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 梅雨も明けて、久しぶりにからりと晴れたある日。
 ここのところご無沙汰だった馴染みの人物が、太陽と共に顔を出した。


 「いよーう麻衣ちゃん、元気かい」

 
 のほほんとした声がいつもの挨拶を述べる。
あいかわらず来客の少ないSPRにぼーさんこと滝川法生が現れたのは、ちょうど午後のお茶の時間だった。

 「ぼーさん!久しぶりだね、お仕事どうだった?」

 資料整理をしていた麻衣が、突然の訪問者に大きな目をさらに丸くしてから、にっこりと笑う。
 可愛らしい笑顔に殺風景なオフィスの空気が和む。
 その微笑みに、滝川もつられてへらりと笑った。

 「あぁ癒されるなぁ、麻衣の笑顔!」

 「言い過ぎだよぼーさん。そんなに大変な仕事だったの?」

 見上げてくる麻衣の頭をよしよしと頭を撫でて、滝川はほっと溜息をついた。
 普段は週一ほどのペースで訪れるのだが、ここ一ヶ月ばかりはこの可愛い笑顔を見ていなかった。
 本業のほうが忙しくて顔を出せなかったのだ。
 ここに来て、麻衣の顔を見て、やっと落ち着いた気持ちになる。

 「キツかったぜぇ〜……下手っくそな上に自信過剰な歌手の後ろで3週間!」

 「よくわかんないけど、大変だったんだねぇ」

 「そりゃもう。何度張り倒してやろうと思ったことか……麻衣ちゃ〜ん、ココロとカラダが疲れたおとーさんに美味しいアイスコーヒーちょーだーい」
 
 語尾を伸ばしてだるそうに喋りながら、ソファーの端に腰を下ろし、後ろに反り返って伸びをする。
 首がソファーの背を基点にがっくりと曲がり、顔が向こうを向いてしまっている。
 自堕落な姿ではあるが、どこか猫を思わせるそんな所作が、妙に似合っていた。
 長い足がピンと伸ばされ、応接テーブルの横から爪先が覗いている。

 長身のせいで細く見える身体が、ここ3週間見ない間にさらに細くなっているのに気づいて、麻衣は表情を曇らせた。

 「ぼーさん、顔色悪いね……痩せたみたいだし」

 「抜くこともあったし、食うにしてもホカ弁だのマックだのが多かったからなぁ。ゴミ溜まるけど楽なのよあれ」

 「栄養偏るよー」
 
 「栄養失調より過労で死にそうだったんだもーん」

 どうやら本当に疲れているらしい。
 ソファーの上でぐったりしている滝川の様子に、いつもの、『ここは喫茶店じゃありません!』というセリフを飲み込んで、素直にキッチンへ向かった。
 疲れている人に声を荒げるようなことは、冗談だってあんまりしたくない。
 ことに滝川は、麻衣にとってまるで家族のような大切な人なのだ。 

 「可愛い娘がおとーさんをいたわってあげましょう、どうせついでだし」

 軽い調子で声をかけつつ、てきぱきとお茶のセットやグラスを盆に載せていく。『ぼーさんのアイスコーヒー』はちゃんと作りおきがされているのだ。
 いくら訪問に間隔が空いたとしても、それを怠るような麻衣ではない。
 毎日やっていることだからか、流れるような手際のよさだ。
 父親役を自認する滝川としては、麻衣が優しくしてくれるのは嬉しいし、かまってくれるのも嬉しい。
 頭を撫でたいという衝動をこらえて感謝の言葉を述べた。
 あんまり撫ですぎると怒られる。

 「サンキュな、麻衣。後でケーキでもご馳走してやるから。」

 あぁうちの娘はなんてイイ子なんだ…などと嘯きつつ、眼を細める。
 首は相変わらず脱力したままで、逆さになった視界に、盆を持った麻衣が映った。
 滝川と目が合って、またにっこりと笑う。 

 「ホントに?遠慮なく奢ってもらっちゃうよ?」

 照れながらも嬉しそうな麻衣にますます顔をゆるめる滝川。
 20代も半ばにしてすでに子を持つ喜びを満喫している青年僧だった。





 「……ところで麻衣〜」

 ひとしきりほのぼの親子を堪能してから、滝川はソファーの背もたれに寄りかかって作業中の麻衣に話しかけた。
 何気ないそぶりではあるが、内心はかなり真剣だ。

 今一番気になっていることなのだから、それもしょうがない。

 「ん〜?」

 「リン、帰ってくるのって明後日だよなぁ?何時にこっちに着くか聞いたか?」

 リンは先月末に報告と調査のために渡英していた。
 滞在は約1ヶ月の予定で、リンが帰国したらナルが入れ違いにイギリスへ行くことになっている。

 滝川はリンの帰国に合わせて空港に迎えに行くつもりだった。
 この3週間、電話やメール、チャットなど、連絡は頻繁にとっていたが、直接会えないのはやはり辛い。
 国際電話の遠い声を聞くたびに、距離を痛感して苦しくなった。
 メールやチャットも同じ事だ。
 会って話すことが出来ないのを実感するばかりだが、かといって連絡をとらずにいるのはもっと耐え難い。  
 今まで何度かリンが渡英しているが、毎回その期間中はずっと仕事を入れていた。
 寂しさを誤魔化すには、忙しすぎるくらいが丁度いい。
 


 二人がお互いの気持ちに何となく気付いたのは、麻衣がSPRでバイトを始めて暫くしてからだった。
 比較的付き合いの早い段階で、その感情を自覚してはいたのだ。
 だが、つい最近まで、この関係は遅々として進展を見せなかった。
 二人とも、相手が自分の傍にいてくれるだけで満足して、それ以上に関係を発展させようとはしなかったからだ。

 各々の倫理観、モラル、恋愛観、生活、性格、家、国。問題は数え上げれば幾らでもある。
 滝川は恋愛に関しては一歩引いてしまうたちで、リンに無理を強いるのを好まなかった。
 リンはリンで、自分のいままでのスタンスを崩すのに抵抗があり、立場の違いを気にして滝川の負担になることを恐れた。
 精神的に大人で、何かを諦める事に慣れていて、人の気持ちに臆病だった。

 随分と長い足踏み。

 それでも、滝川はリンを見ていたし、リンは滝川を見ていた。
 暗闇の中で恐る恐る手を伸ばすように、二人とも躊躇と懊悩を重ねながら手探りで築き上げた関係だ。
 自分の想いと相手の気持ちを考えながら、時間をかけてしっかりと培った土台がある。覚悟がある。
 だからこそ、やっと気持ちの通じた恋人と離れるのは、本当に本当に辛かったのだ。



 滝川は最愛の恋人の帰国を、一日千秋の思いで待ち望んでいた。  
 答えを促す目に意図しない力が篭るのに気付いたが、それを気にとめず、再度確認する。

 「午前中の便で戻るってのは聞いてたんだが、到着はやっぱり午後だろう。夕方か、もしかして夜か?」

 「うんにゃ、もう帰って来てるよぉ?」

 「……何!?」

 のほほんとした麻衣の応えに滝川は過剰反応した。ガバッと身を起こして麻衣の方に身体を向ける。
 砂時計をセットした麻衣が、その勢いにきょとんとする。

 「ぼーさん?」

 「あ、いや、何でもない……」

 まさか、『一刻も早く会いたいのに、なんで麻衣が知ってて自分が知らないのか』などとは言えない。
 誤魔化すようにストローを取り上げ、袋を破った。

 「ぼーさんが来る5分前くらいに帰ってきたから、丁度お茶入れるところだったの」

 ひょいと持ち上げてみせたのは、湯を注いだティーポット。先程の盆に一緒に載っていた物だ。
 アイスコーヒーでは使うはずのないそれは麻衣が使用するのだと思い込んでいたが、どうやら違ったらしい。
 滝川は納得して、改めて心を落ち着かせた。

 「ああ、そういえばさっき『ついでだから』とか言ってたな」

 アイスコーヒーを頼んだ時の言葉を思い出していると、麻衣が目の前にすっとコースターを置いた。
 紅茶の入ったポットとカップの載った盆を片手に持ったままこれをやるのだからたいしたものだ。
 機材運搬で培った筋力は伊達ではないということだろう。

 「…はい、ぼーさん」

 「あ、サンキュ。なあ、リンは資料室に居るんだろ?」

 「そうだよ。帰ってきて早々にパソコン立ち上げてた。ワーカホリックってああいうのをいうのかなぁ、ナルと一緒だよね。」

 ぼやく麻衣の頭をまたしても撫でながら、ふと何かを思いついたようにニヤリと笑みを浮かべる。

 「そのお茶、俺が持ってくよ」

 「ぼーさんが?」

 麻衣が不思議そうな顔をする。

 「おう、久しぶりで積る話もあるし。麻衣は仕事してていいから」

 お茶を入れるのも仕事のうちだが、やりたいというのを止める理由もない。  
 僅かな逡巡の後、麻衣はこくりと頷いた。
 
 「うーん…ま、いっか……リンさんの邪魔しちゃだめだよ?」

 「しないしない、おとなしくしてるって。じゃ!」

 さっそく立ち上がって麻衣からトレイを受け取る。
 自分のアイスコーヒーも持っていくあたり、今言われた事をもう忘れて、話し込むつもりのようだ。

 麻衣はうきうきと資料室に向かう背中を小首を傾げて見送ってから、再び自分の仕事を再開した。
 日常業務の一つ、前の月に増えた分のファイル整理である。
 アルファベットは26文字あるのだ。まだ『G』までしか終わっていない。
 人使いの荒い所長に認めてもらうため、地味にコツコツ頑張る麻衣だった。
  



 キィ

 パタン



 微かな音を立てて資料室のドアが開き、閉まった。
 ノックの音がしなかったが、リンはその無礼を咎めない。別のことに気をとられているからだ。
 PCのディスプレイをのぞき込んだまま、応対する。

 「谷山さん、申し訳ありませんがすぐに外出する予定ですのでお茶は……」


 「そんなこと言わないで飲んでってよ」


 麻衣だと思いこんでかけたた言葉に、笑みを含んだ声で応えが返る。
 聞き覚えのある男性の声。麻衣のものではありえない。
 耳に心地よい声音は、リンのそれより少し高いテノール。
 
 それはリンが旅の間ずっと恋いこがれていた相手の声だった。


 「滝川さん!」


 心底驚愕して振り返る。
 
 そこにいたのは夢にまで見た人。
 嬉しそうに完爾と微笑む顔に、つられて口元がほころぶ。
 麻衣曰く、めったに見られないから縁起がいいというリンの笑顔だが、滝川に対しては大盤振る舞いである。
 
 「よお、3週間ぶりだな。お疲れさん」

 「滝川さんこそ、お疲れ様でした」

 おかえり、と重ねて言う想い人の頬にそっと手を添えると、くすぐったそうに肩をすくめた。
 目元に唇をよせて、ふとその疲労の影に気づく。
 リンは滝川の身体をそっと抱き締め、その細さを確認して顔を顰めた。

 「……大分無理をなさったようですね。以前より更に痩せてしまった」

 確かに滝川は無理をした。
 しかしこれは自業自得というものだし、久々に会えたというのに心配させるのは本意ではない。
 まじまじと顔をのぞき込むリンに苦笑しながら、話をそらした。 

 「大したこたぁないさ。それより、これからまだ仕事があるのか?出かけると言っていたが、その後都合がつくなら……」
 
 「仕事はありません。貴方に会いに行くつもりでした。」

 さらりと零れた言葉に、一瞬何を言われたのか理解できなかった。
 思わず確認するように聞き返す。 

 「え……俺?」

 「はい。どうしても会いたかったので。」

 「………お前さん時々臆面もなく凄いこと言うよな……」

 「そうですか。」

 「そうだよ。」

 普段は誰に対しても剣もほろろというような素っ気無い態度でいる癖に、滝川に対する時だけあからさまに態度が違う。
 元々その傾向はあったのだが、はれて恋人同士になってからはそれが強まっているようだ。

 なにしろ明らかに両思いであったのに、友達以上恋人未満の微妙な期間が長かった二人だ。
 一度覚悟を決めてしまうと、リンは恋人を溺愛した。
 
 真面目に、本気で甘い言葉を囁くのだから、滝川としては恥ずかしくてたまらないが、それを嬉しいと思っていることもまた事実。
 観察力の鋭いリンは、それに気づいているらしく、相変わらず不意をついて熱烈な口説き文句を滝川に向ける。

 (まさかこんな情熱的な男だとは思わなかった………)

 なんとも気恥ずかしく、抱き締められたままそっぽを向く。
 自分のようにデカくて硬い体を抱き締めても楽しくはあるまいと滝川は思うのだが、その辺りは愛情の成せる技で、リンはかなりご機嫌だった。
 
 「顔が赤いですね」
 
 「いいから、ちょっと黙っててくれ」

 「ようやく会えたというのに、話してはいけませんか?」
 
 「いや、そういうわけじゃないが。ただ落ち着かないんでな……」

 この状況ももちろんだが、リンがいつにもまして饒舌なのがまた困る。
  
 「では、貴方が落ち着いて、私がメールを確認し終わったら、食事に行きましょう。お時間は大丈夫ですか?」

 「あ、ああ大丈夫。それじゃ、あっちで大人しくアイスコーヒー飲んで待ってるから」

 これ以上ここにいるとよけいに落ち着けなくなりそうだ。
 再度目元にキスを落とされ、慌てつつも自分のコーヒーだけ持つと、滝川はほうほうの態で退室した。




 「あれ?ぼーさん、もういいの?」

 「ああ、うん」

 もういいんだ、と、妙に顔を赤くしつつこたえる滝川に、何の他意もない麻衣がそれと知らず追い討ちをかけた。

 「あ、そうだ。今ナルから電話があってね、ぼーさんに伝言なんだけど」

 「ん?仕事か?」

 「ううん。えっと、『リンは来週まで休暇とする。仕事については報告書を提出するように。口頭での報告は後日確認するので、持ち帰り可』だって」


 内容的には問題ないが、最後の一言をなぜよりによって麻衣に言うのか。

 お持ち帰りの言葉が何にかかるか、滝川は誤ることなく理解した。
 報告書自体ではなく、報告する者。つまりはリンのことを言っているのだ。
 来週出勤ということは、当初の帰国予定日までのオフと併せて土日を休みにしてくれるということだろう。
 それは素直にありがたい。
 ありがたいが、どうせなら電話を代わるなりメールを入れるなりしてもらいたかった。 

 (ナル坊……なんつーこと吹き込みやがる……)

 別に今時の女子高生にそれほど夢を見はしないが、せめて麻衣だけでも清らかなままでと思ってしまうのが親心だ。
 どうやら麻衣は言外の意味に気がついてはいないようで、リンさん仕事持ってかえるの?大変だなぁ、などと見当違いの同情をしている。
 
 あさっての方向に勘違いしている少女に安堵のため息をついたところで、麻衣がポロリと言った。

 「でもなんでリンさんのことをぼーさんあてに言付けるのかなぁ?」

 それはお持ち帰りをするのが俺だからです。
 とは、言えなかった。

 「ナルちゃんよ。お前さん、そんなに俺が嫌いなのか……」

 なんでー?と言う麻衣の声に聞えないふりをしつつ、遠い目で呟く。



 それがナルの迂遠な八つ当たりであった、と知るのはもう暫く先、ナルと麻衣が付き合いはじめてから。
 

 片思いにせよ両思いにせよ、年齢も性別も人種も関係なく。
 愛しい相手と離れたくないという思いは万国共通なのである。
 
 離れている時間が長いほど、想いは募るもの。
 その分を取り返すくらい一緒にいたいというのは、我侭だろうか。


 そうではないと否定してくれるなら。
 貴方を家まで、持って帰らせて?

 

2006.9.28


 後書き ↓

 
 この時期にUPするのは多少勇気がいったGH。
 ちなみに設定としては、企画部屋のお題20と同じ世界です。時間的にはこっちのほうが後かな。
 またしてもリン×ぼーさんというすざまじくマニアックなSSですが、誰か一人でも喜んでくれると嬉しいです……。
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