――二度目の船出と鳥のはばたき――






 そして、1年。








 
 
 AD2196年 10月  佐世保



 数あるネルガル重工施設の一つ、佐世保ネルガルドックには、一隻の戦艦が鎮座していた。

 今までに同社の製品では見たことが無いような、少々前衛的な形をした艦だ。
 白い塗装には一点の曇りもない。
 徹底的に磨き上げられた真新しい艦体は、燦々と降り注ぐ日の光を受けて、美しく輝いていた。








 その戦艦は、まだ一度も港を出たことがない。


 業界有数の大企業ネルガル重工が主体となり、同じく重工業では名の通った明日香インダストリー、新進気鋭のマルス・エンタープライズが提携、協力して開発した新型機動戦艦、ND−001……ナデシコは、今日、やっと初の船出を迎えるのだ。
 





 まだ実績が全くないにも関わらず、彼女……ナデシコの名は、もう既に多方面に知れ渡っていた。
 事前のプレゼンやコンペで、この新造艦に各種の最先端技術やオーバーテクノロジーがぎゅうぎゅうに詰まっていることは周知の事実だ。
 軍事関係者だけでなく投資者や民間からも、艦内に積み込まれた新型の機動兵器共々注目を集めている。
 新造艦といえば聞こえはいいが、実際は先行きの分らぬ試験艦。
 だが、その試験艦に掛けられた期待は大きい。

 この艦がはたしてどれだけ木星蜥蜴に対抗できるのか。
 どれだけ、地球を守ることが出来るのか。

 火星の惨劇を知る者は、この新しい兵器に願いを託す。
 今度こそ、守りたいという願いを。



 この艦に掛けられた願いと祈り。
 未来の一端を背負って、ナデシコは陽光の元に佇んでいた。
 










 「相変わらず奇妙な形だな……」

 
 青空に映える白い艦は、反射のせいだけでなく輝いて見える。
 アキトはバイザー越しでありながら、眩しさに目を細めた。


 「今まで散々見てきたでしょうに、まだおっしゃいますか?」


 隣りでクリップボードを抱えて、同じく『NERGAL ND−001 ナデシコ』を見上げるプロスペクターが、呆れたように言った。


 実際、アキトはここ1年間で見飽きるほどにこの艦を見てきた。
 内も外も、アキトほど詳しい人間は他にいない。なにせ、アカツキとの再会の日からずっとこのナデシコの造艦に携わってきたのだ。

 その入れ込みようたるや、他の科学技術者や整備員たちの追随を許さない凄まじいまでのものだった。

 ナデシコだけではない。新型機動兵器の開発、新型AIの開発。
 開発途中から割り込んだ形になった上に、あちこちに首を突っ込んだアキトは、まるで針の筵に座らされているかのようだった。
 当初からそれぞれの部門で努力してきた職員達は、当然アキトに反感を持つ。
 会長のコネで入り込んだようなものだから、それは当たり前のことだ。
 アキトは降り注ぐ悪意と敵意を甘んじて受けた。

 だが、その敵意も時とともに消えていく。

 テストパイロット、技術者、プログラマー、整備員。
 まるで便利屋のように24時間あらゆる方面に手を伸ばし、鬼気迫る勢いで仕事をするアキト。
 知らないことは必死で勉強し、出来ないことはなんとしてでも習得する。
 明らかなオーバーワーク。
 それでも疲れた体を引き摺って、何かに追い立てられるようにナデシコの元に日参するアキトに、いつしか陰口を叩くものもいなくなった。

 テンカワ・アキトと同じことが自分にできるか、と自問すれば、できない、と素直に答えられた。
 それだけの器量をもつスタッフを集められたことが、ネルガルの力なのだろう。



 必死に駆け抜けた一年。

 

 復讐に追い立てられていた頃にも増してキツイ、けれども充実した一年だった。


 
 ナデシコを前に感慨にふけっていると、ふとアカツキの顔が浮かんだ。
 自分も疲れているくせに、毎日毎日アキトの顔色や体調を気にしていた彼は、今ここにいない。





 「そういえばアカツキは?」

 「会長室に缶詰です。今後のために、必死になって予定を消化していると思います」


 顔を見合わせて苦笑いする。
 よく出来た秘書にせっつかれて半泣きなるアカツキが苦もなく想像できた。
 今日の見送りに散々ついて来たがっていたのだが、『私も行けないんですから!!』と主張するエリナが手を回したので、脱走防止の為に常時見張りが付いているはずだ。

 この時間になっても連絡がないなら、監視が厳しすぎて抜け出せないのだろう。


 「一体どれだけ先の仕事をさせられてるんだか」

 「さて。年単位ではないと思いますが」
 

 仕事をサボることのなくなった会長に、溜まっている書類など無いはずだ。
 アカツキはその気になれば飛びぬけた事務処理能力を発揮することができる。
 だからこそ過去であれだけサボっていても平気だったのだ。……今はやることがあり過ぎてそれどころではないようだが。


 「今後の為だしな。アイツには我慢してもらおう」

 「そうですな。エリナ女史も我慢していることですし」


 笑みを含んだ口調で軽口を叩きながら、艦内に足を踏み入れる。
 何度となく通った場所が、今日はどこか違って見えた。

 あの時とは全てが違う。
 能力も、覚悟も。環境も。
 いつもアキトのことを想ってくれる相手がいる。
 アキトのために、力になってくれる人たちがいる。



 これから。
 これから全てがはじまるのだ。



 出来る限りの準備をしてきたが、至らぬところもあるだろう。
 以前にもまして辛いこともあるかもしれない。


 だが、ナデシコなら。


 ナデシコなら、きっと…………………。 



 瞑目する。
 アキトの心に湿った風が吹き抜けた。
 このナデシコは、自分がかつて過ごしたあの艦ではない。
 同じナデシコであっても、流れた時間が違う。ともに歩んだ時間が違う。
 だが、それでも懐かしい気持ちが静かに溢れた。


 感傷的になった気分を誤魔化すように、いつもどおりの平坦な声で告げる。



 「プロス。俺はこのままセイヤさんの所へ行くが、お前はどうするんだ」

 「私はこれからブリッジの方へ向かいますよ。ブリッジクルーの方々はもうほとんど揃っていらっしゃいますから、一度ご挨拶をしておきたいと思います。アキトさんはずっとあちらに?」 


 常と変わらぬ様子のアキトに、プロスも普段とおなじように手短かに確認する。


 「ああ。艦橋へは、後で挨拶に行く。やるべきことが全て終ってからな」


 「分りました。それでは、また後で」


 アキトの向かう方角とは逆の通路へ進むプロス。
 その背をしばし見送ってから、アキトもゆっくりと歩き出した。


 
 向かう先は格納庫だ。



 道すがら、コミュニケを起動し現在の搭乗員を確認する。
 

 「ああ、やっぱり………」


 歴史はちゃんと変わっているようだ。
 
 『以前』はまだ乗っていなかった人間が、この段階で乗艦している。
 

 「ちゃんと来てくれたか」

  
 心配事の一つが解消され、ホッとする。 
 足取りがほんの少しだけ軽くなった。




  
 長い通路を抜ければ、そこは格納庫だ。
 ナデシコの内部は我が家のように知り尽くしている。歩みには迷いがない。

 アキトは一際大きな入り口から中へ入ると、辺りを見渡した。
 知った顔があちこちに散らばっている。
 整備員の多くは、共に仕事をしたことのある人間だ。

 顔見知りの面々に挨拶をしながら、エステバリスの方へ向かう。
 カラーリングは未だピンクのままだった。
 


 「よぉ、アキト!随分早かったな!」

 
 機動兵器の足元からかけられた、聞きなれた声。
 整備班長にして一風変わった趣味人。頼りになる兄貴分、ウリバタケ・セイヤの声だった。
 片手に持ったスパナを軽く上げて、アキトに笑いかける。

 数日前から乗艦していた彼は、すっかりナデシコの格納庫に馴染んでいた。


 「乗艦予定時刻、ついさっきだろ?真っ直ぐこっちに来たのか」

 「ああ、とりあえずまずは整備に挨拶しないとな。これから世話になる場所だ」

 「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。精一杯やらせてもらうぜ!」
 
 「気合が入ってるな、セイヤさん」

 「おう!なんてったって新型だぜ!?おまけに試作機まで来てんだ!!これでワクワクしなきゃ整備士じゃねぇ!」



 満面の笑みで胸を張るウリバタケ。
 遠くで数人の整備員が同意を示している。


 「ああ、出港したら思う存分腕を振るってもらうことになる。…………ところで」

 「あん?」

 「そこの蓑虫はどうしたんだ」


 アキトの視線の先、エステの足元には、ロープだのコードだのでぐるぐる巻きにされた青年の姿があった。
 何かもごもご言っているようだが、ご丁寧に猿轡まで噛まされており、何を言っているのかさっぱりわからない。


 「そこにいるのは、ガイ………だよな」


 正式名称はヤマダ・ジロウ。
 魂の名はダイゴウジ・ガイ。
 本日午後に乗艦予定だった、ナデシコ所属のエステバリスパイロットである。
 それがどうして簀巻きになっているのだろうか。

 とりあえず口の猿轡を外しながら、事情を聞いた。


 「なんだってこんなことになったんだ」


 ウリバタケが答える。


 「おう。このバカ、まだ調整の途中だってのにエステに乗り込もうとしやがってな。仕事の邪魔になるんでうちの若いモンに言ってそこに転がしといたんだ」




 「……………ガイ……………」




 一気にアキトの視線が冷たくなった。
 慌てたヤマダが、解けかけた猿轡を自力で外して弁解をはじめる。
 妙に濃い印象の顔が露わになった。
 


 「わ、悪かったと思ってるよ!ただちょっと乗ってみたかっただけなんだ!」


 「俺は事前に言っておいたな?整備班の許可のないうちにエステを動かすなと」

 「起動しようとまでは思ってない!!座ろうとしただけで……」

 「整備の邪魔するなら同じことだ。ニ、三日このまま縛っておくか」

 「勘弁してくれよ〜!!」


 ゴロゴロとヤマダ蓑虫が転がるが、アキトの対応は冷たいままだ。時折自分の方へ転がってきたヤマダを蹴り飛ばしている。
 その扱いを見てヤマダが哀れになったか、縛り上げるよう命じた張本人が止めに入った。
 

 「アキト、もう一通りの調整は終わったからその辺にしといてやれよ。見苦しいし」


 哀れに思ったわけではなかったらしい。
 しかし、効果はあったようだ。アキトの注意がそれた。


 「じゃあもうガイのエステは起動できるのか。流石セイヤさんだな。こんな巨大な邪魔が入っても仕事を予定通りにこなすとは」

 「データがねぇから個人の特性に合わせるってとこまではいかねぇが、とりあえずはな」

 「おお!!さっすがハカセ!じゃあもうオレが乗ってもかまわないな!!??」


 懲りないヤマダに、アキトの額に青筋が立った。
 バイザーを掛けていてさえ、眼光を鋭くしているのが分る。



 「…………お前には何か罰を与えたほうが……」





 アキトがヤマダに雷を落としかけた瞬間。


 突然耳障りな警告音が鳴り響いた。


 会話が途切れる。
 整備中だった幾人かが、手を止めて顔を見合わせた。


 パイロットならば即座に反応する、その音。
 アキトの顔も、ヤマダの顔つきも、一瞬にして真剣になる。





 「「「敵襲か!!!」」」



 
 
 整備員達の戸惑いの空気はすぐに霧散した。
 戦場が初めて、という者も落ち着いて行動している。
 トップであるウリバタケが動じなかったうえに、プロスペクターがスカウトしてきた人員だけあって、質が高い。
 

 パイロット二人は当然冷静だった。
 ヤマダはこれでも腕だけはいいし、アキトは襲撃があることを知っている。
 


 「来たか………セイヤさん、俺の機体は?」

 「本当に来たのか!……エステの方なら出せるぜ。言われたとおり2機整備するのにやっとで、ろくな武装がされてねぇが」

 「博士!オレが、オレが出る!」

 「お前の方も問題ない。すぐ出せる。別の意味で出すのが心配だけどな……」

 「なんだよそれ!!!」

 「命令を待つ間に乗り込んでおいた方がいいな。ガイ、お前自分の乗機は分かってるか?」
 
 「一番端の奴だろ?分かってるって!だっせぇピンク色だが俺様がかっちょよく操縦を………」




 「おーい誰か手の空いてる奴!こいつのロープ解いたら一発ぶん殴ってコクピットに放り込めーーっ!!」





 俄かに活気付く格納庫。

 整備の最終確認や指示の声が飛び交う。 

 エステの発進準備に関わるものたちが駆け足で配置に付く。



 『木星蜥蜴無人機動兵器群の機影を確認。現在サセボ駐留軍の防衛部隊と交戦中…………』


 

 ようやく放送が流れ始めたが、整備員もパイロットも、既に行動を開始している。 




 ここでは一足早く、戦争がはじまっていた。

 











 襲撃から、少し時間を遡ったブリッジ。





  「艦長、遅いわね」


 操舵士のハルカ・ミナトは、軽く伸びをしながら言った。
 軽く揺れた肩から、栗色の髪がさらりと流れ落ちる。


 「そうですねぇ。もうとっくに来てるはずなのに」


 ミナトより少し年下のメグミ・レイナードが、通信士の席から振り返って同意した。

 ミナトは爪の手入れをし、メグミは片手に雑誌を持っている。相当暇なようだ。
 ブリッジには穏やかな空気が漂っている。



 クルー達は、まだ見ぬ艦長をのんびりと待っていた。



 
 「艦長さんてどんな人なのかな?カッコイイ人だったらいいなぁ」

 「駄目駄目、いい男ってのは見た目じゃないのよ。それに期待したってハズレたらがっかりするだけ」


 夢見心地のメグミと大人な意見のミナトの会話は、どことなく微笑ましい。
 副長席で黙って聞いていたアオイ・ジュンは、気づかれぬようにクスリと笑った。
 艦長を直接知っている身としては、彼女たちの話が少々的を外れていることがわかる。


 「どんな人なのかなぁ艦長って………ルリちゃん、分る?」


 話をふったメグミに、それまで無言でコンソールに向かっていたオペレータのホシノ・ルリが顔を上げた。
 無機質な印象の美少女。
 整った造作であるだけに、見るものに作り物めいた印象を与える。

 ルリは、瞬く間に該当データを呼び出した。

 「艦長は女性ですよ。本年度の士官学校主席卒業生。宇宙連合大学戦略シミュレーション実習では無敗。年齢は、二十歳……士官学校出たてなんですね」

 言葉には表情よりも熱が感じられる。 
 命を吹き込まれたばかりの人形のような、不思議な少女だった。


 「へ〜頭のいい人なんだ…………何だか凄そうだね」



 「ええ、凄い方ですよ。色々とね………」



 メグミの感嘆の声に答えながら、入室してきたプロスが深い溜め息をついた。


 「あ、プロスさん」


 顔を向けたジュンに真っ直ぐ近寄ってくると、疲れた顔で確認する。

 「艦長は、まだいらしていませんか?」

 「はい……」

 申し訳なさそうに答えるジュン。 
 予想通りの答えに、頭痛をこらえるようにこめかみへ手を当てるプロスを見て、ジュンが困った顔で言った。


 「まさか初日の、しかも出航前に本当に遅刻するとは思わなかったので置いてきたんですが……引きずってでも連れてくるべきでしたね。すみません。」
 

 一応出掛けにも連絡を入れたし、それまでにも何度となく遅刻しないよう言い聞かせておいたので、大丈夫だろうと高をくくって先に来てしまったのだ。
 まさかここまで常識がないとは思わなかった、とこちらも溜め息をつく。


 「いえ……社会人ならば普通一人でも職場に来られますし、士官ならば尚のこと、時間を守るように教育されているものです。アオイ副長のせいではありませんよ」


 きっぱりと言ったプロスは、頭の中で新任艦長に減俸を言い渡した。
 いっそ首を切ってしまいたいが、今後の計画を考えると、それも躊躇われる。
 
 艦橋の面々は興味津々で二人の会話を聞いていたが、我慢できなくなったのか、メグミが口を挟んだ。


 「でも、さっきルリちゃんが、艦長は士官学校主席だって・・・」


 プロスは苦笑した。
 確かに書類上はそうなっている。
 事実、学科は当然のことながら、実技もある程度は優秀なのだろう。
 
 だが、一番肝心なものが抜け落ちていては話にならない。
 
 士官として最も大切なものを理解しているかどうか。
 出航の際に遅刻してくるようでは、あまり期待はできなかった。


 「主席ねぇ……………。いえ、シミュレーションで無敗というのは本当ですよ。頭脳も明晰ですし。ですが、精神的にどれだけ成熟しているか、と言われれば疑問ですね。」


 手厳しいプロスの言葉に、ミナトが形のよい眉を顰めた。


 「頭でっかちのお子様ってことかしら?そんな人が艦長で大丈夫なの?」

 「ええまあ、艦長には艦長の役目がありますし、サポート要員はそれぞれ有能ですから。性格は度外視して、とにかく能力重視で集めてますし」


 プロスが爽やかに言ってのけた。
 性格は度外視、といっそ清々しいまで断言する。

 と、その時。

  


 「能力も怪しいものだと思うわよ?」




 男の声でオネェ言葉が発せられた。



 激しい違和感に目を向けると、そこにはキノコ頭の男が立っている。


 「これは、ムネタケ副提督。ご挨拶もせずに申し訳ありません」

 にこりと笑って一礼するプロスに、ムネタケと呼ばれた男が軽く頷いた。
 マッシュルームカットが妙に似合っている。
 先ほどのオネェ言葉は、この男の口から出たものらしい。

 「乗った時にそっちの坊やが挨拶してくれたから気にしなくていいわよ」

 ジュンがペコリと頭を下げた。


 
 「あの……その人は、どなたなんですか?」


 おそるおそる尋ねるメグミ。
 オネェなキノコに腰が引けているらしい。
 プロスが簡単に紹介した。


 「軍から派遣されていらしたオブザーバー、ムネタケ・サダアキ副提督ですよ。その後ろの方がフクベ提督です」


 紹介されたところでようやくキノコ男の背後に人がいることに気づいた。
 白いひげの、小柄な老人だ。
 華々しい経歴を持つ有名な軍人であるのだが、妙に存在感の薄い爺様だった。

 軽く頷くだけのフクベにあわせて、ムネタケが簡単に挨拶する。


 「よろしくねお嬢ちゃん?」
 
 「ヨ、ヨロシクオネガイシマス…………」


 友好的なのはありがたいが、ウィンクはやめてほしかった。
 正直に言って、気持ち悪い。 


 「で、どうやら艦長の話をしていたようだけど、肝心の………」





 続けようとした言葉を、騒々しい音が遮った。





 「アラート!?」



 ジュンが表情を引き締めた。
 即座にルリに状況確認を命じる。



 「アラアラ、いきなり厄介事ね」

 「うむ」


 突然の緊急事態でありながら、さすがに軍人二人は慣れたものだ。
 プロスが軽く眼鏡を押し上げた。


 メグミは驚いて手に持っていた雑誌を取り落としている。
 ミナトも慌ててコンソールに向き直った。


 「非常警報ですね。ホシノさん、もう状況は判ったかい」


 ジュンの声に頷いて、ルリが手を動かす。


 「木星蜥蜴がドックを襲撃しているようですね。ああ、たった今駐留軍が出動したようです」



 敵襲。




 就航前のこの大事な時に突然の非常事態。

 しかし年若い副長は、少ない経験に見合わぬほどに落ち着いていた。
 てきぱきと指示を出す。


 「レイナードさん、艦内放送。ホシノさんはそのまま外をの状況を見てて」

 「あ、は、はい!!」
 「了解です」


 仕事を振られたメグミが、雑誌を床に放り出したまま正面に向き直った。
 ルリは最初と変わらぬマイペースだ。


 『木星蜥蜴無人機動兵器群の機影を確認。現在サセボ駐留軍の防衛部隊と交戦中…………』


 流石に元声優。声のプロだっただけあって、慌てながらも声は震えない。
 青ざめた顔色に硬い表情だったが、ハッキリとした発音で、ナデシコに襲撃の事実を告げた。

 
 「さて………ああそうだ、格納庫に連絡して。出撃の準備をしといてもらわないと」

 「はい」

 「音声だけでいいから」


 艦長がいないことを知られればクルー達の動揺は避けられない。
 ルリもそれは承知していたらしく、気を利かせてウリバタケに直接通信を開いている。
 安心して任せておけそうだ。

 軽く息をつくジュン。
 
 そこで、一連の作業を見ていたムネタケが、たまりかねたように口を挟んだ。


 「ねえ、アタシが言うことじゃないかもしれないけど、とっととナデシコを出したらどう?」


 指示は確かに的確だが、それは何よりも先にナデシコの起動を命じてからするべきだろう。
 ついでに先程の疑問の続きを述べる。


 「そもそも艦長はどうしたのよ!?いくらサセボの連中が優秀だからって、放っといたらマズイわ。あっちには悪いけど、注意をひきつけてくれてる間にナデシコを動かさないと囲まれちゃうじゃないの」


 オネエ言葉のキノコ頭に、注目するブリッジクルー。
 外見や言葉遣いは異様だが、言っていることは至極まともだ。


 「それが………実はまだ来ていないんです」


 なにやら弄っていたコミュニケをしまいながらジュンが答えた。
 
 丁度その話をしていたところだったのだ。
 同意するようにクルー達が頷く。


 「来てない?どういうことよ。事故かなにか?」

 「いえ、彼女はそういう人間なんです。士官学校では随分指導されましたし、さすがにこれだけ責任ある地位につけば、大人としての自覚を持つだろうと思ったのですが……」

 「呆れた………ミスマル・コウイチロウは娘の教育を誤ったようね」
 
 「御本人も反省してらっしゃいましたよ。母親の不在と自分が留守がちなせいで甘やかしすぎたと。何しろお忙しい方ですからね………薄々まずいと思ってはいらしたそうですが、去年ガツンと苦言を呈されて、それからは態度を改めておられます」

 「躾けのし直し中ってこと?でも、同じような境遇の人間は軍人の子弟にはいくらでもいるわよ………そんな人間を艦長にした理由は……まぁ、解らないでもないわね」


 看板にするつもりだろう、と暗に述べている。


 「甘ちゃんな小娘はどうでもいいけど、このままだとナデシコも手遅れになりかねないわよ?全然連絡とれないの?」


 当然の疑問だ。
 プロスが眼鏡を押し上げながらぼやいた。


 「コミュニケを切っていらっしゃいまして……ご自宅は出られたようですが。」


 緊急時の連絡については当然事前に説明してあった。
 かなりしつこく念を押しておいたのだが、どうやら彼女の耳を素通りしたらしい。
 話には聞いていたが、ここまで酷いとは思わなかった。
 
 (これは認識を改めた方がよさそうですね)

 心の閻魔帳に『要注意人物』のチェックをつける。
 



 「さて、どうするのかしら副長?アタシはこんなところで死にたくはないんだけど」


 ブラックリスト作成中のプロスを放っておいて、ムネタケが腕を組みながらジュンを見やった。
 フクベ提督も、微動だにせず立ち尽くす青年に、黙って目を向ける。

 どうするのかと問われても、なにしろマスターキー、つまりナデシコの起動錠を持っているのは艦長だ。

 マスターキーがなければナデシコは動かず、動かなければどんな強力な兵器であっても単なるオブジェでしかない。


 おまけに指揮権は未だ艦長にある。

 軍で教育を受けた人間が、不在とはいえ艦長を差し置いて命令を発するには、かなりの覚悟を必要とする。
 たとえここが民間船といえど、骨の髄まで叩き込まれた軍隊の鉄則が、ジュンを縛り付けているはずだ。


 注がれる視線。
 
 

 だが、ジュンはまるで気にしていなかった。
 そもそもユリカに艦長としての仕事を期待していなかったのだろう。ケロリと言ってのける。
 


 「死なせませんよ。僕はそのためだけに努力してきたんですから」



 プレッシャーを受け流し当たり前のように今後の対応を告げる。
 

 「さっきコミュニケからネルガルに連絡しました。あと5分足らずでそちらから手を回してくれるはずです。本社の……というか、マルスの管理するコンピュータから強制的に介入すれば、キーなしでの起動が可能ですから」

 「ふぅん?初耳だわ。そんな機能、渡されたカタログにはなかったような気がするけれど」
 
 「直前に組み込んだプログラムだそうですよ。彼が」

 「手回しのいいこと。坊やもアイツも、艦長よりよほど頼りになるわね」


 ムネタケが茶化した。
 旧知の仲であるかのように打ち解けている。

 
 ジュンとムネタケは初対面の間柄だが、共通の知人がいることは既に知っていた。
 それが『彼』だ。
 代名詞だけで分かるほどに、二人にとって重い存在。


 人生を変えた人物。


 彼らに信をおかれたものならば、自分もまた信頼できる。
 まるで共犯者のようだと、ひっそりと胸の奥で笑ったのはどちらだったか。
 
 仲間内にだけ通じる暗号を楽しむように、言葉遊びを続ける。 


 「手回しがいいのは彼ですよ。僕は後から情報を貰っただけですから」

 「艦長を差し置いて?次席指揮官としては僭越ね。もっとも乗艦時刻に遅刻して連絡さえよこさないような艦長なら、坊やのほうが150倍くらい信頼できるでしょうけれど」

 「それは彼が判断することです。それより、坊やは勘弁してくださいよ………」
 
 
 困惑するジュンを見て、ムネタケは少しだけ微笑んだ。

 
 この若い副長は、1年前に火星で失った同僚や部下達を思い出させる。
 努力を怠らず、自分に自信を持ち、奢らない。
 
 その心根が。
 未来に希望を持った瞳や、誰かを守ろうとする意志が。 

 あの凄惨な負け戦の中で、最後まで戦った軍人は皆いなくなってしまった。
 必死に民間人を守って撤退しながら、手のひらから水が零れるように、失われていった部下の命。
 誰かを守るため、未来のために消えていった仲間。


 彼らに、よく似ている。


 ムネタケは笑みを深くした。

 
 「アタシからすればどこからどう見ても坊やよ」

 「……まあ、おいおい撤回していただきますから」


 生意気なことを言う。
 
 けれど、それはけして不快ではなかった。



 火星に木星蜥蜴が現れた時、ムネタケはフクベ提督の指揮下で一部隊を指揮していた。
 あの戦いを生き延びて地球に帰ってきたのだから『百戦錬磨のツワモノ』といってもいいだろう。
 そのムネタケに比べれば、士官学校出たてのジュンなどヒヨッコもいいところである。

 そのヒヨッコが、自分の持てる全ての力で飛ぼうとするのは、ある意味感動的ですらあった。



 (さて、コノ子はどんな鳥かしら)



 飛ぶことのできない地をゆく鳥や、戦うことのできない小鳥の類ではない。


 それは確かだ。


 鷹の雛か、鷲の雛か。

 おそらく成長すれば猛禽になるだろう。
 
 真っ直ぐにモニターを見つめる瞳には、それだけの力が宿っていた。



 (そういえばアイツは………)


 ムネタケは、先ほど話題に上った人物を思い出す。
 
 出会った時から黒ずくめだった青年。
 得体の知れない奇妙な雰囲気。
 時代がかったケープや表情の分らないバイザーとあいまって、ひどく不気味に感じたものだったが………。


 今ではそれが喪服だったと、知っている。


 亡き部下や友人たちの死に浸りきって魂を腐らせていくムネタケの元に、飛び込んできた黒衣の若者。
 突然の闖入者は、ムネタケの心が朽ちる寸前に、その横っ面を引っ叩いて目を覚まさせてくれた。


 (アイツは、大鴉ね)

 
 不吉だと言われ、けれどもその賢さを誰もが認める、神秘的な黒い鳥。
 意識の暗部、ひいては死を象徴する、特権的な色を纏う Raven――――――レイヴン。

 木星蜥蜴、ボソンジャンプ、暗黒の未来を予言した彼は、漆黒のケープを羽のように翻した。
 
  

 もう一度火星の惨劇が起こるのか。
 また守るべきものを守れないのか。
 あの戦火を逃れた火星の人々が、また犠牲になるのか。

 行き場のない憤りや、矛盾に対する怒りをぶつけるように叫んだムネタケに、返されたのは一言。



 『Never more』………最早ない、と。



 彼がいる限り、二度とはない、二度と起こさせはしないと言い切った。
 
 機械的なまでに抑揚のない声に、毛一筋も変わらない表情で。
 
 それでも彼の想いは伝わった。
 空気が一瞬にして熱を帯びたような、意思があった。


 だからムネタケはこの艦に乗ったのだ。
 行く先を見極めるために。
 
 



 カウントが2分を過ぎた。あと3分で艦長を待たずにナデシコが動く。
 
 モニターの向こうでは、とうとうバッタによってサセボの機動兵器が堕とされた。  
 目の端で震える拳を強く握り締める副長に、ムネタケとの会話の時に見せたくだけた様子はない。



 彼と、その傍で彼を守る男。

 目の前の情熱を秘めた若者をはじめとする、彼らの協力者達。
 それぞれの思惑と意思が歯車となり、一体何の仕掛けを動かすことになるのか。

 おそらく自分も歯車の一枚なのだろうと、そう思いながら。



 「アタシは今度こそ火星を守る」


 それが、死んでいった仲間達にできる、最高の餞であるから。


 「アタシはアタシなりに、アンタ達の行く末を見届けさせてもらうわ」




 そして、今度は自分が誰かに言うのだ。

 


 あの時の自分と同じ思いをする人間は、最早いない。


 もう一度あの惨劇を繰り返すことは最早ないと。



 それこそが、生き残ったムネタケがこれから生きていく理由だから。



 「アンタがアタシに、言ったようにね……」


 意思と決意と覚悟をこめて。

 今頃は格納庫にいるだろう黒衣の大鴉に向かって、ムネタケはそっと呟いた。





    2004.11. 5


後書き反転↓



 脇役にスポットを当てる話。
 原作で扱いの悪かった方々の扱いを良くするつもりなので、今回はムネタケをクローズアップ。
 変ですね。当初の予定では語りにはいるのはジュンの予定だったのになんでキノコが台頭しているんでしょう。まあいいや。
 つーか、全然話が進まなかった………キリが悪い………。でも前回みたいにダラダラ長くなるとイヤなので、無理にでもいったん切ります。

 ちなみに、ムネタケの心理とアキトの言葉は、E.A.ポーの物語詩、『大鴉』(The Raven)から。
 でも問いの内容は全然違いますよ。
 詩の中の<私>は、亡き妻と天国で再会できるか、と聞きましたが、ムネタケは死んだ人間のことを想いながらも、未来のことを聞きます。
 ムネタケに<私>と同じ問いをさせていたら、もっと後ろ向きな性格になっていたろうなぁ………。

  
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