――大切な人と大事な約束――




 (歳月というのは時として残酷な現実を見せつけてくれるな………)

 ミスマル・コウイチロウは目の前で書類に目を落とす男を見ながら、コーヒーと共にその言葉を飲み込んだ。 

 彼はたしかまだ二十歳にもなっていないはずだ。
 しかしその落ち着いた物腰と揺ぎのなさはとてもその年頃のものとは思えない。
 軍艦にたった一人で招かれ、既知の間柄とはいえ艦隊の長と一対一での面談ともなればもう少し緊張してもよさそうなものだが、テンカワ・アキトには萎縮どころか戸惑いの気配さえないのだ。
 それが自身の胆力からくるものにせよ、意地からの演技によるものにせよ、ここまで悠然とした態度を取れる人間はなかなかいないだろう。
 ユリカもあるいは同じように堂々と振舞うかもしれないが、それは彼女の幼さと無邪気さからくるものであってテンカワ・アキトとは性質が違う。

 それにしても信じがたい変わりようだ。

 事前に名前を聞いていたにも係わらず、コウイチロウは相手から挨拶されるされるまで、彼が娘と共に野原を転げまわって遊んでいた幼子の成長した姿であるということに全く気付かなかった。
 ユリカのわがままに振り回されて稚い顔一杯に困惑を浮かべていたあの優しげな少年はどこへいってしまったのか、あの頃の面影はいまだ丸みを帯びた頬や細い顎のあたりに微かに残るばかり。
 激変するに至った経緯を思えば胸が痛むが、それでもこの成長振りを前にすると、素直に感嘆の念が沸きあがってくる。

 (本当に立派になったな)

 この年頃の男の子はこういうものなのかもしれないが、とコウイチロウは先ほど会話を交わしたアオイ・ジュンを思い出す。  
 士官学校時代に会った時は見るからに頼りなげであったのに、いつのまにかすっかり顔つきが変わっていた。
 今はまだ余裕が少なく堅さが目立つが、経験を積めばきっと優秀な軍人になるに違いない。
 モニターごしに見た彼は、腹の据わったいい目をしていた。

 「男子三日会わざれば括目して見よ、か」

 「……何か?」

 顔を上げて聞き返したアキトに、コウイチロウは曖昧な笑みを浮かべて首を振る。

 「いいや、何も」

 (ただ少し、娘だけでなく息子も欲しかったと思っただけだよ)
 
 胸のうちの呟きはアキトの耳に入ることなく、コーヒーと一緒に飲み込まれた。
 

 ・
 ・
 ・


 アキトが海の上で古い知り合いに眺められつつ仕事に励んでいたその頃。
 彼の相方はといえば、会長室で子ども達に睨まれながら嫌々仕事をこなしていた。

 「あの………そろそろ軍が動くんでしょう?止めなくていいんですか」

 頬杖までつきはじめたアカツキの様子に、柔らかい革張りのソファーに身を沈めたハーリーが時計を見てからおずおずと問いかけた。

 両手でオレンジジュースの入ったコップを持ってはいるものの、中身はまったく減っていない。
 ジュースを出されてから5分、この一言が言いたくてずっとタイミングを計っていたのだ。 
 隣で黙々とリンゴジュースを飲んでいたラピスも、ハーリーの言葉にわずかに顔を上げ、窓を背にしたアカツキに目を向ける。
 
 「何をだい?トビウメなら心配いらないよ。
  ミスマル提督は民間人に無体を働いたりしないさ。娘に目がくらんでなければ至極まともな軍人だ」

 子供たちの視線を集めていたアカツキは、手元のデータから目を離しもせずにそっけなく答えた。
 取り付く島もないとはこのことだ。
 普段は愛想がよく人当たりの柔らかい男が、今は子ども相手に不機嫌さを隠そうともしない。
 威圧感さえ感じるその姿を前にして、それでもハーリーは食い下がった。

 「そっちじゃないですよ。わかってるくせに」 

 保護者の目をかいくぐってわざわざ会長室までやってきたのだ。なんとしてでも話を聞いてもらわねばならない。
 せいいっぱい強く睨みながら言い募るハーリーに、アカツキがやっと顔を上げた。

 「さて何のことやら」

 「アカツキさん!」

 わざとらしくとぼけられて、ついに大きな声が出た。
 
 今ナデシコがどんな状況であるのか。これから何が起こるのか。
 それをわかっているはずだろうに、渦中のナデシコに想い人を置いた青年はまったく動じる様子がない。
 その不自然なまでの余裕に、ハーリーはおろかいつも無表情なラピスでさえも顔をしかめた。

 「ごまかさないでください。ぼくたち知ってるんですよ。ねぇ、ラピス」

 「ウン。ハーリーとラピスで、しらべた」

 二人でうなずきあって、じっとアカツキを見つめる。

 ここにいる子供たちはマシンチャイルドなのだ。
 電子の海は情報の海。そこを遊び場にするハーリーとラピスは常に膨大な情報に接している。
 その中から、兄のように慕うアキトをはじめ、自分達を可愛がってくれるプロスやヤマダやウリバタケが乗り込んでいるナデシコの情報を求めるのは、彼らにとってごく自然なことだった。

 意味不明ないくつかのデータとほんの僅かな違和感を伴う通信記録。
 それを拾ってきたのはラピスで、繋ぎ合わせて隠された計画に気付いたのはハーリーだ。
 軍内部の不穏な動向を気にかけた子供達は、AIコトシロヌシの協力を得て正規のルートでは知りえない深みにまで探りを入れた。

 そうして知った、その『予定』。

 「アキトさんが輸送中に攻撃されるって、分かってるんでしょう?」

 ハーリーは取り繕うこともなく口にした。
 自分達が調べられたことを目の前の青年が知らないわけがない。
 それどころか、彼はかの艦を巡って繰り広げられる一幕の仕掛け人側なのではないかと二人は推測していた。

 「アキトさんが危ないめにあうのは、いやです」

 「ヤだ」

 「なんで、止めないんですか!」

 「ナンデ?」
 
 口々に不満を述べた後は、納得するまで追求を止めないとばかりにぎゅっと手を握り締める。
 ハーリーだけでなくラピスの目にも不満と怒りがはっきりと浮かんでいた。

 「………そう怒らないで欲しいなぁ」

 二人分の強い視線に負けて、アカツキはため息とともに仕事の手を止めた。 
 無視しようと思えばできないこともないが、いたいけな子供に睨まれるのは気持ちがいいものではない。
 今更知られたところで予定に変更はないのだ。ここで子ども達に付き合うのも気分転換にはなるだろう。
 
 アカツキは横に置いてあったコーヒーカップを引き寄せながら、ゆっくりと語り始めた。

 「いいかい、僕は―――――いや、ネルガルは、何も知らないんだ。もちろん対策も取れない。なにせ不意打ちだからね」
 
 さらりと口から出た言葉に、ハーリーが眉をひそめる。

 「ナデシコは物資の受け渡し中、極東方面軍のとある幹部の命令で突然襲われる」

 他の大人たちがあえて話さなかったことだが、アカツキはまったく躊躇しなかった。
 本人がまだ幼少のころから企業の裏側を垣間見てきたからだろうか。
 隠すどころか、まるで講義でもするかのようにゆっくりと分かり易く説明する。

 「だけど、奇襲をかけられたその時、ナデシコの誇る新型機動兵器エステバリスが『運よく』艦外で待機中だった」

 「うんよくって………」

 自分達で仕組んでおいて、よくもまぁ白々しいことを。
 あまりの厚顔さに呆れるハーリーに対して、アカツキはニヤリと笑ってみせた。

 「ナデシコは事情を知ったミスマル提督の了解を得て敵を速やかに倒し、ネルガルは軍に厳重抗議をする」

 『とある幹部』は『以前』のナデシコ出航の際にも引渡しを主張したことがある、地位と軍歴を振りかざす頭の固い軍の高官だ。
 自分が一番頭がいいと思っているわりに精神構造が単純であったため、彼を煽って行動にうつらせるのは赤子の手を捻るよりも簡単だった。
 ミスマル提督には極東方面軍の失態の余波で迷惑をかけることになるが、ネルガルからもフォローは入れるつもりだし、邪魔な重鎮がいなくなれば提督も仕事がやりやすくなるだろう。
 考えなしな上司のとばっちりをくらう現場の人間も気の毒だが、ヤマダなら命までは奪わないので、ここは不運と思って諦めてもらうしかない。
 条件のいい再就職先を斡旋するのがせめてものお詫びだ。

 「ナデシコとエステバリスは一躍有名になるだろうね。うちの会社は商売繁盛だ!」

 軍には貸しを作れるし、アキトの知己であるミスマル提督が力を付けてくれれば今後の行動がだいぶ楽になる。
 ネルガルもナデシコのみならずエステバリスの性能までアピールできるのだから言うことはない。
 ナデシコが注目されればその目はきっと火星にも向けられるだろう。
 
 「いっせき……よんちょう、クラい?」

 指を内側に折りつつ呟くラピスの言葉に、アカツキがあいまいに頷く。

 「そうだね。まぁ他にも、色々あるんだけど……」

 ライバル企業を追い落とすためのあれこれを子どもに聞かせるというのもどうか。
 アカツキは後ろ暗い部分について言葉を濁したが、子ども達はそれに気がつかなかった。
 たった今教えられたことを咀嚼して飲み込むのに精一杯のようだ。

 「えっと、結局は全部アカツキさんのたくらみなんですよね?」

 「人聞きが悪いなぁ………まあ何にせよ、最終的な目的のための布石になるってことさ。オーケィ?」
 
 ウインクしてみせるアカツキに、なるほどと頷いていたハーリーが、ふと表情を曇らせた。
 
 「動かない理由は、わかりました。……でも、なっとくはできないです」

 沈む雰囲気に引きずられてか、隣のラピスが表情を変えぬまま唇を噛む。
 その様子に気付いたハーリーがそっと手を握れば、細い指が握り返してくる。
 赤ん坊のように、一心に。

 「貸しとか、お金なんかのためにアキトさんを危ないめにあわせて、それでいいんですか」

 言葉を捜しながらラピスの手を強く握る。

 「いっつもいっしょで、それがすごく当たり前だったのに。アカツキさんはアキトさんが大好きなのに」
 
 手の中にある温もりを大切だと、守りたいと思うのは、ハーリーがラピスを好きだから。
 なら、アキトのことを好きなアカツキだって、アキトを守りたいと思っているはずだ。
 彼らの絆を疑ったことは一度だってない。
 お互いをどれだけ大事にしているのか、些細な行動の一つ一つから伝わってくるのだ。
  
 だからなおさらハーリーには分からない。
 
 もしも自分だったなら。
 ラピスがアキトと同じ立場に立たされたら、絶対に止めに行く。
 大人の世界には複雑な事情があるのだろうけれど、だからって大事な人を危険にさらすのは間違っている。
 アカツキくらいの力があれば他にいくらだって方法があるはずなのに、どうしてこんな手段を選ぶのか。
 アキトが危ない目にあうと分かっていながら、それを許容できるのか。
 ハーリーには分からない。

 「アキトさんに何かあったらどうするつもりなんです?」

 突きつけられた問いには答えず、アカツキはするりと逃げた。

 「ヤマダ君がいるじゃないか。少しは信頼してあげなよ」

 「だってヤマダさん、いつもアカツキさんとアキトさんにコテンパンにされてるじゃないですか!」

 なだめるつもりでかけた言葉に、オブラートというものを一切廃した返事がかえってきた。
 いくら感情的になっているとしても、これはさすがにヤマダがかわいそうだ。
 いままでさして表情の変わらなかったアカツキの顔が引きつる。

 「ひ、酷いこと言うなあ。ヤマダ君って実は結構強いのに」

 負けたところしか見たことがないハーリーは分からないのだろうが、結構どころか相当強い。

 普段の対応からすればそうは見えなくとも、アカツキはヤマダをかなり高く評価している。
 ある意味インチキなアキトとアカツキを除けば、官民問わず極東方面のパイロットの中で五本の指に入るくらいの実力があると見ているし、仲間を守らんとする気合と根性については手放しで誉めてもいい。
 彼ならばきっと命をかけてでもアキトの……ナデシコの護衛をやり遂げてくれるだろう。

 「でも、あいては一人じゃないんでしょう?」

 アカツキのフォローを聞いてさえ不安げな顔を前に苦い笑みが浮かぶ。
 これ以上何を言ったところで、子どもたちを完全に安心させることはできまい。
 せめて心配のあまり暴走することがないように言い聞かせなくては。
 
 僅かな思案の後、アカツキは渦中の人物の名を出すことにした。

 「……これはね、アキト君の希望でもあるんだ」
 
 犠牲を見過ごすつもりはないが、できるかぎり歴史を変えずに火星まで行きたい。
 未だ訪れぬ未来において、ナデシコは紆余曲折があったとはいえ火星の遺跡まで辿りついた。
 ならば今回もあの道筋を踏襲することで遺跡に手が届くはずだ。
 死すべき者を助けることで生じる誤差は自分が行動することで埋める。
 そのためなら多少の危険は厭わないが、火中の栗を拾うような真似はしない。 

 必ず無事に戻ってくる。

 そう約束してアキトはナデシコに乗ったのだ。

 「だからって、「信じてるんだよ」……アカツキさん」

 反駁を断ち切るような一言。
 その重みに、子ども達は口を閉じる。

 誰よりも心配している。けっして拭い去ることのできない不安がある。
 できることなら代わりたい。いっそ連れ戻してしまいたい。
 ほんの僅かな差異によって大きく道を違える可能性を、いつだって危惧している。  
 危ないことなんて今すぐやめさせて、この腕の中に囲ってしまえたらどれほど楽になるだろうか。

 だがそれでも、アカツキはアキトの意志を優先する。
 彼がその身を捨てようとしないかぎりは。

 「約束したんだ」


 帰ってくると。

 信じて待つと。


 「だから、アキト君は大丈夫だよ」

 静かに微笑むアカツキを見て、ハーリーは残りの言葉の全てを飲み込んだ。

 無言のままで呆れたように頭を振り、隣に座っていたラピスと顔を見合わせため息をつく。
 ラピスはなにやら不満げだが、この態度を前にしてゴネられるハーリーではない。
 聞き分けのよさと空気を読むことのできる感性が彼の敗因だった。
 理屈の通らない主張であっても、そこに篭められた気持ちに気づいてしまえばもう何も言えない。


 追求を諦めてくれたらしい少年をしばし見つめてから、アカツキは椅子をくるりと回転させて窓を振り返った。
 ガラス越しの空に向けて、彼方を見はるかすように目を眇める。
 この空の下、はるか海の上に彼がいるのだ。

 瞼を閉じれば浮かぶ面影。
 バイザーのない横顔へ、語りかける。

  
 (約束だからね、アキト君)

 
 閉められたままの窓から感じる風。 
 返るはずのないこたえが、微かに聞こえた気がした。 
                                                                                
                     

2010.07.31                                                                                                     
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