日香あたりかなぁ。ああ、ついでに新会社作ってその提携会社に加えちゃえばいいんじゃない。ネルガルだけだと動きにくいから」

 「…………オモイカネにも手を入れてみたいし、マシンチャイルドは救出して里親を見つけてやりたいし……頭が痛くなりそうだ」

 「うーん………一年しかないし、とにかくあっちこっちに声かけて、信頼できそうなら巻き込むしかないんじゃな………」 
 
 「どうした?」

 途中で言葉を切られて、アキトは怪訝そうに見下ろした。
 時計を見てふと動きを止めたアカツキは、バイザーがない幼さの残る顔を見上げ、にっこりと笑った。


 「外見てごらん。真っ暗だ、もう夜だよ。随分時間が経っちゃったから、続きは食事の後にしよう。数年ぶりのまともな御飯だから美味しいものを食べさせてあげるよ。………ばあやの料理は格別なんだ」






 アキトとアカツキの二度目の戦争はこうして始まった。
 この先に待ち受けるものが平穏で幸福な人生か、あるいは未来を凌ぐ破滅的な道か。





 それは、二人次第だ。







 長い戦いの最初の晩餐は、ナデシコ就航前に亡くなった、アカツキのばあやの手料理だった。
 











    おまけ。
 

 「ところで、アカツキ」
 
 「何?」

 「いつのまにか俺のことを名前で呼んでるな」

 「ああ、つい。ごめん」

 「いや。そのまま呼んでくれ」

 「…………そう?」

 「お前にそう呼ばれるのは嫌じゃない」

 「え。………あ、ありがとう…………」

 (なんか改まって言われるとすっごい照れるなぁ……)




    2004.10.10
後書き反転↓

 職場の課内旅行から帰宅したら、なんだか激しくカウンターが回っていて(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル のダナエです。
 いったいなんでこんなに…………。
 ビクビクしつつ後書きでございます。
 最近なんだかナデシコ好きの方が沢山カキコしてくださるようになりましたので、ご要望にお応えして頑張ってみました。
 本当は更に先まで進める予定だったのですが、なぜかアキトの逆行後、アカツキとの再会、ナデシコ乗船決定、仲間巻き込み、の4ステップまでしか進みませんでした。おかしい。ていうかバカみたいに長くなりました・・・ゴメンなさい・・・。
 実は『仲間を巻き込もう!』というパートは本来ないものだったのですが、いつの間にか筆が…というか指がキーボードの上を滑ってしまい、気がついたら取ってつけたように増えてしまったパートなんです。
 ないほうが簡潔ですよ、とか、展開が読めちゃうです。とかありましたらご連絡ください。よろしくお願いします……。

 ………やっぱないほうがよかったかも。いや、あってもいいのか?……いやいやないほうが……しかしせっかく書いたし……でもなんかウザイような……けど……(以後無限ループ

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