――新しい人間関係と禁断症状――




 「ねぇルリちゃん」

 「なんですか?」


 ぐったりと椅子に寄りかかったメグミが、ルリに声をかけた。
 疲れきった様子だが、顔色は悪くない。
 副長にひとしきりこき使われたせいか、戦闘の時の恐怖感が吹き飛んでしまったようだ。


 「あのエステバリス01を動かしてたダークネスさんが、副長のこと『ナンバーワン』って呼んでたけど、何で?あだ名?」


 耳慣れない呼び名をずっと疑問に思っていたのだろう。
 不思議そうなメグミに、ルリも首をかしげた。聞いたことがない呼称だ。


 「オモイカネ」


 即座に求めに応じて、フライウィンドウが展開される。
 百科事典か何かの1ページがクローズアップされる。


 「……艦の主である艦長を除いた最上級士官だから、ナンバーワンなんだそうです」


 ルリが要約した判りやすい説明に頷きながら、プロスが補足した。
 プロスの姿はあるものの、艦長は別室で反省文を書かされているため、未だに戻っていはいない。

 
 「ナンバーワンと呼ぶのはロイヤルネイビー………英国海軍風ですね。これが米国だとXOと表記してエグゾーと呼びます。エグゼクティブオフィサーの略ですよ」


 オモイカネが、ウィンドウにXOと大きく表示する。


 「英国海軍……もしかしてあの人、軍出身なんですか?」

 「いえいえ、最初から民間企業に所属していらっしゃいました。一年ほど前にマルス・エンタープライズからネルガルに派遣されてらした方ですよ」

 「ああ、出向社員の方だったんですか」

 「はい。ただ、ネルガルの広報活動の一環として、何度か軍の方へ短期間の出向をされたことがあります。それで影響を受けられたんでしょうな。」
 
 「英国海軍風の部隊?欧州方面軍?」


 聞くともなしに聞いていたルリが言った。

 
 「そうですね、派遣されたことがあります。あちらには英国出身の方もたくさんいらっしゃったようですから」

 「へえ〜……」

 
 (じゃ、副長も欧州方面軍に関係があるのかしら。なんだか親しげだったし………)

 
 じっとモニターを見つめるジュンに、ちらりと目を向けた。
 柔和な顔立ちに似合わない、厳しい表情が張り付いている。


 (また怖い顔。結構格好いいのにな……)


 メグミは場違いなことを考えながら、ジュンの方を眺めていた。

 ブリッジになんとも言えない沈黙がおりる。




 
 シュンッ



 

 軽快な音を立ててブリッジの入り口が開いた。

 突然の闖入者に、視線が集中する。
 
 赤いジャケット。
 パイロットの階級章。
 隙のない身のこなし。



 戦闘員の制服に身を包んだ二人の青年が、そこに立っていた。



 「パイロット両名、着任挨拶に来た」

 「ついでに報告もしちゃうぜ〜!」


 二人のうち片方は先ほどウィンドウで見た顔だ。暑苦しい印象の、浅黒い肌の青年である。


 そしてもう一人。

 こちらが音声のみで通信していた青年だろう。
 異様な雰囲気をかもし出す黒いバイザーをかけた、収まりの悪い黒髪の青年が立っていた。
 かろうじて見える範囲では整った顔立ちのようだが、表情が無い。
 自己主張をするわけでもなければ、バイザー以外にこれといって変わったところもないが、一種独特の存在感がある人物だった。 
 

 「ああ、お疲れ様。立ち入りを許可する。………久しぶりだね、プリンス・オブ・ダークネス……テンカワ。ついでにヤマダ」


 ジュンが向き直って出迎える。

 柔らかい、嬉しそうな声音に、メグミとミナトが意外そうな顔をした。
 顰め面を崩さなかった副長が、笑っている。
 どうやらパイロット二人とも面識があるようだが、一体どんな知り合いなのだろうか。


 「戦闘終了後までその名で呼ばないでくれ」
 
 「ついでとは何だ!いや、それよりも……オレの名はガイだっ!!戦闘中だけでなく普段もそう呼んでくれ!」


 入れ違いにブリッジを出るプロスに目礼すると、二人は真っ直ぐにジュンの前まで歩いてきた。
 呆れたような声音の『ダークネス』と、勢い込む『ガイ』。なんとも対照的な二人だ。

 ジュンが苦笑しながら頷く。


 「はは……分かったよテンカワ、ヤマダ。着任挨拶って言っても、ここは軍艦でもないし……そうだな、皆に自己紹介してくれるか」

 「ああ」

 「だっ・かぁ・らっ!!ガイだと言っとるだろうが!!」



 「黙れ」


 喚く『ガイ』の頭部に鋭い一撃を加えると、『ダークネス』が姿勢を正した。
 クルーを見渡してから、静かに名乗る。


 「テンカワ・アキトだ。戦闘中はエステ01、もしくはダークネスと呼んでくれ」


 よく響く声だ。
 外見は若いようだが、声や仕草の落ち着きが年齢を不明にしている。

 アキトが、少し間をおいて続けた。


 「エステバリス01のパイロット及び、ナデシコに搭載された新型機動兵器試作機のテストパイロット。一応ネルガルの社員扱いだが、マルス・エンタープライズから出向している」


 涙目の『ガイ』もコクコクと頷く。
 二人とも同じ立場なのだろう。


 「ここのクルーについては名前と役職の資料を受け取っているので、そちらの紹介は不要だ。……よろしく」


 そっけないほど簡潔に述べて、一歩下がる。
 入れ替わるようにしてもう一人が前に出た。


 「じゃ、オレ様の番だな!オレはダイゴウジ・ガ「ヤマダ・ジロウだ」イ……。ええぇぇぇええいっっ!!!ダイゴウジ・ガイだ!!」

 
 後ろから口をはさんだアキトを大声で威嚇する。
 ダイゴウジ・ガイという名前に思い入れがあるらしい。


 「戦闘中でもそれ以外でもガイと呼んでくれ!エステ02のパイロット、近接戦闘が得意だ。趣味はバイクとカラオケ。アニメを見るのも好きだ。暫く前まではゲキガンガーが一番好きだったが最近は………」


 つらつらとヤマダが自己紹介をするが、アキトとジュンはすっかり無視して雑談を始めている。

 困惑する周囲を余所に、一人で喋るヤマダと、ヤマダが目に入らないように振舞う二人というおかしな状況が出来上がっていた。 
 

 「言い忘れるところだった。ジュン、遅ればせながら卒業・就職おめでとう」

 「ありがとう。なんだか改まって言われると照れるね」

 「アイツからも、『おめでとう』との伝言だ。直接会って言いたかったと残念がっていたが」

 「そういえば卒業式の時に彼から花束が送られてきたよ。お礼を言っておいてもらえるかな」

 「そんなことしてたのか………分かった。伝えておく」

 
 会話の内容は至って普通で、単なる世間話のようだったが、二人の間の親しさが伺えた。
 好奇心にかられたミナトが面白そうな顔で見ている。

 と、会話がひと段落したところで、アキトが別の人間に話しかけた。


 「ムネタケ少将。久しぶりだな」


 呼びかけに応えてムネタケがヒラヒラと手を振った。

 凄腕パイロットとオネエ言葉の将官という意外な繋がりに、またしてもクルーが興味深そうな顔をする。
 アキトの言葉でやっとムネタケに気づいたのか、ヤマダも中途半端なところで自己紹介を中断して、軽く敬礼をした。
 
 ヤマダの敬礼に軽く答礼してから、ムネタケがアキトに話しかける。

 
 「元気そうでなによりね。でも軍なら一年や半年くらい会わないことなんてよくあるわよ」
 
 「俺は軍人じゃない。似たような職種であることは否定しないが」


 硬い声に僅かに笑みが含まれている。  
 

 「ふふ、アンタの軍人嫌いも相変わらずねぇ」

 「そうそう直るものでもない」

 「そういえば、相方はお元気?相変わらず過保護なのかしら」

 「ああ。昨日は自分も行くと言って大騒ぎしていた」


 それどころか今朝になってさえ、うだうだと同行を口にしていた。
 エリナがキレなかったら本当に来ていたかもしれない。


 「アンタは自分に無頓着だから過保護すぎるくらいでちょうどいいのよ。連れてきてやればよかったのに」

 「残留組から文句が出る。アイツが来ると予定が狂うしな」
 
 「そんなに忙しいの?……ああ、そういえば先月、オモイカネ級AIのネルガルコピーがどうとかって新聞に出てたわね」


 「いや、最近はそうでもない」


 アキトは首を横に振った。


 「その件の責任者はエリナだし、彼女を筆頭にウチの連中が脇を固めて、アイツがいなくても日常の業務をこなせるような体制ができあがったからな。予定に関してはナデシコの問題だ」


 聞き慣れない名詞や代名詞を聞いているほうは何のことだかさっぱり分からないが、会話は弾んでいるようだ。会話の内容に疑問を持っていないのは、ジュンとヤマダくらいのものだろう。
 聞いているのかいないのかよくわからないフクベ提督は、そもそも気にしていないかもしれない。


 「アラアラ、何もかも手配済みってわけ。手回しのいいこと。それもこれも全部アンタのためでしょ?マメな男よねぇ。この果報者」
 


 からかうように言われて、表情には出さないものの、困ったように顔を背ける。
 誰にも見えなかったが、バイザーの向こうに隠れたアキトの視線が、うろうろと宙をさ迷った。
 
 結局なにも言い返す言葉が浮かばなかったらしい。
 


 アキトは撤退を決め込んだ。



 「………ジュン、報告は口頭でなく、文書にまとめて転送する」



 「え?ああ、分かったよ。よろしく」


 いきなり話を振られて驚くジュンを尻目に、ムネタケに答えないまま踵を返す。


 「では、俺は退出させてもらう」

 「ば、ちょ、まてアキト!オレ、住居ブロックの場所知らねーんだぞ!?」

 「コミュニケで確認しろ」


 言うが早いかブリッジから出て行ったアキト。
 置いていかれてはたまらないと、ヤマダが慌てて後を追う。
 
 操作方法に自信がないと叫ぶヤマダの声を、入り口の隔壁が遮断した。
 





 「仏頂面で有能で、できすぎたような男だけど、色恋沙汰だけは太刀打ちできないあたり、可愛いったらないわねぇ……………ん?」
 

 くすくすと笑いながら若者達を見送っていたムネタケは、ブリッジ内の注目に気づいて少したじろいだ。
 ミナト、メグミ、ルリの三人がじっとムネタケを見ていた。


 その中の一人に、目の輝きが違う人間がいる。


 「な、なによ」

 「副提督、今のパイロットの人達と知り合いなんですか?」


 メグミは胸の前で手を組んで詰め寄った。
 頬を染めてうっとりとした顔をしつつも、かなり鼻息が荒い。


 「お、欧州方面軍に出張してた時にちょっとね。濃い奴の方とは半年前にネルガルで会って…………って、ちょっと、そんなに詰め寄らないでよ!」

 「あの人かっこいいですね!!身長は?年齢は?ご出身は?」

 
 ムネタケが一歩後ろに下がると、さらに前に出る。
 救いを求めるように周りを見渡すが、面白そうに眺めるだけで誰も助けようとしない。
 もう一人の標的になりそうな相手は……と思いついて姿を探せば、いつの間にかジュンは一人で遠くへ離れていた。

 いち早く状況を察知して避難したらしく、手を合わせてこちらを拝んでいる。


 (後で覚えてなさいよ)


 密かに復讐を誓う。


 ムネタケがなんとかしてメグミの追求から逃れようと頑張っていると、そこにプロスが帰ってきた。
 反省文のノルマと駄目押しのお説教が効いたのか、ぐったりした艦長が後ろに続いている。

 天の助けとばかりに、ムネタケはプロスに話題を振った。
 
 
 「………そんなの知らないわよ!プロスペクターに聞きなさい、同じ会社に勤めてるんだから!」

 「は、何でしょうか?」

 「パイロットの情報を知りたいそうよ」


 うんざりした顔のムネタケの説明に、プロスが首をかしげる。

 
 「乗務員の情報を?通信士のあなたが?」

 「はい。あの人素敵ですよね………」


 うっとりと呟くメグミに、ユリカが目をぱちぱちと瞬かせた。
 どうやら早くも説教を忘れたらしい。


 「え、そんなカッコイイ人がいたの?どんな人?教えて〜」

 「そうです、教えてください!好きな食べ物は?好きな色は?好きな女の子のタイプは!?」


 ユリカの言葉で再びメグミが騒ぎ始める。
 一番最後の質問に一番気合が入っていたのは言うまでもない。
 わくわくしながらプロスとメグミを見比べるユリカは、ついさっきまで叱責されていたことがすっかり頭から抜け落ちているようだ。


 「個人的な理由でしたか。しかし、私は艦長にお説教をしなければなりませんので………」


 「「「え―――――っっ!!?」」」

 
 サワヤカにかわされた。
 メグミの不満の声とユリカの悲鳴、そしてムネタケの悲痛な声が同時にあがる。


 「ずっと閉じ込められてたのに、また監禁ですかぁ〜!?」

 「監禁?人聞きの悪い。軟禁ですよ」

 「変わんないですっ!」

   「艦長は反省してらっしゃらないようですので。というか、仕事をするというから戻ってきたんですよ?仕事をなさらないのなら、お説教を続けさせていただきます」

 「そんなぁ……!ちゃ、ちゃんと仕事しますから!!」

 「反省文に、始末書もセットですね。さっ、行きましょう」


 聞く耳を持たないプロスは、そのまま嫌がるユリカを引きずって再び退室してしまった。
 二度目だ。プロスの気合の入りようからして、あと数時間は戻ってこないだろう。
 ジュンがとばっちりを恐れて、その後をさりげなくついていく。
 副長の私室ならばオモイカネの端末が設置されているから、仕事に支障はないのだ。
    


 「て、ことなんで………副提督?」


 再びメグミに質問の矛先を向けられるムネタケ。
 なんとか逃れようと再び周りを見渡した。


 「あ……ちょっと、そこのアンタ!壁と一体化してるやつ!!」


 そこで初めて全員気がついた。
 言われてみれば、壁際に一人の大男が立っている。


 ゴート・ホーリー。あまりにも寡黙なせいで存在を忘れられがちな男。

 
 一言もしゃべらなかった上に、体格に比して異常に薄い存在感のせいで誰にも気づかれなかったが、藁にもすがる思いのムネタケによってようやく発言の機会が訪れた。
 しかし、彼は極度な口下手だ。


 「アンタもネルガル社員でしょ!?」

 「部署が違う。個人情報の漏洩になる。」


 せっかくのチャンスにこれしか答えなかった。
 そして再び壁に同化する。
 もしかすると彼はそうやって、自分の存在を忘れている人々を観察するのが好きなのかもしれない。


 「アタシが言ったって漏洩でしょうが!!」


 言い募るムネタケに、返事はない。
 ただじっと巌のように立ち尽くすばかりだ。

 ムネタケは地団駄を踏んでからちらりと後ろを見た。
 二人がそういうやり取りをしている間も、期待の目がムネタケをじ―――――っと見ている。



 じ――――――――っ。

 じぃ――――――――――――――っ。

 じぃぃぃ――――――――――――――――――――――――っっ。




 「くっ………判ったわよ!でも、一般的に軍部で知られてる事しか言わないわよ!?」


 
 ついにおねだり視線攻撃に屈したムネタケが、ヤケのように言った。
 心なしか背中が煤けて見える。


 「わぁ〜い!!」


 メグミは両手を上げて万歳した。
 ミナトがちゃっかり拍手している。

 表情の少ないルリも、ムネタケの方へちらりと目線をやった。


 「で、で?あの人はどういった方なんですか?」


 さっそく話をねだるメグミに、肩を落としつつも律儀に答える。


 「あの二人は、自分で言ってたとおりマルスエンタープライズからの出向社員で、ネルガルのテストパイロットよ」

 「はい。他のクルーにもいますよね、他社から出向していらしてる方が」

 「そうね。一年くらい前に表に出てくるようになったらしいけど、それ以前は名前の欠片さえ聞いた事なかったわ。今じゃ、その筋では結構な有名人ね」

 「そんなことってあるんですか?」
 
 「実際にあったもの。巷の噂では、マルスとネルガルの秘蔵っ子でエステバリスの開発に関わってたとか、火星で新型兵器のテスパイやってたとか、ゲーセンでシミュレーションやってたところを拾われたとか言われてるわね」

 「それって本当のことですか?ゲームセンターでなんて……」

 「ま、実際どうかは本人に確かめなきゃ判らないでしょ」


 さりげなく誤魔化したが、実際にヤマダがゲームセンターで高得点を出して見出されたのは本当のことだ。
 もちろんムネタケもそれを知っているが、個人情報の範疇に入ると踏んで言わなかった。
 親しくなればメグミが自分で聞くだろう。


 「ねぇねぇ、私も聞きたいことがあるんだけど」


 便乗する形で、ミナトも質問をする。


 「さっき副長がプリンス・オブ・ダークネスって呼んでたわよね。本人は、コールサインはダークネスだって言ったのに」

 「周りが言い出した通称よ。たしか、相方が呼んだのが最初で、字面がいいから広まったんじゃなかったかしら」

 「相方?さっきの熱血君?」

 「違うわ。プリンス・オブ・ダークネスの相棒は、ホワイト・ナイト。白の騎士ね」

 「王子様に、騎士様ですかぁ!」

 「闇の皇子様と最初に呼んだのは彼だそうよ。白黒で見栄えがいいなんて言って笑っていたけれど、ちゃんと意味があるのよ」



 「アリスですね?」


 ルリが確かめるように口を挟んだ。 


 「ルリちゃん?」

 「ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の登場人物」


 琥珀色の瞳が、キラリと光る。


 「『不思議の国のアリス』の続編として出版されたこの本で、ただ一人、徹頭徹尾アリスの味方であり続けた、チェス盤上の白の騎士。度々滑稽な描写をされながらも人々に愛され、今でも救いの手として経済界などで引用される事があるようです。」


 ムネタケは黙って頷いた。


 ホワイト・ナイトこと、アカツキ・ナガレ。
 彼は、ただ一人テンカワ・アキトのためだけに剣を振るい、その盾となる。


 (多分テンカワよりも怖い男だわ)


 一見してちょっと見た目のいい、軽そうな優男だが、その裏側で呼吸をするように自然に策謀を練れる人間だ。
 どこに刃を隠しているのか欠片も見せないが、油断すると知らないうちに脾腹に刃を突き入れられ、大打撃を食らうだろう。

 アキトの味方である限り、その刃がムネタケに振るわれることはない。
 アカツキは可能な限り、アキトを大事にする人間、アキトにとって大切な人間もその庇護の腕に入れるからだ。
 

 しかし、基本的にアカツキは、アキト以外全てを切り捨てられる人間だということは胆に銘じておくべきである。
 

 気安くて軽いあの男が、笑顔の下にどんな気持ちを隠して白の騎士を名乗ったのか。
 彼らの真実を知る人間ならば、その願いと祈りの重さに気づく。




 「へぇーなんかいいわね。相棒を守るためのコールサイン、か」

 
 感心したようなミナトの声で、ムネタケは気持ちを切り替えた。

 あの男がどんな人間でも、味方であれば心強い限りだ。
 そして自分は、当面アキトと敵対する予定はない。


 「さ、こんなもんでいいでしょ!仕事しなさいよ、し・ご・と!!」

  
 パンパン、と手を叩いて話を終わらせようとすると、メグミが噛み付いた。


 「ちょっと待ってください!!」

 「何よ」
 
 
 いぶかしげなムネタケに、今更ながらにもじもじとしつつ、ぽつりと言う。


 「あの………私、ガイさんのお話を聞きたかったんですけど………」


 一瞬の静寂ののちにブリッジがざわめく。


 「え、メグミちゃんああいう熱血っぽいのが趣味?」

 「元気で明るくていいじゃないですか。顔立ちだってちょっと濃いけど素敵で、あっちのバイザーの人より親しみやすそうだったし」

 「ま、一緒にいて飽きるって事はなさそうね。私はもうちょっと落ち着いてた方が好みだから、もう一人のほうがいいな」

 「確かに元気ではありましたね」


 意外にもルリが同意した。


 「でしょ?ああいう男っぽい人って、恋人できたら大事にしてくれそうじゃないですか。私、元声優だから、アニメが好きなら話もあうかなって」

 「あーなるほど、話があうってのはポイントよね」


 戦闘時の活躍の影響もあってか、ヤマダの評判は悪くなかった。
 が、ムネタケは納得がいかない。
 あの落ち着きがなくてウルサイ男のどこがいいのだろうかと首をかしげている。


 「…………………あんた、趣味悪いわね………」

 「ほっといてください!!」

 
 仕事を忘れて盛り上がる女性陣。
 ブリッジからはすっかり戦闘の気配が消えていた。














 和やかなブリッジで話題になっていることも知らず、パイロット達はのんびりと住居ブロックの前を歩いていた。

 その名のとおり乗組員たちの住まいとなる住居ブロックには、ゆるいカーブを描く回廊沿いに、よく似通ったドアがずらりと並んでいる。
 基本的にはクルーの住居は二人部屋なのだが、今回は乗員が少ないために一人で一部屋使っているものも多かった。
 
 アキトやヤマダも、個人で一部屋を与えられている。 


 「なあアキト、今思ったんだけど……」


 通路を歩きながら思い出したようにヤマダが言った。
 

 「なんだ」

 「オレら、着任の挨拶にいったんだよな?」

 「そうだ」

 「なのに、結局艦長に会わなかったな」

 「ああ」


 ヤマダはかろうじて戦闘の際にモニタ越しに対面をはたしてはいたが、アキトに至っては顔さえ合わせていない。
 
 挨拶に行った時には、艦長は二人と入れ違いになる形でプロスに拉致されていて、それっきり戻ってこなかった。
 彼女が遅刻しなければ敵襲の前に会うことになっていたのだが、それもうやむやになっている。
 『前回』の再会は、アキトが戦闘後に訪れたブリッジだったのだが………。


 「気を利かせてくれたか」


 何故プロスがパイロットの挨拶前にユリカを引きずっていったのか。そして、アキトがいる間彼女をブリッジに近づけなかったのか。
 その理由を、アキトは察した。
おそらくは、ユリカがアキトに近づかないよう、監視していたのだろう。 


 (俺とユリカの『前回』の関係を知っているからだろうな)


 彼はそういった気配りのできる男で、だからこそアカツキが重用している。
 時折気の回しすぎだと言いたくなる事もあるが、今回の件に関しては素直にありがたいと思った。




 今更ユリカに未練はない。


 あの病室で既に彼女とは決別したつもりだし、もはやここにいる彼女は、かつて妻であったユリカとは完全に別の人間なのだ。
 ムネタケやジュンがアキトとの出会いによって180度に近い性格の転換をしたように、彼女もまたあのユリカではない。 
 この世界で会う人間は、アカツキ以外は皆初対面であるし、なにより、アキトにはもうユリカより大切な人間がいる。

 それでも。

 ユリカと会う前に猶予が得られることには、感謝していた。

 今、ナデシコに乗ったばかりで彼女に会うのは、精神的に少しつらい。
 守れなかった自分の弱さをまざまざと思い出してしまう。
 

 「それも、俺の負うべき咎なんだが、な……」

 
 「ん?何だって?」


 聞き返してくるヤマダを見る。
 能天気そうな、あまり物を考えていないようなきょとんとした顔をしている。
 彼を見ていると、自分の悩みが小さく見えてくるから不思議だ。


 「いや、なんでもない。……いいんじゃないか。副長に挨拶してあれば」

 「あー確かに。艦長よりしっかりしてそうだしなぁ」

 「お前も中々言うな」

 「だって本当のこと………と、ここが俺の部屋か。危うく行き過ぎちまうところだった」


 突然立ち止まったヤマダが、慌てて数歩戻った。
 ポケットから取り出したメモを見ながら部屋のナンバーを確認する。
 ドアはどれも同じだから、気をつけていないと直ぐ分からなくなってしまうのだ。


 「ん、間違いないな!それにしても分かりにくいなーここ。目印になにか貼り付けたりできねぇかな」

 「生活班の庶務にでも聞いてみろ」

 「そうだな。落ち着いたら相談しにいくことにするか」

 「じゃあな。俺は向こうだ」


 「ちょ、待て、荷解き手伝ってくれよ!」


 そのまま行こうとするアキトを慌てて引き止めた。

 乗艦前に個人の荷物は全て部屋に運び込まれている。
 しかし、家具類は設置されているものの、衣類その他の荷解きは自分でやるしかないのだ。
 私物の多いヤマダは、梱包を解くだけでも作業に相当時間がかかるだろう。


 「断る」

 「ケーチ」

 「だから荷物を減らせと言っただろうが。聞かないお前が悪い。大体お前は………」

 「そういや、お前、あと二つ向こうだろ?なんで空き室二部屋も挟むんだろうなぁ。分かりにくいったらないぜ」


 都合が悪くなったと途端に、あからさまに話題を変えた。 
 心なしか冷や汗が見える。


 「…さあな。だが、静かでいい。壁際の部屋だしな」


 アキトが答えるまでに、ほんの一瞬間があいたのに、ヤマダは気づかなかった。


 「ふぅん。まあいいや、じゃ、また後でな!!」


 これ以上何か言われる前にと、そそくさと自室に入るヤマダを見て、ため息をついた。
 こんな場面をアカツキに見られたら、きっとからかわれるだろう。

 
 「修行が足りない……」

 
 これがプロスだったら。アカツキだったら。
 動揺を表に出すことなく、さらりと流せるだろうに。


 アキトは戦闘時以外の腹芸は基本的に苦手だ。

 ブラックサレナで戦っていたころに身に着けた無表情が、ナデシコに乗ってから変に崩れている。
 今も、そして先ほどムネタケと会話していた時も。
 バイザーに隠されていなければ、アキトの感情は初対面の者にも筒抜けだったろう。


 (おかしい。いつもの調子がでない)


 アカツキはアキトに表情が戻りつつあることを喜んでくれるが、その好意に甘えてアカツキの負担を増やすのは不本意だ。
 そんな自分を自分が一番許せない。


 (クソッ…………なんだっていうんだ!)


 アキトは、自分を戒めるように奥歯を強く噛み締めた。

 
 『君の足りないところを補うのが僕の役目だよ』


 アカツキの笑みを含んだ声が、聞こえたような気がした。












 アキトの部屋は住居ブロックの一番片隅にある。

 その隣の2部屋は使用禁止だ。
 表向きは、建設中の不手際により突然減圧が起きたり重力制御に異常が生じたりするから、ということになっている。
 それゆえに、オモイカネとまったく違う予備コンピュータの補完場所になっており、人間が入れないように厳重にロックされている、と。

 だが、ある一部の者達はそれが嘘っぱちだということを知っている。

 これと似たような理由で閉ざされた場所が、他にもあるということも。



 

 アキトは自室に入ると、まず入り口をロックした。

 一度使ったことがあるのだから、鍵をかけるのも手馴れたものだ。
 中はといえば、間取りこそ前回と同じだが、今回は畳ではなくフローリングの部屋である。
 ガイとちがって開発中から出入りしているのだから、今更荷物を解く必要はない。

 室内にはクローゼット、机と椅子、ローテーブルやベッドが設置されていた。
 他の部屋の、備え付けや個人持込の家具とは比較にならないほど上質の物だ。

 しかし、それらの調度に欠片も注意を割くことなく、アキトは無造作な足取りで室内を進む。
 歩むことわずか数歩にして、立ち止まったのは部屋の最奥、この部屋の中で最も大きな家具の前。
 必要最低限のみの家具が並ぶ没個性な部屋で、一番目立つもの。





 そこにあったのは、縦横2メートル以上はあろうかという巨大な本棚だった。 





 普通は本棚の中身からその持ち主の好みの傾向が分かるのだが、この本棚の中身は随分と脈絡がなかった。
 児童文学から最先端科学の業界紙、一世紀以上前の恋愛小説まで、ジャンルにはまるで一貫性がない。
 おまけに並べ方といったら、詩集の横に科学評論が並んでいるような有様だ。
 どうやら単純に大きさだけ合わせて並べたらしいそれらを一瞥し、無言のままため息を一つ零すと、アキトはゆっくりと本棚に手を伸ばした。


 『トムは真夜中の庭で』『アルジャーノンに花束を』『永遠の終わり』。
 
 
 背表紙をすべる指が、あっという間に三冊の本を選び出す。

 名作児童小説、大昔のベストセラー、マイナーなSF小説。


 一見して関連性のないセレクトだが、アキトの目的は本自体ではない。
 そのまま三冊の本を机に置くと、再び本棚の前へ戻る。


 本のあった空間が空けば、アキトのおおよそ目の高さに、手のひらで覆えるほどの透明な半球体があった。
 まるで何かのオブジェのようなその物体は、本棚にぴったりと接着している。
 いや、接着しているというよりも、埋め込まれている、と言うべきか。 


 アキトは再び軽くため息をついてから、無造作にそれに手を触れた。 

 一瞬だけアキトの手にナノマシンの紋様がふわりと浮き出し、消える。
 それと同時に、球体の中に稲妻のように光が走った。


 「なんでこう、わざわざ面倒な仕掛けをするんだか………」


 ついに零れたぼやきに、アキト以外は無人であるはずの室内で、ありえない反応が返った。




 『マスター・アカツキのご趣味です』




 突然現れるフライウィンドウ。
 しかしアキトはそれに驚くでもない。


 『おかえりなさい、マスター・アキト』
 
 
 もう一つ現れたウィンドウが、まるで子犬が纏わり付くようにくるりとアキトの周りを回った。
 

 「ああ、今帰った。待たせたなヒトコトヌシ」


 オモイカネではない。
 この時期のオモイカネは、まだこれほどに感情を感じさせる動きをしない。

 
 アキトが笑いながらそのウィンドウに触れると、そこを基点にして、水面に波紋が広がるようにして表示が変わった。
 次にそこに現れたのはこの部屋の映像だ。何種類かが画面を分割して映っている。
 室内に配置された家具の位置からして、部屋の斜め上、出口の正面、それに真上、といったアングルから撮影しているようだ。
 
 
 どこからどうみても、アキトの部屋だ。
 だが、その映像には一つだけ不自然なところがあった。



 アキトが机で本を読んでいるのだ。



 実際のアキトは本棚の前でウィンドウに触れている。
 しかし、ウィンドウに映るアキトは、頬杖をつきながら本を眺め、時折ページをめくっている。
 唯一つだけの、決定的な違い。



 「大丈夫そうだな」

 
 派手な間違い探しのような映像を見ながら、アキトが満足げに言った。
 触れていた指を離すと、再び机の上の本を元の位置へ戻す。
 アキトの言葉を喜ぶように、ヒトコトヌシと呼ばれたウィンドウが光を強めた。
 

 「これで目はOKだ。耳の方も誤魔化しておいてくれ」
 

 当たり前のように言うのに応えて、『了解』のウィンドウを展開する。


 実はこの映像、オモイカネへのダミーなのである。


 オモイカネは常に艦内をモニターしている。
 ブリッジ、通路、格納庫、食堂、レクレーションルーム、エンジンルームと、有人無人に関わらず、常時その映像は記録され、必要な時にいつでも引き出せるようになっている。
 もちろん乗組員個人の部屋は、プライバシー尊重のためにカメラを切ってあるが、艦長にはこのカメラを作動させる権限があるのだ。
 
 そしてアキトもアカツキも、この艦長のモラルにはまったく信を置いていなかった。

 
 
 だからこそオモイカネを騙す。騙せるだけのAIを用意する。
 
 それは、オーバーテクノロジーを利用したオモイカネを、なお上回る性能を誇るAI。
 アキトとアカツキをマスターと呼ぶこのAIこそ、空き室に配置された予備コンピュータ。

 オモイカネに先駆けて密かに起動された、スーパーAI『ヒトコトヌシ』だった。



 「ヒトコトヌシ、扉を開けてくれ」

 『合言葉をどうぞ』

 「………それも言うのか?」

 『マスター・アカツキのご要望です。それから、バイザーを』


 アキトはゆっくりとバイザーを外した。


 「……………………《同じ場所に留まるには、全速力で走らなければならない》」 

 
 いやいやながら口に出された言葉だが、ヒトコトヌシは即座に反応した。


 『合言葉の確認』
 『声紋チェック』『クリア』
 『網膜パターン確認』『OK』  
 『全身スキャン終了』『誤差範囲内』
 『IFS・ナノマシン照合』『確認』
 

 チカチカと瞬くウィンドウが、展開され、収縮、拡大しては消えていく。
 何重にも掛けられた鍵を解除しているのだと、アキトには分かった。
 
 そして数秒の後。

 
 カチリ


 軽い、何かが嵌ったような音がして、大きな本棚が突然後退した。
 
 本棚は壁に密着していた。にも関わらず本棚が動いた。
 つまり、壁ごと移動したのである。

 人一人が通り抜けられるほどの隙間ができると、アキトはそこに滑り込んだ。
 直後に、再び本棚が動き、元のように壁に密着した状態に戻る。
 変わったところといえば、アキトが部屋からいなくなったことだけだ。



 アキトがいなくなると同時に、ウィンドウも消えた。
 部屋の中には沈黙が降りた。





 
 

 ふわふわしたソファーと、テーブル。コンソールが二つ。
 それ以外に人が使うような物は何一つない。


 冷たい金属に囲まれた場所だ。
 雰囲気としては格納庫とエステバリスの中を足して二で割ったところに、ブリッジ風味を効かせた、といったところか。
 どちらにしろ、普通の人間なら長時間いたいとは思えないような場所だ。
 ここに居心地のよさを感じるのは、ウリバタケやヤマダ、ルリ、アキトやアカツキといった、日常に機械が入り込んでいるような人間だけだろう。


 「まったく、無駄なところに金を使って……」

 
 扉の向こう側に出たアキトは、座り心地のよいソファーに腰を下ろすと再びため息をついた。

 こんなことをしなくても、普通にアキトの部屋のバスルームにでもドアを付ければそれで済んだのだ。
 誰もわざわざ人の部屋でシャワーを浴びたりしない。
 わけのわからないこだわりで入り口に凝ったせいで、随分と出費が増えたのを、アキトは未だに気にしていた。


 さて、その無駄なことを仕掛けた本人は、一体どうしているのか。


 「ヒトコトヌシ、アカツキは今何をしている?」

 『エリナ女史からの書類を決裁後、マスター・アキトからの通信を待って、コトシロヌシを待機させています』


 コトシロヌシは、ヒトコトヌシと同時に起動されたAIだ。

 人間で言えば双子の兄といったところか。
 こちらのヒトコトヌシがアキトのために用意されたものだとしたら、コトシロヌシはそれと対になる、アカツキのためのAIだった。

 存在自体が秘匿されたヒトコトヌシと違って、コトシロヌシの方はネルガルの情報を守るものとしてある程度の知名度がある。
 自然、接する人間の数も多く、ヒトコトヌシより経験も情緒も豊かだった。 
 ナデシコの出港一ヶ月前に起動したオモイカネとは、当然ながら比較するまでもない。

 ヒトコトヌシとコトシロヌシが同時に攻略にかかれば、オモイカネさえ落とせる。
 こちらに飛ぶ直前にシステム掌握によって痛い目に遭った経験から用意された、対マシンチャイルド、対オモイカネ級AI用の秘密兵器である。
 


 「そうか……アカツキを呼んでくれ」



 『了解しました』



 文字ウィンドウが消えると、数瞬の後、アキトの正面のソファに人影が現れた。
 ウィンドウではなく、ホログラムだ。


 特徴的な切れ長の目が、アキトを捉える。
 口を開けば愚にも付かない言葉の出る男だが、整った面差しは精悍で凛々しい。



 長い足を組んで、シックなスーツを身に纏ったアカツキが、アキトの正面に座っていた。



 今朝見たばかりなのにもう懐かしい顔。
 アキトだけを見ていてくれる眼差し。

 この男と離れていて、自分はうまくやっていけるのだろうかと、アキトは密かに子供のような不安を抱いた。


 「半日ぶりだな、アカツキ」


 思わず何かを請うように名前を呼ぶ。
 ホログラムの淡い輪郭がはっきりと色をなすと、途端に椅子に座ったアカツキが心配そうに身を乗り出した。


 「アキト君!!大丈夫だったかい?何も問題はなかった?」

 「ああ。それよりお前、やっぱりこの仕掛けは無駄だと思うぞ?手間ばかりかかってしょうがない」


 声を聞いて、ようやくホッとした。
 後はもう、いつものペースだ。
 軽口の応酬に少しだけ深刻さを潜ませる。あるいは、深刻な話を軽口で中和する。


 「いいじゃない、密会といえば隠し部屋。隠し部屋といえば本棚の裏。ロマンだよ。ねぇヒトコトヌシ」

 『賛成』
 『過去の文学、映画、ドラマ、ネットワーク上の情報等を参照の結果、統計的にそれは正しいかと思われます』
 『シチュエーションに凝るというのは、趣味人の証だそうです』


 アキトの周りに、いくつかの表示が出る。


 「だが、こちらに入るたびに本を動かすのは無駄な手間だ」

 「折角用意したのに……じゃ、次からはヒトコトヌシを待機させておいて。そしたら本を取り出す手間は省けるから」

 「最初からそうしろよ」

 「趣味だよ、趣味。ヒトコトヌシだってカッコよく登場したいだろう?」


 肩をすくめて問いかけるが、帰る答えは小さなウィンドウ一つだけだ。 


 『マスターのご意見に従います』


 「物言いが固いなぁヒトコトヌシは。そう思わない?コトシロヌシ」


 問われたとたん、アカツキの周囲に別のウィンドウが展開した。
 こちらはホログラムではない。
 おそらくヒトコトヌシを経由してデータを送っているのだろう。

 『そのとおり!』
 『ヒトコトヌシはそういう性格です』
 『マスター・アキトの影響?』
 『もうちょっと柔らかくないと』

 もっと頑張りましょう、と小学生のテストに押されるような書体でハンコの映像が出る。
 コトシロヌシの方が人間味があるようだ。
 オモイカネもコトシロヌシをモデルに設定されているため、こちらもよくこういった茶目っ気を見せる。 
   

 AIと掛け合い漫才を始めたアカツキに、アキトが白い目を向けた。

 
 「ヒトコトヌシはそれでいいんだ。これからもっと成長する」
 
 「でも、アキト君のサポートならコトシロヌシくらい柔らかくてもいいと思うよ……やっぱり、僕も乗り込もうか。今から行ったらまずいかな」

 「エリナに大目玉を食らうぞ。それに、サセボは今大騒ぎだろう」


 駐留軍のみなならず、街中にも被害が出ている可能性は高い。
 たとえバッタやジョロが街まで行かなくとも、パニックに陥った人間が事故や事件を起こしている場合もある。
 
 ネルガルグループに影響が出ないとも限らないのだ。


 「………それじゃ、ジャンプしてそっちに行ったら……」

 「却下。大体いくらオモイカネの目や耳を騙せても、お前にはそちらですべきことがあるだろう。俺も、何が起こるか分からないのに、ナデシコを離れるわけにはいかない」

 「別に僕じゃなくてもできることだけど……これ以上周りを振り回すとアキト君が気にするから、大人しくしてるよ」

 
 アカツキが困った顔で笑った。
 そういう顔をされると、アキトは何も言えなくなる。


 性格上とても正直に口には出せないが、本当はアキトもアカツキに側にいてもらいたかった。
 だが、散々話し合って結局こうすると決めたのだ。これが一番効率がいいと。

 軍を押さえ木連やクリムゾンの裏を読みながら、情報を駆使して渡り合うのは、アキトには無理だ。
 だから、自分にできることをしなければならない。

 まずはナデシコで宇宙に出ること。
 火星に行くこと。
 ギリギリまで以前の歴史から乖離しすぎないように監視し、なおかつ犠牲者を極力少なくすること。
 

 アカツキもそれは充分理解している。
 
 それでも繰言が出てしまうのは、きっとアカツキもアキトと離れたくないから。




 「………もっと実のある話をするべきだ。アカツキ、ビッグバリアは?」


 無理やり事務的な話を持ち出したアキトに、アカツキが苦笑しながら応じた。


 「うん……交渉は済んだよ。通過にあたっての了解も得た。バリア解除のパスワードに関しては直接文書で渡したいってことだから、そっちで受け取って」

 「これだけ電子情報が氾濫しても、未だに文書のほうが信用が高いのは何故だろうな。……で、使いっ走りの役目を引き受けた物好きは?」

 「知ってるんだろう?」


 一瞬記憶を探る。このタイミングで現れる人物といえば………


 「ミスマル提督?」

 「そう。久しぶりに君に会いたいって言ってたよ。海底に沈んでるチューリップを片付けたら合流するように、副長あてにデータを送るから」

 「わかった。……ユリカに会いたい、ではないんだな」

 「子離れしようとしてるんだよ。娘の躾に関してはいろいろと問題があるけど、今のあの人の姿勢は買うね」
 
 「父一人子一人だし、大事にしてやりたかった気持ちも分かるが」
 

 ミスマル提督も辛いところだろう。
 公人としての立場を優先するか、私人としての立場を優先するか。

 前回は私人として動くことが多かったが、木星蜥蜴の正体をリークした今、娘大事の気持ちだけで動けるほど、彼は無責任ではない。

 
 「ジュン君に、艦長の行動に目を光らせておくように伝えてくれるかい?」
 
 「分かった。着物なんぞ絶対に着させないように、気をつける」


 前回はそれで軍のお偉方の神経を逆撫でしたのだ。
 まあ今回はムネタケがまともだし、ストッパーがいるから大丈夫だろう。


 「……アキト君」

 「なんだ?」

 「顔色が、あまりよくないね」


 じっと顔を見ていたアカツキが、小声で言った。


 「そうか?今朝と変わらないだろう」

 「いや、少し疲れてるように見えるよ。君は戦闘の後だし、もう休んだほうがいい。そう言われなかった?」

 「言われた。セイヤさんに」


 シャワーでも浴びて休めと蹴り出されたことは、言わなかった。
 休んでいるよりもアカツキと一緒にいた方が落ち着く。


 「ほらね。通信が届く間はいつでも連絡を待っているから、とにかく休んで」

 「だが、たかだかバッタやジョロ相手の戦闘で俺が疲れるわけがないのは、お前も承知だろう」

 「気疲れって言葉もあるんだよ。僕にこれ以上心配させるつもり?」 

 「………わかった」


 アキトが渋々返事をすると、不意にアカツキが手を伸ばした。
 触れることのできない指が、そっとアキトの頬の輪郭をなぞる。 
 

 「前は、一月や二月、下手すれば半年近く会えないことなんて当たり前だったし、それでも充分だったのに……」
 
 
 低音の深みのある声が、アキトを優しく包む。
 この声で名前を呼ばれると、胸が痛くなるのはなぜだろうか。
 
 ユリカと二人で暮らしていた時は、こんな気持ちになったことはなかった。

 たった一年、アカツキと共に過ごしただけで、なんでこんな風になってしまったのだろう。
 

 「今は君と半日会えないだけでこんなにうろたえて、我ながらみっともないよ」


 うろたえているのは自分のほうだと、言おうと思った言葉は言えなかった。
 まさかこんな短時間離れただけで、これほどに情緒が不安定になるとは、自分でも信じられない。
 

 アカツキが通った指の軌跡が、熱を帯びたように火照る。

 指は目元から唇までをゆっくりと辿ると、そのまま静かに離れていった。
  

 
 思わずその指を引きとめようと手を上げたとき。
     

 「なんだか欲ばかり増えて、ごめんね」


 苦しそうな、泣きそうな声でアカツキが言った。


 アカツキ。
 名前を呼んだけれども、それは言葉にならなかった。
 こちらを見つめる柔らかな眼差しには、強い光が潜んでいる。


 「アキト君?」


 低く穏やかな声が、アキトの名を呼ぶ。


 「やっぱり疲れてるんだよ。もう回線を切断しよう。………じゃ、ちゃんと休んでね?」


 またね、と笑って手を振るアカツキが、消える瞬間。

 
 「………バカ。会いたいのはお前だけじゃない」


 アキトの呟いた言葉が、アカツキの耳に届いた。



  「お互い様だ……」



 ホログラムは既に完全に消えている。
 もう聞こえないと知りながら呟いたアキトは、胸の痛みを抱えながら、静かに自分の部屋へ戻った。


 シャワーを浴びたら報告書をまとめる。
 それが終わったら、格納庫へ行く。


 仕事をしていなければ、アカツキのことばかり考えてしまいそうだった。

 こんな気持ちを紛らわす術を、アキトは他に知らなかった。








 


 アカツキは誰もいない会長室で、椅子に深く寄りかかって、顔を片手で覆っていた。

 みるみるうちに顔面に血が上っていくのが、自分でも分かる。
 ここに人がいなくて本当によかった。取り繕う必要もなく、いくらでも浸っていられる。


 予想だにしなかった一撃だ。致命傷だ。 
 もうどうしようもない。
 
 
 「まいった……なんで時々無闇に可愛くなるのかな……」
 

 今すぐ飛んでいってぎゅっと抱きすくめてしまいたい。
 本当にやったら滅茶苦茶怒られるだろうけれど。


 だって、あんなこと言われたら我慢ができないじゃないか。


 普段はクールで死ぬほど格好いい……と、アカツキが思っている……彼が、気の許した相手にだけごくごく稀に見せる素直さや幼さが、心の琴線を目一杯かき鳴らす。

 一体どんな顔で言ってくれたのか。
 いっそもう一度繋ぎなおしたいが、それをやったらとんだ野暮になる。 
 
 居ても立ってもいられなかった。
 ばかげた話だと思う。
 こんなに彼に会いたいと思っていて、そのための手段も持ち合わせているのに、なんで会いに行かないのか。

 
 「でもなぁ……」


 自信を持って言える。
 直接顔を見て、触れてしまったら、もう絶対に戻ってこられないだろう。

 それではダメだ。
 
 アキトの近くにいれば、ある程度は戦闘で役に立つくらいの自信があるが、近くにいては守れないものもある。
 自分のすべきことを見失ってやりたいことだけをやっているような人間では、アキトの隣に立つ資格はない。

 その程度の分別と理性は残っている。

 
 「それにしても、どうしちゃったんだろうね、僕は」


 かつては数ヶ月単位で離れ離れになっていたのに、たかだか半日かそこらでこのざまだ。
 
 普通に考えてありえない。

 ナデシコ搭乗前だとて、仕事の都合で数日離れることなど珍しくはなかったのに、今更なんでこんな気持ちになるのか、自分でもさっぱり分からない。


 「この一年ずっと傍にいられたから、贅沢に慣れちゃったのかな」


 そう言ったきり、アカツキはガックリと俯いた。
 これにこの先延々と耐えなければならないのかと思うと、目の前が真っ暗になる。


 「惚れた弱みだしなぁ…………」  

 
 会いたいけど会えない。
 こんな少しの時間で、もう君が足りない。
 禁断症状にグルグルと廻る思考をかかえ。

 同じ想いを抱え込んだ二人が、丁度同じタイミングで。




 深い深い、溜め息をついた。





2005. 2. 4


 後書き反転↓

 久々の更新です。遅くなってしまってごめんなさい。
 アカツキ、やっと出せました……。
 相変わらず脇キャラが激しく出張ってますが、主役はこの二人です。はっきり断言しておかないと揺らぎそうだ(笑)
 視点をころころ代える書き方って面白いけど、切り替えのタイミングが難しい。精進します。
 ヤマダが真面目になりつつある代わりにメグミがギャグキャラに近づいていってますが、動かしやすいのでこのままの路線で。
 次の更新までまた間が空きそうだなぁ。

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