その想いの味は



 怪異を対象とする調査においては、就業時間の縛りなどないに等しい。
 真夜中だろうと早朝だろうと、必要があればすぐに行動しなければならないのだ。ぼんやりしているうちに何もかもが終っていたのでは話にならない。
 そんな不規則な生活を余儀なくされるからこそ、体を休めるというごく当たり前のことが、この時ばかりは義務にさえなる。結局のところこの業界も他の仕事と変わることなく、最後は体力勝負なのだから。

 よって合理性を重んじるナルは、長期の調査の際に限り、渋谷サイキックリサーチの協力者達に対して一定以上の休憩時間を確保した。
 状況が許す限りであるが、除霊の前後に必ずある程度の空白をおくようにしたのである。

 それが『休ませてやろう』という思いやりではなく、効率面からの指示であるというのがナルらしい。
 そこに、当の本人とリンは含まれていなかったというのが、さらに麻衣をして『らしい』と言わしめるところだった。






 「しっかし少年てば実にイイ性格してるな」

 「そうですか?ありがとうございます」

 「………しれっと返せるあたりホントにスゴイわ、キミ」
 

 滝川と安原がコーヒーを飲みつつ他愛ない会話をしている。
 部屋の隅でカメラ類の機材を監視していたリンは、安原と滝川の世間話を、聞くともなしに聞いていた。
 貴重な休息時間を中身のない会話で終らせるのは、本人の自由だ。
 雑談による精神のリラックス効果はそれなりに認められている。


 「最初はえらく真面目そうに見えたんだが、話してみるとコレだもんな。おじさんはびっくりしちゃったよ」

 「そうですか?とてもそうは見えませんでしたが」

 「いやまぁ、こっちのほうが付き合いやすいしねぇ」


 わざとらしいため息とかすかな笑い声。和やかな空気がこちらまで伝わってくる。

 (たった一日で、よく打ち解けたものだな……)

 こういうのを日本語で『ウマがあう』と言うのだろう。
 滝川はいかにも軽薄そうなそぶり。安原は絵に描いたような優等生の肩書き。性質は違えど表面上は柔らかく人当たりがいい二人だが、芯に強いものを持っているという点において、彼らはよく似ている。
 だからだろうか。
 まだ会って間もないというのに、安原は随分滝川と仲良くなったようだ。

 
 自分とは違って。

 
 「…………?」


 ほんの一瞬、思考に意図しないものが混じったことに気付き、リンは僅かに眉を寄せた。
 ノイズのようなそれは、どうやら自分の感情からきたもののようだ。
 
 (よくない傾向だ)

 自分で制御しきれない感情など、調査の上では邪魔になるだけだと、リンは考えている。
 もちろんリンとて人間であるから、持ちうる感情のすべてを管理することはできない。ことに民族の歴史に起因する好悪の念は、もはや完全に自分に根付いており、アイデンティティの一部になってしまってる。
 が、せめて調査中の短い間だけでも感情の波を抑え、可能な限り先入観や思い込みを排するべく勤めてきたし、実際に今までそれが揺らいだことはほとんどなかった。
 では、何が自分の感情を波立てたのか。
 自分と同じ部屋にいる二人以外に要因が思い当たらず、リンはモニターから目を離さぬままに、滝川達のほうへ注意を向けた。
 
 会話は相変わらず続いている。
 どうやら話題も変わってはいないようだ。


 「滝川さんに気に入っていただければなによりです」

 「そうか?でも、教師には煙たがられそうだな。頼りにはされるだろうが」

 「ははは、うちの教師はたいてい成績で黙りますから。僕は素行もいいですし」
 
 「……スバラシク図太い神経で羨ましいわ。松山あたりに嫌われてないか?」

 「あー嫌われてるかもしれませんねぇ」 


 特に変わったことを話しているわけではない。
 
 緑稜高校の生徒会長であるという安原修少年は、依頼主でありながら、いつの間にかベースの中に自分の居場所を作り上げていた。
 なるほど、たしかにその調査能力は素晴らしい。素人とは思えない手際のよさだ。
 状況判断も的確、引き際も心得ているようだから、珍しくナルが素人の協力を断らないのも納得がいく。

 だが………


 「いいんですよ、別に松山ごときに嫌われても」

 「やりにくいだろうに」

 「滝川さんは嫌いではないんでしょう?ならそれで充分です」

 「将来タラシになりそうなお言葉をありがとう。そういうセリフは女の子に言ってやれよ」

 「いやぁ、僕は滝川さん大好きですからね。タラシこまれてくださいよ」


 気に入らない………!


 安原の言葉を聞いて、思わず立ち上がりそうになった自分に気付き、リンは唖然とした。
 完全に感情が制御を外れていた。しかもそれが行動に影響を及ぼしそうになった。


 「――――――」


 なぜ。


 リンは自問自答する。


 別に構わないではないか。
 日本人が勝手に群れていようとも、ただ鬱陶しいだけだ。嫌悪感はあるが、その程度のことは今まで何度もあった。今回に限って我慢できない理由にはならない。
 会話の内容が低俗で気に入らないならば、聞かなければいい。大声で怒鳴り散らしているわけでもないのだから、意図してシャットアウトできないことはない。
 元々関わりもないのだ。仕事に集中するべきである。

 (どうして私はあちらを意識してしまうのだろう)
 
 分からない。不可解だ。
 今回の調査に限って。それも、先ほどから突然湧き上がった不快感。
 日本人に囲まれての調査はこれがはじめてではないし、今まではこんなことはなかった。
 そもそも、この感情の発端は何処にあったのか。

 一人でモニターに向かっていた時はいつもと変わりなかった。
 最初に戻ってきた滝川がコーヒーを飲んでいても気分が下降することはなかった。
 続いて安原が帰ってきて、三人分のコーヒーを淹れ、そして二人が話しはじめ―――――


 そうだ。たしかその辺りから思考が迷走をはじめたのだ。


 (ならば私は安原修個人を嫌っているのか)

 そんなことがありえるのだろうか。
 相手はたかだか17かそこらの子供だ。ナルと同世代ではあるが、ナルのような規格外ではない。
 第一会話すらまともに交わしたこともないのに、何処にそこまで嫌うような要因があるのだ。
 日本人は嫌いだが、彼だけ特に不快になる理由にはならない。
 それを言うならば滝川とて同じだ。だが、滝川は嫌いではないどころか………


 比較対象に、安原の隣にいる青年を挙げてみる。

 まだそれほど長い付き合いではないが、リンにしては珍しく、この青年のことが嫌いではなかった。
 そう、彼は嫌ではないのだ。珍しく、日本人にも関わらず。むしろこちらのほうが意外なはずなのに、なぜ今まで思い当たらなかったのか。
 明るく善良なアルバイトの谷山麻衣でさえ人種だけでリンの拒絶の対象になるのに。

 (却って疑問が増えた……)

 なぜ安原が気に入らないのか。日本人の滝川を許容できるのか。

 (私は、なぜ彼の存在を否定しない)

 好ましいとさえ思う、その理由はどこにあるのだろう。


 心の中で指を折って数えていく。
 攻撃においてはリンすら凌ぐ霊能力。それを完璧に御する精神力。ふざけて見えるが聡明で、頭の回転が速い。
 さりげない気遣い。人に負担を感じさせない思いやり。不意に見せる優しい笑顔。そういえば、先日オフィスで会った時に見た、夕日に透ける髪も綺麗だった。思わず抱き寄せて触りたくなるような――――



 なに?

 今、何を考えた。


 「さぁて、もう一仕事してくるかねぇ」


 立ち上がって伸びをし、パキパキと首を鳴らす滝川の姿が、リンの視野の端に映る。
 どこからどう見ても日本人で男だ。

 これがあくまでも友人ないし同僚に向ける好意であれば、百歩譲って認めてもいい。
 人種に対する生理的な反発を乗り越えて友情を抱くには、いささか付き合いが短い気もするが、それはこの際おいておこう。
   だが今、私が考えたことは、友情の度を越えてはいないか。

 『引き寄せる』のではなく『抱き寄せる』というところに、何か種類が違う感情が混じっていた気がする。


 「次は被服室ですね、ご案内します。中庭を突っ切ったほうが早い」

 「まさか針だの糸だのが吹っ飛んできたりはしないだろうな」

 「今まではなかったですよ。むしろ危ないのは調理室で………って、なんでコーヒー淹れてるんですか」

 「ん〜?ちょっとな」

 「ははぁ。滝川さんて意外に気配りの人ですよね。いやいや、意外でもないか」

 「言ってろ………………おーいリンさんや。………リン?」


 自分が思い浮かべた単語に衝撃を受けて固まっていたリンは、一瞬反応が遅れた。


 「あ、はい、何でしょう、滝川さん」


 返す返事が上ずっている。  すぐに相手に顔を向けたが、頭の中は盛大に混乱中だ。
 ほとんど条件反射で表情を消してはいるものの、さすがに平静ではいられない。
 なにせ声をかけてきたのは今まさに頭に思い描いていた人物なのだ。

 
 「大丈夫か。疲れてるのか」

 「は。いえ、そんなことは………」

 「いくら座ったままとはいえ、気疲れだってするだろう。ちょっと休むか?」

 
 心配そうに覗き込まれて思わず椅子を引く。
 間近に、顔が。

 
 「結構、です」

 「とてもそうは見えないが………まあいいか、そんな頑張りやなリンさんに、ホレ」

 
 差し出されたのは一杯のコーヒー。
 柔らかな湯気が立ち上っては空気に溶けている。

 見ているだけで肩の力が抜けるような、やさしい蒸気のむこうで滝川が微笑んだ。

 リンの鼓動が、一瞬強くなる。
 
 
 「コトが機材の面倒となると俺じゃ役には立てないが………あんま、無理すんなよ」

 「……………………はい」


 一見平静に見えるが、その実呆然としたままのリンは、ほとんど無意識の動作でカップを受け取った。
 動揺に気付かない滝川は、よし、と満足げに頷き、安原を伴って部屋を出て行った。
 残されたのは放心状態のリンと、その手の中にある暖かなコーヒーカップ。

 そのまま10分が経過して、ようやくリンはのろのろと動き出した。
 まるで幽鬼のような動作だ。
 頭の中では先ほどの一連の流れが渦を巻いていた。
 安原への負の感情と、滝川への奇妙な感情。そこに不快になったタイミングと、話していた二人とその内容を加味すると、不穏な仮説が浮かんでくる。


 「ばかな……そんなはず……那樣的事不可能…………不能認可的…」

 
 しっかりと手に持ったコーヒーはすっかり冷めてしまっていたが、まるで気付いた様子はない。
 やけにぎこちなく体勢を戻し、モニターに向かいながらぶつぶつと呟くリンは、一種異様な空気を放っていた。
 麻衣が見たらそのまま踵を返してナルを呼びに行くだろう程度には異常だ。
 その後数時間が経過して、真砂子と綾子がベースに戻るころには、なんとか復活していたのだが、もしもそのままであったら調査から外されていただろう。  
 
 何も言わないリンの葛藤を物語るのは唯一つ。
 数々の怪現象を記した校内見取り図の端の、『甜的K珈琲』の文字のみ。
 何かのメモのようだが意味が分からず誰もが黙殺したその言葉の訳は。


 『甘いブラックコーヒー』という。
 



2006.11.3


 後書き ↓

 最近ちょこちょことGH小説に反応していただけるので調子にのってみました。
 あまりの短さにブログにまわそうかとも思ったのですが、小説部屋が寂しいのでこちらにUP。
 企画部屋SSの20と、『ご自由にお持ち帰りください』と同じ世界です。緑稜高校事件中のぐるぐるリンさん。
 まだ自分の心の変動を否定中ですが、いつ認めるにしても惚れたのはリンのほうが先に違いない。と、思っております。ぼーさんがリンを気にし始めるのはリンの態度が変わったあたりからかなぁ。
 ちなみに後半の北京語は『そんなことはありえない』『認められない』って感じの意味です。本当は広東語の予定でしたが、漢字表記できなかったんですよ………。
 
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