気がつけば賑やかな街中に立っていた。

 いつもバイトに行く途中で抜けていた、ユートピアコロニーでも有数の繁華街。
 クリスマスが近いせいか普段よりさらに人通りの多くなった街では、どの店も華やかなディスプレイで、シーズン客を呼ぼうと張り切っている。


 やけにリアルな夢だな、と呟くと、胸の奥で何かが軋んだような気がした。





― 暁 闇 ―
   Da capo番外編<The blank of 1years>





 店先を飾る赤や金の暖かな色合いは木枯らしが吹き抜ける冬の空気さえ和らげ、連れ立って歩く恋人や友人達も、家路を急ぐ父親や買い物帰りの母親も、皆どこか楽しそうだ。

 時折笑い声が上がる人の波の中で、俺は一人立ち尽くし、辺りを見渡す。

 通り沿いのカフェのウィンドウにはバケツを被ったスノーマンの人形が飾られている。
 花屋の前の雛壇にポインセチアの鉢植えが並び、おもちゃ屋の入り口では小さなツリーが金色の星を誇らしげに掲げて子供達を迎えていた。
 洋品店の窓からは、毛糸を片手に悩んでいた少女が同行した友人と頭を寄せ合ってくすくすと笑いあう姿が見え、窓の前を行過ぎたサラリーマンは、プレゼントを抱えながら優しい笑みを浮かべて足を早める。
 看板を持ったケーキ屋のサンタに子供達がまとわりつき、それを見ていた道行く人に微笑みを与えていた。
 夕暮れに染まり始めた景色に、ぽつりぽつりとイルミネーションが灯り始める。
 斜向かいのアーケードからは聞こえるのは、いつの世も変わらないクリスマスソング。
 金の髪を赤いリボンで結んだ小さな女の子が、お菓子の詰まった長靴を抱きしめ、足元をぱたぱたと駆け抜けて行った。

 幸福な、穏やかな日常。

 当たり前のなんということはない毎日が繰り返され、些細なことで泣いたり笑ったりするごく普通の生活。
 映画のような冒険も物語のような英雄譚もないけれど、それは確かに宝物のような平和な日々。
 失われてしまったもの。


 今はもうこの世のどこにもない情景をそれ以上見ていられず、強く眼を閉じて溜息をついた。
 
 
 夢だと気づきながら夢をみる。
 話には聞いていたが、今の状態がまさしくそれなのだろう。初めての体験だが、とっとと夢から覚めてしまいたい。
 現実から目を逸らしたい、過酷な現状を見たくないという逃避願望を目の前に突きつけられているのだから、気分のよかろうはずはない。
 何千人も殺しておきながら、浅ましくも今更こんな夢を見ているのは、俺が心の底に押し込んでいたモノから逃げ出したくてたまらないから。
 けれど、どうしても逃げられないのだ。


 ――――自分の弱さからは。




 

 故郷を想う気持ちは、俺の中に唯一残った、過去の純粋さの欠片だった。
 その想いを汚さぬように、本来火星の復興には有効であるだろう、地球と木連の戦争を止める。
 地球も木連も火星も、いがみ合うことがないように。
 あの綺麗な夕日に恥じることなく、胸を張ってあの場所に立つために。
 かつてのようなテロではなく、罪のない人をまきこまず、けっしてテレビのヒーローのようにはいかないけれど、それでも『ナデシコ』の乗組員らしく。
 理想を。奇麗事を。それと知っていても実現する。
 もう二度とあんな未来を作らない。
 それが、戻ってきてから一番強く望んだことだ。


 ………だが、胸の奥で囁き続ける声がある。

 本当にそんなことを望んでいるのか。心を偽った偽善者め。
 火星のためには手段を選んではいられないだろう、何様のつもりだ。
 戦闘狂にとっては戦争が始まったほうが嬉しいんじゃないか。
 木連の人間を根絶やしにしたいと思わないのか。
 お前は本当は……

 彼らを、何もかもを、滅ぼしてしまいたいんだろう。

 
 耳を塞いでも内側から響く声は遮れず、目を逸らそうとしてもそこにあるどろどろとした赤い感情を無視することはできない。
 身を焼くほどの怒りと憎悪が過去に戻ったからといって綺麗に昇華できるはずもなく、あの狂科学者の顔を思い出しただけで溢れる殺意に身体が震える。
 
 心の中でざわめく悪意と殺意に、目を閉じたまま眉を顰めた。
 
 (……戦いたいのか)

 体中の細胞が戦場を求めている。
 
 戻ってきた感覚に気を取られて、忘れていた。いや、見ない振りをしていただけだったのだ。
 罪を犯す前に戻ったからといって、俺が一度はそれを行ったという事実が消えるわけではないのに。
 一度黒に染まった心は過去に戻っても白に還ることはなく、狂気はいつ何時些細なことで表に出てくるか予想もつかない。

 戦いたい殺したい壊したい潰したい。

 肥大した闘争心と破壊衝動が存在を主張する。
 昏い復讐の炎は、小さくなっても消えることはない。
 そこには濃い闇がたゆとうている。

 「どこまでいっても俺は俺か」 

 以前ほどに追い詰められてはいないが、心の奥にある暗い感情を自覚してしまった。
 ならば、どうせ俺にできることは戦って壊すことなのだから、故郷のためにただひたすら戦おう。
 この暗い衝動も使い道が無いわけではないのだから、あとは狂気を抑えるのに全力を尽くすのみだ。
 ああ、ナデシコまで壊してしまわないように気をつけないといけないな。


 久しぶりに、口元を歪めただけの笑みを浮かべて目を開ければ、そこにあるのは廃墟の街。
 壊れた心に相応しい破壊された光景。 
 これこそが俺のいるべき場所。


 かつて人々が闊歩した大通りは見る影もない。
 アスファルトは罅割れて歪み、そこここに横転、破壊された車が散らばっている。
 華やかなラッピングバスは真っ二つに割れ、運転席にはどこから飛んできたのかも分からない鉄柱が突き刺さっていた。
 カフェも花屋もおもちゃ屋も洋品店も、コンクリートの塊になって無残な姿を晒しているが、残骸があればいいほうだ。
 大通りの先、最も被害が大きかった地区は完全に更地になってしまっている。
 そこは間違いなく都市の一部であったはずなのに、そのよすがとなるものすら吹き飛ばされ、地平線まで続く荒野には木の一本さえ見えない。
 どこまでもどこまでも、赤茶けた土が広がる。
 
 崩れ落ち朽ち果てた世界のそこここに、埋葬さえされず腐敗した死体が無残に転がる。
 地平線に沈む夕日だけがその全てに赤い光を投げかけ、かつての姿をそのままに残していた。


  遠くの方で風化した瓦礫が崩れる音がする。


 「……ふん、俺には似合いの地獄だな」

 このところなりを潜めていた皮肉げな物言いが、口からこぼれた。
 そこに何かに耐えるような、無理をするような色が混じったことに気がついて、舌打ちする。

 こんな夢早く覚めてしまえばいい。

 苛立ちを堪えて地平線を眺め続けるうちにやがて夕日は沈み、崩壊した街並みは闇に飲まれ。
 誰かの悲鳴のような風の音がこだまするのを聞きながら、ようやく俺の意識も、夜に飲みこまれた。
 
 








 「……アキト君?」


 目を覚ませば心配そうに覗き込んでくる顔がある。
 ベッドサイドの小さな照明が、背後の壁に大きな影を作っていた。
 一瞬自分がどこにいるのか分からなかったが、再度名前を呼ばれてようやくはっきりと覚醒する。
 酷い頭痛に額を押さえつつ、のろのろと身体を起こすと、そっと背中を支えられた。
 
 「ああ……すまないな、アカツキ。また起こしたか」

 「気にしないでいいよ。それよりまた何か内に溜め込んでるのかい?」
 
 暖かい手の平でそっと頬を撫でられて、思わずほっと溜息をつく。
 人の気配。体温。
 未来では朧げにしか感じることのできなかったものが、皮膚を通して俺の内側に染み入るようだった。 

 「大したことじゃない。ただ夢見が悪かっただけだ」
 
 本当に最悪の夢だった。

 それ以上の追及を拒否するべく、ベッドの横に腰掛けたアカツキの肩にぽすんと額を落とすと、そのまま抱きしめられて背中をそっと叩かれた。
 まるで子供だ。 
 けれど、それでささくれ立った心が落ち着いていくのもまた事実。
 みぞおちの辺りで渦を巻いていたどす黒い何かが静かに消えていく。
 この男に甘やかされて宥められ、俺の中の狂気や憎悪が再びまどろんでいく。

 「大丈夫?眠れそう?」

 「ああ。いいからお前も寝ろ」

 そう言いながらも人の温もりから離れる気がせず、一層肩に顔をうずめる。
 今顔を見られたら、きっとどうしようもなく情けない顔をしているだろう。
 
 人の手を借りなくては自分の心一つ御することができないとは、なんと無様な。
 そう思っても、俺に向かって伸ばされるこの手をどうしても離すことができない。
 何もかも打ち捨てて省みず、命さえ投げ出し、妻からも義娘からも距離を置いたのに、この物好きな男の手が俺を何よりも強固に繋ぎとめる。
 囲い込む腕の安らぎがまるで常習性の麻薬のように身体の奥まで入り込み、もはや逃れる術もない。
 
 「アキト君……」

 「……おやすみ」

 この汚れた手で救えるものがあるのなら、未だ犯さぬ罪の贖罪のために、全てを投げ打ってもいい。
 だがその時、俺はちゃんとこの男の手を離せるだろうか。
 コイツは馬鹿だから、うかつに寄りかかれば、きっと俺のために何もかも放り出してしまうのに。

 最後の最後に、優しい手を突き放すことができるように祈りながら、優しく髪を梳かれて眠りに落ちる。
 
 どこか遠くで、あの廃墟の街の瓦礫が崩れる音を聞いた。
 今この時に寄り添う温もりと引き換えに、今度は何を失うことになるのか。
 まだ来ぬ喪失に怯える俺を愚かだと、お前は笑うだろうか。
 それとも、泣くだろうか。




2005.12.10




 後書き反転 ↓

 クリスマス向け更新のはずが異様な暗さ。『未明』に続く悪夢シリーズ(いつシリーズに……)2作目です。
 最初はもっと政治的っていうか……ぶっちゃけ、『木連を共通の敵とすることで火星と地球の連携を図り火星復興支援の外枠を作るという戦略方針(戦略か?)』に対するアキトの葛藤の話でした。
 が、ちょっと体調不良につき熱で思考がまとまらずこんな有様に。気がついたら戦争しない方向へと話がまとまっていました。誰の呪いだろう。
 私の好みからすれば最初の話のほうが『暗躍』や『陰謀』の匂いがして好きなんですが、アキトだとねぇ……。
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