会長って格好いいですよね〜。 私達みたいな普通のOLにも優しくて、素敵です! 身長高いし、顔もいいし、おまけに収入だっていいのよ〜!最高じゃない。 これだけ条件のいい独身男性って、今は会長くらいでしょ? 結婚できたら玉の輿ってやつよね。うるさい親族もいないし! 最近女の影も見なくなったし、もしかしたら私達にもチャンスがあるかもっ! じゃ、今度の残業の時に誘惑しちゃう……? キャ―――――――――ッ!!! ― 大切なものは ― Da capo番外編<The blank of 1years> 「ばっかみたい」 エリナは昼休みに聞いた第二秘書課の女性社員達の会話を思い出して、ポツリと呟いた。 確かに格好いいかもしれない。でも、優しいのは誰に対しても同じ。 (いざとなればいくらでも切り捨てられる冷酷さを、知らないだけだわ) 均等な優しさは無関心の裏返し。 身長も顔も収入もいいけれど、いくらなんでも性格が悪すぎるだろう。腹黒いし。 それに、女の影がないのは全部手を切ったからだ。 (だってもう、会長には彼以外必要がないんだもの。誘惑になんかのるはずないじゃないの) 表面ばかりを評価して、中身を見ないようでは、本当に欲しいものは手に入らない。 家柄とか、お金とか、見た目とか。 (そんなの全然大切なことじゃないのに) 「あの子達は、きっとまだ一番大切なものを見つけてないのね………」 「うん?どうかしたかい?」 独り言を聞きとがめて机から顔を上げた相手に、なんでもないと首を振る。 「いえ、別に。それよりさっさとサインを済ませてください。あと20枚で終るんですから」 「腱鞘炎になっちゃうよ〜」 「自業自得です。テンカワとの訓練及びシュミレーションは15時までのお約束でしたね?今は?」 「17時」 「ハッ!」 鼻で笑ってやる。 「17時37分です。私は18時になったら帰りますからね?分ったらキリキリ働く!!」 「うう……エリナ君は鬼だよ……」 泣き真似をしつつ書類を捲る男を一睨みして、小さな脇卓で処理済の書類を確認する。 いいかげんなことを言っていても、どうせ終業時刻までには終らせるのだ。 こんなおふざけにいつまでも付き合っている義理はない。 それよりも自分の仕事を進めておいたほうがよほど有意義だ。 決裁の降りた書類は、第一秘書課に引き継げば部署ごとに仕分けをしてくれるが、最低限のチェックはしなければならない。 (ここからここまではこの間持ってきた報告書……それにしても北米はこのところ業績悪いわね。こっちは先週出した新事業の予算案……あら、見たことのない書類が……提出期限過ぎてるじゃない。こんなの持って来ないで撥ねちゃってもいいのに) 素早く書類に目を通し、決裁印を確かめていく。 (えーと、製品開発許可に……マーケティングリサーチの結果に……次のプレゼンの資料。これは報告を別に貰うのね。新しい大口の取引先が、4、5、6……へぇ、なかなか悪くないわ。……研究施設の設備申請。備品?だからこっちに回すなって言ってんのに……) 慣れた作業だからそれなりの速さで手が動くし、頭も働く。 一通り斜め読みし終わって、書類の束をとんとんと机の上で整える。アカツキの方はまだ終わらない。 のんびりと処理を待ちながら、気がつけば浮かんでくるのは、先ほど思い出した会長の話題だ。 経済紙、株式情報誌、その手の業界紙のコラムなどに書き連ねられる代名詞は、マスコミ特有の誇張を割り引いてもあまりあるもの。 曰く、経済界の天才児。投資家達憧れの千里眼。類稀なるカリスマ………。 書き連ねられた美辞麗句が、彼の評価の高さを物語る。 よくもまあこれだけ褒め称えられるようになったものだ。着任当時は散々酷評されていたというのに。 軟弱な二世、棚ぼた会長、お飾り、昼行灯、大関スケコマシ。 蔑みや嘲りの声は、時が経つにつれ小さくなって消えた。 華やか過ぎる女性関係もある日を境に突然清算されて、今や上流階級で最も注目を浴びている独身男性だ。 (まあ、人気があるのもわからないじゃないけど) 真面目な顔の男にちらりと目を走らせる。 切れ長の涼しげな眼から、すっきりと通った鼻筋、薄めの唇。 引き締まった顔立ちの怜悧な印象を、常に湛える余裕の笑みが和らげている。 高い身長に長い足。日々のトレーニングで鍛えられた均整の取れた肉体は女性の感嘆と男性の羨望の溜め息を誘う。 外見からして恵まれているが、この男は見掛け倒しではない。 社内の反対勢力だった社長派を鮮やかに排斥した手腕に、さりげなくも効果的な人心掌握。 判断力も決断力も一流。さらに言えば腕まで立つらしい。 年頃の女性達が騒ぐのも無理はない、優良物件だ。 エリナだって、これほど内情を知らなければ、少しは胸をときめかせたりしたかもしれない。 (けどねぇ……) これだけ近くにいると、夢を見てふわふわしてなどいられない。 そこには確かな現実が立ちはだかっていて、明確なそれから目をそらせるほど、自分は愚かにはなれなかった。 アカツキはエリナの手に負える男ではない。 多分秘書課の彼女達にも無理だ。 御せる相手は、エリナが知る限りただ一人。 そして、その相手に相応しいのも、アカツキだけ。 この男はもう、自分にとって最も大切なものを見つけてしまっているから。 テンカワ・アキトは、初っ端からエリナの度肝を抜いた。 妖怪のごとく捉えどころのないアカツキが、いきなり『大切な人』と紹介したのにまず驚き。 その男がボソンジャンプの能力者だというのに仰天し。 最後に年齢を聞いて呆然とした。 最初にあれだけビックリさせられると、なんだかもう全てがどうでもよくなってくる。 話してみると、テンカワは年に似合わぬ落ち着いた人物で、表情こそ乏しいものの、第一印象ほど陰気ではなかった。 変なバイザーを取れば、意外に幼いものの文句なく整った顔立ちをしていて、造作だけ見ればアカツキに見劣りしない。 感情にはかなり鈍いようだが、こちらの会話に的を射た答えを返してくるから、頭も悪くないようだ。 どうにも目立たない男で、アカツキの横に並ぶと決定的に華が欠けていたが、それはもう仕方がないことだろう。 かの有名なネルガル会長と一般人を引き比べること自体が間違っている。 アカツキといる時の静かな佇まい。 時として自分より年上にも思える大人びた振る舞い。 そのくせ妙に子供っぽいところもある。 時折見せる鋼のように硬く冷たい眼が気になるが、基本的に地味で大人しく、悪い人間ではない。 アカツキに選ばれるほどの要素があるとは思えないが、少なくとも無害だと、エリナは判断した。 その印象が一変したのは、エステバリスを駆る彼を見てからだ。 極秘裏に行われたエステバリスの機動テストを見に行ったのは、動き回るエステバリスを見たいという、好奇心からだった。 それまでのテストはほとんどがシュミレーションで、たまに実機を使っても、室内での機動がせいぜい。 部分的に動かすだけでもかなりのデータが取れるし、手先を使った細かい作業の数値や、IFSも含めた微細な調整はむしろそちらのほうがはかどる。 限られた区域内では何度かフル稼働もさせたことがあったが、天井のない場所での機動はこの時がは初めてだった。 その初のテストの日。 エリナのスケジュールがたまたま空いていたのは、運命だったのか。それとも、調子のいい上司の策略だったのか。 テストの話を聞いたとき、最初にエリナが思ったのは『いい暇つぶしができた』ということだった。 ぽっかりと空いた時間は有意義に使いたかったし、それまではせいぜいデータに目を通す程度だったのだが、やはり自社の新製品がどれほどの物かは気になる。 まあ、期待はずれであっても気分転換くらいにはなるだろうと、その程度の気持ちで実験に赴いた。 久々にテンカワの顔も見られるかしらなどと、気軽に。 そうしてモニタールームの端のほうに陣取って、蓋を開けてみれば、愕然。 なぜそれほどまでに、と。 口には出せないが多分誰もが思ったのではないだろうか。 戦闘に近い状況を作り出すべく、小型の的や、動きをプログラムされた無人機を射出する。 模擬戦ですらないのだから、申し訳程度に撃ち落せばそれでいい。 それは本人も分かっていたはずだ。 実際、そこであったことは、表面だけ取り上げればいたって予定通りの事象だった。 エステバリスが飛び出し、射出された標的と無人機を破壊し、予定のルートを飛んで、戻ってくる。なにもおかしいことはない。 にもかかわらず、そこに居た誰もがその姿に息を呑んだ。 姿、というよりも、眼が。 モニター越しでさえぞくりとするような色を湛えていた瞳。 的がたんなる無機物であることも、小型機が動くだけで攻撃してこないことも、テンカワは知っていた。 だというのに、まるで敵を……或いは、獲物を見るような目付き。 深淵を覗き込んだかのごとく暗い目に、ちらちらと光が走る。 的確な射撃。 容赦のない一撃。 一機も逃すことなく、完璧に標的を破壊する。 テンカワは無茶な機動など一切しなかった。 専門家ではない自分が見ても、どちらかと言えば機体に無理をさせないような動き方だったと思う。 後で聞いたら、やはり各関節その他にかかった負荷は驚くほど少なかったらしい。 無駄のない動き。 最低限の動作で最大限の成果。 開発途中の未完成な機体で、調整さえもままならないというのに、よくもまあこんなに自在に動けるものだ。 非の打ち所のない機体制御に、どれほどの技量が必要か、想像するだけでも眩暈がする。 感じたのは恐怖だったか、それとも畏怖だったか。 戦うことに対する狂気に近い狂喜。 恐ろしさゆえか、目が離せない。 まるで悪魔が魅了の魔法を使ったかのように。 テンカワ・アキトとエステバリスは、その時居合わせた面々を虜にした。 呆けたようにエステバリスの影を追いながら、なるほど、とエリナは得心した。 これが、アカツキ・ナガレの選んだ男。 目の前の、舞うように兵器を操る人物は、確かにあの男に位負けしない存在感を持っていた。 闇色の暗い瞳をノイズのように輝かせる彼が、アカツキの『大切な人』。 唯一にして最愛の伴侶。 なるほど。 これは理解できなくてもしかたがない。 自分の許容範囲を超え過ぎて、ゲージが振り切られたのだ。 相手の器が大きすぎて量りきれなかった。 これだけ目を引く人物が、日常生活においてああも目立たないというのは、ちょっと考えにくい。 ということは、テンカワはわざと自分を周囲に埋没させていたのだろう。 そして、エリナはまんまとそれに騙された。 心のどこかに侮りがあったのは否めない。 学歴がない、素性が知れない、アカツキのコネがなければ何も出来ないと。 しかし、ここまでの人材を見誤るとは…………。 実験後にアカツキと談笑するテンカワを見ながら、エリナは妙に清々しい敗北感を味わっていた。 思えば自分が変わったのは、あの時からだった。 自らああして負けを認めるのは、多分物心ついてから初めてのこと。 それは、充分に自分を見つめ直す切欠になった。 そうして冷静に越し方を振り返れば、見えてくるものがある。 立ち位置が変われば視点も変わるように、客観的な目で自己評価をすれば、意固地で自意識過剰で気ばかり強い、生意気な小娘の姿がそこにあった。 もう、会長になりたいとは思わない。 そんなものを目指さなくとも、自分の価値を示す方法は他にある。 居場所を確保する術も見つけた。 自分にとって大切なものは何か、ということも。 エリナの変化だけでなく、テンカワ・アキトはあらゆることの引き金だった。 堤防が決壊するように、それまで堅固な壁の向こうで渦を巻いていた何かがあふれ出した。 成すべき何か、大切なもののため、凄まじい勢いで走り始めた彼ら。 アカツキが韜晦をやめ、ネルガルの闇の一部に光が当てられ、新しい歴史が始まろうとしている。 「エリナくーん、終ったよ〜」 情けない声を出しながら机に懐くアカツキに、エリナは物思いを中断してにっこりと微笑んだ。 17時56分。予想通りだ。 やることさえやってくれれば文句は言わない。 「ご苦労様です、会長。では、この書類は頂いていきますね」 「ハイハイ、よろしく」 「処理済の方はこのまま秘書課へ。今仕上がったこちらは明日にでも確認しますので」 「うん、頼むよ。僕は明日朝イチで会議だったよね。視察は何時から?」 「9時から会議、昼食は系列各社の社長と会食、視察は午後2時からです。メールにまとめてお送りしますので、後ほどご確認を」 「また会食かー……食べた気しないんだよねぇ」 「夜はテンカワにでも作ってもらってください。じゃ、私はこのまま上がらせてもらいますから。お疲れ様でした」 「そうするよ。お疲れ様〜」 ふわふわと返事をするアカツキに一礼して、書類を胸に抱え込む。 多少重いが、これさえ片付ければ今日の仕事は終りだと思うと、心地よささえ感じる。 (それにしてもよかった、これで定時に帰れるわ。三人分の夕食って、作るのに時間かかるし……そうね、これだけ時間があるなら、テンカワのレシピを試してみるのもいいわね) 無表情で無口で凄腕で、実はお人好しで料理上手な彼が、子供達の為に考えてくれたメニューだ。 そう教えてやったら、きっと喜ぶだろう。 二人とも、テンカワにとても懐いているから。 冷蔵庫の中身を思い出しながらドアを閉めようとしたところで、ようやく身体を起こしたアカツキが笑って手を振った。 「ラピス君とハーリー君によろしくね」 養い子の名前は、それだけでエリナを微笑ませた。 子供どころか結婚したこともないのに、いきなり降りた面倒を見ろという指示。 最初は戸惑い迷うことばかりだった。 少年も少女も、一般常識どころか感情さえまともに知らなかったのだ。 一週間で問いかけに答えが返りはじめ。 二週間で名前を呼ばれるようになって。 三週間目に、ようやく小さな手が伸ばされた。 不安定な子供達にうまく接することができず、アカツキを恨んだりもしたが、今では心から感謝している。 二人の子供のおかげで、自分が本当は何を求めていたのか知ることができた。 何故アカツキがあれほど変わったのか、全てをテンカワの為に捧げているのか、今なら分る。 それはエリナにとっての子供達と同じ。 表面上の値打ちではなくて、真っ直ぐに自分を見てくれる人間だから。 あの子達がエリナの動く理由、エリナの帰る場所であるように、彼らもまた互いが動く理由で帰る場所なのだ。 日に日に目覚しい成長を遂げる将来有望な少年。 最近ようやく自然に微笑むようになった少女。 なによりも守るべきもの。 命より大切なもの。 二人の幸せのためなら。 二人がやりたいことを手伝えるなら、何だってする。 「会長も、テンカワに、よろしく」 貴方にとって何よりも大切なものに、よろしく。 あの時は恐れさえしたテンカワだが、今のエリナにとっては大事な友人だ。 子供達は彼を好いているし、彼も子供達を大切に思ってくれている。 パイロットから技術者まで、あらゆる分野に手を伸ばし、何かに追い立てられるように仕事をするテンカワ。 なぜそんなに自分を追い詰めているのか。何がそんなに不安なのかわからないけれど。 (無理をしがちな、私の大切な友人をよろしく) 以前より柔和になったと評判の笑顔に、色々な思いを込め、深々と礼をする。 「それでは、お先に失礼します」 いつもと変わらぬ辞去の挨拶を述べると、今年20歳になったエリナ・キンジョウ・ウォンは、『母親』の顔をして扉を閉めた。 夕暮れ時の家路の先には、可愛い子供達が、エリナの帰りを待っている。 2005.7 . 31 後書き反転 ↓ テーマは、「大切なもの」。 本編では名前しか出ていないエリナを出してやりたくて作った話。段々長くなって大変でした………。 まず、エリナを出すにあたって、ぽっと出のアキトをエリナが認めるには何か大きなターニングポイントが必要だと考えました。 で、エステに乗るアキト。 一年で大分昔に戻ったアキトですが、この頃はまだ戦いに取り憑かれているはずなので、きっと一般人にはキツかろうと。 ほんの少しですが、戦う(ちゃんとした戦闘じゃないけど)アキトを書けて満足です。 |
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