こんなに痛い思いをするのは久しぶりだ。 鼓動と同じタイミングで痛みを伝える傷に、アスマは小さく舌打ちした。
 脇腹を抉っていった刀は持ち主ごと崖下に蹴り落としてやったが、それでもまだ腹立たしい。

 もつれる足は普段の半分ほどの速さも出してはくれない。
 さして大きな傷でもないが、止血してさえ完全に止まらぬ血が、体力を奪っていく。


 「しくじった……」 
 
 
 忍び込んで密書を奪うだけの任務だったのだ。別に難しいことではない。そこに、同業者がいなければ。
 里が違っていても侵入の手口など似たり寄ったりだから、忍者が相手方にいると任務の難易度は飛躍的に上がる。
 にも関わらず、目標の屋敷に忍がいるという話は知らされていなかった。
 最初からそういった情報を掴んでいなかったのか、或いは分っていたのに実働部隊に情報が下りてこなかったのか。どちらにしてもこれはアスマ達のミスではない。
 不幸中の幸いというか、仲間の一人が監視網にひっかかったのは、密書を奪った後だった。後はまるでいいこと無しである。

  
(…………クソ、帰ったら厳重抗議だ!)


 帰れれば、の話だが。


 何しろ敵は予想外の強さで、追っ手の第一陣は振り切ったが、アスマは手負いになっている。
 さらに追撃されたら凌ぎ切れる自信はなかった。
 敵を霍乱するために三叉路で別れてから、背後で爆発音が聞こえたきり、二人の安否は不明のままだ。
 共に任務に就いた仲間は、中忍と新米上忍。二人ともアスマより年嵩だが、実力はアスマの方が上だ。彼らにあの敵は荷が重すぎた。


 (死んでなきゃいいけどな)

   
 一瞬、別れ際に肩を叩いていった手を思い出したが、仲間を案じてばかりもいられない。
 無事に木の葉の里にたどり着けねば、折角奪った密書も意味がないのだ。なんとしてでも帰らなくては。

 追っ手の気配は絶えたままだったが、アスマは怪我を押して走り続けた。
 





   

― ちいさな肩だった ―







 
 夜に飛ぶ鳥は不吉だと、誰が言ったのか。
 小さな体に、軽いとは言えない密書を結んだアスマの鳥が、夜の闇を切り裂いていく。
 森の中、かなり街外れではあるものの、ここも木の葉の里内だ。明らかに忍びが使役していると分る鳥は、仕留められる恐れがない。



 任務、完了。
 

 鳥の姿が消えるまで見送り、崩れ落ちるように座り込む。
 ようやく一息つくことができたが、どうもこのまま立ち上がることは出来そうにない。
 血を、流しすぎた。
 もってあと1、2時間といったところだと、上忍の知識が教えてくれる。

 
 「あー疲れた………」


 死ぬ前に煙草が吸いたいと思ったが、懐を探っても箱しかなかった。しかたなしにどさりと横になる。

 報告ができぬことが唯一の心残りだったが、それでもアスマは自分の仕事に概ね満足していた。

 まだ十代の若さで死ぬのは残念だが、妻子がいるわけでも、恋人を残すわけでもない。
 幸いといっていいものか、家族とて既になく、最も近しい血縁は里長だ。
 あの老人を悲しませるのは不本意だが、忍の者として、最後には任務の遂行を誉めてくれるに違いない。
 

 (勿体ねぇなぁ、こんないい若者がこの若さで…… )

 
 我ながら中々将来有望だったと思うのだが、客観的に見て、誰かが助けにくるよりも、自分の命の灯が消えるほうが早いだろう。
 辞世の句でも考えるべきかと思ったが、すぐにバカバカしくなった。 

 そうして覚悟を決めてボンヤリと空に目をやれば、頭上には白い花が咲いている。
 風が出てきたせいか、雲の切れ間からさした月光が花の輪郭を際立たせた。見たことのある花だ。




 夢のように、綺麗だった。




 「卯の花、だったっけ……?」   
 
  
 薬草でもないのに、珍しく直ぐに名前がでてきた。

 先週、演習中に同じ花を南の森で見たが、ここは少し開花が遅れているようだ。まだ蕾が多い。
 清楚で可憐な花が、一枚、二枚とはらりと風に吹かれて飛んでいく。
 こんなに強い風が吹いては、散るのも早かろう。
 ここで息絶えれば自分の上には白い花が降り積もるに違いない。


 (悪くないな)

 
 いささか少女趣味が過ぎるような気もするが、花の褥というのも乙なものだ。
 死ぬときは敵地で野垂れ死にだろうと、漠然と予想していたが、里で、任務を全うして、綺麗なものを見ながら死ねるというのは、自分にしては上出来の死に方だ。
 
 すっかり満ち足りた気持ちでゆるりと息をついたその時。
 顔の上に、不意に影が落ちた。


 ぎょっとした。


 傷ついているとはいえ、アスマは上忍だ。それが気配すら感じなかった。
 影の大きさからして成人男性とは思えない。敵の中にくの一がいたのだろうか。
 追っ手ならば一太刀なりとも浴びせて道連れにしようと、軋む身体を無理矢理起こすと、そこにいたのは女ではなかった。
 おそらく、敵でもない。


 「こ、ども………?」


 高く結った黒髪に、真白い着物。一瞬幽霊かと思ったが、どうやら実体がある。
 年のころは三つか四つ程の、えらく目つきの悪い子供が、白い花の舞い散る中、ぽつんと立っていた。
 吊り気味の大きな目が、じっとアスマを見つめている。
 

 「アンタ、このはのしのびだな?」


 えらく横柄な口のききようだ。発音こそたどたどしいものの、まるで大人のような物言いをする。
 身構えたアスマを警戒することなく、ジロジロと上から下まで値踏みするように見る。無遠慮な仕草だが、不思議と不快感はなかった。


 「にんむのかえりに、まよいこんだか」

 
 迷い込んだわけじゃない、と言おうとすると、すっと子供が手を上げた。
 バサ、という羽音と共に小さな毛玉が白い手に落ちてきた。じたばたともがきながら小さな手の中で体勢を立て直すと、子供に甘えるようにくるくると鳴く。

 梟だ。
 
 自力で飛べる程度に成長してはいるようだが、未だ雛と呼んでいい大きさである。
 それでも子供の手と比較して異様に大きく見えるのは、梟が大きいのではなく、目の前の子供が小さいからだろう。

 
 「………をよんでこい」


 小さな声で梟に囁くと、ついと手を上げて梟を飛ばす。
 なるほど、梟ならば夜目が利く。遣いとしてはいい選択だ。毛玉はよろよろとよろけながらも、思ったよりもまともな速度で飛んで行った。
 しかし、誰を呼んだのか。
 もしや敵方の人間で、仲間を引き込もうという魂胆かと、アスマは力の入らぬ手をそっと武器の上に置いた。
 意を決して声をかける。


 「おい」

 「ケガをしているようだったから、ひとをよんだ。しばらくすれば、くる」

 「だ、」
 
 「このちかくにすむ、このはのにんじゃだ」

 「な」

 「クスリのあつかいがうまい。いりょうはんがくるまで、ちゃんともたせてくれるだろう」

 
 聞く前に答えが与えられる。まるでサトリの化け物だ。
 しかし、化け物にしてはいまいち、威圧感だの不気味さだのが足りない。
 目つきは悪いものの、ふくふくとした頬は子供らしく、秀でた額は思わず撫でてやりたくなる。
 現実離れした光景に一瞬人外の者かと思ったが、物の怪が人を呼ぶとは思えないし、これが物の怪だったらそれはそれで面白いとアスマはついつい不謹慎なことを考えた。
 血が足りないせいで頭が回っていないらしい。

 と、馬鹿なことを考えていたら、子供がいきなりアスマの肩を抑えて地面に寝かせようとした。


 「な、にを……」

 「ねてろよ。たいりょく、しょうもうするだろ。………なんだ、このしけつ。なってない」

 
 止血の仕方に文句をつけながら、アスマの応急手当をやり直し始めた。
 止める間もないし、その必要もなかった。迷うことなく的確な手順を踏んでいる。
 アスマの半分ほども身長がないためか、倒れこんだアスマの周りをぱたぱたと走り回って手当てをしていく。
 子供らしい紅葉のような掌を器用にひらめかせる様は、場違いに可愛らしかった。
 時折ぶつぶつと口の中で何か呟いているのは、何かのまじないだろうか。
 小さな手がそこここに当てられるのが、妙にくつぐったい。
 

 「ここおさえてろ………こっちもって。つよくしばれ。もっとだ」

 
 力がいりそうな箇所で容赦なく怪我人本人の手を使いながら、瞬く間に傷を止血しなおした。
 その手際のよさといったら、医療班から勧誘がきそうなくらいだ。救急箱代わりに持ち歩きたい。


 「っつつ………ありがとな、助かったぜ。お前、上手いな」


 痛みをこらえつつ再び起き上がると、一言礼を述べて向き直る。
 手当てを受けているうちに分ったが、どうやらこの姿は変化でもないようだ。
 つまり、この子は正真正銘見かけ通りの年齢なのである。

 とすれば、気になるのはその素性。

 アスマの手当てをするからには木の葉の里の……おそらく木の葉の忍の関係者だろうが、こんな不思議な幼児の話は聞いたことがない。
 
 
 「なあ、聞いていいか?お前どこの子だ?」


 人間か?とは聞かなかった。もし妖怪だったらどうしていいか分らない。
 
 見た目は完全に幼児だ。頭などアスマの手で完全に覆われてしまうほど小さかった。
 掌に至っては、アスマの掌の半分もない。下手したら人差し指と同じくらいの長さかもしれない。
 ちょっと触っただけでぽきりと折れてしまいそうな手首。本当に頭を支えているのか、不安になるほど細い首筋。


 だが、外見にそぐわぬ言動と行動は、とてもこの年頃の子供のものではない。
 

 「その気配の消し方。今の応急手当といい、口調といい、中々その年で身につけられるもんじゃねえぜ」

 「……そういわれても、みについているんだからしょうがないだろ」

 「そりゃまあそうだけどよ」

 「しつもんには、あとでこたえてやるから。いまははなすな。いっそ、ねむってろ。きずにさわる」


 心配してくれているのか、またしても寝かしつけようとしはじめた。
 子供の力ではアスマを押さえつけることなどできはしない。が、その心遣いに敬意を表して、一応大人しく横になってから反論する。


 「寝てろって言われてもな。とてもそれどころじゃ……」

 「なんだ?いま、たいりょくをおんぞんするいじょうに、だいじなことがあるか?」

 「そりゃ正論だけど」

 「うるさい。いったいなにがふまんだ」


 尚も言い募ろうとすると、ペチリと額を叩かれた。
 本当に五月蝿そうに顔をしかめた子供に、なんだか笑いがこみ上げてくる。



 近年まれに見る大怪我。
 雪のように舞い散る白い花。
 座敷童のような子供と、その子供に寝かしつけられそうな自分。
 夢か現か。
 怪我のせいかますます非現実的に思えてきたがゆえに、この状況の奇妙さが、いっそ面白くなってきた。
 だから、好奇心の赴くままにこう言ってみる。
 

 「ああ、不満だね。お前の名前さえ聞いてない」


 自分が聞いた癖に、驚いたような顔でまじまじと見つめられる。
 ようやく、この只者ではない謎の子供の意表をつけたようだが、アスマは少々心外だった。
 冗談のような言い方をしたが、心底本気で言ったのに。


 このおかしな子供が気に入った。酷く興味をそそられる。
 口は悪いが親切で、意外とお人好し。奇妙で、不思議で、可愛らしい。
 人かどうかも定かではないというのに、妙に気になる。

 
 そろそろ目も霞んでこようというのに、自分もよくよく物好きだ。この性分はきっと死ぬまで治るまい。

 
 「……なぁ、聞かせてくれよ」


 まるでナンパしているようだと思いつつもう一度繰り返す。
 子供は心底呆れたような顔をしてアスマを覗き込んでいたが、一瞬思案するように上をみあげると、ひょいと顔を戻した。
 アスマは真剣に返事を待っている。


 その顔に本気の色を見て取ったのか。

 子供は一つ頷くと、莞爾と微笑んだ。



 先程まで不機嫌そうな顔と呆れた顔しか見ていなかったので、その思いがけない表情に目を奪われる。
 

  
 (なんだ、ちゃんと笑えるんじゃねえか)


 未だに正体は分らないが、やはり人に害をなすものではなさそうだ。
 そういうものは、こんな笑い方はしないだろう。
 


 ふわり、と口元が弧を描き、目元がやわらかく緩む。
 花が綻ぶように、というのはこういうことをいうのだろうか。
 目つきの悪さがどこかへ飛んでいってしまったかのように、優しく無垢な笑み。
 



 子供の笑みに見惚れて一瞬自失していたが、菩薩のように静かに目を細めて笑う姿に、アスマはようやく、この子供が随分整った顔をしているのに気づいた。
 目つきの悪さが際立って、顔の造作にまで気が回らなかったのだ。改めてよく観察してみれば、どこかで見たような顔をしている。


 (知り合いの誰かに、似ているのか?)
 

 とすれば、この子はその『誰か』の血縁だろうか。
 記憶を探ろうとした瞬間、くらり、と景色がゆらいだ。


 (………ア……?)

   
 あれよあれよという間に、目の前が、暗くなっていく。
 どうやら本当にこの子に寝かしつけられてしまいそうだ。
 せっかく綺麗に笑っているのに、このまま眠てしまうのは惜しいと思いながらも意識が遠くなっていく。
  
 いや、眠りかけているのではない。

 気絶しかけているのだ。

 つまり、失血によって意識不明になりかけている。


 (これは 人が来る前に  あの世へ   いっちまうん、じゃ………)

 
 最初に呼んだといっていた誰かは、まだ来ない。もしかして気休めだったのか。
 だが、今更身体は少しも動かず。
 意識が闇に溶け込む瞬間、最後に脳裏をよぎったのは、ついに聞けなかった子供の名前だった。

 
 「な…ま……え………を…………」



 「あとで、な」



 意識を失ったアスマの頬を、子供の手が、優しく撫でた。























 アスマの怪我は全治2週間だった。

 木の葉の医療班は優秀だし、アスマの回復力と体力もものをいったのだが、なんといっても初期治療が良かったようだ。
 医療班でもやっていけるかもしれませんよ、と医者に誉められたが、あれはアスマが行ったものではなく、傍についていた子供のおかげだ。
 要所を心得た止血、特殊な血止めの術、どうやって飲ませたのか増血剤まで。

 別れた仲間もアスマに二日ほど遅れて里に帰ってきたが、こちらは二人とも重傷だったので、アスマが報告書を作成することになった。どうせやることもないので丁度いい暇つぶしだ。


 子供のことは何も書かなかった。


 その方がいいと思ったのだ。正体も何もわからないが、もしかしたら人に知られたくない素性かもしれない。
 目を覚ました時には既にベッドの上で、あの目つきの悪い子供はどこにもいなかったが、再び会う時に後ろめたいことがないように、口をつぐんだ。


 (アイツは、質問には後で答えると言った。なら、いつかは会えるだろう)


 根拠のない勘だったが、自信があった。
 それでも、きっと何年も待つだろうと思っていたのだが………。
 そちらの勘は見事に外れた。

 最後の治療を終えて完治の太鼓判を押された日、帰宅途中で奈良シカクに拉致されたのだ。

 否も応も無い。後ろからいきなり首根っこをつかまれて、引き摺られた。
 抵抗するアスマの頭をぽかりと殴り、シカクは一言ぼそりと呟いた。
 それを聞いて、ようやくアスマが大人しくなる。


 曰く、お前の命の恩人に会わせてやる、と。







 理由が分れば引き摺られなくとも自分の足で歩く。あの子に会えるとなれば、同行するのに否やはない。 


 「で、あれは、奈良さんちのお子さんだったんすか」


 シカクの隣を歩きながら、確認した。向かっているのは奈良家の所有する森だ。
 そういえば、意識のない自分を最初に見つけたのはこの男だということになっていた。
 

 「そうだ。お前が倒れてたのはオレん家の森だからな。ウチの家人が見つけたっておかしかねぇだろ」


 いや、おかしいだろう。

 今向かっている奈良家の敷地は、昼間に見るとその広さが良くわかる。
 里に比較的近い家屋の周りに鹿がいるのみで、 目前の鬱蒼と茂った森は、頑なに人を拒んでいる。
 昼間でさえも暗い、人っ子一人来ることのない深い森。
 そんな場所に真夜中に、任務でもないのに入り込む必要がどこにあるというのか。
 アスマは無言で肩をすくめて見せた。


 「座敷童か何かかと思いましたよ……。白い着物だったし」

 「ありゃ寝巻きだ。大体なんで分らねぇんだよ、あんだけオレと似てんだろうが」


 言われてみれば、確かに。
 顔立ちは母親似なのだろうが、印象的な三白眼と細めの眉が父親と瓜二つだ。細い顎のあたりも似ている。
 二人並べばまるで年が違う双子のようだろう。
 誰が見ても親子だと分る。

 
 (そうか、あの時見た顔だと思ったのは、奈良さんに似ていたからか)


 今更ながらに色々なことに気づく。

 あの森は奈良家の私有地だった。シカクの子供にとっては家の敷地内だ。
 最初にそこに思い至らなかったのは失血がそれだけ酷かったからだろう。
 傷はともかく、血が足りなかった。思考力も低下しようというものだ。
 

 「しかし運が良かったな。お前を見つけた時、アイツはちょうど夜の散歩中だったんだぜ」

 「散歩って……危ないじゃないですか。いくら自分の家だからって、真夜中にも程がありますよ」


 アスマがあそこに倒れていたのは深夜だったのだ。
 そんな時間に外を歩き回って、万が一にも任務上のいざこざに巻き込まれたらどうするのか。
 人事ながらも心配になったが、シカクはその懸念を一蹴した。

 
 「自分で責任が持てるから出歩いてんだよ。奈良の子供は結構やってるぜ」
 
 
 俺もやってたし、とケラケラ笑う。
 たしか、奈良家は影を使う一族だったはずだ。他の家の子供よりも夜や闇に親しいのかもしれない。
 それでも三つ、四つというのは若すぎるだろうが。


 「森ん中歩かれるほうが、繁華街をうろつかれるよりゃよほどマシだしな」

 「そりゃそうでしょうがね」


 あの年で繁華街に出る子供などいないでしょう、と反論しかけたが、それは口に出さなかった。
 そもそも夜の森に入る子供もあまりいない。
 

 「心配してないわけじゃないんでしょう?」

 「いつだって心配してるさ。オレはアレが可愛いんだ。なんだかんだ言いつつもオレに懐いてるし、賢いし、気性も悪かねぇ」

 
 自分の子供を犬猫のように言うが、シカクが本当に息子を愛しているのは、その顔を見ればよく分った。
 心配しつつも夜歩きを止めないのは、その能力を信頼してというのもあるのだろう。
 これも一種の親馬鹿か。

 
 「そんな大事なお子さんを、俺なんかに会わせていいんですか」


 止められても会いに行く気だったが、一応言ってみる。
 言った瞬間にジロリと睨まれた。


 「………年がら年中とぼけた顔して人の輪から一歩引いてるウチの息子が、初対面のお前に自分から話しかけた。おまけに俺がついた時にゃ、お前膝枕だったんだぞ」

 「え。覚えてないですよ」

 「なんだと勿体ねぇ。チクショウ、オレだってしてもらったこと………いや、そうじゃねぇ」

 
 脱線しそうになった話を打ち切り、わしわしと頭を掻く。
 一呼吸置いてから、真面目な顔でアスマを見た。
 

 「アレが、人間に興味を示すのは稀なんだ。ましてやまた会いたいと言うなんざ、初めてだ」
  
 「会いたいと?お子さんがそう言ったんですか」

 「ああ。どういう理由か知らねぇが、お前を気に入ったみてーだ。滅多に言わないような我侭を言ったんだ。俺が聞いてやらないわけにはいくめぇ」

 「なんでまた」

 「さあな。いつもなら、お前みたいなのを助ける時はまず意識を奪うんだが」


 いきなり物騒になった。


 「助けなきゃ里までに死にかねねぇほど酷い怪我をしてたら、ガキだって気絶させるのは難しくはねぇ。それほど弱ってなきゃ自力で帰るだろうし」

 「そうでしょうね」


 あの子にどれだけの能力があるのかしらないが、あの時の自分ならアカデミーの一年生にも殺られたかもしれない。
 奈良家の子供なら小さいうちから影が使えるはずだから、なおさら気を失わせるのもたやすいだろうに、どうしてアスマにはそれをしなかったのだろう。


 「アレは自分のことを知られたくないんだ。普通よりちょいと頭のできが良すぎるからな。………が、どういうつもりか分らんが、お前は最初から扱いが違う」

 「今まで会ったこともなかったのに?」

 「知らん。理由は直接本人に聞け」
 
 
 自分の家の敷地内で死に掛けていた、見たこともない忍を手当てしただけ。
 理由などたいしたものではなかっただろう。
 散歩中に見かけて親切心が働いたとか、家で死なれては目障りだとか、寝覚めが悪いとか。
 交わした言葉はせいぜい二、三言程度だった。取り立てて記憶に残るような名言を吐いた覚えもない。

 だというのに、あの子は。


 (会いたいと、そう思ってくれたのか)


 たった一度だけ見た笑顔が脳裏に浮かぶ。おかしい。なんでこんなに嬉しいのか。
 思わずにやける顔を片手で覆うと、ますます不機嫌そうになったシカクが、後ろから蹴りつけてきた。
 

 「いててっ、何するんですか」

 「うるせぇニヤけやがって………ほら、こっから先は一人でいけ。道なりに真っ直ぐだ」

 
 蹴りで送られて、気がつけば森の小径の入口だった。
 この先にあの子がいるのだろう。

 シカクに軽く会釈をしてから、細い道に足を踏み入れる。

 覆いかぶさるような木々の間から射し込む、幾本もの光の筋が道を照らす。
 一応道はできているものの、森の奥へと続く道はぼんやりと薄暗い。
 夜ならばきっともっと暗いだろうに、アスマを助けた時、あの子は灯りさえ持ってはいなかった。
 灯りもなしに夜の森を徘徊していたのだ。相当肝が座っている。



 木立がまばらになり、僅かに花の香がし始めた。仄かな、卯の花の香だ。
 里の方角からすれば、自分が倒れていたのはもう少し先だろう。
 もしかしたらあの場所にいるのだろうか。


 会って、何を話したらいいのかと、今頃思い至る。
 目の前しか見えないほどガキでもあるまいに、会いたい会いたいと、そればかりで頭が一杯になっていた。
 そもそもこうまで会いたいと思う理由がない。
 命を助けてもらったからか。面白い子供だったからか。寝ている間ずっと考えていたが、どちらもすこし足りない気がする。
 
 
 (………とりあえず、礼を言うべきだよな)


 それから、ちゃんと名乗って。
 名字ではなく、名前を聞いて。
 自分を助けた理由と、意識を奪わなかった理由を尋ねて。

 これっきりになるのは嫌だと、伝えよう。

 なんでこんなにあの子が気になるのか、相変わらずはっきり理由がつけられないままだったが、ここまで来るとそれもどうでも良くなってくる。
 とりあえずあの子と会いたいという気持ちだけは、間違いないのだから、追々確かめていけばいい。
 アスマは自分の感情に従って動くつもりになっていた。





 深い森がふと途切れる。僅かに開いた場所のそこここに、白い花の木がある。
 花はまだ咲いていたが、空を舞う花びらの量はあの時より更に増えていた。 
 強い風が吹く度に、雪が降るようにあたりを白い花弁がひらひらと踊る。

 その、雪のような花の中に、子供が一人。
 ちょうどアスマと同じ背丈の白い花の木の下に、こちらに背を向けて佇んでいる。

 
 「………このはなは、うつぎ、というんだ。ゆきみそう、ともいう」


 人の気配に気づいてか、振り返らず、挨拶もなしにそんなことを言う。
 ほろほろと零れる白い花を手に受け、風に流している。
 一心に繰り返す姿はいとけない子供のそれで、素直に愛らしい。

 アスマはその後姿にゆっくりと近づきながら、何気ない調子で返事をした。


 「空木に、雪見草か。卯の花じゃないのか?」

 「それも、ただしい」

 「随分散っちまったよな。地面に落ちた花も綺麗だけど」

 
 一面の花びらの絨毯。
 この場所は風の通り道らしく、あちこちから運ばれてきた花びらが幾重にも折り重なり、地面さえ見えないほどだ。
 自分もあのまま死んでいたら、こうして花に覆われていただろう。
 
 あの時はそれもいいと思っていたが、今は絶対死にたくない。
  

 「なあ、意識を奪わすに助けてくれた理由、聞いてもいいか?」


 礼の前にまず質問が出てしまった。
 柄にもなく緊張している。


 「それだ」

 「ん?」


 子供はあっさりと言った。


 「いま、はながきれいだといっただろう?あのときも、しにかけながら、はなにきをとられていた」

 「ああ」

 「しのせとぎわで、はなをめでる。どんなヤツなんだろうとおもって」


 残す者を思うでもなく、死を恐れるでも不運を嘆くでもなく、花の名前など呟いていた。
 別にそれほど深く考えてのことではなかったのだが、この子供には衝撃だったようだ。


 「すいきょうだと、きょうみがわいた。それで、はなしかけるきなった」

 「………それだけか?」

 「それが、きっかけ」


 それだけだと終らせず、それが切欠だと言った、その真意は。


 アスマは子供の真後ろで、静かに屈んで膝をついた。 
 膝をついてさえ、まだ子供よりも目線が高い。


 風に促されるように、子供が振り返った。
 相変わらず目つきが悪い。髪をぎゅっとひっつめているから、余計に目元がきつくなっているのだろう。
 世の中の全てがつまらないといったような顔をしているが、ちらりとこちらを見上げた目に、面白がるような色が浮かんだのを、アスマは見逃さなかった。



 「助けてくれてありがとう。俺は、猿飛アスマだ」


 先を促す目を真摯に見つめ返す。




 「名を、教えてくれないか?」






 「………奈良、シカマル」






 堪えきれずに、笑みが零れた。 







    2005. 5. 21 


後書き反転 ↓

 一度はやりたかった若アスマちびシカを、一番最初に……。 実は某有名SS捜索掲示板にて投稿していたものと同一時間軸、アスシカVerです。あっちのアスマは普通ですが。
 元々の題名は「森の小径」でした。同名の古い歌から。綺麗で優しいメロディーです。
 戦時中、特攻前夜の若い兵士が歌っていて、それを聞いた作曲者が胸を痛めたという悲しいエピソードがあります。
 最初はその逸話に相応しい、ちょっと静かな雰囲気な話にしようとしたんですが、シカが座敷童っぽいと思ってしまったので、こんな風に………。歌詞をちょろっと借用しています。

 森の小径

 ほろほろこぼれる
 白い花を
 うけて泣いていた
 愛らしい あなたよ

 おぼえているかい
 森の小径
 僕もかなしくて
 青い空 仰いだ

 なんいも言わずに
 いつか寄せた
 ちいさな肩だった
 白い花 夢かよ



  
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