「……ッ……っく……!!」 静かな寝室に、悲痛な呻き声が響く。 恐怖に震える荒い息遣い。涙の気配が混じった、震えるような細い声。 愛する人の苦しむ声で、アカツキは目を覚ました。 寝覚めとしては最悪だが、それでも気付かずに寝たままでいるよりはよほどマシだと、すぐさま自分のベッドを抜け出す。 たった一歩向こう側の寝台には、必死に悲鳴を押し殺す最愛の彼が眠っている。 アカツキは、隣のベッドの端に腰掛ながらそっと手を伸ばして、小さな灯りを燈した。 「照明。0.2……いや、0.1luxで」 小声でコンピュータを呼び出し、月の光よりさらに低い照度を指定する。 強すぎる光は必要ない。この程度でも充分アキトの様子は確認できた。 頼りない光に照らされた小さな顔は堪え切れぬ苦痛に歪んでいて、アカツキの胸に鋭い痛みを齎す。 額の汗をタオルで押さえる。触れる度に小さく震える体が痛ましかった。 ― 未 明 ― Da capo番外編<The blank of 1years> アキトはよくこうして夢に魘される。 それは総じて、この世界ではまだ訪れていない未来の出来事が元になった悪夢だ。 ユリカを助けられなかった時の悔恨であったり、人体実験の際の苦痛であったり、なす術もなく同胞を目の前で殺されていく絶望であったり、復讐に苦しみながら他者を犠牲にする自分への呪いであったり。 以前はこれほど頻繁に夢を見ることはなかったという。 おそらくこちらに来たことで気が緩んだのだろう。自分の過去に……あるいは未来に、目を向ける余裕ができてしまったことが、逆に仇となった。 安らかな眠りの淵での子供のようにあどけない表情が少しずつ曇り始めると、夢のはじまりだ。 息が荒くなり、不自然な発汗が始まる。何かに耐えるような声を発し、最後は悲鳴とともに飛び起きる。 そこまでたどり着いてしまえば、もう眠ることはできない。 アキトが眠れないのにアカツキが眠れるわけもなく、結局は二人で寝不足だ。 しかし最近は状況が少し変化している。 アキトが起きるより早くアカツキが目をさまし、まるで子供をあやすようにアキトを宥め、安心させ、その眠りを守っているのだ。 アキトはそのことを酷く気に病んで恐縮しているようだが、アカツキは満足していた。 魘され初めてからすぐにアキトが寝室を分けようと言い出したが、断固反対してよかったと夜になる度に思う。 心底惚れた相手がこれだけ辛い思いをしていると分っているのに、自分だけ安穏と惰眠を貪っていることなど、できようはずがない。 「…………アキト君……?」 小さな声で優しく名前を呼んで、そっと手を握れば、縋るように力が込められる。 髪を撫で、何度も名を呼び、額に口付けを落とせば、僅かに緩む眉根。 むずがる赤ん坊をあやすように、優しく背中を叩きながら、静かに目を閉じた。 こんな時は、胸の中でいつも燻り続ける疑問が意識に浮き上がってくる。 なぜ、どうして、これほど彼が苦しまねばならないのか。 別に彼でなくともよかったではないか。 火星の何十万人ものA級ジャンパー。襲撃を生き延びた人間は、何もアキトだけではない。 月、コロニー、地球。襲撃当時仕事や観光で火星を離れていた者は少なくなかった。 条件はただ一つ、火星生まれのA級ジャンパーであること。 だったら、アキトでなくとも―――――――――――。 アカツキは軽く首を振って、際限なく沸いてくる今更どうしようもない恨み言を振り払った。 そうして目を開けば、先ほどより安らいだアキトの寝顔がある。 いつのまにか冷や汗もひいて呼吸も落ち着いているが、まだ悲しみの影は消えていない。 泣き疲れて眠った子供のような表情を、一心に見つめる。 鍛え始めたとはいえ、まだまだ細い首。尖った顎。頬は少年らしい丸みを帯び、大きな目を、薄い瞼と長い睫が隠している。 こうして見ると、街ではしゃいでいる学生達とそう変わらない年だというのが良くわかる。 普段は視線の強さと無表情さ、立ち居振る舞いによってずっと年上に見られがちだが、今のアキトの身体はまだ17でしかないのだ。 成長期の身体に、睡眠不足は堪えるだろう。 (アキト君は、優しいから…………) 冷たく振舞おうとも、誰かを切り捨てようとも、本当は誰よりも優しい彼だからこそ、こうして自分を責めるのだ。 代われるものならば代わってやりたい。 これがアカツキならば、こんな風に自責の念や罪悪感に苦しむこともなかったし、もっと汚い手も平気で使っただろうに。 だが、そんな絵空事に思いをめぐらせたところで、彼の悲しみも苦しみも自分にはどうすることもできない。 こうして心を痛めるアキトに今のアカツキがしてやれることは、せいぜい眠る彼を宥め、落ち着かせ、ほんの少しの安眠を与えることくらいだ。 これから始まる新しい歴史で、ナデシコや火星の一件を丸く治めることができても、アキトの心の傷が消えることはあるまい。 それは身体についた傷とはまったく別のものだ。目に見えない分タチが悪い。 世間の裏も表も理解しているくせに、時に歯がゆいまでに潔癖になる彼だから、こちらで皆を助けることができても、かつて自分が成してしまったことを誤魔化したりはしないだろう。 傷は、未だに血を流し続けている。 (だけど) たとえ痕が残ろうとも、その傷を塞ぐことはできるはずだ。 できるものなら夢からも守りたいけれど、それは適わぬことだから。 「今度は、失敗しない」 これ以上彼を傷つけてなるものか。 神も悪魔も木星人も地球人も知ったことではない。彼に害を成す者は、どいつもこいつもひとくくりに『敵』だ。 何人たりとも容赦しない。 まだ幼さを残した頬に、一滴の涙がつたう。 アカツキはその滴をそっと拭うと、ようやく穏やかな眠りに滑り込んだアキトの目元に静かに口付けを落とした。 どうやら今夜もアキトを脅かす夢魔を撃退できたようだ。 健やかな寝息に、ようやく微笑みが浮かぶ。 そして顔を上げ、見据えるのは深い闇。 夜明けはまだ、遠い。 2005. 6. 6 後書き反転 ↓ いまいち動作の不安なマイPCにて、大急ぎで更新。完全に壊れる前に……! 本当なら小説部屋の小ネタと同じようにいくつかのネタを同時掲載するつもりでしたが、PCがピンチだったので、やむを得ず大急ぎで今月のノルマたる更新をいたしました。短めな『Da capo』番外編です。 アカツキ、本編ではからっきし出番がなくて内面描写のしようがないので、こっちで思う存分キリキリしてもらいます。 おかしいな、番外編ではいちゃいちゃさせる予定だったのに妙に薄暗く……。
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